加山雄三一覧

【加山雄三】に関するニュースを集めたページです。

様々な「バカ」について話した
毒蝮×木久扇対談「タチが悪いのは自分を上等に見せようとする利口バカ」
“おバカキャラ”で『笑点』の大喜利コーナーを沸かせる落語家・林家木久扇(84)。「バカになるほど愛される」という人生の本質を見つけた木久扇が、その生き方をまとめたエッセイ『バカのすすめ』(ダイヤモンド社)を3月に上梓した。それを記念し、木久扇の「バカの魅力」を知る旧知の俳優でタレントの毒蝮三太夫(85)との対談が実現。偉大なるバカの先達から人生が楽になる秘訣まで、存分に語り合った。【全3回の第2回。第1回から読む】 * * *毒蝮:立川談志と木久ちゃんは、噺家としてぜんぜんタイプが違うけど、なんでウマが合ったのか、そこが不思議だね。木久扇:ぼくが前座だった頃、夏の日に上野の鈴本演芸場の楽屋に行ったら、談志さんがいたんです。当時はまだ二つ目の柳家小ゑんさんでした。毒蝮:俺の結婚式の司会をしてくれた頃だ。木久扇:高座から降りてきた談志さんが、「暑いな。こういう日は高座に上がったあとに風呂に行くといいんだよな」って言ってる。ぼくは自分が使うつもりでお風呂道具を一式持ってたんです。それを「どうぞ」って渡したら、「おまえすげえな!」って喜んでくれて。それからキャバレーで仕事の時とか、鞄持ちで連れて行ってくれました。毒蝮:風呂道具の話は初めて聞いた。それは気が利くよ。気がキクちゃんだ。あいつの高座も好きだったの?木久扇:談志さんは、いつも難しい噺ばっかりやるんですよね。上手いんだろうけど、あんまりよく聞いてませんでした。ぼくは「山のアナアナ」の三遊亭圓歌さんや、先代の林家三平さんみたいなわかりやすい噺家が好きなんです。毒蝮:そりゃいいや。俺もあいつが二つ目の頃、当時やってた劇団の仲間と5人で海水浴に行った帰りに、横浜の相鉄演芸場に談志が出てるってんで、みんなで寄ったことがある。タダで入れてくれたんだけど、いちばん前で並んで座って、そのときも難しい噺をやってたな。こっちは海水浴帰りだから、みんなグーグー寝ちゃったんだよね。あとから「お前ら、いいかげんにしろ」って怒ってたけど、「寝られるぐらいいい話だったんだよ」って言ってやった。木久扇:落語の話は、談志さんとはした覚えがないですね。「お前はバカだから」って言われて。独演会のときも、開演前に差し入れだけして噺は聞かずに帰ってました。毒蝮:だけど、談志はそんな木久ちゃんが大好きだった。木久ちゃんだって、談志が好きだったわけだよね。木久扇:ぼくは、世間の物差しで測れない人が大好きなんです。横山やすしさんとも仲良しでした。人が思っていることじゃなくて、どっか違うことをやるような。毒蝮:談志も木久ちゃんも、自分にないものを持っている同士で惹かれ合ったんだろうね。俺もそうだったのかな。仲は良かったけど、芸談は一度もしたことない。木久扇:そういうのは得意な方や好きな方が、ほかにたくさんいらっしゃいますから。毒蝮:そうなんだよ。タチが悪いのは、自分を上等に見せようとする利口バカだ。バカの道を堂々と歩んでいる木久ちゃんと比べると、そいつらの薄っぺらさが際立つね。木久扇:噺家の先輩で尊敬すべきバカといえば、やっぱり先代の林家三平さんですね。バーで飲んでるときも、ずっとあの調子で、「たいへんなんスから、もう」ってやってる。怒ったのは見たことない。毒蝮:歌手の戸川昌子さんがやってた「青い部屋」ってバーが青山にあってさ。談志が俺を連れて行ったの。そしたらカウンターで俳優の森雅之さんがひとりで飲んでた。『羅生門』や『浮雲』に出てた二枚目の名優だ。いい格好だよね。