今で言うトレース技法を使っていたと言われる17世紀の画家ヨハネス・フェルメールの絵画「真珠の耳飾りの少女」の高さ4メートルの3Dプリント(AFP=時事)
「はい。結局のところ自分の所有する写真、被写体やその権利者に許可をとっていれば、あとはトレースをするかしないかは作家個人の問題でしょう。そこは表現者としてトレースが必要であるならそれもまた創作であると主張すればいいし、劇画の背景などそうですがトレースであったとしてもそれをいちいち指摘する人はまあ、多くはないでしょう。コミック全体からすれば主題ではありませんから。いずれにせよ『無許可』というのが問題なんだと思います」
バロック期のヨハネス・フェルメールが現代のカメラのような仕掛けを使ってトレース的な描き方をしていた、という話はよく知られるが、新古典主義のドミニク・アングルもまたその仕掛けのさらに高性能になった機材を使ったとされる。完璧なデッサンを求めた実験的な技法だが、フェルメールやアングルのように誰でもその技法を使えば名画を描けるかといったら話は別だ。
「1980年代以前、はっきり言って著作権とか肖像権とか現代と比べればあいまいというか、正直な所どうでもいいとされていた時代でもありました。昔だからどうこうでなくそういう時代があった。トレースそのものは絵画の技法として古くからある、しかし現代では自分の所有する写真なりで被写体の許可や元の所有者の許可が必要である、まして商業では、そういうことでしょう」
世界中の人の声であげつらわれる時代
文芸美術にも精通する筆者の恩師、情報学が専門の元大学教員(70代)は「私もそういうなんでもありの時代を経験しているけど」としてこう語る。
「いまさら昔の作品を持ち出して、あれは無許可のトレースだったとあげつらうキャンセル・カルチャーは感心しないけどまあ、ネットの世界じゃ仕方のない話だよね。むしろそうやって世界中の人の声であげつらわれる時代になったから気をつけましょうねというか、絶対やめとけって現代で無許可トレースなんて繰り返していたとしたら、感覚をアップデートしないとだめでしょう」
冒頭の編集プロダクション経営者はこうも懸念する。
「江口さんは大御所だからとか、有名作家だからとか、私も江口さんに憧れて作家なったとかで擁護する同業者が一番まずい。2020東京五輪ロゴの騒動も一部の広告会社やデザイナー、著名タレントが模写や模倣も創作とか一般人に芸術のなにがわかるとやってしまったからだ。問題はそこじゃなくて『無許可』ということだからね」
江口氏の無許可トレースと2020東京五輪ロゴのパクリが異なることは当然として、芸術論や業界の慣習、権威性を持ち出して擁護してしまうような「愚行」はするべきではないということか。実際に有名イラストレーターの一部がネット上でそうした行動に及んでいる。しかし芸術のためだから、偉い作家が描くから権利侵害をしても構わないわけがない。そういう時代もあったが、いまはそうではないということだ。
ソーシャルゲームのイラストを手掛けるプロダクションの40代ディレクターはチェックの難しさも語る。