井上康生一覧

【井上康生】に関するニュースを集めたページです。

父・顕志氏は2人の息子に厳しく指導した(右が城志郎。左は兄の剛毅。顕志氏提供)
柔道・丸山の父「五輪代表選考は延期でよかった」と語る理由
 東京五輪の1年延期によって、各競技の代表選考が揺れているが、なかでも大きな影響を受けているのが「柔道」だ。4月5日に予定されていた男子66kg級の丸山城志郎(26)と阿部一二三(22)の“最終決戦”も延期が決まった。先行きの見えなくなった代表争い。1992年バルセロナ五輪に出場経験のある丸山の父・顕志氏は延期が決まった今、どんな思いで息子を見つめているのか。ノンフィクションライター・柳川悠二氏がレポートする。 * * * 東京五輪に向けた柔道の代表選手は、4月4日、5日の全日本選抜柔道体重別選手権(福岡国際センター)をもって、男女の全14階級が揃うことになっていた。しかし、猛威を振るう新型コロナウイルスの感染拡大を理由に、福岡で開催される予定だった同大会も延期となってしまった。 唯一、代表が決まっていなかった男子66kg級が最終選考会となる同大会までもつれたのは、代表を争ってきたふたり――昨年の東京世界選手権王者である丸山城志郎(ミキハウス)と、2017年、2018年の世界王者である阿部一二三(パーク24)の実力が伯仲していたからに他ならない。 ふたりの世界王者を擁す日本の男子66kg級は、五輪本番で金メダルを獲ることよりも厳しい、層の厚い戦いとなっていた。これほど熾烈な柔道の代表争いというと、2004年アテネ五輪の100kg級を争った井上康生(日本男子監督)と鈴木桂治(同コーチ)以来だろう。 66kg級が行われる予定だった大会2日目の4月5日を、「運命の日」と位置づけていたのは、丸山の父で、1992年バルセロナ五輪65kg級代表だった顕志氏だ。28年前のこの日、顕志氏は講道館杯で優勝してバルセロナ五輪代表を決め、長男(城志郎の1歳上で、同じ柔道家の剛毅)の誕生日でもあるのだ。 顕志氏は、自身を「古風な男」と話し、運命や言霊、不思議な縁(えにし)や直感を大事にして生きてきた。 たとえば、城志郎の名は「お城のような武道館を築くような男に」という願いが込められている。かつて宮崎で開いていた柔道の私塾「泰山学舎」は、顕志氏の恩師で、元国士舘大柔道部監督の小山泰文氏と、1984年ロサンゼルス五輪の金メダリストで、現日本オリンピック委員会(JOC)会長にして全日本柔道連盟の会長である山下泰裕氏から一字ずつ採って道場名にした。さらに、福岡に拠点を移している現在の道場の所在地は春日市。柔道の総本山である講道館の所在地も「東京都文京区春日」であることから、この地に再び泰山学舎を構えることを即決した。 運命に導かれるように最終決戦の日に決まっていた4月5日は、選抜体重別の延期によって、ただの日曜日になってしまった。顕志氏は言う。「運命ではなくなりましたね(笑)。ただ、今回の延期は息子にとって幸いしたのではないかと嬉しく思っています。というのも、小さな頃から息子の成長を見守ってきた私から見て、身体の状態としては万全に仕上げていたと思いますが、心技体のうち、心の部分がまだ足りず、私には少なからず危機感があった。気配り、目配り、心配り……柔道家である前に人として大事なものをあいつは見失っていた」 自身の果たせなかった五輪金メダルの夢をふたりの息子に託し、顕志氏は柔道の師としてスパルタ教育を徹底してきた。自身が出場したバルセロナ五輪では、前夜に過度の重圧から眠れず、人生で初めて睡眠薬を服用した。減量していた身体には薬の効き目が想像以上にあり、試合当日は身体がしびれるような状態に陥り、思うように身体が動かない。準々決勝で敗れ、7位という失意の結果に終わった。 顕志氏はちょっとした気の緩みや驕りが大きな失敗を招くことを息子たちに伝え、実家を離れてからも丸山の柔道に「心がない」と度々指摘してきた。 丸山が中学生だった頃、試合中に攻めあぐね、顕志氏が最も嫌う「指導」による反則負けが続いたことがあった。すると、試合に「城志郎」の名で出場することを許さず、しばらく「城士郎」の名で出場させた。 さらに阿部一二三という新星が台頭。二度目の対決となった2016年の選抜体重別で、丸山はやはり指導によって敗北してしまった。すると、「城志郎ではなく、(阿部一二三に対抗して)四五六を名乗れ」と叱咤すると共に、絶縁を宣告し丸山の結納にも顔を出さない。師弟関係の解消は3年半も続いた。「久しぶりに顔をあわせた昨年、世界選手権を前に『世界一になります』と私に言ってきた。これは良い顔をしているな、と。ようやく心が伴う柔道家になってきたな、と。それで世界選手権も応援に行ったのです」 世界一となったあと、丸山親子は、会場となった日本武道館の前で記念写真を撮った。日本武道館は東京五輪の舞台であり、何より「城志郎」の名に込めた理想の“城”である。いよいよ東京五輪の代表が近づいていることを実感し、丸山は昨年11月のグランドスラム・大阪で優勝すれば、代表に内定することになっていた。 しかし、同大会の決勝で阿部に惜敗し、さらに今年2月のグランドスラム・デュッセルドルフは、丸山が直前に負った左ヒザの靱帯損傷によって出場を回避すると、阿部は女子52kg級に出場した妹の詩(うた)と2人揃って優勝。丸山と阿部の代表レースは横並びとなった。顕志氏が続ける。「世界一になったことで、あいつは完全に天狗になっていた。嫁と一緒にYouTubeに出て、部屋の中を映したり、旅行の動画をあげたり。私はあいつと奥さん、彼女の親御さんにも苦言を呈しました。勝ってかぶとの緒を締めなきゃならんのですよ。確かにコロナも恐ろしいですが、アスリートにとってそれと同じぐらいに怖い“世界一病”にあいつはかかっていた。この病気は本人に自覚がないからやっかいで、周りの人間がげんこつを喰らわすか、愛のムチを与えてあげるしか、特効薬はない。だから、私も先日、(丸山が練習の拠点とする母校の)天理大に行ってげんこつを喰らわせてきましたよ。今の時代に暴力は許されないかもしれませんが、いくつになっても子どもは子どもですから」 東京五輪は1年の延期となり、柔道の代表は、内定していた13階級が再選考となるのかどうかを含めて、先行きは不透明だ。そんな中、丸山の代表を、五輪金メダルを誰より信じているのは、自身が果たせなかった夢を託して生きてきた顕志氏に他ならない。
2020.04.05 07:00
NEWSポストセブン
五輪延期でどうなる、柔道・丸山城志郎と阿部一二三の苦悩
五輪延期でどうなる、柔道・丸山城志郎と阿部一二三の苦悩
 ついに東京五輪の「1年程度の延期」が決まった。しかし、アスリートたちは今年7月の開幕を前提に、代表の座を、そして世界の頂点を目指して戦ってきた。柔道男子66kg級では、丸山城志郎(26)と阿部一二三(ひふみ・22)という“2人の世界王者”が、代表1枠を巡って4月5日に直接対決する予定だったが、大会そのものの延期が決まり、ここにきて先行きは混沌としている。彼らはどんな心境で決戦に臨もうとしているのか──。柳川悠二氏(ノンフィクションライター)がレポートする。◆出稽古ができない 柔道の名門・天理大の道場は緊迫に包まれていた。大勢の大学生が稽古に取り組む中で、隅の一角をロープで仕切り、その中で丸山城志郎(ミキハウス)が同体格の選手を相手に、乱取り(実戦練習)に励んでいた。丸山にとって天理大は母校であり、社会人となった現在も練習の拠点だ。 そして、その様子を見つめる顔ぶれが豪華だった。視察に訪れていた柔道男子の井上康生監督(シドニー五輪100kg級金メダリスト)に加え、同大の大物OBである篠原信一氏(同100kg超級銀メダリスト)、そして同大の穴井隆将監督(ロンドン五輪100kg級代表)──集った面々からして、およそ2週間後に迫っていた対決が世紀の一戦であることがわかる。 昨年の東京世界選手権王者である丸山は4月5日、全日本選抜柔道体重別選手権大会(福岡国際センター)の男子66kg級に臨む予定だった。