先輩の飲みに36時間付き合ったことも
36時間飲むジミー時田、朝4時から飲む高田渡
では、人はどのようにして、酒を覚え、好きになり、馴染むのか。酒は誰かに教わるものなのだろうか。
「まだ飲みつけない頃に、先輩に誘われて飲むということはあった。フォークの師匠の高田渡さんやカントリーの師匠のジミー時田さん。ジミーさんの36時間飲みっぱなしという壮絶な酒に付き合ったこともある」
教えてもらうなんて生易しい話じゃない。連れまわされて飲まされて、なにやらわからぬうちに酒と酒場を叩きこまれる。そんな感じか。
「渡さんは、カッパカッパと、変わった飲み方をしていた。飲まないときは20分も30分もグラスに手をのばさず喋っている。それでいきなり、カパッと1杯全部、飲む。そんな繰り返しで、酒が長い。渡さんはまた、朝から飲むからね。アタシらみたいに明け方まで飲むのではなく、朝4時くらいから起き出してもう飲んでる。それで6時くらいに電話かける。あるフォークシンガーが居留守を使って、奥さんに渡さんの相手をしてもらったときのこと。30分くらい奥さんと喋っていた渡さんがふと黙っちゃったから、奥さんのほうが心配になって、もしもし? どうかされましたか? もしもし? 大丈夫ですか? って訊いたら、渡さん、僕は誰と話しているんでしたっけ? ってさ」
先輩が凄すぎる。なぎらさんはこうした先輩たちから酒の手解きを受けたのだろうか。いや、そうではないだろう。飲む人が、飲む人を見つけた。そういうシンプルな出会いが、酒の道の、さらに深いところへと人を導いた。それだけのこと。なぎらさんに限って言えば、酒を飲むということは、教えたり教わったりするものではなかった。そんな気がする。
【プロフィール】なぎら健壱(なぎら・けんいち)/1952年東京生まれ。父は宝石箱の職人で、京橋小3年で葛飾へ転居。都立本所工業高校在学中の1970年、全日本フォークジャンボリーに『怪盗ゴールデンバットの唄』で飛び入り参加。同曲はライブ盤にも収録され、1972年『万年床』でアルバムデビュー。翌年の2ndアルバムに収録された『悲惨な戦い』は大反響を呼ぶ一方、放送禁止歌に。その後も文筆家、俳優等で幅広く活躍する一方、ライブ活動も続行中。10月11日大岡山Goodstock Tokyo、10月25日 吉祥寺マンダラ2など、詳しいライブ情報はこちらから。 http://roots-rec.s2.weblife.me/index.html
◆取材・文 大竹聡(おおたけ・さとし)/1963年東京都生まれ。出版社、広告会社、編集プロダクション勤務などを経てフリーライターに。酒好きに絶大な人気を誇った伝説のミニコミ誌「酒とつまみ」創刊編集長。『中央線で行く 東京横断ホッピーマラソン』『下町酒場ぶらりぶらり』『愛と追憶のレモンサワー』『五〇年酒場へ行こう』『酒場とコロナ』など著書多数。マネーポストWEBにて「昼酒御免!」が好評連載中。