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《66歳の今も輝き続ける》薄井シンシアさん、17年間の専業主婦を経てキャリアを再構築「私の人生はまだ道半ば」「ワークとライフのバランスは一生の中で取ればいい」 

今も輝き続ける薄井シンシアさん

今も輝き続ける薄井シンシアさん(撮影/黒石あみ)

 現在は ICCコンサルタンツの Chief Empowerment Officer(最⾼エンパワーメント責任者)としても活躍する薄井シンシアさん(66 歳)。30歳の時に出産を機にキャリアブレイクし、17年間の専業主婦を経て、47歳の時に外交官だった夫の駐在先のタイで「食堂のおばちゃん」として社会復帰。日本帰国後は、時給1300円の電話受付の仕事から始め、様々な企業で成果を出し、外資系ホテルの日本法人社長を務めたり外資系有名IT企業に勤めたりするなど、キャリアを再構築した。「65歳からはGIVEのフェーズに」と掲げ、起業を検討。自身ができることを模索し、動き続けている。

「20代の私が求めていたキャリア、結婚、子供、全部手に入れました。でも同時ではなかった。子育てと仕事の両立、自分にはできなかった。両立する能力はなかった。やろうとしたら、自分はきっとつぶれていた」(Xより)と明かすシンシアさん。著者『人生は、もっと、自分で決めていい』(日経BP)から一部抜粋・再編集し、シンシアさん流「どんな状況でも納得のいく人生をつかめる、決め抜く力」の秘訣を紹介する。

 * *  *

ワークライフバランスなんてもういらない

 ワークライフバランス――この言葉には、ワークとライフのどちらも取りこぼすまいと、必死でバランスを取りながら、細い平均台の上を歩いているようなイメージがないでしょうか。

「長い間、落ちそうになりながら平均台を歩くのは嫌、でも、結婚して子どもを産んで生活も仕事もうまく回していかないと自分が落ちこぼれるような気がしてしまう」……などと思って、ワークとライフの狭間で、今、ものすごく頑張っている人、少なくないと思います。

 もちろん、ワークにもライフにも全力投球して、ともに充実させていける人はそれでいい。でも、実際そんなことができるのは、ごく一握りでしょう。フルスピードで両立し続けることを求められたら、燃え尽きてしまう人もいる。少なくとも、不器用な私には無理だった。だから、私はきっぱり諦めました。ワークライフバランスなんていらない、と。

一生の中でバランスを取ればいい

 とはいえ、仕事を諦めたわけでも、生活をないがしろにしたわけでもありませ ん。「同時期に育児と仕事を両立させること」を諦めたのです。1日とか1週間といった短いスパンでワークとライフのバランスを取ることをやめた。そのかわ り、一生の中で帳尻を合わせればいい、と考えたのです。

 私は30歳で長女を出産し、専業主婦生活をどっぷり20年弱。その後は子離れして仕事に復帰し、62歳のときに、外資系ホテルの日本法人の社長となりました。 子 育てというものは期間限定です。私が今しようと思ってもできない。でも、仕事なら、今いくらでもできる。人生100年時代、私は何ならこの後10年、15年と働き続けることも可能かもしれません。だったら、子育てを終えてから思い切り働くという選択があってもいいじゃないかと思うわけです。

実業家の薄井シンシアさん

「一生の中でバランスを取ればい」という薄井シンシアさん(撮影/黒石あみ)

 事実、私は20年近く仕事から離れていましたが、それを差し引いた残りの人生、十分長い。ワークとライフのバランスは、一生の中でゆっくり取っていけばいい のです。

現在の私は子育てを終え、夫もいない一人暮らしの66歳。ワークに没頭しても誰にも迷惑をかけません。幸い時間だけはいっぱいあるから、これから80歳まで18年かけて、自分のキャリアをじっくりつくりたいと思っています。平均台の上でワークとライフのバランスを取りながらジャンプするのではなく、マラソンランナーを目指した私の人生はまだ道半ば。ゴールまで自分らしく完走したいなあ、と思うんですよ。

 とはいえ、もちろん、人によって事情はさまざま。私のように、人生をすっぱりと切り分けられるのはむしろ少数派で、たとえ一時的であっても仕事を手放せない人もいると思います。男女を問わず、子どもがいてもいなくても、このワークとライフのバランス問題はついてまわる。

 だからこそ、正解は一つじゃない。「仕事は辞めなくてもスローダウンして子育てを中心に時間を使う」「仕事を頑張る!と決めて仕事中心に時間を使う」「学びの時間をつくる」 「旅をして見聞を広げる」……。選択はそれぞれです。アクセルとブレーキをうまく踏み分けて、人生のオプションを自分で選べる生き方が できたらいいですよね。

仕事が好きな私がなぜ、専業主婦を選んだのか

 メディアに登場するワーキングウーマンは、たいていキラキラ輝いて見えませんか。仕事でも実績を出し、子どもにはしっかり向き合い、健康を気づかった料理を作り、部屋はおしゃれでいつもきちんと片づいている。

「こんな人、いないでしょ」とまでは言わないけれど、すべてうまくいっているようなキラキラした姿は一般的ではない、と私は感じます。飛び抜けてすぐれた特殊なスーパーウーマンが紹介されているか、実際はそうでないのにそう見えてしまっているか、そのどちらかではないでしょうか。

仕事に復帰はせず、専業主婦になることを選んだ

仕事に復帰はせず、専業主婦になることを選んだ

「私はあんなふうにはできない」「私はダメなんだ」と落ち込む必要は全くないのですが………気になってしまうことはありますよね。あんなにも華麗に両立されてしまうと、「私がきちんと両立する」なんてありえない気がして。実は私もそうでした。