同階級は、東京五輪で競われる男女14階級のうち、唯一、代表が内定していない階級だ。丸山は残された1枠を、2017年と2018年の世界王者で、4歳下の阿部一二三(4月からパーク24所属)と争い、選抜体重別の勝者が代表に内定する予定だった。 ところが、もつれにもつれた男子66kg級の代表レース決着はひとまず流れた。新型コロナウイルスの感染拡大を受け、無観客で開催される予定だった選抜体重別が、延期となり、開催時期は未定。 1年の延期が決まった東京五輪に向け、66kg級の代表決定方法やその他の階級を再選考とするかなど、代表レースの行方はいまだ混沌としている。ただ、「4・5」決戦に向け、丸山と阿部は制約の多いなかでギリギリの調整を続けていた。そのふたりの姿を見ると、この階級の代表を勝ち取ったほう男が、延期になった東京五輪本番で主役となることを確信できる。 丸山の練習を遠くから眺めていて、すぐに気付いたことがあった。次々と代わる練習相手がやたらと右の変則組み手で丸山に向かっていくのだ。不十分な体勢からでも強引に背負い投げや袖釣り込み腰といった担ぎ技を繰り出してくる「阿部一二三対策」に違いなかった。穴井監督が明かす。「練習相手には阿部選手になりきらせていました。もともと決まっていた練習メニューで、たまたまその日に、井上監督が視察に訪れただけ。全日本の監督が来るからといって、僕らが稽古内容を変えることはありません」 新型ウイルスの感染拡大は、少なからず大学の稽古にも影響を与えていた。「感染予防のために、練習に影響が出ているのは事実です。(他大学などからの)出稽古を受け入れられなくなりましたし、こちらから出向くことも許されない。いろいろと制約はありますが、試合に与える影響というのはない。ゼロです。コロナ対策としてうがい・手洗いを欠かさないのと同じで、僕らは当たり前の稽古を当たり前にやって、試合を迎えるだけです」 大一番を前にした最終調整に余念がなかった丸山だが、国際オリンピック委員会(IOC)のトーマス・バッハ会長と安倍晋三首相が電話会談を行ない、「1年程度延期」が発表された。◆応援に行けない恩師 兵庫・神港学園で総監督を務める信川厚氏は、無観客で行われる予定だった選抜体重別を前に、教え子に電話を入れ、応援に行けないことを伝えていた。全日本柔道連盟から、会場に入れるのは出場選手と所属の監督、練習パートナーに限ると通達があったのだ。恩師に対し、阿部は関西のイントネーションでこう告げた。「(吉報を)待っといてください」 取材時は、選抜体重別の中止が決まっておらず、信川氏が複雑な心境を吐露していた。「知り合いが中に入れるので逐一、報告をもらう予定です。無観客やし、これまでとは全く違う雰囲気で戦うことになる。丸山選手と一二三、お互いが力を発揮できる環境を作ってもらえたら……。もし大会が中止となったとしても、66kg級だけは、一対一の直接対決だけでも決行してもらいたい。死に物狂いで頑張ってきたふたりです。白黒はっきりつけさせてあげたい」 そう話していた信川氏だが、選抜体重別は中止となり、一部で噂された66kg級だけの開催案もまた流れてしまった。 阿部が彗星の如く柔道界で頭角を現したのは神港学園の2年生だった2014年の講道館杯だ。ふてぶてしく相手に突進し、背負い投げや袖釣り込み腰といった大技でなぎ倒す。史上最年少で優勝し、続くグランドスラム・東京も制するインパクト抜群のデビューだった。 天理大出身の信川氏は当時、教え子の阿部も母校に出稽古に行かせていた。だが、阿部が進学先に選んだのは天理大ではなく日本体育大学。阿部はその理由を私のインタビューでこう答えている。「ゼロからのスタートを望みました。関西に残れば、親も近くにいて、友人もすぐ周りにいます。どうしても甘えてしまいますよね。2020年は東京で五輪が開催されるし、東京という場所が自分自身を成長させてくれるし、いろいろ吸収できる」 2016年のリオ五輪以降の66kg級は阿部の独壇場だった。2017年にブダペストでの世界選手権で優勝すると、翌2018年バクー大会で2連覇。東京五輪に向けて阿部のライバルとなる選手は国内に見当たらなかった。丸山はその頃、大学2年の時に負った左ヒザ前十字靱帯断裂の影響で、代表レースで後れを取っていたのだ。 一二三の名は両親が「一歩一歩進め」という願いを込めて付けた。しかし、柔道家としては階段を一段、二段飛ばしで駆け上がり、日本柔道の顔となっていった。◆4月5日は「運命の日」 阿部というニュースターの登場に、誰より強い危機感を抱いていたのは丸山の父・顕志氏だった。「阿部選手には天性の、特別な才能がある。あの筋肉の柔らかさと破壊力は化け物ですもん。独走を許したら、誰も止められなくなる。私も現役時代、古賀稔彦というスターを側で見ていましたが、阿部選手のスター性は古賀以上かもしれない」 バルセロナ五輪65㎏級代表だった顕志氏は、自身の果たせなかった五輪金メダルの夢をふたりの息子に託し、幼少期からスパルタ教育を施した。「『お前たちはお父さんが獲れなかった金メダルを獲るために生まれてきたんだ』と洗脳してきました(笑)。私は昭和の男で、指導方針も古風。息子をぶっ叩きましたし、引きずり回しもした」 次男である城志郎の名は、「お城のような武道館を築ける男に」という願いを込めて付けた。 息子が中学生の頃、試合中に攻めあぐね、「指導」を奪われて敗れる試合が続いたことがあった。息子に「お前の柔道には心がない」と叱咤し、試合には「城士郎」の名で出場させた。さすがに戸籍を変更することはなかったが、当時の賞状やトロフィーには「心」のない息子の名が並んでいる。 2015年の講道館杯で丸山は阿部と初対決して勝利するも、翌年の選抜体重別では敗れた。「その時も指導を奪われて負けた。投げられて負けたならまだしも反則のポイントで敗れてしまった。それが私には許せず、絶縁した」 昨年の世界選手権直前まで、師弟の断絶は3年半も続いた。その間、顕志氏は息子の結納にも顔を出さなかった。 顕志氏と復縁し、世界王者となって、丸山は代表レースで阿部を逆転。昨年11月のグランドスラム・大阪で優勝すれば代表が内定する立場だった。ところが、決勝で阿部に支え釣り込み足で投げられ、内定は持ち越しに。 さらに、今年2月のグランドスラム・デュッセルドルフは、直前の練習中に古傷である左ヒザの靱帯を損傷して欠場。阿部がこの大会を女子52kg級の妹・詩と共に制したことで両者の立場は、完全に横並びとなった。大会後、阿部は言った。「自分のやることはひとつしかない。(選抜体重別で)圧倒的な柔道をして、優勝を目指したい」 追いつかれた丸山を見守る顕志氏は、最終決戦が予定されていた4月5日という日に、特別な“運命”を感じていた。28年前のこの日、顕志氏は講道館杯で優勝し、バルセロナ五輪の代表に決まったのだ。さらに、長男の誕生日でもある。「この運命には鳥肌が立つ。城志郎の五輪代表は確信していました。ところが、ここに来て今のままでは“やばい”と思っています。あいつの精神状態が手に取るように私には分かる。ですから、明日は天理大の練習に行って息子をぶっ叩こうと思っています」◆たとえ再選考でも… 運命にいたずらされるように、顕志氏が特別な思いを抱いていた「4・5」決戦は流れてしまったものの、丸山が26歳で、阿部は22歳。これから柔道家としてのピークを迎える年齢だ。1年の延期ぐらいでは、両者の実力差が大きく開くことはないだろう。 丸山と阿部の対戦成績は、これまで丸山の4勝3敗。阿部は負けた試合で下がることが多いと指摘するのは信川氏だ。「常に前に出て、圧力をかけるのが一二三のスタイル。一二三がファーストコンタクトで仕掛ける技は、よく掛かる。逆に試合が長引いて泥仕合になると、丸山選手の勝機を生んでしまうと思う」 丸山の師である顕志氏は、「一本」による完全決着はないと断言した。「それほど阿部選手の身体能力は高く、体幹が強い。城志郎が阿部選手に勝った試合は、ほとんどゴールデンスコア(延長戦)までもつれている」 東京五輪の代表選考に関して、本稿執筆時点(3月30日)では全日本柔道連盟からの発表はない。男子66㎏級だけでなく、既に内定していた男女13階級の代表が再選考となるか否かも明らかになっていない。 くしくも日本オリンピック委員会(JOC)の会長で、全柔連の会長でもある山下泰裕氏は日本がボイコットした1980年のモスクワ大会で“幻の代表”となった経験を持つ。代表取り消しの苦しみを誰よりも知る人物である。内定者や、熾烈な代表レースを繰り広げてきた丸山や阿部への配慮は少なからずあるのではないか。 天理大の穴井監督は、あまりに複雑な状況下での決戦を前にした心境を、丸山に成り代わったようにこう話した。「たとえ阿部選手に勝ったとしても、喜ぶことはないでしょう。だってゴールは代表になることじゃないから」 彼らにとってコロナ禍も代表再選考の問題も、大願成就に向けたひとつの試練でしかない。※週刊ポスト2020年4月10日号