そこに三平さんがすっと寄って行って、「こんばんは、加山雄三です」って。木久扇:森さんは困ったでしょうね。どう反応していいかわからない。毒蝮:でも三平さんは、また帰りがけに「どうもすいません、加山雄三です」ってやってた。バカを演じ切る人だったね。木久扇:談志さんが毎晩通ってた銀座の「美弥」でも、いろんな方にお会いしました。毒蝮:別名「夜の連絡事務所」ね。芸人もいっぱい来たし、俳優や政治家もいた。紀伊國屋書店の創業者の田辺茂一さんには、ずいぶんごちそうしてもらったな。いつもくだらねえダジャレ言ってた。北陸の温泉でマッサージ呼んだら、端ばっかり揉んでる。「肩もやってくれ」と言ったら「ここは肩揉まず(片山津)です」とか、そういうの。木久扇:月の家円鏡さん(のちの橘家圓蔵)と銀座のクラブに行ったら、田辺さんがいらして同じ席で飲んだんです。田辺さんがダジャレばっかり言ってるもんだから、円鏡さんが頭に来て、田辺さんがよそ見をしてるスキに、レミーマルタンかなんか高いお酒が入ったグラスを取って、横にあった植木の鉢にぶちまけちゃった。毒蝮:植木を酔っぱらわせちゃったわけだ。俺は「美弥」で、円鏡さんが田辺さんの頭から水割りをぶちまけて、びしょびしょにしてる場面を目撃したことがある。田辺さんはニコニコしながら「気が済みましたか」って言ってた。木久扇:蝮さんやぼくがお付き合いしてきた噺家さんたちは、みんなハチャメチャでしたね。毒蝮:花見に行ったら、誰かが酒の四合瓶にしょんべんして、それを別のヤツが間違えて飲んじゃった。「誰だこんなとこにしょんべん置いたのは!」って怒ったら、入れたやつが「俺も飲むからいいじゃないか」ってグーっと飲んじゃった。「これでおあいこだ」なんて言ってる。そんな連中だったからね。木久扇:噺家の世界も、今は学校の教室みたいになっちゃった。入りたての新人でも、ソツがなくて、失敗しない。もっとバカにならないと。毒蝮:バカは迷惑なところもあるんだけど、すごく魅力的でもあるよね。木久扇:この頃の若い人は、バカにならないようにしよう、人からバカにされないようにしようと一生懸命になってるように見えます。それだと自分もつらくなるし、人も寄ってこない。毎日がつまんなくなっちゃう。(第3回につづく)【聞き手・構成】石原壮一郎(いしはら・そういちろう)/1963年、三重県生まれ。コラムニスト。『大人養成講座』『大人力検定』など著書多数。林家木久扇著『バカのすすめ』の構成を担当した。※週刊ポスト2022年4月8・15日号
2022.04.06 07:00
週刊ポスト
作詞家・岩谷時子の軌跡 越路吹雪を失った心の穴を埋めたミュージカルの世界
作詞家・岩谷時子の軌跡 越路吹雪を失った心の穴を埋めたミュージカルの世界
『愛の讃歌』(越路吹雪)、『男の子女の子』(郷ひろみ)など、数々のヒット曲を世に送り出した作詞家・岩谷時子(享年97)。どのような思いを詞に込めていたのだろうか。『愛の讃歌』を手がけてから70年目を迎えるいま、彼女と親しかった人々の話から探ってみよう。(本文中一部敬称略)【全3回の第3回】越路吹雪の結婚後、ヒット作を連発 1951年に宝塚歌劇団から東宝へ移籍した越路吹雪(享年56)。岩谷時子はそのマネジャーとして行動をともにしていた。そして、越路が出演した舞台『モルガンお雪』の劇中で歌った英語の歌『ビギン・ザ・ビギン』を日本語に訳したことをきっかけに、岩谷は作詞家として歩み始める。 人気作詞家となっても、岩谷は越路吹雪のマネジャーを辞めてはいない。越路は1959年、5才年下の作曲家・内藤法美さん(享年58)と結婚するが、それでも岩谷は越路を献身的に支え続けていく。 