中村文則氏が新作について語る(撮影/朝岡吾郎)
前作『列』のモチーフとなった「列に並ぶこと」は、人生や人間社会そのものを映し、私達に客観視させる装置のようでもあった。
一方、最新作『彼の左手は蛇』のモチーフは「蛇」。奇しくも本書を巳年に上梓した巳年生まれの中村文則氏は、後書きにこう書いている。〈以前からの読者のかたは、この小説があまりに僕らしいと感じたかもしれない。まるで名刺ではないかというような〉……。
主人公は、仕事をやめ、女と別れ、町とは名ばかりの過疎地に3か月前に越してきた〈私〉。1週間前、近所で毒蛇が逃げたと聞いて以来、〈昔、私の左手にいた蛇が、私を追いここまで来たのではという〉〈気がかりな感覚〉があったと綴る彼の手記を通じて、読者はその〈蛇信仰〉が残る町で起きた一連の奇妙な出来事について知ることになる。
が、〈この手記は私の拠り所だった。蛇が枝に巻きつくように、私はこの手記に自分の正常を委ねている〉とあるように、全ては彼の脳内で起きたことともいえ、その仄暗い衝動の先に待つのは破滅か、または光か。
「本が今年出たのは偶然ですけど、元々神話や説話で蛇がなぜ悪や性的な象徴として描かれるのか、気になっていたんです。それで歴史を調べてみたら、仏教とかキリスト教とか、今多数派の宗教が広がる前は世界中に蛇信仰があって、日本でも縄文期まではそうだったと。それが弥生のシステム化した社会とか、多数派の宗教に取って代わられたことで悪役に追いやられていて、ずっと少数派で生きてきた自分にはピッタリの題材だなと思って(笑)。
そんな一度は駆逐された蛇信仰の復活を夢見る男の話を書いたら、今に必要な物語ができる気がしたんです。こういう抑圧的で生きにくい時代だけに、自然信仰の一種で、荒々しくて、生きることの象徴のような精神は重要だと。
今、不当な評価をされたり、実は内面に苦しさを持ってる人は多いと思う。でも世界の方が間違ってる、つまり別の価値観で見たら、自分の評価も全然違ってくるかもしれないんですね。私見ですが、かつてキリスト教圏で特にペストが広がったのは鼠をとる蛇を遠ざけ、邪悪扱いした弊害じゃないかと資料を読んで思ったし、価値観は決して今あるものだけが正しいわけじゃない。社会からの評価にそこまで囚われる必要はない、というのもテーマのひとつです」