2020.04.03 07:00
週刊ポスト
デュッセルドルフ大会でも期待を背負い戦っている阿部(写真/GettyImages)
代表争い注目の柔道・阿部一二三 恩師が明かす「強さの源」
 夏の東京五輪代表を巡る争いが熾烈を極めているのが、ニッポンの“お家芸”である柔道だ。元世界王者でも、代表の座は約束されたものではない。2月21日には代表争いに大きな意味を持つグランドスラム・デュッセルドルフ大会が開幕するが、2017年、2018年と世界選手権を連覇した男子66kg級の阿部一二三(22)もギリギリの戦いが続く。メダルを目指す選手たちの苦悩や葛藤を間近で見てきた関係者に話を聞くシリーズ「東京五輪へ──私が見たアスリートの素顔」。今回は、阿部の高校時代の恩師・信川厚氏(神港学園柔道部総監督)に聞いた。ノンフィクションライター・柳川悠二氏がレポートする。 * * * スポーツを追いかける物書きにとって、最も興奮する瞬間とは何か。 取材を続けて来たアスリートがオリンピックの大舞台で金メダルを獲った時か。いや、違う。団体スポーツが国際大会で劇的で感動的な「世界一」に輝いた時か。それも違う。きら星の如きまばゆい輝きを放つ新たな才能に出会った瞬間である。 当時、兵庫・神港学園高校の2年生だった柔道男子66kg級の阿部一二三(日本体育大4年)が、年齢制限のないシニアの大会にデビューした2014年の講道館杯は、その典型的なパターンで、衝撃度では近年一番だった。 無名の高校2年生が、試合の直前、ふてぶてしく口を大きく開け、「はじめ」の合図と共に年齢の離れた対戦相手に突進していく。背負い投げ、一本背負いに袖釣り込み腰。そうした大技で相手を豪快になぎ倒していく様は、「一二三」という実にマンガ的な名前も手伝って、大ブレイクを予感させた。その後の成長は、名前のような「いち、に、さん」という一歩ずつではなく、2段飛ばし、3段飛ばしで、世界のトップへの階段を上っていった。 来る東京五輪においては、国内の代表権さえ勝ち取ることができれば、金メダルが確実視される柔道家だ。妹の詩も女子52kg級で世界選手権を2連覇中で、東京五輪では兄妹同日Vも期待されている。 17歳で講道館杯を制した当時、指導していた神港学園総監督の信川厚は、阿部が小学5年生の時に出逢い、指導する高校の道場に阿部を小学生の段階から通わせた。「とても身体が小さく、当時の体重は40kgぐらいでしたでしょうか。もちろん、高校生相手では勝ち目がないんですが、勝ち気に向かっていっていた。その頃から『一本で投げる柔道がしたい』と話していましたね。小学6年生の西日本大会で優勝できて、力がついてきたな、という印象を受けました」 信川は阿部に対し、相手の襟を掴む釣り手と、袖を掴む引き手をしっかり持たせ、基本に忠実な背負い投げを教え込み、阿部はそれをものにしていく。小学校を卒業すると、地元の公立中学校には柔道部がなく、阿部はわざわざ住所を移して神港学園にほど近い神戸生田中学校に通い、放課後は信川の元に通った。「阿部の他にもそういう選手はいますし、特別なケースだったわけではありません。阿部の背負い投げは、打ち込み(基本の反復動作)ではなく乱取り(実践練習)で培っていった。中2の全中で、55kg級で日本一になりましたが、やっとこさ勝ったという印象だった。中3になると、担ぎ技でも強引な入り方をして、中途半端な体勢であっても投げきってしまう。身体全体にバネができてきた。全中では60kg級で優勝しましたが、1回戦から決勝まで、かかった時間はあわせて4~5分ぐらい。畳に上がって組んだら、すぐに終わるような試合ばかりで、『圧倒的に強い』と改めて思いましたわ」 将来を有望視されるようになった阿部の元には、全国の強豪校から声がかかったものの、阿部は小学生の頃から指導を受けた信川のいる神港学園に進むことを決断する。そして、件の2014年講道館杯で衝撃デビューを飾った。技の豪快さに加え、一度、相手の道着を掴んだら簡単には離さない「把持力」に目を奪われた。「握力で相手の道着を離さないというよりは、指でうまく相手の道着を引っかけて、巻き込むようにして道着を掴むので簡単には切られない。そうしたところにも、センスがあります」 講道館杯を高校生で制した前例といえば、井上康生(シドニー五輪100kg級金メダリスト・現全日本男子チーム監督)や鈴木桂治(アテネ五輪100kg級金メダリスト・同コーチ)、石井慧(北京五輪100kg超級金メダリスト・現格闘家)であり、いずれも五輪金メダリストになった。さらに阿部は同年のグランドスラム東京も制して、一躍、代表戦線に名乗りを上げた。 2年後のリオ五輪へ照準を定めていた阿部だが、2連覇を目指した翌2015年の講道館杯は丸山城志郎(26)に敗れ、リオの夢は露と消えていった。「本人は野村忠宏さんに憧れていた。(野村の3連覇を越える)4連覇という夢も口にしていた。リオに出場できたらそれも目指せるとは思っていましたが……経験と実績など、すべてが足りなかったと思います。もちろん、リオを逃したからといって、阿部一二三という柔道家の未来を悲観する要素はありませんでした」 2016年のリオ五輪以降の国内男子66kg級は阿部の独壇場だった。2017年に初めて世界選手権の代表になるとブダペストで開催された世界選手権を危なげなく制し、翌2018年バクー大会で2連覇に成功した。 だが、その後、阿部の前に対抗馬として立ちはだかったのが、2015年の講道館杯で阿部を下した丸山だった。「柔道センスのかたまりのような選手」(天理大・穴井隆将監督)で、教科書のように美しい内股や大外刈りなどを得意とし、型破りな阿部とは対局に位置する柔道家だ。2018年グランドスラム大阪で阿部は丸山に敗れ、2019年に入ると4月の全日本選抜体重別、そして東京世界選手権と連敗。阿部と丸山の立場は完全に逆転した。信川は話す。「決して相性が悪いとは思いませんが、常に果敢に前に出ていくのが阿部の武器なのに、丸山選手と対戦すると下がってしまうシーンが敗れた試合にはあった。丸山選手も前に出て、技をかけたがる選手。丸山選手と対戦して下がってしまえば、丸山選手の思うつぼです。ただ、連敗したことで、阿部の中で吹っ切れたところがある。心配はしていませんし、素晴らしい柔道家である丸山選手に、阿部も決して引けはとらないと思っています」 因縁あるふたりの対戦成績は丸山の4勝3敗。両者は21日に開幕するグランドスラム・デュッセルドルフで直接対決し、昨年の世界王者である丸山が勝てば代表に、阿部が勝利すれば代表決定は4月の選抜体重別まで持ち越されるとみられていた。 ところが、大会1週間前になって、丸山が左膝内側側副靱帯損傷(全治3週間)で欠場が決定。もし阿部がデュッセルドルフを制すれば、代表レースは阿部が逆転し、今度は丸山の立場が苦しくなるはずだ。 どちらが東京五輪の代表となるのか――。それは東京五輪で金メダルを勝ち取ることよりも熾烈で厳しく、端から見れば五輪よりも面白いマッチレースなのである。
2020.02.21 07:00
NEWSポストセブン
メダル期待の柔道・大野将平 恩師が語る「リオからの成長」