岩谷作詞の『いいじゃないの幸せならば』が大ヒットした歌手の佐良直美さんは、忘れられない光景があるという。「何かの歌番組で越路さんとご一緒したとき、越路さんは、『どうしよう〜、どうしよう〜』と、とっても緊張していたんです。すでに越路さんは大スターでしたが、あんな大物でも緊張するんだなぁと思った覚えがあります。そのとき岩谷先生は、『コーちゃん、大丈夫よ』と、越路さんの背中をさすってあげていました」(佐良さん) マネジャーとして活動する一方、岩谷の作詞家としての仕事は多忙を極め、数多くの恋の歌を生み出していく。 岩谷が作詞を手がけた『ひとりにしないで』『逢いたくて逢いたくて』などのヒット曲を持つ園まりは、岩谷の歌詞の世界を次のように話す。「『逢いたくて逢いたくて』は片思いの曲ですが、これを歌ったとき、私ははたちそこそこで、恋愛経験がなかったんです。片思いすら、どんなものか理解できないほど奥手でした。 作曲された宮川(泰)先生から『もっとセクシーに歌うように』と言われ、手ほどきを受けて、色っぽく歌うようにしていたので、最初は男性からの人気が高かったんです。 ただその後、ある映画で共演した俳優さんに片思いして、ようやく歌詞の意味が理解できるようになりました。 恋を知ってからは、歌番組の収録で『逢いたくて逢いたくて』を歌うと“わあ〜っ”と涙があふれてきて。感情と歌詞の世界観が見事にマッチしてからは、女性ファンが増えたんです。新たな私の一面を岩谷先生に教えていただいた感じです」 岩谷の作詞で新たな一面や魅力を引き出された歌手は多いが、加山雄三もその1人だと音楽ディレクターで『岩谷時子音楽文化振興財団』の理事を務める草野浩二さんは言う。「岩谷先生と出会う前、加山は英語の歌を歌っていました。それを『日本語の歌を歌った方がいいわよ』と、背中を押したのが岩谷先生でした。 加山と岩谷先生は、直接やりとりしているわけではなく、加山が作った曲を吹き込んだカセットテープを岩谷先生に渡すだけ。それなのに、加山が思い描いたイメージとぴったりの詞がすぐに返ってくる。加山はそれに毎回びっくりしていましたね」母の認知症、そして越路の死 岩谷は生涯独身を貫き、その半生を越路に捧げているが、50代半ばを過ぎた頃に、一緒に暮らしてきた母が認知症を発症。母の介護をしながら、郷ひろみなど人気歌手の歌詞を書き続けている中、母は食事をのどに詰まらせ80才で他界した。 その後、最愛の越路を悲劇が襲う。胃がんを発病したのだ。病名は越路には知らされず、岩谷は病気のことを彼女の親族から聞かされたという。 このときのエピソードをドラマで岩谷を演じた俳優の竹下景子は、次のように語る。「病気になっても越路さんはたばこや睡眠薬をやめなかった。だから岩谷さんは、自分が厳しくしなくては!と、なんとかたばこをやめさせようとします。厳しい物言いをしてでも、なんとかして越路さんを守りたかったんでしょうね」(竹下・以下同) しかし、すでに越路のがんは末期の状態で、1980年11月7日、56才でこの世を去ってしまう。 このときのことはドラマ『ごめんねコーちゃん』(1990年)でも描かれた。竹下には思い出深いシーンがあるという。「越路さんのご葬儀のとき、晩秋の寒いときだったにもかかわらず、岩谷さんはコートも着ないで、最後の1人までお見送りされたことが印象に残っています。あれだけたくさんの曲を作られたのに、作詞家というよりも、越路さんのマネジャーとしての使命をずっと持っておられたことは役を演じていて伝わってきましたね」 最後までマネジャーに徹していた岩谷だが、決して報酬は受け取らなかったという。