 私はフィリピンの華僑の家に生まれました。「女の子に学歴はいらない」という家父長的な考え方に反発して、20歳のとき国費留学生として来日。東京外国語大学などで学んだあと、貿易会社に就職し、27歳で外交官だった元夫(58歳のときに離婚)と結婚しました。

 この頃は自分が仕事を辞めるなんて全く思っていなかった。結婚早々に夫に帯同してアフリカのリベリアへ行きましたが、2年後帰国してすぐに広告会社で働き始めました。

 仕事は面白い。事務の仕事では飽き足らず、営業の現場に出たいとずっと考えていました。30歳で妊娠したときも、産休を取得して仕事に復帰するつもりでした。しかし、娘を腕に抱いた瞬間、気持ちが一変。「この娘を育てることが、私の人生最大の仕事になる」と直感してしまったのです。それで迷わず、専業主婦になることを選びました。

 それから、娘が大学に入学するまでの17年間、海外駐在をする夫に帯同して5カ国で暮らしましたが、私は専業主婦として、家事と育児に全力を注ぎました。専業主婦であることが私のキャリアになる、そう思うことで、私は仕事への思いを断ち切りたかったから。家事も育児も「ミッション」だととらえ、熱意を持ってプロジェクトに取り組むようにすごく頑張りました。今思えば、そうすることで私はプライドを保ちたかったのかもしれません。

子育てをした17年間は人生で最も幸せだった

 とにかく、最優先すべきは娘。だから、娘が学校から帰って来る14時までに家事はすべて終わらせ、14時からの時間は娘のために使いました。 例えば、タマネギを切っているときに、娘に「なんで泣いているの?」と聞かれたら、なぜタマネギを切ると涙が出るのかを一緒に徹底的に調べる。次から次へと出てくる質問に、娘が納得するまで対応しました。もしも、私が仕事をしていたら、余裕がなくて「あとにして」と言ってしまったでしょう。

 17年間私と一緒に過ごした娘は、ハーバード、イェール、プリンストンという米国の大学に合格し、ハーバードカレッジに進学。卒業後は、外資系金融機関の日本法人に勤務したのち、ハーバードロースクールに入って弁護士資格を取得、現在は米国で弁護士をしています。娘と一緒に過ごせたこの17年間は私の人生の宝物、人生で最も幸福な時間として記憶に刻まれています。

子どもが生まれて「限界」が見えた

 仕事を続けたかった私が、生まれたばかりの娘を抱いた途端、どうしてあっさり専業主婦の道を選んだのか。子どもってそんなにも大きな存在なのか。疑問を抱く人もいるでしょう。

 私にとっては、子どもという存在の破壊力たるやすさまじく、「子育ても」「仕事も」やりたかったけれど、この二つは並列させられるようなものではなく、子どもの優先度が飛び抜けて高かったのです。

 それでも、仕事も手放さずに両立できる人もいますよね。多くのワーキングマザーは、ファーストプライオリティは子どもであっても、歯を食いしばって仕事を続けているのだと思います。

仕事よりも子どもの優先度が飛び抜けて高かった

仕事よりも子どもの優先度が飛び抜けて高かった

 でも、不器用でキャパシティの小さい私にはそれができなかったのです。あのとき、「もしも娘の人生に何か問題が起きたとしたら、私はどうするだろう」と考えました。例えば娘をどこかへ預けて仕事をしている最中に、事故か何かで娘が大ケガをしてしまったとしたら?  私はそれが自分のせいではなくても、自分を責め続け、仕事を続けていたことを悔やむだろう。いろいろなシチュエーショ ンを想像しました。

 ああ、ここが私の限界なんだ。

 子どもが生まれて初めて見えた、自分の限界でした。だから、私はキャリアを諦め、育児に専念することに決めたのです。もちろん、仕事は続けたかった。でも、私の限界なのだから仕方がありません。この気づきは大きかったと思います。

 実は娘が小学校3年生のとき、働いてみたくて小学校の先生の補助のパートに挑戦したことがあります。初日、娘と一緒に家を出て学校に行き、仕事をこなして一緒に帰宅。そして、どっと疲れを感じながら部屋を見渡したとき、「出かけたときのまんまなんだな」と実感したんです。当たり前のことですが、気づいたときはショックでした。

 なぜなら、その日は片づけから始めなければなりません。いつものように帰宅した娘の話を満足に聞くこともできず、自分のパフォーマンスを最大化するために自分がつくり上げたリズムが崩れていく、その居心地の悪さ。初日でギブアップでした。以後は、自分のキャパシティを考え、パートに出ようと思うことはなくなりました。

◆薄井シンシアさん
1959年、フィリピンの華僑の家に生まれる。結婚後、30歳で出産し、専業主婦に。47歳で再就職。娘が通う高校のカフェテリアで仕事を始め、日本に帰国後は、時給1300円の電話受付の仕事を経てANAインターコンチネンタルホテル東京に入社。3年で営業開発担当副支配人になり、シャングリ・ラ 東京に転職。2018年、日本コカ・コーラに入社し、オリンピックホスピタリティー担当に就任するも五輪延期により失職。2021年5月から2022年7月までLOF Hotel Management 日本法人社長を務める。2022年11月、セールスフォース・ジャパンに入社し、その後、退社。現在ICCコンサルタンツの Chief Empowerment Officer(最⾼エンパワーメント責任者)として活躍。著書に『専業主婦が就職するまでにやっておくべき8つのこと』(KADOKAWA)『ハーバード、イェール、プリンストン大学に合格した娘は、どう育てられたか ママ・シンシアの自力のつく子育て術33』(KADOKAWA)『人生は、もっと、自分で決めていい』(日経BP)がある。@UsuiCynthia

→シンシアさんのサイト「CAREER BREAKS by 薄井シンシア」はコチラ 

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