メダル期待の柔道・大野将平 恩師が語る「リオからの成長」
 開幕まで半年を切った東京五輪。ニッポンのお家芸である柔道の男子73kg級で期待を集めるのが、リオ五輪金メダリストの大野将平(28)だ。同階級の代表争いを大きくリードする大野だが、ここに至る道のりは決して平坦ではなかった。新シリーズ「東京五輪へ──私が見たアスリートの素顔」では、メダリスト候補たちの苦労を間近で見てきた関係者に話を聞いていく。大野の歩みをよく知る大学時代の恩師にノンフィクションライター・柳川悠二氏がインタビューした。 * * * 8年前の2012年8月2日、ロンドン五輪の柔道会場の外で、私は建築士を目指しているというひとりの青年に出会った。この日、男子100kg級に出場する友人の穴井隆将(35。現・天理大柔道部監督)の応援にひとりでやってきたという。 しかし、彼は観戦に肝心のチケットを持っていなかった。ダフ屋から手に入れる予定が、厳しい当局の取り締まりによってダフ屋の姿がまるでなかったのだ。途方に暮れている間に、100kg級の優勝候補の一角と目されていた穴井は2回戦でまさかの一本負けを喫し、敗者復活にも回ることなく、初の五輪を終えた。その一報を会場の外にいた青年に伝えると、呆然としてしばらく言葉を発せず、「勉強をかねて、ロンドンの建築物を回ってから日本に帰ります」と肩を落としていた。 五輪には魔物が棲む──五輪の度にそう囁かれてきた。2000年のシドニー五輪を圧倒的な強さで制した井上康生ですら、日本選手団の主将として臨んだ2004年アテネ五輪ではメダルにさえ手が届かなかった。 初出場の五輪の大舞台で、失意の結果に終わった穴井は、2013年の全日本選手権優勝を最後に第一線から退き、天理大の副監督、そして2014年からは監督に就任し、今日まで過ごしてきた。最初で最後の五輪の畳を、穴井はこう振り返った。「私は魔物なんていないと思います。その日、誰よりも活躍した選手が金メダルを手にする。ただ、実力以上の力が出ることもあるし、普段の実力がまったく出せなくなるかもしれない舞台でもある」 母校の指導者に転身した穴井にとって、師として、あるいは兄貴分として温かく接してきた柔道家が、天理大の卒業生で、現在も同大の道場を練習拠点としている大野将平(旭化成)である。「初めて会ったのは、東京の(古賀稔彦や吉田秀彦らを輩出した柔道私塾である)講道学舎から天理大に入学してきた頃(2012年)でした。その頃は柔道が荒々しく、激しく、血気盛んに戦うイメージでした」 大野は在学中の2013年と2015年の世界選手権73kg級を制し、その圧倒的な強さと、常に一本を狙い続ける「柔道の申し子」たる姿勢を国際柔道連盟も評価し、その名は世界に広まってゆく。 2012年のロンドン五輪で、男子柔道は史上初めて金メダルがゼロという一敗地にまみれ、2016年のリオ五輪でも男子73kg級の試合が行われる3日目まで金メダルが男女共になかった。 試合の日、穴井は「力を出し切ってくれ」という言葉に加え、こんなメッセージを大野に送った。「勝負には運も必要だよ」 するとすぐに返信が来た。「いや、実力で金を勝ち取ります」 つまり、運・不運には左右されず、圧倒的な自分の柔道で金メダルを獲ると宣言したのだ。 穴井からすれば、自分と同じ失敗をして欲しくなかったからこそのメッセージであったが、それは不要な気遣いだった。リオでの大野は初戦から決勝まで、横四方固め、内股、払い腰、巴投げ、そして小内刈りと、すべて異なる技で勝負を決めた。 日本発祥の柔道の選手たちは、1964年の東京五輪で柔道が正式種目に採用されて以来、金メダルだけを目指してきた。リオ五輪では、銅メダルに終わった選手がテレビインタビューで謝罪した姿が話題となり、銅メダルを評価しようという国民の声が挙がった。しかし、「金メダル以外はメダルにあらず」の意識は、柔道家なら誰しも抱く。穴井は言う。「柔道は、投げるか投げられるかの勝負。国際ルールも(一本決着を促すよう)完全決着をつける方向にルール変更を繰り返しています。柔道は勝負が一瞬で決まってしまう可能性がある。柔道ほど失敗が許されない競技はないと思います。野球は4点を奪われたとしても、5得点すれば勝てるじゃないですか? 卓球にしてもバレーボールにしても、得失点を重ねながらセットを奪い合うスポーツですよね。同じ格闘技のレスリングですら、ポイントによって勝敗が決まる。ところが、柔道家にとって、一本を奪われることは『死』ですよね。技ありでさえ、『瀕死状態』。ですから1回戦で負けようが、決勝で負けようが、同じように悔しさは残ります」 リオ五輪の大野は、金メダルが決まってもにこりともせず、喜び表現することなく相手に深く一礼して畳を降りた。この立ち居振る舞いには相手を敬う目的と共に、2013年に自身も関与が疑われた天理大の暴力事件も背景にある。先輩部員の1年生部員に対する暴力事件が発覚し、柔道部には活動停止処分が下ると共に、柔道部の主将を務めていた大野は強化指定選手からも外されたのだ。「あいつだけが責任を負う事案ではありませんでしたが、当時、主将だったということと、世界チャンピオンだったということで、報道が過熱したということが少なからずあった。柔道の面でも、私生活の面でも、粛々とやらなければならないことを全うして、今では押しも押されもせぬ不動のチャンピオンとなった。あの事件の責任を果たしたことで、事件をプラスに転化できたんだと思います」 大野は抜群の破壊力を持つ大外刈りと内股を軸に戦い、巴投げや背負い投げといった技も、そつなくこなす高いレベルのオールラウンダーである。「大野の強さは一言で、隙がないということ。稽古を見ていても、ふらつかないし、危ない(投げられそうになる)場面がない。対戦相手として、研究しようにも策が浮かばない。負けない強さがある」 穴井はリオからの成長を、コップに注ぐ水で表現した。「彼はいつも、柔道の試合でも、練習でも、『ギリギリを攻める』と話しています。リオ以前の大野は、練習でもコップに注ぐ水がこぼれてしまうまで練習に励み、自分自身を追い込んでいた。金メダリストとなってからは、水がコップ一杯になり、こぼれる寸前で止めるようになった。要は自身を休めることも覚えてより大人のアスリートになった。東京五輪の金メダル? 私は盤石だと思っています」 2月9日にフランスで行われたグランドスラム・パリにおいて、ロンドンとリオの100kg超級を制し、世界の柔道界に“絶対王者”として君臨してきたテディ・リネール(30)が日本人の影浦心(24)に敗れる波瀾があった。衰えの目立つリネールに代わって、油の乗りきった大野こそ絶対王者の称号に相応しい。 柔道男子73kg級は、7月27日の月曜日に行われる。地元開催の五輪舞台に向け、男子では野村忠宏以来となる2連覇の期待が高まるが、大野はあくまで東京五輪を柔道人生の「通過点」としか考えていないという。 柔道家であり、求道者。それが大野将平というアスリートである。
2020.02.20 16:00
NEWSポストセブン
三浦知良、貴乃花、井上康生 彼らの因縁ライバルのその後
三浦知良、貴乃花、井上康生 彼らの因縁ライバルのその後
