きっと父親は娘のことが愛おしくて仕方なかったに違いない。
「遺書はなかったんですが、代わりに私が小学2年生のときに渡した手紙が出てきました。 『お仕事をいっぱいがんばっているお父さん。ときどきは月緒と遊んでね』といった他愛のない内容の手紙です。ほかに私の七五三の写真が出てきました」
父は、月緒が9歳のときに離婚をしてからずっとそれを持って働いていた。月緒は特に兄弟の中でも大事にされていた。
「小さなころは、バイク好きのお父さんが近所の子どもをあつめて9人乗りぐらいして、落ちたらキャッキャと笑っていました。会社を休んで兄弟みんなを遊園地に連れて行くこともありました。夏はおじいちゃんの家で、軽トラにビニールシートを張ったプールで遊んでいました。お父さんは、いっぱい遊んでくれた思い出があります」
とてもいい父親に思えるが……。
「子煩悩でしたけど、暴力もありました。小学2年生ぐらいのとき、お母さんにイヤリン グを買ってもらって、お父さんに『ねー、見て見て!』とはしゃいだら、いきなり殴られました。体をもたれて振り回されることもありましたね。私が欲しいものを遠慮してると『遠慮するんじゃねーよ』と叩かれて育ちました。わかりやすく言えば漫画『じゃりン子チエ』のテツです。でも、テツとは違い働いてお金を持って帰ってきてくれました」
困っている人を見ると放って置くことができない男だった。
家族旅行で冬山に行ったときのことだ。整備士の資格を持つ父は、雪に埋もれて動けなくなっているほかの車をひとりで助けてあげた。その間、家族は寒い車の中で待たされていた。
娘が生きる原動力
最後に、月緒が生きていく原動力を聞いてみた。
「酒ですね。日々、お金に困らずに明日飲むためのお金を稼ぐのが理想です。ショーが重なると飲まないですが、人と楽しく食事をすることが、頑張って働くことにつながっています。使えるお金を我慢することなく、美味しいものを食べる。旅行に行くのが目標です。10年20年先は、考えてもわからないので、とりあえずお金を貯めています」
失踪した父とは死別したが、娘は今日もこの世で生き残っている。その成長した姿を父は見守っていてくれるだろう。父にとっては自慢の娘だったに違いない。離婚はしたが、成年するまで養育費を払い、父親は子どもたちを立派に育て上げたのだ。そんな父に生きてほしかったからこそ、月緒は手厳しい言葉を送る。
「お父さんは死ぬ覚悟より、生きる覚悟を決めるべきでした。私は生命力が強い人がタイプです。私の理想は『シティーハンター』の冴羽冴羽獠なんですから。お父さんにもあれぐらいスケベで、かっこよくいてほしかったです」
(了。第1回を読む)
【著者プロフィール】
松本祐貴(まつもと・ゆうき)
1977年、大阪府生まれ。雑誌記者、出版社勤務を経て、フリー編集者&ライターに。人物インタビュー、ルポ、医療など幅広いジャンルで執筆・編集を手がける。近年は失踪や孤立といった社会的テーマに注力。著書に『泥酔夫婦 世界一周』(オークラ出版)、『DIY葬儀ハンドブック』(駒草出版)などブックライターとしても多数の作品に関わる。趣味は旅とワイン。