『料理の鉄人』放送終了後も鉄人たちの交流は続いた
3人で一緒にいると、よく『料理の鉄人』の話になりました。あるとき、陳さんはお母さんから「あんなチャラチャラした番組、いつまでやるの!?」と言われて、降板しようか悩んでいたことがありました。僕が「陳さんが降りるならオレも降りるよ」と言ったら、陳さんは続ける決心をしました。陳さんとは15年間も、毎年一緒に中国旅行もしていました。彼が中国語をしゃべれるからいろいろ案内してくれて、美味しい四川料理店に連れていったりしてくれしました。一回り以上も年下なのに、67歳で先に亡くなるなんてね……(2023年に死去)。
道場さんとは、今も一緒に「美食会」というイベントを年1回やっています。道場さんの「銀座ろくさん亭」か僕の「ラ・ロシェル」のどちらかで、コース料理を半分ずつ作ってお客さんに提供するんです。道場さんは90歳を過ぎているのに、本当に元気! 自分の世界をもち、料理の発想は和食の料理人とは思えない。ぶっ飛んでいるんです。『料理の鉄人』は豪州などでも放送されて人気があるから、「美食会」イベントを海外で行うことも。そんなときはフジテレビからあの赤い衣装を借りて着ています。でも、衣装なしで街を歩いても僕だ、とわかる人がいるんですよ。よくわかるなあ、と思うけど、声をかけられたら悪い気はしないですね(笑)。
神田川俊郎さん(享年81)はサービス精神が旺盛で、人にプレゼントをするのが好きな人でした。僕はセーター、時計、カメラなどをいただきました。主宰(MC)の鹿賀丈史さん(75)とも仲良くさせてもらいましたよ。道場さん、陳さんと3人で自宅に招待され、食事をごちそうしてもらったこともあります。気さくな人ですね。出演する舞台に招待してくれて観に行ったら、声が大きくてすごかったなぁ。
当時、フジテレビが用意したスタジオは、セットも食材も豪華。ガスなんて営業用の太いパイプを引いていたから、収録のときには念のために消防車が外で待機していました。あんな立派な設備で、あんな豪華な食材を使って料理する機会なんて、そうそうない。フランスで現地の料理人と対決するチャンスももらいましたが、当時のテレビ番組だったからこそ。時計を巻き戻し、『料理の鉄人』の依頼を受けた51歳に戻ったとしたら、今度は「出ます!」と即答しますよ(笑)。
(後編了。前編を読む)
取材/文 中野裕子(ジャーナリスト) 撮影/岩松喜平