 今年のプロ野球ドラフトでは、高校野球を沸かせた2人のライバル、佐々木朗希(大船渡)と奥川恭伸(星稜)に注目が集まった。スポーツ界の歴史はこのように、ライバルとして並び称された「ふたり」が何組もいた。しかし、勝負の世界では、その後のキャリアの中で明暗が分かれることもある。あの日輝いた「もうひとり」のその後──。 Jリーグを代表するスターの三浦知良と中山雅史。「カズ」「ゴン」と呼ばれ、1990年代のサッカー人気を牽引した。 カズは52歳の現在も現役選手としての出場が話題になるが、同い年の中山は2012年に引退。しかし2015年に3年のブランクを経て選手に復帰した。「所属はJ3のアスルクラロ沼津。今年も契約更新されたが、4年間で公式戦には一度も出ていない。それでも三浦の最年長ゴール記録の更新を虎視眈々と狙っている」(サッカー担当記者) 角界のライバル関係といえば、「曙貴時代」と言われた第64代横綱・曙と第65代横綱・貴乃花の関係が思い浮かぶ。2人は入門同期として相撲教習所時代から競い合ってきた。 日本相撲協会との対立が記憶に新しい貴乃花だが、曙はプロレス転向後、消息が乏しい。「プロレスラーとしての技術は関係者からも高く評価されていた。2015年にジャイアント馬場夫人から支援を受けて『王道』というプロレス団体を立ち上げましたが、2017年に急性心不全で倒れ、それ以来入院生活が続いている。2年以上寝たきりの状態で、奥さんのクリスティーン麗子さんが献身的に介護をしています」(スポーツ紙記者) 1990年代の土俵を沸かせた小兵力士が、「技のデパート」として知られた舞の海と、高校教師からの転身で話題を呼んだ智ノ花。 舞の海はNHKの相撲解説や健康食品のCM、さらには『ぶらり途中下車の旅』(日本テレビ系)でよく見かけるが、智ノ花は引退後も相撲協会に残った。「立浪部屋の部屋付き親方になった後、元魁輝の先代・友綱親方を頼って部屋を移籍。その後、玉垣親方を襲名して、現在も友綱部屋付き親方として協会に残っている。今は九州場所担当として福岡入りしています」(相撲担当記者) 2007年に柔道全日本選手権と嘉納杯で当時最強と言われた井上康生に連勝、2008年の北京五輪で金メダルを獲った石井慧は、その後数奇な運命を辿った。 五輪直後にK-1、UFCなどを渡り歩いたあと、クロアチアに拠点を移した。現在もヨーロッパで総合格闘家としてキャリアを重ね、クロアチア国籍を取得した。※週刊ポスト2019年11月8・15日号
2019.10.31 07:00
週刊ポスト
3、4人も子どもがいるように見えない子沢山ママ  芸能人7選
3、4人も子どもがいるように見えない子沢山ママ 芸能人7選
はじめての出産後、時機をみて2人目・3人目と家族を増やしたい方も多いのではないでしょうか。「1人でも大変なのに、子どもが増えてやっていける?」と不安を抱えるママに勇気を与えてくれるのが、子沢山の先輩ママたちです。特に芸能人は「本当に出産したの?」と感じてしまうほどスタイルも良くて、元気なママがたくさん!子育てを楽しむ姿にも元気を分けてもらえますよね。今回は、芸能人の中から3、4人の子どもを抱えながら活躍される子沢山ママをご紹介します。(2019年1月現在)芸能界の華!子沢山女優は演技派が多いまずは芸能人の中から女優として活躍されている小雪さん、杏さん、広末涼子さんをご紹介します。笑顔にも優しさがあふれるみなさんですが、何よりも子育ての疲労を感じさせない透明感のある女優さんですよね。早速、子沢山になった演技派女優たちのママ歴をみていきましょう。3人の子育てもナチュラル!小雪さん2011年に俳優、松山ケンイチさんと結婚した小雪さん。姉さん女房として8歳年下の松山さんとの間に2男1女を授かっています。結婚当時、高齢出産にあたる年齢だっただけに、35歳以上の妊婦さんにも数多くの勇気を与えてくれました。あれから8年、3人の子どもを育てる小雪さんは出産後もお仕事をマイペースで再開。環境汚染などにも関心を寄せる小雪さんは、家庭でも水質汚染になる洗剤を使用しないとか。大切なことを実践して子どもに伝える姿、同じ母としても見習いたいものですね。朝ドラ夫婦で話題!パワフル子育ての杏さんお父さんが渡辺謙さん、夫が東出昌大さんという俳優一家でおなじみの杏さん。NHK朝ドラ「ごちそうさん」(2013年)で夫婦役を演じ、2015年にゴールインしたことでも話題でしたね。2016年5月に女の子の双子ちゃんを出産し、2017年11月には3人目の男の子も出産されています。双子ちゃんの育児もパワフルにこなしながら、赤ちゃんまで!お仕事もされていて本当にパワフルな杏さんです。その原動力となる(?)のが、仲むつまじい夫婦の姿。インスタなどでも仲良しぶりが見てとれます。うらやましい!子どもも自分も幸せを目指す!広末涼子さん2003年に結婚し翌年に長男を出産。2010年に再婚し2011年には次男、2015年には長女を授かり3人のママでもある広末涼子さん。アラフォーとは思えない若々しいママですが、すでに今年16歳になる長男がいる育児のベテランでもあります。デキ婚やバツイチということからイメージダウンの激しい時期もありましたが、最近ではCMでもドラマでも活躍され実力で復活を遂げています。周囲の意見をものともせず、子どもも自分も幸せになる道を貫く姿に称賛の声も!芸能界の元気印!子沢山モデル&タレント芸能人の中でも元気で魅力的なママの代表としてご紹介したいのが、東原亜希さん、熊田曜子さんです。モデルやタレントとして活躍しながらも、元気で好きなことに熱中している姿は、ママさんたちの憧れのまとですよね。アスリートを支えた東原亜希さんは4人のママタレントとして活動している東原さんは、2008年、柔道家の井上康生さんと結婚。年子の男女1名ずつの子どもと双子の女の子4人のママとして現在も育児に奮闘中です。東原さんのブログには、子どももよく登場しています。メディアからは少し離れているものの、4人の子育てを楽しんでいる様子はブログから伝わってきます。子どもが多くても、夫婦仲が良くて笑顔を絶やさないママには、幸せがやってくるんだなぁ~と感心するばかりです。産後の体形維持は神レベル!熊田曜子さんグラビアアイドルからタレントとして活躍されてきた熊田さん。2012年に結婚され、女の子3人のママでもあります。彼女のママぶりはさておき、出産後わずか4カ月でグラビア復帰を果たした彼女のプロ根性に、感服された方も多いのではないでしょうか。インスタではママになった今でも、女性の魅力をさらにアップさせた投稿が話題ですが、本当にきれい!熊田さんの美ボディーに憧れるママからも、絶大な支持をえています。ご覧になったことがない方は要チェックです。アラフォーの鏡ですよ!https://mng.tamagoo.jp/give-birth/entertainer-style-good-in-mothers/芸能界にいる各界のプロ!ママ業も全力!芸能人の中には、元々は違う業界でプロとして活躍されてきた方々も多いですよね。こちらでは元プロゴルファーの東尾理子さん、弁護士の大渕愛子さんをご紹介します。あらゆる分野でのプロは、ママ業にも全力で取り組んでいるようです!元プロゴルファーの東尾理子さん2009年12月に俳優の石田純一さんと結婚した東尾理子さん。石田さんのプレーボーイぶりなどが話題に上がる中、不妊治療を経て2012年に長男を授かったことでも話題になりました。その後も2016年長女、2018年に次女を出産し今では3人のママに!石田さんの過去から、子どもたち達の異母兄弟が多くなり、普通の人なら悩みも尽きないでしょう。しかし、理子さんの明るさと家族としてのつながりを絶やさないマメな行動で、元気で明るい不思議な家族が完成していますよね。器の大きさが本当に並大抵じゃありません!弁護士としても活躍!大渕愛子さん人気番組のご意見弁護士として有名になった大渕愛子さん。弁護士としてのキャリアを積みながら、2014年に俳優の金山一彦さんと再婚し、2015年長男、2016年次男、2018年長女の3人の子どもを授かりました。さまざまな問題もありましたが、現在は第三子の赤ちゃんを交えて子育ての真最中でしょう。長男の成長ホルモン療法や次男のヘルメット治療などで、世間からも賛否両論の意見が繰り出される中、大渕さんは「外野の主観」として、子育てや愛情の注ぎ方にも自信をもって進んでいます。実際はそうありたいママさんも多いかもしれませんね。おわりに芸能人の方にも、私たちと同じように子育ての大変さはやってきます。もしかしたらツライことも一般人以上に抱えることが多いかもしれません。そんな中、笑顔で育児を発信している姿には、本当に助けられるし勇気をもらえますよね。私たちももっとマイペースで自分を信じる育児していきたいと思いませんか?※本記事は掲載時点の情報であり、最新のものとは異なる場合があります。ご了承ください。
2019.01.18 12:00
たまGoo!
