父は優しいけれど、ときには怖い人でもあったという
父の機嫌をうかがう日々
中学生になると、友だちのお父さんとくらべ、あれ、ちょっと普通のお父さんと違うのかな、と気付くようになりました。家にずっといる期間もあれば、ロケで長く家を空けることもあります。家にいるときも、リビングで台本を読んでずっとブツブツ言っていたりする。そんなとき、僕ら家族は気を遣って、あまり物音をたてず、近づかないようにもしていました。父は繊細で完璧主義な性格。台本は全部頭に入れて、徹底的に役を研究して現場に入っていたので、邪魔しちゃいけない、と思っていたんです。
優しいけれど、怖い人でもありました。僕の幼い頃の話ですが、父は絵を描くのが得意で、僕の大好きな『機動戦士ガンダム』の絵を描いてくれたことがありました。僕は大喜び。でも、子どもだからすぐに飽きちゃう。父の絵をソファの背に置いて、ソファに飛び乗ってはしゃぎ始め、絵がソファの背からハラリと落ちたとたん、父が激怒。「なんだおまえは!」と怒鳴られ、お尻に蹴りを入れられました。
それ以上は母が必死で父を止めてくれたんですけど、母いわく、父はその後、泣き出した僕と正座して向き合い「雅はいいなあ、守ってくれるお母さんがいて」と涙をポロポロこぼしたそうです。父は5歳のときに実のお母さんが家を出てしまい、その後、実父の再婚相手に育てられ、母親からの愛情に恵まれなかったから、“母親が必死に守ってくれる僕”を羨ましく思ったようです。
そうした生い立ちが影響したのかはわかりませんが、父は酔うと荒れるように、だんだんとなっていきました。よく覚えているのは、夜、ベッドの中で聞いていたエレベーターの音。僕は中学時代、バスケットボール部に入っていて、朝練があるので朝が早い。だから夜も早く床につき眠りたいのに、父が帰ってくる音に敏感になって、かえって目が冴えて眠れなくなったりしていたんです。
家の外のエレベーターが動き、父が降りてくる。そして、共用廊下を歩いてくる足音。それらを聞きながら、「今日の機嫌はどうなんだろう」とビクビクして……。打ち上げなどで酔って帰ってくると、ドアの鍵をガチャガチャと乱暴に開けて、母に昼間腹立たしかった出来事をぶちまけ、荒れたりするんです。
酔っていないときは優しいのに、酔うと豹変する──まるで“ジキルとハイド”のようで、荒れると、本当に怖かった。僕にひどい暴力を振るうことはなかったのですが、家中のものをメチャクチャにしてしまったり、壁に穴を開けたり。アルミ製のゴミ箱は大きくへこんでいました。母はそれらを「アートだ」と笑って耐えていました。父が荒れると、母はいつも僕と妹を、身体を張って守ってくれましたが、子どもだった僕はどうすることもできませんでした。
一度、父が包丁を持ちだしたときは、3人で家から逃げ出しました。同じマンションの別の階の友人を頼って行き、タクシー代を借りて母の実家に避難。父は翌日、酔いが覚めると優しい父に戻り謝ってくるので、僕らはまた家に戻りましたが、そんな日々が本当につらかった。僕はだんだん父を拒絶して避けて、あまり話をしなくなっていきました。
