北の国から一覧

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田中邦衛
追悼2021・男性編【1】 田中邦衛さん、田村正和さんなど忘れられない人たち
 この国がまだ若々しかった時代から、芸と技で私たちを元気づけてくれた。今なお輝きを放ち続ける男たちを、けっして忘れることはない。2021年にこの世を去った、芸能界やスポーツ界で活躍した人々を振り返る。●栃ノ海晃嘉さん 横綱 1月29日死去 享年82 177センチ、110キロの小兵力士ながらも大鵬、柏戸に次ぐ第49代横綱に。昭和39年の夏場所では、千秋楽に大鵬を下手投げで破って3回目の優勝。“魅せる力士”で技能賞を6回獲得した。●古賀稔彦さん 柔道家 3月24日死去 享年53“平成の三四郎”の異名を取った。1992年のバルセロナ五輪では、大会直前に吉田秀彦との練習中に左ヒザを負傷。出場を危ぶまれたが、71キロ級で金メダル獲得。日本中の涙を誘った。●田中邦衛さん 俳優 3月24日死去 享年88 映画『若大将』シリーズで加山雄三のライバル・青大将を演じて脚光を浴び、ドラマ『北の国から』(フジテレビ系)では寡黙で不器用な黒板五郎役が評判を呼んだ。紫綬褒章、旭日小綬章受章。「邦さんは日本の父親像の典型でしょう。そもそも、とても家族を大切にしていた人なんです。どこか懐かしみのある、人懐っこいところは『北の国から』の黒板五郎そのもの。4年ほど前にお宅に遊びに行った時、中原中也の詩を2編ほど読んでくれたんです。『頭の体操に、読んでいるんだ』とのことでしたが、その様子は、まさに五郎さんでした」演出家・杉田成道氏)●田村正和さん 俳優 4月3日死去 享年77 阪東妻三郎を父に持つ名優。1961年に映画『永遠の人』でデビュー。1970年代に『眠狂四郎』、1980年代に『うちの子にかぎって…』(TBS系)、1990年代に『古畑任三郎』(フジテレビ系)と年代ごとに代表作を生んだ。「今思うのは『兄貴、早すぎるよ』ということです。正和兄貴は完璧主義の俳優でした。台詞を覚える集中力もすごいし、役に自分を合わせるのではなく、役を自分に引っ張ってくるというような、希有な役作りをしていました。でも、共演したドラマ『乾いて候』(1984年)の時は睨み合う場面があって、兄弟で『照れくさいな』と笑い合ったのを覚えています」(俳優・田村亮)●チャーリー浜さん お笑いタレント 4月18日死去 享年78「~じゃあーりませんか」のギャグで1991年に「新語・流行語大賞」年間大賞を受賞。ほかに「ごめんくさい」「君たちがいて僕がいる」「あのさ、僕さ、どっこいさ」などのフレーズが人気を呼んだ。●神田川敏郎さん 料理研究家 4月25日死去 享年81 中学卒業後、老舗料亭「なだ万」などで修業し、1965年に大阪・北新地で「神田川」を開店。素材やジャンルに捉われない“新日本料理”を提唱し、『料理の鉄人』などテレビにも引っ張りだこだった。●小林亜星さん 作曲家 5月30日死去 享年88 レナウンや日立グループのCMソング、『狼少年ケン』『怪物くん』『魔法使いサリー』『キックの鬼』のアニメソング、西武ライオンズ球団歌から都はるみ『北の宿から』などの名曲を生み出した。●寺内タケシさん ギタリスト 6月18日死去 享年82 卓越した技術で“エレキギターの神様”と呼ばれた。「エレキを弾くと不良になる」という風評に反発し、1974年から42年間にわたって全国1500か所以上の高校でコンサートを開催。2008年緑綬褒章受章。●千葉真一さん 俳優 8月19日死去 享年82 スタントマンを使わないアクションスターとして、ドラマ『キイハンター』(TBS系)や映画『戦国自衛隊』などに出演。1970年「ジャパン・アクション・クラブ」を設立し、真田広之らを輩出した。「3か月前に「北海道で映画を撮る目処が立った」と電話で話したばかりです。自分の肉体は美しくなければならないという哲学をお持ちで、いつか母校の日体大にアクションスターを育成する学科を作ってほしいとおっしゃっていました。たくさんの夢を持ち、追い続けられる人だったからこそ、いつまでも若さを保っておられた。本当に残念です」(松浪健四郎・日本体育大学理事長)●すぎやまこういちさん 作曲家 9月30日死去 享年90 フジテレビで『新春かくし芸大会』などを制作する一方、作曲活動を開始。『恋のフーガ』『学生街の喫茶店』などのヒット曲をリリース、ゲーム『ドラゴンクエスト』シリーズでは500曲以上を創作した。●柳家小三治さん 落語家 10月7日死去 享年81 1969年に異例の17人抜きで真打ちに昇進。絶妙な人物描写で『小言念仏』『長屋の花見』などの滑稽ばなしを得意とし、2014年には5代目柳家小さん、桂米朝に次いで落語家3人目の人間国宝に。●古葉竹識さん 元プロ野球選手、監督 11月12日死去 享年85 現役時代、広島で盗塁王を2度、オールスターMVPを2度獲得。1975年、シーズン途中で広島カープの監督に就任。11年間でリーグ優勝4回、日本一には3回輝いた。「入団2年目に両打ちへの転向を古葉さんに進言され、野球人生が開けました。盗塁は自由に任され、失敗しても怒られないのですが、走らないと檄を飛ばされました。優しい顔のまま蹴られる時もありましたが、愛情を感じました。古葉さんが東京国際大学の監督になられた時、自ら車を運転して校内を案内していただきました。もっと野球の話を聞きたかったです」(野球解説者・山崎隆造氏)●中村吉右衛門さん 歌舞伎俳優 11月28日死去 享年77 絶妙な台詞回しと表現力で2011年に人間国宝、2017年に文化功労者に選出された。時代劇『鬼平犯科帳』の長谷川平蔵役でもお馴染み。1948年に初舞台を踏み、最後の舞台は2021年3月だった。※週刊ポスト2021年12月24日号
2021.12.17 19:00
週刊ポスト
田中邦衛
田中邦衛さん、共演者が語る秘話「クニさんのいる現場は笑いが絶えなかった」