金足農・吉田輝星投手の素顔 パンツ破りやカエル嫌い
金足農・吉田輝星投手の素顔 パンツ破りやカエル嫌い
 試合終了──史上初となる2度目の春夏連覇を達成し、喜びを爆発させる北大阪代表の大阪桐蔭ナインを前に、雑草魂で頂点まであと一歩に迫ったエースは天を仰ぎ涙を流した。 第100回の記念大会となった今回の甲子園。最も注目されたのは、秋田代表・県立金足農業高校の快進撃を牽引した吉田輝星投手(17才)だろう。強い意志を宿すくっきりとした二重の目、鼻筋の通った端整な顔立ちに輝く白い歯。冷静なマウンドさばきと熱い咆哮をあげる姿とのギャップは、世の女性たちの心をわしづかみにした。「フィーバーぶりは、早稲田実業のハンカチ王子こと斎藤佑樹投手(北海道日本ハムファイターズ)が2006年に甲子園を沸かせたとき以来です」(スポーツ紙記者) これまで夏の甲子園で優勝したことのない東北の、しかも公立農業高校のエース。地元の期待を一身に背負い、この夏は地方大会から決勝まで一度もマウンドを譲ることなく、白球を投げ込んだ。「ナイン全員が秋田出身。全国からエリート選手をかき集める強豪校にはない“雑草魂”も彼らの強さの1つです」(同前) 輝星という名前の由来は「輝く星になってほしいから」。また、シドニー五輪柔道100kg級金メダリストの井上康生氏にもちなんでいるという。甲子園でまさに輝く星となった吉田投手は、2001年、秋田市に生まれた。元高校球児の父親も金足農業でピッチャーを務めており、現在は同校のOB会長だ。梨農家を営む祖父も、やはり同校OBだった。 野球に初めて触れたのは小学1年生のとき。すぐにのめり込み、中学生になると自らランニングを日課にした。 マウンドでは冷静沈着かつ強気な吉田投手だが、野球を離れると意外な一面を見せる。「実は吉田投手はカエルが大の苦手。また、オフの日はスマホ片手に家でゴロゴロしているインドア派だそうです」(地元メディア記者) 白く輝く歯がまぶしい吉田投手だが、あの白さはマウスピースをつけているからだ。「投球時に歯を食いしばるので、奥歯が欠けてしまったことがあるそうです。それがきっかけで、2年生の頃からマウスピースを使うようになりました。試合では規定で白いものしか使いませんが、練習では、ピンクやチームカラーの紫を使うことが多いです」(同前) 吉田投手はさらに意外なエピソードも持っていた。歯を欠いただけでなく、パンツを破いたこともあるというのだ。「吉田投手の下半身は、この春徹底的に鍛え上げられました。そのため、しゃがむたびにパンツが破け、お母さんは何度も買い替えたようです(笑い)」(同前) そうした物語を経て挑んだ甲子園。南神奈川代表・横浜高校との激戦を制した翌日、滋賀代表・近江高校戦での登板を前に、吉田投手は股関節の痛みを訴えていた。「監督は『お前の野球人生はここで終わりではない。よく考えろ』と登板回避を促しました。しかし吉田投手は、決死の覚悟でマウンドを守り抜き、チームを決勝の舞台に導きました」(前出・スポーツ紙記者) その勇姿は、秋田県民だけでなく、多くの日本人の心を動かした。※女性セブン2018年9月6日号
2018.08.23 07:00
女性セブン
沙保里や康生も…小平奈緒は「五輪主将の呪い」払拭できるか
沙保里や康生も…小平奈緒は「五輪主将の呪い」払拭できるか
 目前に迫った平昌五輪(2月9日開幕)。日本人で最も金メダルに近い存在が、スピードスケートの小平奈緒(31)だ。昨年12月のW杯では、1000メートルで世界新をマーク。500メートルでもW杯15連勝中(1月10日時点)である。 まさに死角なしの小平は、JOCから日本選手団の主将に指名され、本人も受諾していると報じられている。しかし、この大役が思わぬ“足枷”となりかねないという声がある。スポーツ紙記者が語る。「冬季五輪主将が金メダルを獲得したことは一度もない。過去には黒岩彰(カルガリー・1988年)、橋本聖子(リレハンメル・1994年)、荻原健司(長野・1998年)など世界トップクラスの選手が主将を務めましたが金には届かなかった」 このジンクスは夏季五輪にも“伝染”しており、古賀稔彦(バルセロナ・1992年)を最後に、以降は6大会連続で金を逃している。2016年リオ五輪主将のレスリング・吉田沙保里は決勝で格下にまさかの敗北、連勝記録も206でストップした。2004年の井上康生、2008年の鈴木桂治も柔道界の大エースながらメダルにも届かなかった。スポーツ評論家の谷口源太郎氏がいう。「主将が日の丸のプレッシャーを最も感じてしまうのは事実でしょう。個人出場の大会ではのびのびと競技に臨めた選手が、マスコミの過剰な報道やファンの期待に押しつぶされてしまうのではないか」 2002年ソルトレイクシティー五輪でスキージャンプ団体ラージヒル5位に終わった原田雅彦は、当時「主将の重圧があった」と吐露した。主将は五輪前のメディア対応も非常に多く、負担が大きいのは間違いない。冬季スポーツに詳しい元北海道新聞記者でジャーナリストの黒田伸氏の話。「冬の競技は一発で決着がつくものが多いため、夏の競技よりも強い精神力が必要だと言われています。小平に金を獲らせるなら主将から降ろしてあげたほうが良いのでは……と思ってしまうほどです。 しかし、ここ数年の小平はオランダ留学などを経てメンタル面で大きく成長している。きっと主将の重圧をはねのけられると思います」「のろい」と言わせない結果が残せるか。※週刊ポスト2018年1月26日号
2018.01.16 11:00
週刊ポスト
香取慎吾がスポーツの表彰式で「運動が苦手で…」
香取慎吾がスポーツの表彰式で「運動が苦手で…」
 アスリートの社会貢献を促進する活動『HEROs AWARD 2017』の表彰式で、審査員を務めた香取慎吾。「ぼくも運動が苦手で、とくに最近踊らなくなったので(笑い)、ゆるスポーツから始めたい」と会場をわかせた。 会場には受賞者として井上康生氏(柔道)、中田英寿氏(サッカー)、プレゼンターとして村田諒太(ボクシング)、大林素子氏(バレーボール)なども登場。■撮影/平野哲郎
2017.12.16 16:00
NEWSポストセブン
世紀の誤審で敗れた篠原信一 「弱いから負けた」発言の真意
世紀の誤審で敗れた篠原信一 「弱いから負けた」発言の真意
 シドニー五輪男子柔道の銀メダリスト・篠原信一(42)が、ここ最近バラエティ番組で引っ張りだこだ。篠原といえば、避けて通れないのが、いわゆる“世紀の誤審”だ。 同五輪男子柔道100キロ超級決勝で、篠原の「内股すかし」が決まった瞬間、目の前の副審が右手を挙げて「一本」と判定したのを見て、思わずガッツポーズをし、ドゥイエ(フランス)は落胆の表情を浮かべた。ところが、主審ともう一人の副審はドゥイエの「有効」と判定。ポイントをリードされて焦った篠原は技をかけきれず、手中にしたはずの金メダルは、その手からこぼれ落ちていった──。 日本柔道の威信をかけた男子柔道最重量級の決勝の舞台で起きたこの誤審事件。山下泰裕監督や斉藤仁コーチの猛抗議にもかかわらず判定は覆らない。表彰台で銀メダルをかけ、うなだれる篠原の姿を見て、日本中が言い知れぬ虚脱感に覆われた。あれから15年。男子柔道日本代表監督も経験した篠原は、あの時のことをどう語るのか。──試合終了後、「弱いから負けた」といいました。篠原「投げた瞬間、僕はガッツポーズして、『よし、一本や』って審判にいったと思うんです。でも、審判は有効のジェスチャーやった。その後、相手と組みながら思うんですよ。“なんで今のが一本やないんや”“あれ、なんで相手のポイントになってるんや”“いやいや、俺の一本でしょ”って。 リードされて焦りました。でも、シドニーで金を取った野村(忠宏)や井上康生やったら、それでも気持ちの切り替えができて、絶対もう一回投げてるんですよ。でも自分はできなかった。そこに弱さがあったんじゃないかなって。 オリンピックには魔物がいるっていいますけど、そんなものはいない。試合当日に強い奴が勝つようになっているんです。“負けた、終わった”という思いだけで、誤審や審判に対する怒りなんて、まったくなかった」──当時、日本人の多くは判定に納得できなかった。篠原「試合直後、山下先生が抗議してくれていたことすら、自分は知らなかったんです。翌々日かな、日本の新聞を見て、“あ、抗議してくれてたんだ”って。僕の目の前で抗議してたかもしれませんけど、その時はまったく目に入ってこなかった。“負けてしまった”──それだけでした、ほんまに」撮影■村上庄吾※週刊ポスト2015年6月19日号