傷心を乗り越え、ミュージカルの世界へ 越路を失った心の穴を埋められずにいた岩谷に、新たな世界が訪れる。音楽評論家の田家秀樹さんはこう話す。「それはミュージカルの世界です。特に1985年にロンドンで上演された『レ・ミゼラブル』の音源に心を揺さぶられ、再び訳詞の仕事へと没頭するようになったのです。ぼくが岩谷さんを取材していて驚いたのは、その創作意欲。『レ・ミゼラブル』などの訳詞を精力的に手がけられたのは、70才くらいですが、稽古場に泊まり込んで、納得するまで訳詞に取り組むと聞いて“いつまででも現役でいられるんだ”と、勇気付けられたことを思い出します」 ミュージカルで活躍していた本田美奈子.さん(享年38)を岩谷はことのほかかわいがっていたという。「本田さんはピュアで努力家。その姿が越路さんと重なったのでしょう。本田さんも岩谷さんのことを“お母さん”と慕っていました。彼女が歌う『アメイジング・グレイス』も岩谷さんの訳詞。本田さんが白血病で亡くなる直前までICレコーダーでメッセージのやりとりをしていました」(田家さん・以下同) 80才を過ぎ、車いすを使うようになっても、創作意欲は衰えることがなかった。「岩谷さんは帝国ホテルのスイートルームで暮らしていました。食事はルームサービス。隣に24時間対応の介護をされるかたがいらっしゃるようになっても、机の上にはペンと原稿用紙がありました。いつでも詞を書けるようにしていたんです」 岩谷は美しい言葉にこだわっていた。エッセイでも《正しい日本語の使い方も、所詮その人の優しさから生まれるもの》と記している。「いまから20年前でしょうか、新潟で『越路吹雪』という日本酒を見つけたので、岩谷先生にお送りしたら、先生からお礼のお電話をいただいたんです。そのとき、『この前、電車で女子高生がオレだのお前だの言っているのよ』と嘆いていた。言葉を大切にされた先生らしいなと思いましたね」(佐良さん) 美しい言葉を巧みに使い、男女の情愛を生み出してきた岩谷。その歌の物語は彼女の経験によるものなのだろうか。田家さんは次のように語る。「どうして、こんなにいろんな男女の情愛を描くことができるのかと、以前、質問したことがあるんです。そのとき岩谷さんは、『現実の世界で恋をしてこなかったから。現実の恋愛はしんどいことが多い。だからこそ、よその人の恋を見て、それを想像して詞を作る方が楽しい。私は歌の中でたくさん恋をしてきましたから』と、おっしゃっていました。 リアルな恋をしてこなかったからこそ恋に憧れがあって、美しい男女の愛の物語が描けたのかもしれませんね」 彼女はエッセイでも《ふたりで燃えつきるほどの恋を知らないかわり、私は、ひとりでいつも誰かを愛している》と綴っている。 自らが憧れ、思いを膨らませた普遍的な愛の物語だった。だからこそ、岩谷の歌詞はいつの時代も私たちの心に刻まれていくのだろう。【プロフィール】岩谷時子/1916年3月28日、京城(現韓国・ソウル)生まれ。本名・岩谷トキ子。神戸女学院大学部英文科卒。1939年に宝塚歌劇団出版部に入り、越路吹雪と出会い、のちにマネジャーとなる。戦後、東宝文芸部を経てフリーに。作詞家として活動を始める。越路吹雪が歌う『愛の讃歌』『ラストダンスは私に』などの訳詞、ザ・ピーナッツの『ふりむかないで』、加山雄三の『君といつまでも』、郷ひろみの『男の子女の子』など、手がけた作品は数千に上る。2013年10月25日、97才で没。音楽ディレクター・草野浩二さん(84才)/東京芝浦電気レコード入社とともに、事業部・制作ディレクターとなり、岩谷と『夜明けの唄』などのヒットを世に送り出す。