 2021年はテレビで、本で、歌で……私たちを励まし楽しませてくれた著名人の訃報が相次いだ。人々に勇気や笑顔、そして、幸せを届けた彼らは、どんな言葉を残したのか。在りし日をよく知る人に、思い出に残る秘話を語ってもらった。 代表作『北の国から』(フジテレビ系・1981年~)で、故・田中邦衛さん演じる黒板五郎と恋仲になるホステス・こごみを演じた児島美ゆき(69才)。田中さんとは、「クニさん」「美ゆき」と呼び合う仲だった。「クニさんのいる現場は笑いが絶えなかったですね。映画『トラック野郎 一番星北へ帰る』(1978年)で、初めて共演しましたが、きちんとお話をするようになったのは、『北の国から』の頃。 ロケ現場では、ドラム缶で焚いた火で暖を取りながら、いつもスタッフと冗談を言って、ニコニコとされていましたね。 私にもテレビで見るのと同じ調子で、『おーい、美ゆき~』と朗らかに声をかけてくれて。 ロケ地の富良野では、五郎さんの格好のまま、ふらっと町に出かけては、『どこかのお店に(被っていた)ニット帽を忘れてきた~』なんて、茶目っ気たっぷりに言って、スタッフをハラハラさせたこともありました。 第一線で活躍されていても威張ることなく、誰にでも分け隔てなく気配りできるかた。スタッフの結婚式にも出席されていたようです」(児島・以下同) 児島は田中さんの人柄を語る上で忘れられないエピソードがあるという。「これは『北の国から』にも出演していた女優の友人から聞いた話ですが、スナックのママ役を演じていた彼女は、現場で何度も監督からせりふのダメ出しをされていました。何十回もせりふを言い直して、すっかり自信をなくしていたときに、クニさんは、彼女の背中をポンポンと叩きながら、『おーい、元気出せよ。大丈夫だよ、大丈夫だよ。監督もあんなふうな言い方をしてるけど、いいんだよ、気にするなよ』と声をかけてくれたそうです。その話を聞いて、その言葉に私も救われたような気持ちになって、思わず涙が出ました」 脚本家の倉本聰さん(86才)も田中さんには絶大な信頼を寄せていたという。「五郎さん役は、クニさんのほかに、4人ほどの候補がいたそうですが、倉本先生はクニさんでなければ『北の国から』はなかった、といつもおっしゃっていました。クニさんが施設に入られてから、一度、倉本先生はお見舞いに行かれて、そのときも、『クニさんはおれのことはわかってくれたんだよ』と、喜んでいたと聞きました。 クニさんのことを悪く言う人は本当に誰もいません。褒め殺しみたいで、悪口の一つや二つも言いたいのに(笑い)。優しくしていただいた思い出しかない。あんなに共演者からもスタッフからも愛された人は、なかなかいらっしゃいませんね」【プロフィール】 児島美ゆき/2019年『やすらぎの刻~道』(テレビ朝日系)に出演のほか、歌手としても活躍。※女性セブン2022年1月6・13日号
2021.12.17 16:00
女性セブン
小さな家族の大きな愛の物語だった(FODホームページより)
『北の国から』放送開始から40年 当時、なぜ視聴者は魅了されたのか
 ドラマ『北の国から』(フジテレビ系。原作・脚本は倉本聰)が放送開始40周年を迎えた。1981年10月から半年にわたってオンエアされた連続ドラマは全話平均視聴率14.8%、終盤になって数字が上がっていき、最終回は21.0%だった。今年3月に88歳で逝去した田中邦衛さん演じる黒板五郎と幼い子供の純(吉岡秀隆)、螢(中嶋朋子)が、北海道の富良野という大自然の中で生活し、さまざまな出来事に心が揺れる様を描いた。小さな家族の大きな愛の物語だ。 1983年からは断続的にスペシャル版が放送され、それは純と螢の成長物語でもあった。『’83冬』から『2002遺言』まで全てが20%超え。特に最終作の『2002遺言 前編』は38.4%を記録した(後編は33.6%)。前編の視聴率は、この年の視聴率ランキングで、サッカーの日韓W杯とNHK紅白歌合戦に次ぐ数字となった。『北の国から』は、なぜここまで視聴者を惹きつけることができたのか。芸能記者が話す。「高度経済成長も終わり、1980年代後半から日本はバブル景気に沸いた。豊かな時代が訪れ、消費が美徳とされた。そんな時に、『北の国から』は日本人が忘れかけた古き良き精神を訴えていた。連ドラの時には、五郎が『じゅうぶん使えるのに新しいものが出ると――、流行におくれると捨ててしまうから』『もしもどうしても欲しいもンがあったら――自分で工夫してつくっていくンです。つくるのがどうしても面倒くさかったら、それはたいして欲しくないってことです』など現代へのアンチテーゼとも捉えられる名言を残しています」(以下同) 1980年代後半から1990年代前半にかけて、テレビでは『東京ラブストーリー』(フジテレビ系)などのトレンディードラマが流行。20代の恋愛模様を中心に描かれるドラマが少なくなかった。「『北の国から』も純や螢の恋愛を描いていますが、根底には黒板一家の関係性をテーマにしていた。登場人物に多様性があるし、老若男女の視聴者が誰かに感情移入できる。そのため、幅広い世代にファンが生まれたのだと思います」 駆け落ちや不倫、人に知られたくない過去を持つなど、新作ごとに重いテーマがあった。「黒板五郎が妻の令子(いしだあゆみ)に不倫されて別れるところから連続ドラマが始まったし、『’98時代』では螢が不倫相手の子供を妊娠している。ドラマとはいえ、ハードな内容でした。人は誰でも間違いや矛盾を抱えているし、何があっても生きていかなければならない。だから、他人を許す心も大事だと脚本家の倉本聰さんは訴えたかったのかもしれません」『’98時代』で黒板五郎はこう言っていた。「悪口ってやつはな、いわれているほうがずっと楽なもンだ。いってる人間のほうが傷つく。被害者と加害者と比較したらな、被害者でいるほうがずっと気楽だ。加害者になったらしんどいもンだ。だから悪口はいわンほうがいい」 放送開始から40年経った今でも、色褪せないドラマとなっている。
2021.10.10 16:00
NEWSポストセブン
岩城滉一が明かす「田中邦衛さんとの最後の日」と「北海道移住計画」
岩城滉一が明かす「田中邦衛さんとの最後の日」と「北海道移住計画」
 今年3月、日本中が悲しみに暮れた田中邦衛さん(享年88)の訃報。田中さんの代表作といえば1981年から2002年まで放送された『北の国から』(フジテレビ系)だが、同作でまっすぐに生きる農家の青年・草太を演じたのが岩城滉一(70才)だ。 家族同然の関係だった田中さんと岩城が最後に会ったのは、同じく『北の国から』で共演し2012年に亡くなった地井武男さん(享年70)のお別れの会。『北の国から』のほぼすべてのキャストが駆けつけた。そのときすでに岩城は田中さんの様子に異変を感じていた。「もうずいぶん体調を崩していて、歩くのも危なっかしかった。それで『邦さん、大丈夫?』って声をかけたんです。邦さんは、僕の顔をじっと見つめたけれど、名前が出てこないようだった。だから、ふと思いついて『あんちゃんだよ。草太だよ。そ・う・た!』って言ったら、『おおー』って笑ってくれたんです。あの邦さん独特の曲がった口でね」 病魔に襲われていた田中さんだが、「草太」の名前だけは忘れるはずはなかった。その後、悪化する田中さんの体調について人づてに聞くことはあった。しかし、そっとしておいてほしいとの田中さんの家族の意向を受け止め、見舞いに行くことはなかった。 そして今年3月に田中さんが逝去すると、岩城は追悼コメントを発表した。「あとから『コメントが短い』と言われたけど、本当に言葉がなかったんです。それでも何か言わなきゃと言葉を絞り出したけど……邦さんと地井兄ぃと僕はちょうど年齢が10才ずつくらい違うんだけど、2人ともいなくなってしまった。家族以上に一緒にいた関係だったから、本当に寂しくて。もっといろいろと話がしたかったですね」 そう静かに語る岩城はいま、お世話になった北海道への移住を計画している。「いまでも毎年、ツーリングで北海道を訪れているんです。その中で出会ったのが、摩周湖の近くにある弟子屈という町。来年から夏と冬に1か月くらいずつ、“移住”する予定です。短い人生だし、『北海道に恩返ししたい』じゃあないけど、北海道で何かできたら、という気持ちがあります」 秋には第1話放送から40周年を記念するイベントも企画されている。もちろん、40周年のイベントにも参加するつもりだ。「まだ具体的な話は来ていないけど、呼んでもらえたらぜひ出席したい。僕にとっては宝物の作品ですし、みんなで邦さんの思い出を語り合いたいですね」 秋の“同窓会”は、大切な記憶を受け継ぐための集いになりそうだ。※女性セブン2021年7月1・8日号