2015.06.08 11:00
週刊ポスト
急逝の斉藤仁氏 相手に配慮し顔を潰すまいと昼から酒席参加
急逝の斉藤仁氏 相手に配慮し顔を潰すまいと昼から酒席参加
 ロサンゼルス、ソウルと2大会連続五輪金メダリストの柔道・斉藤仁氏が1月20日、がん性胸膜炎のため急逝した。享年54。全日本柔道連盟の北田典子理事は早すぎた死を悼む。「オンとオフのメリハリがしっかりしていた人でした。稽古では厳しいが、みんながその人柄を慕っていました。座右の銘は『剛毅木訥(ごうきぼくとつ)仁に近し』。まさにそのものの柔道家でした」 国士舘大時代から常に3歳上の天才・山下泰裕と比較されてきた。その山下との対戦は8戦8敗。203連勝のまま引退した国民栄誉賞の山下に比べ、斉藤の存在はどうしても“二番手”のイメージで地味に映る。 実際は山下に全く引けをとらない柔道の申し子で、テレビドラマの『柔道一直線』を見て柔道を始め、『ミュンヘンへの道』で五輪に目覚めたという、まさに柔道漫画のような人生だった。 関係者によると、一昨年の末頃に肝内胆管がんが発覚。切除不能の診断だったという。治療中に糖尿病や胃炎を患い、昨年末には病状が悪化。最後は手の施しようがなかった。 肝臓の病気はもちろん飲酒の影響が大きい。ある講道館関係者がその一端を明かした。「若い頃から重量級のチャンピオンだけを目指していた斉藤は、体を大きくしたい一心で暴飲暴食して昼寝を繰り返していた。そもそも酒好きなこと、そして人付き合いが非常に良いことから、現役時代も酒席の誘いは決して断わらず、それが体を壊す結果になったのだと思う。山下、斉藤、井上康生の3人が全柔連の将来を背負うと期待されたが、斉藤だけは健康問題が不安視されていた」 一時は昼間から酒席に出ることもあったという。それが身を滅ぼすと警告した人もいたが、付き合いのいい男は、相手の顔を潰すまいとした。 残された長男の一郎君は16歳、次男・立(たつる)君は12歳。とりわけ立君は昨年2月の近畿小学生大会の無差別級で圧倒的な強さを見せて優勝。身長166センチ、体重100キロと、将来の有望株だ。「斉藤さんは息子たちに夢を託そうと、5年前に関西に居を移し、自宅の畳も柔道用にした。病室でも息子たちに打ち込みの稽古をつけ、最後の言葉も“稽古に行け”だったそうです」(全柔連関係者) 不器用だが優しい、最期まで柔道に生きた男が逝った。合掌。※週刊ポスト2015年2月6日号
2015.01.28 16:00
週刊ポスト
「東原亜希はブログに柔道のこと書かないで」と柔道関係者懇願
「東原亜希はブログに柔道のこと書かないで」と柔道関係者懇願
 夏のロンドン五輪で史上初の金メダル「ゼロ」に終わった男子柔道。辞意を表明した篠原信一(39)に代わり、男子日本代表監督にこの度就任が決まったのが2000年のシドニー五輪100キロ級金メダリストの井上康生(34)だ。  運動部記者はこう話す。 「井上は面倒見がよいので後輩からの人望も厚い。もともと、東京も候補地になっている2020年へ向けて登板の予定だったのですが、今回の惨敗を受けて4年繰り上がったという形です。既にコーチを階級ごとにつけるという、これまでの柔道界になかった発想も柔軟にとりいれていて、これからが期待されています」  一方、このニュースを暗澹たる想いで受け止めているのが全国のネットユーザーたち。というのも、井上の妻、東原亜希(30)のブログは、書かれたものによからぬことが起きる「デスブログ」として知られており、今回のニュースにも、 「デスブログに柔道の話題がでないことを祈る」「奥さんのブログには細心の注意を払ってください」  と、ものすごい心配のされようなのだ。ちなみに、このブログの「伝説」をざっと紹介すると、 ●スカイツリーについて言及→スカイツリーのエレベーター強風で停止●小倉優子への応援メッセージを載せる→焼肉小倉優子でボヤ騒ぎ●子供が夜中にブランコで遊びだすのが恐いと記述→中日ドラゴンズの“ブランコ”骨折で全治2か月●パンダの育児放棄について触れ、子供たちが8時半に寝たと記述→翌朝8時半にパンダの赤ちゃん永眠●娘がスギちゃんのまねをすると報告→スギちゃん骨折で全治3か月 などと枚挙に暇がない。こうした数々の「伝説」は当然柔道関係者の耳にも届いている。 「関係者から『頼むから柔道に関することは書かないで』という声が上がっており、そのことは旦那を通じて東原にも伝わっているはずです」(スポーツ紙デスク)※週刊ポスト2012年11月23日号
2012.11.13 07:00
週刊ポスト
柔道・篠原信一監督「へらへら笑い平岡の銀茶化す」との証言
柔道・篠原信一監督「へらへら笑い平岡の銀茶化す」との証言
 ロンドン五輪で惨憺たる結果となった柔道ニッポン。競技4日目には、全日本チームは選手に対し箝口令を敷いた。 この日まで金メダルが1個という惨敗を受けて、報道陣に批判の矛先を向けられないよう、まずは選手の口を封じたのだ。「選手や所属先の関係者は、不甲斐ない結果に落胆している。それと同時に全日本チームの首脳陣に対し不満を抱えていますね。正直、監督と強化委員長には辞めてもらいたいと皆が思っている。この2人がいる限り、柔道界の体質は変わらない」(実業団チームの関係者) ロンドンの地で瓦解した日本柔道を象徴するエピソードがある。 大会初日に平岡拓晃が表彰台に上がったそのとき、男子監督の篠原信一および全日本柔道連盟(以下、全柔連)強化委員長の吉村和郎の姿は、会場にはなかった。60キロ級決勝で敗れた平岡に対し、健闘をたたえる言葉をかけることなく、彼らは帰路についていたのだ。 これは平岡に限った話ではない。大会期間中、全柔連の首脳陣は日本選手が敗れ去ると、表彰式を見届けることなく、そうそうに会場をあとにしていた。 どこの世界に、五輪でメダルを獲得した教え子をほったらかしにし、労いの言葉ひとつかけないスポーツ指導者がいるだろうか。全柔連関係者が証言する。「これほど五輪メダリストを愚弄する行為はない。まして篠原は、誤審騒動はあったにせよ、12年前のシドニー五輪で銀メダルに終わり、決勝で敗れる屈辱を誰より知っている人間です。それなのに平岡に声をかけたのは翌朝。しかも、へらへらと笑いながら銀メダルを茶化していたそうです」 吉村にしても、5月の全日本選抜体重別選手権後、代表に決定した平岡の名を呼ぶときに「ひろあき」の名が読めなかった。4年前の北京五輪でも代表に選出され、2008年から選抜体重別を5連覇している日本王者の名を、強化を司る吉村が正確に把握していなかったのである。 原稿執筆時点(8月1日)で、日本柔道が獲得したメダルは金1銀2銅3だ。2004年アテネ五輪で金メダル8個(銀2)、2008年北京五輪では金4個(銀1銅2)を獲得したことを考えれば、惨敗といえる。 