「岩谷時子音楽文化振興財団」の理事に就任し、「岩谷時子メモリアルコンサート?〜Forever〜」の企画に携わる。歌手・佐良直美さん(77才)/1967年、歌手デビュー。デビュー曲『世界は二人のために』が120万枚の大ヒットを記録する。1969年に、岩谷作詞の『いいじゃないの幸せならば』で日本レコード大賞を受賞。現在は、栃木県那須塩原市で家庭犬のしつけ教室『アニマル ファンスィアーズ クラブ』を主宰。歌手・俳優/園まりさん(77才)/1962年、『鍛冶屋のルンバ』でレコードデビュー。1966年に、岩谷作詞の『逢いたくて逢いたくて』が空前の大ヒットとなる。最近は、テレビの歌番組のほか、ライブ活動や映画のトークイベントなどにも出演している。俳優・竹下景子さん(68才)/1973年、NHK銀河テレビ小説『波の塔』でデビュー。1990年、コーちゃんこと越路吹雪との出会いと別れを描いた『ごめんねコーちゃん・越路吹雪と岩谷時子の二人三脚の人生』(NHK)で岩谷時子役を演じる。2021年、NHK連続テレビ小説『おかえりモネ』では語りなどを務める。現在は『新日曜名作座』(NHKラジオ第1)にレギュラー出演中。音楽評論家・田家秀樹さん(75才)/若者雑誌編集長を経て、音楽評論家、ノンフィクション作家、放送作家、音楽番組パーソナリティーとして活躍。2006年4月から毎日新聞にて連載『岩谷時子・愛の名曲物語』を開始し、岩谷を取材。著書に『歌に恋して—評伝・岩谷時子物語』(ランダムハウス講談社)がある。取材・文/廉屋友美乃※女性セブン2022年3月3日号
2022.02.22 07:00
女性セブン
本誌写真部
『愛の讃歌』から70年目 女性作詞家の草分け・岩谷時子の足取りをたどる
『愛の讃歌』(越路吹雪)、『男の子女の子』(郷ひろみ)など、数々のヒット曲を世に送り出した作詞家・岩谷時子(享年97)。どのような思いを詞に込めていたのだろうか。『愛の讃歌』を手がけてから70年目を迎えるいま、彼女と親しかった人々の話から探ってみよう。(本文中一部敬称略)【全3回の第1回】謎のベールに包まれた岩谷時子の「本心」 女性作詞家の草分け的な存在である岩谷時子。作詞家として活躍していた彼女にはもう1つの顔があった。それは、シャンソン歌手・越路吹雪(享年56)のマネジャーを務めていたことだ。 当時をよく知る音楽ディレクターで『岩谷時子音楽文化振興財団』の理事を務める草野浩二さんは、次のように語る。「岩谷先生は女学校の先生みたいでしたね。下ネタは一切ダメ。とにかくまじめなかたでした」 NHKドラマスペシャル『ごめんねコーちゃん』(1990年)で、岩谷時子役を演じた俳優の竹下景子も、草野さんと同様の印象を持っている。「とにかく楚々としている印象です。撮影前にお会いしたときは、私が演じることをとても喜んでくださっていてうれしかったですね。 岩谷さんはご自身のことを積極的に話されるタイプではなく、表に出ることも好まれなかったようです。私にも『これが最後の一冊なの』と、ドラマの原作となったご自身のエッセイをくださいました。きっと“これを読んで、いろいろと察してくださいね”ということだったんだと思います」(竹下) 2人が語るように岩谷と接した人は、誰もが「聖女を絵に描いたような女性」という印象を持ったようだが、詞の世界では見事に男女の心の機微を描き分けていた。「シャンソン歌手の岸洋子さん(享年57)の『夜明けのうた』という曲があります。これは、もともと坂本九さん(享年43)が歌っていた『夜明けの唄』のカバーで、いずれも岩谷先生の作詞です。一人称の“僕”を“あたし”に変えているだけで、ほかはまったく同じ。