2021.06.22 07:00
女性セブン
岩城滉一が語る田中邦衛さんの思い出「本当に家族として接してくれた」
岩城滉一が語る田中邦衛さんの思い出「本当に家族として接してくれた」
 今年3月に亡くなった田中邦衛さん(享年88)の代表作といえば、ドラマシリーズ『北の国から』(フジテレビ系)だろう。離婚を機に東京から故郷の富良野に戻ってきた黒板五郎(田中さん)と、幼い子供、純と螢。電気や水道も開通していない廃屋同然の家での生活と、時に大自然に泣かされ、地元住民に助けられながら成長する親子の姿は大きな感動を呼んだ。 2002年の『北の国から 2002遺言』を最後に放送が終了してまもなく20年。「あのドラマは僕の人生の一部。これまででいちばん思い出深い仕事です」 出演者の1人である岩城滉一(70才)はこう語る。 岩城が演じた北村草太は、純と螢の兄のような存在だった。バイクとボクシングが趣味で荒っぽいが、真っすぐに生きる農家の青年・草太は黒板家の面々とともに喜び、怒り、笑い、涙した。草太と自分を重ね合わせるかのように岩城が振り返る。「『北の国から』は地方から東京にメッセージを送った最初の作品です。自分にとっても初めて演技が面白いと思えたドラマで、熱意をもって演じることができました。 撮影の空き時間は、富良野の町で自由に過ごしていたのですが、僕のことを『岩城さん』と呼ぶ人は誰もいなかった。町でパチンコをしていると周りから『草ちゃん、草ちゃん』と役名で声をかけられました(笑い)。いまでも富良野を訪れると、当時から通っているラーメン店に『元気?』と言いながら顔を出してしまいます。もしつぶれていたら寂しいな、と思いながら訪ねて行って、あるとホッとしたりね。もう、第二の故郷です」 長期にわたって出演者と過ごすなか、いまも忘れられないのが田中さんとの交流だ。「僕はあまり芸能界の人とのおつきあいがないけど、邦さん(田中さん)は別。特別な“友人”でした。 邦さんはビックリするくらい真面目な人でしたよ。プライベートでもよく富良野を訪れていて、『こないだ行ったらあそこに柵ができていたぞ』などと、報告してくれました。ロケ地に建てられた見学施設の『五郎の家』の中に、ファンがメッセージを残す帳面があるんですが、邦さんは『岩城、帳面の数が普通じゃねえんだよ。4畳半の部屋いっぱいに置いてあるんだ。ありがたいねえ』と感謝していた。僕もそれを聞いて、富良野まで帳面を見に行きました」(岩城・以下同) ドラマが始まった頃、岩城の娘はまだ小学生。撮影のため長い間、父親に会えなくて寂しがっていることを知った田中さんは、岩城にこう声をかけた。「俺たちが面倒を見るから、富良野に呼んだらどうだ」 岩城が草太のような笑顔で振り返る。「それで娘を富良野に呼んだら、僕が撮影している間、邦さんと地井兄ぃが一日中プールで遊んでくれました。彼らにとってせっかくの休みなのに、目を離さずに面倒を見てくれて。その姿を見て、“本当に家族として接してくれているんだな”と思いました。でも、あまりに長い間プールにいて冷えたのか、娘の唇が紫色になってしまって。最後に『邦さん、いつまで泳いでるのよ!』と注意しましたけど(苦笑)」 第1話が放送された10月9日の前後には、40周年記念イベントが企画されており、岩城も参加するつもりだという。秋の“同窓会”は素敵な思い出を再確認する場になりそうだ。※女性セブン2021年7月1・8日号
2021.06.21 07:00
女性セブン
田中邦衛さんの悲願だった『北の国から』40周年“同窓会”富良野で開催
田中邦衛さんの悲願だった『北の国から』40周年“同窓会”富良野で開催
 往年のファンにはうれしい知らせが飛び込んできた。1981年の放送開始後、北海道を訪れる人が急増するなど、社会現象にもなったテレビドラマ『北の国から』(1981~2002年、フジテレビ系)。放送開始から40年を迎える今年、物語の舞台となった北海道富良野市では、さまざまな記念行事が開催される。「第1話が放送された10月9日の前後に、40周年記念の“同窓会”を企画しています。ファンを集めて行う公開イベントで、当時のキャストも登壇する予定です」(ふらの観光協会の広報担当者) 記念商品の発売やスタンプラリー、ロケ地を巡るツアーなどが計画されているが、目玉となるのは、ファンを集めてのイベントだ。 2011年の30周年記念イベントには、中嶋朋子(50才)や竹下景子(67才)が登壇しており、今回も主要キャストの参加が期待されている。そんな節目を前に訃報が届いたのは今年3月。ドラマの主人公・黒板五郎を演じた田中邦衛さん(享年88)が老衰のため逝去した。「今年は田中さんも亡くなったし、コロナ禍で無理をしなくても」という声もあったというが、開催を後押ししたのは、ドラマの「生みの親」の熱い思いだった。「脚本を担当した倉本聰さん(86才)が“コロナで苦しいいまだからこそ、田中さんを忘れてはならない”との強い思いを抱き、『思い出せ! 五郎の生き方』をテーマに掲げました。懐かしの同窓会であるとともに、作品の精神を次の世代に引き継ぐイベントになりそうです」(テレビ局関係者) ドラマでは、地井武男さん(享年70)が演じた五郎の親友・中畑和夫が重要な役割を担った。中畑のモデルとなった富良野市麓郷地区の木材会社社長・仲世古善雄さんも秋のイベントを心待ちにする。「ドラマの放送前は、森と畑しかない麓郷に観光客が押し寄せるなんて、夢にも思いませんでした。いまも想いを寄せてくれる人がたくさんいるのは、ありがたいことです」 始まりの地・富良野での再集合は田中さんの悲願でもあった。「田中さんは、『続編があれば遺影になってでも出たい』と周囲に語るほど、『北の国から』というドラマを大切に思っていました。30周年のイベントは体調不良で参加できなかっただけに、“次は必ず”と願っていたはずです」(前出・テレビ局関係者)※女性セブン2021年7月1・8日号
2021.06.20 07:00
女性セブン
シリーズのスタート
追悼・田中邦衛さん 唯一無二だった「不器用で憎めない人間くささ」
