訃報が報じられた、“ジャンボ尾崎”こと尾崎将司さん(時事通信フォト)
男子ゴルフの国内ツアー通算94勝を誇り、「ジャンボ尾崎」の愛称で親しまれた尾崎将司さんが、12月23日午後3時21分に亡くなった。78歳だった。
尾崎さんの歩みは、まさに“規格外”だった。1947年1月24日、徳島県生まれ。かつては徳島県立海南高(現・海部高)のエースとしてセンバツ優勝を果たし、西鉄ライオンズに入団したプロ野球選手だった。しかし、プロ入り後にゴルフにのめり込み、わずか3年でプロ野球を引退し、21歳で本格的にゴルフの道へ。
1970年のプロテスト合格から、わずか1年後の「日本プロゴルフ選手権」で初優勝。現在のツアー制が施行された1973年には初代賞金王に輝いた。以来、1998年までに積み上げた賞金王のタイトルは史上最多の12回。生涯獲得タイトルは113勝にものぼる。青木功、中嶋常幸とともに「AON時代」を築き、日本中のゴルフファンを魅了し続けた。
「その豪快さは、コースの中だけにとどまらなかった」とスポーツ紙のゴルフ担当記者が、現役時代の尾崎さんについてその生活の一端を明かす。
「『一度しかない人生だから、楽しく過ごしたい』が彼の持論でした。かつて尾崎さんが住んでいた千葉・習志野にある自宅は、通称『習志野ホワイト・ハウス』と呼ばれる300坪超の大豪邸です。ガレージにはランボルギーニやロールス・ロイスをはじめとする高級車が6~7台並び、庭にはドーベルマンやシェパードが放たれていた。
また、刀剣収集が趣味で、ゴルフの18ホールにあやかって18振りの名刀を所持していたといいます」
しかし、派手なエピソードの裏には、誰よりもゴルフに対して真摯で、ストイックなアスリートとしての姿があった。尾崎さんは50歳を過ぎてもなお、「肉体を鍛えるトレーニング」を欠かさず、シニアツアーには目もくれずレギュラーツアーにこだわり続けた。その執念は、2002年の『全日空オープン』での55歳7カ月29日という、レギュラーツアー最年長優勝記録樹立という形で結実する。