なのに、坂本九さんの歌は勤労学生の応援歌で、岸洋子さんはラブソング。まったく印象が違うのがいまも不思議に思います」(草野さん・以下同) ドキリとするような男女の情愛を見事に描いた曲もある。歌手で女優の沢たまきさん(享年66)の『ベッドで煙草を吸わないで』1966年)がまさにそれだ。この曲で岩谷は、ベッドの上でたばこを吸おうとする恋人に、火を消してほしいと願う女性を描いている。「まったく性的なにおいを感じさせない岩谷先生に、どうしてセックスが終わった後の男女の情景が描けたのか不思議に思い、聞いてみたことがあるんです。 すると先生は、『ホテルに泊まると、よく“ベッドの上でたばこを吸わないでください”って書いてあるじゃない? あれよ〜』と、はぐらかすように話されて……。なぜあのような男女の情愛を思い起こさせる詞が書けたのか、いまだに謎です」 表舞台にほとんど顔を出さず、インタビューも数少ない彼女だが、どのような人生を送っていたのか。残された資料と親しい人の証言をもとに、少女時代からその足取りを追ってみよう。初恋の相手は歌劇のスターだった!? 商社に勤めていた岩谷謙三と、朝鮮総督府・京畿道長(キョンギド)官を務めていた政治家・檜垣直右(ひがきなおすけ)の娘である秋子の間に生まれた岩谷は、生まれてから5才まで、京城(キョンソン、現在のソウル)で育つ。 5才のとき、父の仕事の関係で兵庫県西宮市に引っ越した彼女は、小学生の頃から宝塚歌劇に夢中になっていく。 当時の様子を、岩谷に取材したことのある音楽評論家の田家秀樹さんはこう振り返る。「岩谷さんを宝塚歌劇に連れて行ったのは、母の秋子さんです。幼い頃から歌劇の舞台に触れ、彼女は熱心なファンになったのです」(田家さん・以下同) 当時の岩谷には、こんな印象的な出会いもあった。宝塚歌劇の観劇後には決まって宝塚新温泉に立ち寄っていた彼女だが、そのとき宝塚のスターたちと遭遇していたことを、エッセイ『愛と哀しみのルフラン』(講談社)に記しているのだ。《嘘のような話だが、当時、私たちが入る納涼台のそばの新温泉浴場へ、身体の空いた生徒さんも入りに来た。スターの有明月子さんが、お風呂上りに鏡に向い、ゆったりと下の方で結んだお下げ髪のその後ろ姿が、絵のように美しかったのを覚えている》 彼女が当時、熱を上げていたのは、有明月子や嵯峨あきら(いずれも没年不明)だった。「嵯峨さんが九州出身で、“おっちん”という愛称であることを知った彼女は、せっせとファンレターを書きます。返事は来ませんでしたが、《このはかない初恋(?)から宝塚との縁が始まった》と、エッセイにも記していますが、宝塚歌劇で情操教育を受けた彼女は、文学少女として育っていったのです」 岩谷の感性を豊かにしたのは、宝塚歌劇のほか、家庭の影響も大きかった。「彼女の両親は仲がよく、家でもデュエットをしていたようです。父親は東京・浅草で行われていたオペラによく通い、喜劇的な歌を好んでいて、家でもその日のおかずを、『今日もコロッケ♪、明日もコロッケ♪』などと、即興で曲を作り、母と一緒に歌っていた。 そんな明るく平和な家庭で育ったことで、自然と音楽の感性が磨かれたようです」ライターとして宝塚歌劇団へ 岩谷は、西宮市立西宮高等女学校(現・西宮市立西宮高等学校)を経て、神戸女学院大学部英文科(当時)に進学。父は貯金を取り崩して、娘の学費に充てたという。この頃から岩谷は宝塚歌劇を見るだけでは飽き足りなくなっていく。「宝塚歌劇団の出版部が発行している『歌劇』や『宝塚グラフ』に、自らが書いた詩や短文、小説をコツコツと投稿していました」 そんな岩谷のもとに、1939年の秋、宝塚歌劇団の出版部から封書が届く。