 映画『若大将』シリーズやドラマ『北の国から』で人気を博し、日本を代表する名優であった田中邦衛さんが、この世を去った。約65年間もの役者人生で残した数々の作品では、時にバイプレーヤーとして、時に主演として映画・テレビ史に刻む名演技を魅せてくれた。役に入り込む演技力とともにそこには“人のよさ”があふれていた。「彼ほど純粋で真面目で無垢で、家族を愛した男を知らない。いや、周囲全てをだ」──1981年にスタートしたドラマ『北の国から』を描いた脚本家の倉本聰さんは、田中邦衛をこう偲んだ。田中さんが演じた不器用だけど真摯に子供たちと向き合う父親・黒板五郎は「彼の育った昭和という時代の、いつくしみ、思いやり、倫理道徳の中で、それをかたくなに貫いて生きた絶滅珍種の漢だった」と振り返る。 1957年に映画『純愛物語』でデビュー。俳優を始める以前、中学の代用教員を務めていた異色の経歴を持つ。そんな彼を俳優としてスターに押し上げたのが、加山雄三主演の青春映画『若大将シリーズ』(1961~1971年)。 主演のライバル“青大将・石山新次郎”役でアクの強いキャラクターを好演。キザなドラ息子という役ながら、どこかお人好しな青大将は若大将を引き立てつつも、“主役キラー”といわれるまで人気を得た。共演した加山は「信じられない。今は何も言葉にならない。寂しいよ本当に寂しい」と盟友に惜別のメッセージを寄せた。 名バイプレーヤーとして活躍していた田中さんだが、そのイメージを一新させたのが映画『仁義なき戦い』(1973~1974年)。菅原文太さんや梅宮辰夫さんなど銀幕スターたちの中で、“仁義なしの卑怯者”役で独特の存在感を示す。 転機となったのが約20年にわたって放送された『北の国から』シリーズ(1981~2002年)。真面目で不器用で底抜けの愛情をもって生きる黒板五郎という男は、前出・倉本さんの話す通り“田中さんそのもの”だった。“黒板家の子供”として20年を生きた中嶋朋子と吉岡秀隆は、「天国でもたくさんの人を幸せにしてくださいね」(中嶋)、「自分の覚悟の小ささとあなたの大きな優しさに涙しかありません」(吉岡)と“父”の死を悼む。 田中さんの人柄を一層輝かせた作品といえば、山田洋次監督の映画『学校』(1993~2000年)だろう。50代になるまで文字の読み書きができないイノさんが夜間中学に通い、必死に勉強し、好きになった先生に送った初めての“ラブレター”は、いまシーンを見返しても色あせないピュアさがある。シャイでお茶目、人を愛し、人に愛された田中さんは作品とともに私たちの記憶に残り続ける。※女性セブン2021年4月29日号 
2021.04.16 16:00
女性セブン
児島さん提供の貴重な「五郎とこごみ」の恋人ショット
田中邦衛の“恋人”児島美ゆきが語る「高倉健さんとの縁結び」
 田中邦衛(享年88)が亡くなり、多くの芸能関係者から追悼の辞が寄せられているが、なかでも特別な思いで悼んでいるのが女優の児島美ゆきだ。田中の代表作『北の国から』では、田中演じる黒板五郎と恋仲になるホステス「こごみ」を演じた児島は、私生活では高倉健と交際していたことがある。実は、その高倉との仲を取り持ったのが田中だったという。昭和を代表する2人の大スターとの「恋」と別れを、改めて聞いた。 * * * 4月2日の夕方、あの時は珍しく自宅で晩ご飯を食べていました。すると仲のいい編集者さんからLINEで、「田中邦衛さん亡くなったよ。大丈夫?」と連絡を受けたのです。ほとんど同時にニュースでも大きく取り上げられました。 そのあと女優の友達から、「クニさん亡くなっちゃった……なんで死んじゃったのぉ」と泣きながら電話がかかってきたんです。あんまり泣くので私もこみ上げてきて、2人で泣いてしまいました。彼女も『北の国から』に出演していて、その時は現場でものすごくダメ出しされて落ち込んでいたんです。もちろん今ではそのダメ出しの理由がわかりますが、初めて『北の国から』に参加した私には、「そこまで言わなくても……」と思ってしまうくらいに彼女は絞られていました。 そんなときクニさんは、いつも彼女の背中をポンポンと叩いて、「おーい、元気出せよ」「大丈夫だよ」と励ましていました。誰に対してもそういう人でした。だから、「クニさんのおかげですごく救われたのよ」と彼女が電話口で泣くのを聞いて、「本当にあんないい人はいないわね」と、私も涙がこぼれました。 クニさんがそういう人だったから、純(吉岡秀隆)と蛍(中嶋朋子)も委縮せずに伸び伸び芝居ができた。あんないい芝居、普通の現場ではできませんよ。秀ちゃんは天才肌だったけれど、特に朋子ちゃんの場合はクニさんの温かい思いやりに助けられていたと思います。『北の国から』の現場では、クニさんは本当に「隣のおっちゃん」みたいな感じで、五郎の格好のまま富良野の町に出かけていくんです。スタッフがハラハラするのをよそに、あのニット帽を「どこそこのお店に忘れてきた」とかね。あれだけ何十年も第一線で活躍していた人なのに、地元の人たちにも決して威張るところがなくて、いつも誰に対しても自然体なんです。だから私もそんなクニさんが大好きでした。(高倉)健さんと初めてお話ししたのは、クニさんからもらった電話でした。北海道でロケをしていたクニさんと健さんが、一緒にご飯を食べてたらしいのね。その時に健さんがクニさんに、「『北の国から』見てるけど、こごみちゃんというのは、すごくいい女優さんだね」とおっしゃってくれたみたいで、クニさんが喜んでその場から電話してきたんです。「みゆきさあ、いま高倉健さんと一緒にいるんだけど、お前さんのことをすごい褒めてるんだよ。良かったなあ」 といきなり言うんです。それで、「ちょっと代わるか?」というクニさんの後ろで、「いや、いいですよ、いいです」と言う健さんの声が聞こえてくる(笑)。クニさんが無理に健さんを電話に出させると、健さんは「すいません。電話番号だけ教えてもらえますか」とていねいにおっしゃってくださって、思わず番号をお伝えしました。 クニさんは、私を喜ばせようとして、それから健さんも喜ばせようとして、電話してきたんですよね。そうして生まれたご縁だったけど、いま思い出してみても、いかにもクニさんらしいし、健さんらしかったなあと思います。 クニさんみたいな素敵な俳優は、もう二度と現れない気がするなあ……。人として、俳優として、唯一無二の人、役者でしたね。本当に淋しいです。
2021.04.16 07:00
NEWSポストセブン
田中邦衛さん、消えた9年 『北の国から』とは異なる家族の真実
田中邦衛さん、消えた9年 『北の国から』とは異なる家族の真実
