8月14日に事故が発生し、閉鎖された羅臼岳の登山道
もう1つ、元レンジャーが「あり得ないことが起きたと言う人はいない」理由として挙げたのが、事故が起きた場所だ。そこは標高559メートル地点、通称「560(ゴーロクマル)岩峰」だった。
「やっぱりあそこで起きたか、と。知床内では、もっとも事故が起こりやすい場所の1つなんです。大きな岩峰全体がアリの巣になっていて、夏場は特にクマが出やすい。その岩を巻くように通らなければいけないんですけど、細いし、見通しも悪い。なので注意を喚起する、かなり目立つ看板を前後に立ててあるんです。私もそこを通るときは必ず大声を上げて、手を叩いたりするようにしていました。登山者はそこを駆け下りたらしいんです。道を塞ぐような形でクマがアリを食べていたとしたら……」
人間の方から先にぶつかっていったという可能性も否定できない。となれば、どんなに大人しいヒグマでも防御本能として攻撃し返すだろう。
ちなみにクマは走って逃げる生き物を反射的に追いかける性質があるので生息域内で走るのはタブー中のタブーだ。
クマと人間の関係は、車と人にたとえられることがある。車は十分な殺傷能力を持つが、互いがルールを守っている限り、基本的には安全な乗り物だ。そこへいくと今回の羅臼岳の事故は、車がビュンビュン通る道路の信号を無視し、走って横断歩道を渡ろうとしたようなものなのだ。
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後編記事では、実際にクマに襲われた経験を持つ人物に、クマの「ヤバいスピードとパワー」のリアルを聞いている。
【プロフィール】
中村計(なかむら・けい)/1973年、千葉県生まれ。ノンフィクションライター。著書に『甲子園が割れた日』『勝ち過ぎた監督』『笑い神 M-1、その純情と狂気』など。スポーツからお笑いまで幅広い取材・執筆を行なう。近著に『落語の人 春風亭一之輔』。
※週刊ポスト2025年9月19・26日号