『無機的な恋人たち』(濱野ちひろ・著)
2026年は60年に一度の丙午。「火のエネルギーが躍動し、飛躍が期待できる年」とも言われるが……。高市発言に端を発する日中の関係悪化、深刻化する少子高齢化、課題山積の移民・難民問題、そして急激に普及する生成AIやSNS上でのフェイクニュース・誹謗中傷問題などなど、解決すべき数多の問題に、私たちはいかに対処すべきか。そのヒントとなる1冊を、本誌書評委員が推挙してくれた。
作家・東山彰良氏が選んだ「2026年の潮流を知るための“この1冊”」は『無機的な恋人たち』(濱野ちひろ・著/講談社/1980円)だ。
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等身大のラブドールと暮らす男たちのルポである。著者はアメリカ、日本、中国を股にかけ、丹念な取材をつうじて、等身大人形に愛情をそそぐ人々の実情に迫ってゆく。無機物であるラブドールをパートナーとして親密に接する者、逆にフェティッシュな興味しか抱かない者、じつに多様な現実があることに驚かされる。のみならず、著者はラブドールを製造する会社にまで踏み込み、人間の性愛の奥深さや危うさ、さらにはグロテスクさまで垣間見せてくれる。
人ではないものへの精神的・肉体的執着を肯定的に評価しようとすれば、どうしたって一般常識を根底から揺さぶらなければならない。人間性愛規範(性愛の対象は生身の人間だけだという価値観)に基づく理解だけでは、等身大人形を人生の伴侶に選んだ人たちの真情は捉えきれない。
そこで著者はまず「愛」の定義から手をつける。「愛するとは、自分ではない存在と共存すること。そして、その存在の様子を日々、くまなく観察すること」。このように解釈すれば、たしかに無機物に執着する人々の性行を「愛」という切り口から語ることが可能になる。
私個人に関して言えば、きっと死ぬまで人間性愛規範から抜け出すことはできないし、この世界では私のような人間が大多数を占めるだろう。もし「愛とは自己犠牲による証明を求めるもの」というありふれた定義を踏襲するなら、物事の見え方が変わってくる。その場合でも、彼らのラブドールに対する想いを「愛」と呼べるのだろうか?
他人の「愛」を否定するつもりはない。ただ、なにかを肯定するために「愛」という権威に頼らざるをえない現状が、自分自身が、残念なだけだ。彼らの「愛」と私のそれとは違う。「愛」をファイナル・ボキャブラリーとみなして全てを丸投げするのは、そろそろ限界かもしれないと思うのだ。
※週刊ポスト2026年1月2・9日号