 ドラマ『北の国から』では、大自然の中で家族と共に強く生き、本当の豊かさとは何かをわれわれに伝えてくれた。主人公・黒板五郎のように「無骨で人間臭い」、そんな人だと世間は思っていただろう。しかし、俳優業を離れたこの9年もの間、彼が見せていた「素顔の田中邦衛」は意外なものだった。 神奈川県横浜市、海沿いの高台に建つ豪邸の一室に設けられた祭壇に、故人が生前受賞した数々の賞状が飾られている。その傍らには在りし日の写真が十数枚、“遺影”として並んでいた。優しい微笑みを向けているのは、3月24日に老衰のため亡くなった田中邦衛さん(享年88)だ。 邦衛さんは、最期の日まで前向きに生きる気力と周囲への感謝を持ち続け、家族に見守られながら安らかに旅立ったという。「静かに見送ってほしい」。邦衛さんの希望により、家族が逝去を公にしたのは家族葬を済ませた10日後の4月2日のことだった。 岐阜県出身の邦衛さんは麗澤短期大学在学中に演劇に興味を持つようになり、俳優座養成所の試験を2度受けたが不合格。中学の代用教員を経て、1955年、3度目の正直で合格した。 1961年に映画『大学の若大将』で、加山雄三(83才)演じる主人公のライバル“青大将”を演じて一躍有名になり、高倉健さん(享年83)と共演した映画『網走番外地』シリーズ(1965年〜)や『仁義なき戦い』シリーズ(1973年~)など、数々のヒット映画に出演。ブルーリボン賞助演男優賞や、日本アカデミー賞最優秀助演男優賞などさまざまな賞を受賞している。そして1981年にスタートしたテレビドラマ『北の国から』(フジテレビ系)で主役の黒板五郎を演じると、個性派俳優としての地位を不動のものとした。 私生活では1963年に結婚、2人の娘にも恵まれた。公私共に順調だったが、邦衛さんが78才だった2010年に公開された映画『最後の忠臣蔵』を最後にメディア露出が途絶え、2012年の地井武男さん(享年70)の「お別れ会」に出席して以降は、表舞台から完全に姿を消していた。高齢になり、「長いセリフが覚えられなくなったため」と報じられたが、2015年にはさらに状況が悪化していた。「夏頃に高熱を出して、2週間くらい入院したことがあったんです。そのときに寝たきりの生活が続いたことで、もともとよくなかった足の具合が悪化してしまったんです。それで、歩くことが困難になってしまった。在宅介護という選択肢もありましたが、家族で話し合って、リハビリを受けられる有料老人ホームに入居することにしたんです」(邦衛さんの知人) 自宅から車で約20分の距離にある老人ホームに、次女と妻は足繁く通ってサポートを続けた。邦衛さんがいつ戻ってきてもいいように、自宅の玄関には車椅子でも出入りしやすいようにスロープも設置した。「2017年の秋頃になると、邦衛さんが自宅に戻る頻度が増えたんです。リハビリの成果が出始めて、ゆっくりとですが自分で歩くこともできるようになっていました。以前の生活に戻る日も近い。家族の期待も膨らんでいたんです」(前出・邦衛さんの知人) だが、リハビリは一進一退を繰り返す。自宅に帰ったかと思えば、施設に逆戻りの日が続いたという。「年齢的なこともあって、以前の日常どころかひとりでできたことも助けが必要になっていきました。在宅介護に切り替えるか、施設に任せるか。家族は悩みましたが、最後は施設に任せることにしたそうです。 2013年に邦衛さんの引退が噂されたことがあったのですが、奥さんはそのときのテレビの取材に『引退もなにも、田中邦衛の人生そのものが役者ですから』と答えています。在宅介護をすることで、世間に邦衛さんの“病状”が伝わってもよくない。家族はシャイな邦衛さんの思いも酌んで、役者のイメージを守ろうとしたのかもしれません」(前出・邦衛さんの知人)娘を前にすると照れてしゃべれない ただ、寂しい晩年だったわけではない。『北の国から』の脚本家・倉本聰さん(86才)が4月3日配信の朝日新聞デジタルに寄せた追悼文にはこんな言葉がある。ここ数年会いたくても会えず、奥さんを介して邦衛さんの様子を知ったときのこと。《彼が今棲(す)む小さな世界で、まわりから愛されまわりを明るく笑わせているという情報にホッと安堵(あんど)し、心を休めた》 体が不自由になっても“舞台”を変えて、役者を続けていた。「五郎役のイメージが強くて、邦衛さんは無口という印象を抱いている人も多いのですが、実はユニークな一面を持つかたなんです。人の笑顔が大好きで、老人ホームでは冗談を言っては入居者を笑わせていたそうです」(前出・邦衛さんの知人)『北の国から』は、妻が家を出ていった後、東京での生活に嫌気がさした五郎が、2人の子供を連れて故郷の北海道に帰るところから物語が始まる。だが、邦衛さん自身は役柄とは違い、大の愛妻家として知られていた。「撮影で地方に出たときはマメに電話を入れていました。一度、京都で『にごり酒』を買って帰ったら、奥さんが“おいしい”と言ってくれたのがうれしくて、それから京都に行くたびに、同じにごり酒を買って帰っていた時期もありました。奥さんが喜ぶ顔を見るのが大好きなかたでした」(芸能関係者) 子育てに関しても、男手ひとつで苦労する五郎とは違い、すべて妻任せだったという。「2人の娘を叱ったことがないというのは有名な話です。干渉は一切せず、相談にのったこともない。娘を前にすると照れてしまい、何もしゃべれなくなるそうです。ロケで家を空けることが多く、会話をする機会も少なかったでしょうけど、それでも親子の愛情はとても深かったと思う」(前出・芸能関係者) 長女はNHKに入局し、現在は広報局長を務めている。多忙な彼女も妹とともにリハビリ計画を立てるなど、父の晩年を支えていたという。 倉本さんは先の追悼文で、こうも綴っている。《彼ほど純粋で真面目で無垢(むく)で、家族を愛した男を知らない。いや家族だけではない周囲全てをだ。彼はあたかも僧籍にいる人のようだった。更にもう少し彼を困らせてしまうつもりなら、敢(あ)えて“珍妙な天使”だったと云いたい》 ヒゲを蓄えた口を尖らせ独特な口調でしゃべる。眼光も鋭い邦衛さんの見た目は天使とは言い難い。だが、素顔の彼を知る人たちは、純粋で無垢で優しい彼に癒されてきた。いま頃、天国でも人懐っこい微笑みを浮かべているはずだ。※女性セブン2021年4月22日号
2021.04.09 11:00
女性セブン
昭和のドラマ 作家性押し出したメッセージ含む作品多かった
昭和のドラマ 作家性押し出したメッセージ含む作品多かった