「岩谷さんの投稿が目に留まり、編集の仕事をしないかと誘いを受けたのです。そうして宝塚歌劇団の出版部に入ることになるのです」 出版部では宝塚歌劇団のスターのインタビューなどをしていたが、ここで、その後の人生を捧げる人と出会う。コーちゃんとの運命の出会い 岩谷が宝塚歌劇団の出版部に入ったのと同じ1939年、越路吹雪が宝塚歌劇の初舞台を踏む。越路はのちに日本を代表する舞台女優、シャンソン歌手として活躍するが、彼女もまた、岩谷との出会いで人生が大きく変わっていく。「2人が出会ったのは岩谷さんが新米編集者、越路さんが初舞台を終えたばかりの新人の頃。越路さんは稽古の合間、岩谷さんの仕事場によく顔を出しては、本を借りたりしていたようです。岩谷さんの方が8才年上ではあるものの、意気投合した2人は同級生のような間柄でした。岩谷さんは、越路さんの本名・河野美保子から“コーちゃん”と呼んでいました」 折しも時世は太平洋戦争が激化し、戦況は悪化。宝塚歌劇団が得意としていたジャズやレビューは“敵性音楽”とみなされ、公演は軍国主義の色が濃いものになっていく。やがて岩谷が編集していた雑誌にも変化が表れる。「戦時中、取り扱えるものがどんどん減ってしまい、雑誌にも余白が増えていきました。物がない時代ですから、『紙を無駄にするな』と上から言われ、あの頃の岩谷さんは、その余白に詩を書いていたそうです」 それが作詞家・岩谷時子の原点になっていく。 1944年、ついに宝塚大劇場は閉鎖され、宝塚歌劇団の団員たちは実家に帰り、離れ離れになってしまう。 そんな中、長野県出身の越路は岩谷の実家に身を寄せ、本当の家族のように暮らしていた。そして敗戦の報を聞くと、岩谷は越路のマネジャーとして活動するようになる。(第2回につづく)【プロフィール】岩谷時子/1916年3月28日、京城(現韓国・ソウル)生まれ。本名・岩谷トキ子。神戸女学院大学部英文科卒。1939年に宝塚歌劇団出版部に入り、越路吹雪と出会い、のちにマネジャーとなる。戦後、東宝文芸部を経てフリーに。作詞家として活動を始める。越路吹雪が歌う『愛の讃歌』『ラストダンスは私に』などの訳詞、ザ・ピーナッツの『ふりむかないで』、加山雄三の『君といつまでも』、郷ひろみの『男の子女の子』など、手がけた作品は数千に上る。2013年10月25日、97才で没。音楽ディレクター・草野浩二さん(84才)/東京芝浦電気レコード入社とともに、事業部・制作ディレクターとなり、岩谷と『夜明けの唄』などのヒットを世に送り出す。「岩谷時子音楽文化振興財団」の理事に就任し、「岩谷時子メモリアルコンサート?〜Forever〜」の企画に携わる。俳優・竹下景子さん(68才)/1973年、NHK銀河テレビ小説『波の塔』でデビュー。1990年、コーちゃんこと越路吹雪との出会いと別れを描いた『ごめんねコーちゃん・越路吹雪と岩谷時子の二人三脚の人生』(NHK)で岩谷時子役を演じる。2021年、NHK連続テレビ小説『おかえりモネ』では語りなどを務める。現在は『新日曜名作座』(NHKラジオ第1)にレギュラー出演中。音楽評論家・田家秀樹さん(75才)/若者雑誌編集長を経て、音楽評論家、ノンフィクション作家、放送作家、音楽番組パーソナリティーとして活躍。2006年4月から毎日新聞にて連載『岩谷時子・愛の名曲物語』を開始し、岩谷を取材。著書に『歌に恋して—評伝・岩谷時子物語』(ランダムハウス講談社)がある。取材・文/廉屋友美乃※女性セブン2022年3月3日号
2022.02.20 07:00
女性セブン
『日本一の若大将』(1962年)(C)TOHO OC., LTD.