北京五輪後、日本男子柔道の監督に就任したのが篠原だった。本来ならば、8年間続いた斉藤仁前監督時代からコーチで入閣していた岡田弘隆の就任が既定路線だった。しかし北京で金メダルを獲得した内柴正人と石井慧以外の男子選手が不調に終わった責任をとらされる形で、それまでコーチ経験のない篠原が就任した。この人事を推し進めたのが、強化委員長の吉村だった。全柔連関係者が言う。「吉村先生は、全柔連の上層部に対しても歯に衣着せぬ発言をする岡田さんではなく、意のまま操ることのできる子飼いの篠原を監督に据えたわけです」 2009年のロッテルダム世界選手権において、男子は金メダルがひとつも獲得できず、2011年パリ世界選手権でも、2個に終わった。それでもサッカーなどとは違い、いくら成績が不振でも監督の責任問題に発展することはない。実業団の柔道部監督が明かす。「現在の全日本チームには長期的なビジョンがない。国際大会で負けたら『気合いが足りない』と根性論を持ち出し、合宿中も『アホ、ボケ』と選手のケツをたたくだけです。乱取りにしても、ひたすら数をこなすだけで、階級ごとに、海外選手を研究し、対策を練るようなことはしない。選手から信頼の厚いコーチの井上康生などは、監督らとの板挟みにあいながら、選手と外国人対策を練っていたようですが、ひとりの力だけでは限界がある」■現地取材・文/柳川悠二(ノンフィクションライター)※週刊ポスト2012年8月17・24日号
2012.08.06 16:00
週刊ポスト
パンダの赤ちゃんも?東原亜希「デスブログ」の恐るべき魔力
パンダの赤ちゃんも?東原亜希「デスブログ」の恐るべき魔力
『メルマガNEWSポストセブン』では、『ウェブはバカと暇人のもの』の著者としても知られるネット編集者の中川淳一郎氏が、その週にネットで話題になったニュースのツボを解説している。7月13日配信の23号でも、「変態番付に新外国人力士登場『女性に嘔吐見られるの楽しみ』と吐く中国人登場」「生活保護問題を個人攻撃にすり替えることに反対する広告が毎日新聞に掲載」「大津市中学生自殺に関連し『チャリで来た』の元少年がとばっちり」 など、その週にネット上で起きた様々な事件を紹介しているこのコーナー。なかでも今週「もっともネット的」とでもいうべきネタが、「上野のパンダの赤ちゃん死亡で東原亜希の『デスブログ』発動」という事件だ。 * * * 上野のパンダの赤ちゃんが11日午前8時30分に死んでしまいました。パンダ好きの私としては実に悲しいことではありますが、初産のパンダの場合、6~7割は死ぬという話もあるようですので、上野動物園に「ケアが悪い!」「人間が育てればよかったのだ!」などとクレームを殺到させた方には冷静になっていただきたいと願う次第であります。 さて、今回の件においては、毎度おなじみ「放射線の影響でパンダが死んだ!」と書くバカな“放射脳”の皆さんがネット上に湧いたことはさておき、今回もタレント・東原亜希の「デスブログ」が発動されたことがネット的には重要といえるかもしれません。 東原さんの「デスブログ」とは、漫画『デスノート』のように、そこに書かれた人が死ぬ(ひどい目に遭う)ことを意味するわけですが、これまでにかなりの不幸を事前に的中させてきました。以下、いくつか紹介しましょう。これまでに2ちゃんねるを中心にまとめられたものをコピペします。・世界中でほぼ敵なし状態であった井上康生と付き合うも直後アテネオリンピック四回戦敗退・デスブログに「うまい棒」の話題→うまい棒工場延焼・井上康生と東原亜希が帝国ホテルで結婚披露宴を行うとの発表→帝国ホテルで火災発生・細木数子「あんたは他人の運気を吸い取る女だから気をつけなさい」→細木和子全番組降板・甲子園「決勝では常葉菊川を応援します」 →大阪桐蔭17-0常葉菊川・マラソン野口みずきを激励→故障で北京欠場 あと、鶴岡八幡宮に参拝し、ギンナンを食べたかったなどと書いた後に鎌倉幕府三代将軍・実朝を殺した公暁(くぎょう)が隠れていたとされる、由緒正しき巨大イチョウの木が倒れた時はけっこう驚きました。 そんな東原さんですが、「パンダでも育児放棄するんだと思うとちょっと励まされるよね。。。」と10日の21時36分にブログで書き、さらに「寝た寝た~こどもたち寝ると本当にほっとする!! 今日は8時30に2人とも爆睡★」とも書いていたのですが、これがパンダの赤ちゃんの死亡時刻の8時30分と合致、と仰天されました。 もちろん、何でも問題に絡めることは可能ではあるものの、東原さんの場合はこれによってネット界ではもはや叩かれもしない「神」的ポジションを獲得したので、実はおいしいのでは、と思っております。※参考ページ・寝たよん『ひがしはらですが?』※メルマガNEWSポストセブン23号
2012.07.14 07:00
NEWSポストセブン
NHK有働アナ 星野仙一氏、井上康生氏らとも交際の噂あった
NHK有働アナ 星野仙一氏、井上康生氏らとも交際の噂あった
 朝の情報番組『あさイチ』(NHK)でのセックスレス特集で話題の有働由美子アナ(42)だが、2000年9月には、当時横浜ベイスターズの石井琢朗選手(41)との熱愛が報じられ、大騒動となったこともあった。「石井選手は当時、元アイドルと離婚したばかり。しかも、有働アナが巻き髪のカツラをかぶってサングラスまでかけて変装したうえに、合鍵を手にして石井選手の自宅にはいっていく様子を撮られてしまったんです。さらにその後、元アイドルの父親が、離婚の原因は有働さんだといい出したから大騒ぎになりました」(スポーツ紙記者) 初めてのスキャンダルが引き起こした大騒動。しかし、このころから有働に変化が起きたとNHKの関係者はいう。「当時はまだ若く、公私ともに女を武器にすることもありましたが、石井選手との不倫騒動以降、随分とサバサバしたキャラになったんです。開き直ったという感じだったのでしょうか(笑い)」 騒動があったにもかかわらず、その年から3年連続で紅白歌合戦の紅組司会に選ばれる。大抜擢だった。そしてこれで、名実ともにNHKの顔となった。 しかし、石井選手以降、星野仙一氏(64)や電通社員、井上康生氏(33)、和田アキ子(61)の元付き人の公認会計士など交際が噂されるものの、結婚に至ることはなかった。「彼女は結婚願望が弱かったわけでは決してありません。むしろ結婚に対しては意欲的でした。でも、仕事のできる女性にありがちな、大きな仕事と恋愛のピークがなぜか重なり、その度に悩んだあげく恋を捨て仕事を選んできたんです。けれど、その選択に自分で落ちこむんですよね」(有働の知人) そんな有働を変えたのは2007年6月、38才でのアメリカ総局(ニューヨーク)への異動だった。 入局当初からの希望だったが、NHK初となるアナウンサー職のままでの特派員が誕生することとなった。 しかし、行ってみると、そこは思いも寄らない日々の連続だった。日本でなら知らない人はいないNHKの名前も、「有働由美子」の名前も、赴任先のニューヨークでは通用しない。「とにかく自分の魅力や熱意を伝えない限り、相手は応えてくれません。中身だけが問われました。ありのままの自分で思いを伝えること。38才のあの日に有働さんは変わったんだと思います」(テレビ局関係者) ストレスから500円玉大のハゲをつくったこともあったが、その毎日がオープンな有働を作った。※女性セブン2011年11月10日号
2011.10.30 07:00
女性セブン

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