 大人気のうちに幕を閉じたドラマ『半沢直樹』(TBS系)では、「1000倍返しだ!」や「おしまいDEATH!」といった名ゼリフが登場した。ドラマの名ゼリフは時代を映す鏡。昭和のドラマにもたくさんの名ゼリフがあった──。 1964年の東京オリンピックを経て、テレビの普及率が拡大した昭和40年代、テレビは一家団欒の象徴だった。「夜8時になると、家族で茶の間に集まってひとつのドラマを楽しむ時代でした」とは、昭和のドラマに多数出演し、現在はバラエティーでも活躍する俳優の岡本信人さん。昭和は家族を題材にした“ホームドラマ”の全盛期。ドラマの中で起きる家族間の騒動を、ハラハラしたり共感しながら見ていた人も多いはず。「ジュリィ~!」「関係ないね!」と、子供も大人もブラウン管から流れるセリフをまねたものだった。 この時代を代表するドラマといえば、5年にわたり4シリーズが放映された『ありがとう』だろう。岡本さんは、児玉清、石坂浩二の弟役で出演した第2シリーズ(最高視聴率56.3%)を、こう振り返る。「週に4日、1年にわたって稽古や撮影はもちろん、プライベートでもおつきあいがありました。すでに大スターだった児玉さんや石坂さんの素顔も知っていたからこそ、本当の家族のような演技ができたんだと思います」 そして平成に入ると、ドラマの潮流は、若者の恋愛を描いたものへと移行していく。『踊る大捜査線』の脚本家で、映画監督の君塚良一さんは「昭和のドラマは、作家性を押し出した強いメッセージを含む作品が多かったように思います」と語る。 たとえば、『前略おふくろ様』や『北の国から』などで不器用な男を描いた倉本聰作品の数々。コメディーからシリアスまで、向田邦子さんが紡ぐセリフも珠玉だった。三谷幸喜さんは『阿修羅のごとく』について、「神様のシナリオ。自分もこんなセリフを書きたい」と綴っている。 また、『岸辺のアルバム』や『ふぞろいの林檎たち』(TBS、1983~1997年)で人の心の闇を描いた山田太一作品も忘れがたい。「個人的には『それぞれの秋』(TBS、1973年)。家族内の秘密が次々と暴かれ、何が真実なんだろうと、毎週テレビの前で動揺していました」(君塚さん) 昭和を彩った名作に登場した名ゼリフを紹介しよう。●「阿修羅だねぇ。女は阿修羅だよ。 勝ち目はないよ。男は」『阿修羅のごとく』(NHK)1979年 脚本:向田邦子4姉妹の次女・巻子(八千草薫)から浮気を疑われている夫・鷹男(緒形拳)がつぶやいた一言。●「小雪さんを一生幸せにします」(岡本信人のチョイス)『ありがとう』(TBS系) 第2シリーズで三男・鉄之介(岡本信人)が贈った一世一代のプロポーズ。「この役で唯一の男らしいセリフで(笑い)、公私ともに初めて口にする言葉だったため、すごく緊張したことを覚えています」(岡本さん)●「前略おふくろ様 お元気ですか。一人暮らしになれましたか。さっきテレビのホームドラマで、年取った母親の話をやってました」『前略おふくろ様』(日本テレビ)1975~1976年 脚本:倉本聰 第6話のオープニングで三郎(萩原健一)が故郷・山形の母(田中絹代)に宛てて手紙を書く場面。●「子どもがまだ食ってる途中でしょうが!」『北の国から』(フジテレビ)1981~1982年 脚本:倉本聰 純(吉岡秀隆)の食べかけのラーメンを下げようとした女性店員に向かって五郎(田中邦衛)が叫ぶ名シーン。【プロフィール】岡本信人(おかもと・のぶと)/1948年山口県生まれ。『肝っ玉かあさん』『渡る世間は鬼ばかり』(ともにTBS)などホームドラマに数多く出演。『ナニコレ珍百景』等バラエティーでも活躍中。君塚良一(きみづか・りょういち)/脚本家、映画監督。1958年東京都生まれ。『ずっとあなたが好きだった』『踊る大捜査線』などのヒット作を手がける。2021年『教場2』(フジテレビ/木村拓哉主演)が放映予定。取材・文/佐藤有栄※女性セブン2020年11月5・12日号
2020.10.27 16:00
女性セブン
児島美ゆきがグラビア挑戦 「68歳のハレンチ学園」
児島美ゆきがグラビア挑戦 「68歳のハレンチ学園」
 あのお色気映画から50年、映画『ハレンチ学園』主演の柳生十兵衛こと柳生みつ子を演じた“スカートめくりのヒロイン”がグラビアに挑戦した。今回撮影のアザーカットに加え、50歳時の写真集『陽炎』のカットも収録したメモリアルなデジタル写真集『児島美ゆき 68歳、女ざかり』が各電子書店で好評発売中の児島が撮影を振り返る。 * * * みなさんお久しぶりです。前からグラビアで今の美ゆきを見てほしいとは思っていましたが、若い親友女子の彩ピーや撮影してくださった山岸伸さんからも「もったいないからやるべき!」と背中を押してもらったこともあり、この不隠な時期を一瞬でも忘れて「ニコッ」としていただきたくてやっちゃいました。 今年は『ハレンチ学園』が公開されて50年の節目でもあります。当時はブームの渦中にいたものの、初めての主役を務めるのに精いっぱいで周りを見る余裕のない18歳でした。そんな私にとって、29歳で出演した『北の国から』は転機になりました。 脚本家の倉本聰さんには、心の機微からくる所作など、役者としての基礎を手とり足とり指導していただきました。それがあったから今の私があるといっても過言ではありません。おかげでホステスのこごみは当たり役となりました。 たくさん年を重ねてきましたが、今もエステやストレッチは欠かさず、お酒は昔から一滴も飲めません。実は若い頃よりも今の方がおっぱいは大きいんですよ(笑い)。今はFカップ。これまで交際してきた男性には「きれいだね」っていつもほめてもらえました。 若い頃よりも、68歳の今が心身ともに充実しています。年を重ねることはとってもステキなことなんですよ。だから50歳を過ぎた世の女性たちに「決してあきらめないで」とお伝えして差し上げたいです。体型や体の調子が思うようにいかなくなる時期だけど、それでも人生は楽しいものと感じてほしいです。前向きに頑張ってほしい、元気になってほしいという意味もこのグラビアに込めています。世のおじさまたちだって女性は元気な方がいいでしょ?(笑い) あと2年で70歳。その時はまたグラビアに? うーん、それはヒ・ミ・ツです(笑い)。【プロフィール】こじま・みゆき/1952年生まれ、東京都出身。13歳から児童劇団に所属し、高校3年生の1970年に映画『ハレンチ学園』のオーディションに合格。主演の柳生十兵衛こと柳生みつ子役で女優デビュー。グラマーなスタイルで世の男性たちを魅了した。TVドラマ『やすらぎの刻』出演のほか、現在も映画や舞台、歌手活動などで活躍中。『ハレンチ学園』50周年イベントを年内開催に向けて準備している。オンラインスナック「北の国スナック こごみ」を開催中で、次回は5月22日予定。撮影■山岸伸※週刊ポスト2020年5月22・29日号
2020.05.12 16:00
週刊ポスト
ドラマ『池中玄太80キロ』『北の国から』の涙腺崩壊シーン
ドラマ『池中玄太80キロ』『北の国から』の涙腺崩壊シーン
 テレビ業界で収録中止が相次ぐ中、増えているのが過去のドラマの再放送だ。外出自粛により家で過ごす時間が増え、「家族のあり方」を描いたホームドラマの数々が思い出される。今だからこそ、もう一度放送してほしい名作をプレイバックする。 西田敏行主演の『池中玄太80キロ』(1980年、日本テレビ系)は不器用な父親像を描いた。 西田演じる父・池中玄太は、未亡人の鶴子(丘みつ子)と結婚する。しかし鶴子が急逝し、血の繋がっていない3人の娘の子育てに奮闘する。「長女の絵里(杉田かおる)たちは、最初は玄太を受け入れられず、『おじさん』と呼ぶ。周囲からも『父親になるなんて無理だよ』と言われながら、玄太は一生懸命に娘たちと接する。やがてその頑張りが娘たちに認められ、『お父さん』と呼んでもらうシーンに泣きました」(55・教師) 1981年スタートの倉本聰・脚本『北の国から』シリーズ(フジテレビ系)で田中邦衛が演じた父・黒板五郎も涙を誘った。 妻との離婚をきっかけに、純(吉岡秀隆)、蛍(中嶋朋子)を連れて東京から富良野に移り住んだ五郎。数多い涙腺崩壊エピソードの中でも、多くのファンが挙げるのがこの場面だ。「純が東京の定時制高校に通うために上京するシーンです。東京に行く長距離トラックに乗せてもらうお礼にと、純が運転手に封筒を手渡すんですが、その中に入っていたのは泥のついた1万円札。 運転手(古尾谷雅人)は『これは受け取れない。お前の宝にしろ。一生大事にとっておけ』と純に手渡すんです。僕を東京の大学に行かせてくれた親父も同じ思いだったんじゃないかと涙が止まらなかった」(58・公務員)※週刊ポスト2020年4月24日号
2020.04.18 07:00
週刊ポスト
予算が流れている(写真/共同通信社)
五輪予算がなぜか『ドクターX』『ひよっこ』等に使われた謎
 高額な建設費用が批判されて新国立競技場のデザインは変更されたはずなのに、実際にかかった工事費がどうなったのかは、ほとんど誰も口にしなくなった。「コンパクト五輪」という掛け声のもと、五輪をめぐる国の予算の行方を追うと、水素ステーションや山口・錦帯橋ライトアップなど、「五輪」という名目で数多くの関連施策が浮かび上がってきた。かつて東日本大震災の復興予算流用問題をスクープしたジャーナリストの福場ひとみ氏が、ドラマなどメディア関連への支出について調査した。同氏が会計検査院の報告書をもとにリポートする。 * * * 外務省は所管の国際交流基金を通じて、「文化芸術交流事業」として142億円を拠出。そのなかで、人気のテレビ番組を海外に売り込むための共同制作費用を出している。 たとえば2015年、テレビ朝日の米倉涼子が主演した人気ドラマ『ドクターX 外科医・大門未知子』の英語吹き替え版共同制作に4200万円を支出。その後も2016年に6600万円、2018年に2100万円をそれぞれ支出している。シリーズのたびに英語版をつくるための支援をしているということだろう。 ほかにも、フジテレビの関連会社であるフジクリエイティブコーポレーションには2016年、名作ドラマ『北の国から』の英語・スペイン語への吹き替え版共同制作と海外テレビ局への提供で7600万円などがあるが、なんと言っても巨額なのはNHKである。2018年には、朝ドラ『ひよっこ』、『ごちそうさん』、『とと姉ちゃん』3作の英語・スペイン語共同制作等にそれぞれ8600万円、1億3100万円、3300万円を支出している。 外務省は2016年9月、「国際交流基金の業務・組織全般の見直し」というリリースを発表し、〈対外発信強化や観光立国の実現、2020年東京オリンピック・パラリンピックに向けた取組等、政策的要請に応じて国際交流基金に求められる役割が増大し、(中略)「放送コンテンツ等海外展開支援事業」等、新たな大型事業に取り組むこととなった〉とこの施策の意義を強調している。 ただでさえ五輪放送でバブル待ちにあるテレビ局にさらにカネを払うことが、対外発信強化につながるのだろうか。 テレビに予算を拠出しているのは外務省だけでなく、総務省は「4K・8K等最先端技術を活用した放送・技術分野の事業支援」で7億7800万円を拠出。うち、NHKの関連会社であるNHKテクノロジーズに3億9600万円が払われている。 超高解像度でテレビが見られる4K・8K衛星放送は2018年12月からスタートしているが、総務省は東京五輪関連施策として「大会と連携したICT(情報通信技術)環境の整備等」の一つにこの4K・8Kを掲げている。 水素は経産省と自動車業界、4K・8Kは総務省とテレビ業界……新技術の普及に向けて、五輪を利用したい霞が関と業界の構図が透けて見える。●ふくば・ひとみ/1976年、広島県生まれ。同志社大学卒業、同大学院総合政策科学研究科博士課程前期修了。政策シンクタンクのスタッフ、経済誌の編集者を経てフリーに。『国家のシロアリ 復興予算流用の真相』で小学館ノンフィクション大賞優秀賞を受賞。※週刊ポスト2020年1月17・24日号
2020.01.09 16:00
週刊ポスト
聖地巡礼ブーム 労を惜しまないマニアの驚愕のロケ地特定術
聖地巡礼ブーム 労を惜しまないマニアの驚愕のロケ地特定術
 アニメや漫画ファンの間では、作品内に登場した場所を訪れる“聖地巡礼”がブームだが、都内在住のIさん(40代・男性)は、ブームになる前から、自分が好きな作品のロケ地に行くのが趣味。気になる作品があれば、とにかく精力的にロケ地を訪ねまくってきたが、いったい何が面白いのか?「きっかけは子供の頃、近所の家が大ヒットドラマのロケ地として使われたことです。毎日のように前を通っていた家がテレビに映ったことに感動して、そのドラマにどっぷりハマってしまい、他の撮影場所も訪れてみたくなったのです」(Iさん。以下同) その時は、新宿の高層ビル街や初めて乗る私鉄の駅など、分かりやすい場所を回って満足していたが、大人になると一気に行動範囲が拡大する。「北海道旅行に行った時、『北の国から』(田中邦衛主演の大ヒットドラマシリーズ)のロケ地巡りをして大感激。ロケ地巡り熱が一気に高まりました」 しかし、『北の国から』ならロケ地が富良野なのは周知の事実だが、ロケ地をおおっぴらに明かしていない作品も少なくない。Iさんはどうやってロケ地を特定しているのか?「基本はインターネットです。作品名+ロケ地で検索すれば、だいたい見つかるので、後はGoogleストリートビューで確認しておしまいです。 それでも分からない場合、画面に写り込んだ店の看板、電柱の住所などが重要なヒントになります。ただ、これらはダミーが使われている場合が多いので、注意が必要。本編では情報が得られなくても、メイキング映像はチェックが甘くなっていることが多いので、メイキングがあればそちらをチェックします。出演者のインタビューやブログを読むのも基本です。場所は明かしていなくても、“都内から何時間かかった”“ロケ先で○○を食べた”という情報があれば、ある程度絞り込めます」 ネットの登場でロケ地探しは一気に簡単になったが、かつては図書館に行って電話帳や住宅地図を読み漁っていたというIさん。頼りになる情報が少ない場所ほど“燃える”そうだ。「高層ビルや東京スカイツリーなど、目印となるような建造物が写り込んでいれば、その角度からおおよその位置が把握できます。遠方にうっすら写った山の形から判断することもあります。線路が写っている場合、架線の有無や形で路線を特定。後ろに写り込んだ送電線や鉄塔のパターンなども、判別の基準になります」 ここまでですでに十分マニアックだが、それ以外にも、・トンネルに一瞬写った暴走族の落書き・護岸ブロックのパターンと、そこに生えている雑草の植生・撮影を担当している制作会社の住所から、行きやすい場所を類推・インタビューで撮影日を確認、後ろに写っている桜の当日の開花状況で場所を絞り込む ……など、ありとあらゆるテクニックを駆使しているという。ロケ地が学校のケースでは、場所が分かっても中に入れないので、学園祭の日を調べて行ったこともある。もちろん、悪いことは一切していないのだが、田舎町をウロウロして怪しげな目で見られたことは幾度もあるとか。「“聖地巡礼“という単語ができて、ロケ地巡りがしやすくなった」そうだ。
2019.09.02 15:00
マネーポストWEB
倉本聰
倉本聰が貫くこだわり 台詞を変えた寺尾聰を二度と起用せず
『北の国から』(フジテレビ系)をはじめとする数々の名作を生み出してきたドラマ界の巨匠・倉本聰氏(84才)。4月から始まる“昼ドラ”『やすらぎの刻~道』(テレビ朝日系)の脚本を手がけることでも話題を集めている。倉本氏が約60年も脚本家として活躍を続けられるのはなぜか――。このほど、倉本氏と共著『ドラマへの遺言』(新潮社)を上梓した、元テレビプロデューサーで上智大学文学部教授(メディア文化論)の碓井広義さんが、倉本氏のスゴさを物語る数々のエピソードを明かしてくれた。碓井さんは36年間、倉本氏に師事してきた“愛弟子”だ。◇一字一句へのこだわり ドラマ制作では、撮影の前に出演者を集めて、初めから終わりまで脚本の読み合わせをする“本読み”が行われる。一般的に脚本家はあまり顔を出さないものだが、倉本氏は積極的に参加することで知られる。 「書いた言葉が役者さんに通じているか。表現のニュアンスの違いや要望を、倉本先生は直接役者さんに伝えます。これが世にいう“倉本聰の本読み”。その姿を見て、脚本がドラマの生命線なんだと改めて学びました。制作陣と役者に対する厳しい姿勢の根底にあるのは、いいドラマを作りたいという思いです」(碓井さん・以下同)『優しい時間』(フジテレビ系、2005年)の最終回で、寺尾聰が「よう」という台詞を「やあ」に変えたことがあった。ニュアンスを軽視されたショックから、それ以来、倉本氏は寺尾を起用しなくなったという。倉本氏の一字一句への強いこだわりを感じさせるエピソードだ。 しかし、そのこだわりが騒動に発展したこともあった。1974年放送のNHK大河ドラマ『勝海舟』では、脚本家の演出領域への関与の是非をめぐって問題がこじれ、倉本氏は脚本を途中降板した。大河ドラマ脚本家の降板劇は当時、大きく報じられ、倉本氏も批判された。◇リアルさを追求 倉本氏が北海道・富良野市に移住したのは、この降板劇から3年後、1977年のことだった。倉本氏が住むと決めた場所は荒れた森で、電気はなく、水は自力で沢から引いた。倉本氏の代表作『北の国から』には、こうした体験がふんだんに盛り込まれている。「『北の国から』の主人公・黒板五郎がしたことは、倉本先生自身が実際に行ってみたことが多い。倉本脚本は頭の中だけで組み立てたものを物語にしたわけじゃないから、リアルなんです。 特におもしろいと思ったエピソードは、子供の純と蛍が一輪車に石を積んで運ぶシーンです。制作側は子供に無理をさせず、重そうに運ぶ絵が撮れたらいいと、藁を上げ底にしてテレビに映るところだけに石を積んでいた。でも倉本先生はそれを却下して、山盛りの石を運ばせました。2人は石の重さでバランスが取れずに一輪車を倒し、石が落ちると積み直してまた運んで…。これがリアルなんです。 しかし純役の吉岡秀隆さんはつらかったんでしょうね。台本の裏に、“(監督の)杉田死ね! 倉本死ね!”と書いていました(笑い)。純は東京にいるお母さんのもとに帰りたいわけですが、吉岡さんも演技だけではなく、純と同じ気持ちだったのでしょう。ドラマ全体が、そうやってリアルになっているのです」 本読みだけでなく、撮影現場にも細かく立ち会っていたからこそリアリティあふれる数々の名シーンが生まれたと言えそうだ。◇疑似恋愛の脚本パワー 役者や演出家と真剣勝負をするだけではなく、時に倉本はラブコールも送っている。二宮和也主演の『拝啓、父上様』(フジテレビ系、2007年)は神楽坂の老舗料亭が舞台で、主人公の一平(二宮)はナオミ(黒木メイサ)に一目惚れする。実は、先に黒木に惚れていたのは倉本氏だった。「倉本先生は、デビュー時の黒木さんの鮮烈な美しさに圧倒された思い出があって、“メイサのためにあのドラマを書いたところがある”と話していました。疑似恋愛をしたときは、いいものが書けると(笑い)」倉本氏が誰かに惚れて書くのは女優に限らず、演出家などの男性の場合もある。「倉本先生は高倉健さんに惚れて『あにき』(TBS系、1977年)を書きました。高倉さんはテレビの連続ドラマ主演は『あにき』のみですから、相思相愛だったのでしょう。そういう意味でいうと、倉本先生に“ラブレター”を書かせた黒木さんはすごいですね」◇『やすらぎの刻~道』で新たな挑戦こうして約60年、脚本家として第一線を走り続けている倉本氏は、4月から放送される『やすらぎの刻~道』(2017年に「帯ドラマ劇場」枠の第1弾として放送された『やすらぎの郷』の続編)で、新たな試みをしている。「石坂浩二さん演じる脚本家・菊村が執筆するシナリオが、“脳内ドラマ”として映像化され、本編と並行して進む二重構造になっています。つまり、1本で2つのドラマを同時に楽しめる、斬新な作りですよね。80代の大ベテランの脚本家が、ここにきてもチャレンジをやめないとは、頭が下がります。本来“脳内ドラマ”のヒロインは八千草薫さんの予定でしたが、肝臓にがんが見つかったため降板されました。倉本先生は八千草さんを“別格の女優”と評していましたから、この知らせはしんどかったと思います。脚本は当て書きになっていたので、一部書き直されました」 1年間の帯番組ともなると、放送中に脚本を書き進めるのが一般的だが、『やすらぎの刻~道』の脚本はすでに完成している。「80代の自分に、いつ何があっても不思議ではない。“生きてるうちに書かなきゃ”という思いをモチベーションに、ゴール目指してがむしゃらに書き続けたと振り返っていました。全235話という大作の執筆は、命を削る作業ですよね」 遺言と称して思いを打ち明けたという倉本氏。これは引退宣言なのだろうか。「連ドラとしては『やすらぎの刻~道』で最後だろうと、倉本先生自身が言っていました。でも、単発のドラマは書き続けるでしょう。ぼくらが倉本聰という希代の脚本家と同時代を生きているのは幸せです。1本でも多く、これからも倉本ドラマを生み出してほしいと思います」
2019.03.17 07:00
NEWSポストセブン

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