加山雄三の追憶「田中邦衛さんがいたから“若大将”は輝けた」
 その唯一無二の存在感で、時に朴訥な父親、時に狡猾なヤクザなど幅広い役柄を演じてきた俳優の田中邦衛さんが3月24日に亡くなった(享年88)。『網走番外地』『仁義なき戦い』『北の国から』はじめ多くの作品で活躍したが、広く知られるきっかけとなったのは、1961年から始まる『若大将』シリーズだった。 主演の加山雄三(84)はじめ、同シリーズで活躍した関係者らは、何を思うのか──。「邦さんに連絡をとりたくてとりたくて、ずっと気になってて、不思議なことに、2日前若大将のDVDで邦さんの姿を見たばかりだったんだよ」 突然の訃報を受けて、そうコメントしたのは加山雄三(84)だ。『若大将』シリーズで主演の加山が演じた“若大将”は、ルックス抜群、スポーツ万能なお坊ちゃん。そのライバルとして対抗するのが田中さん演じる“青大将”だった。「貧乏育ち」と「お坊ちゃま」 田中さんは出演の経緯をこう語っていた。〈おいらは、どちらかっつうと不良で不健康な方だったので、青大将の役は自分に向いているというか、かなりいい線いくんではないかと意欲を燃やしたことを今でも鮮明に覚えています。加山さんに初めて会った時、とにかく新劇がすべてと思っていたおいらに「何も役者だけが人生ではないよ」というような大きな空気を持っていて、おいらに湘南の風を運んできてくれたような、そして視野を広くしてくれたような人です〉(『The Bigman』1990年8月号) そんな加山も本誌・週刊ポスト(2017年12月1日号)でこう振り返っていた。「青大将の田中邦衛さんとは、映画でもプライベートでも最高のコンビでした。彼は5歳も年上で、共演する前に黒澤明監督の『悪い奴ほどよく眠る』(1960年)に出ているのを観ると殺し屋の役でね。この人が青大将なんておっかねぇなあ、とんでもないなあって身構えましたよ。でも、会ってみたらそういう印象とまったく違って、優しくてユニークな人でした」 自身を「貧乏育ちの劣等生」と語る田中さんは、当時住んでいた赤坂の三畳間に「茅ケ崎のお坊ちゃま」だった加山が泊まりに来たものの、部屋を見て「やっぱり帰るわ」と帰ってしまった──そんなエピソードをインタビューで明かしていた。 大ブームとなった「若大将」シリーズは1981年の『帰ってきた若大将』まで20年間にわたり計18本が制作された。“青大将”の人気にも火がつき、『若大将対青大将』(1971年)まで作られたほどだった。「まだ小娘だった私に……」 同作にマドンナとして出演した吉沢京子(67)が語る。「田中さんがご家族に見守られて静かに逝かれたというニュースを見て、あの優しい優しいどんぐり眼が、見守られながら静かに閉じたのかしらと思いを馳せていました」 半世紀前の撮影現場での思い出をこう明かす。「当時の私は、夢中になって観ていた『若大将』への出演が決まって、大人の仲間入りができると心躍ったものです。加山さんはあんなに二枚目の素敵な方だから撮影の合間はクールなのかしらとオドオドしていましたが、ものすごく気さくな方で撮影時にもよく気にかけてくださった。 田中さんは“青大将”の軽薄さや破天荒さが全くない方で、そのギャップに驚きました。ご挨拶の時にまだ16歳の小娘だった私にも、『どうも』ってあの独特な言い回しで挨拶をしてくださって。この作品では田中さんが8年がかりで京南大学を卒業するシーンがあって、学ランに角帽を被った田中さんがおどけたポーズで周囲を和ませていたのも記憶に残っています」 撮影の合間に、加山と田中さんが車で出かけていくこともあったという。「見た目も中身も全く違う2人なのに、共演者の枠を超えてすごくいい男同士の空気をまとっていらっしゃった。その絶妙なコンビネーションで撮影もスムーズに進行していました。子供だった私から見ても、そんな2人がまぶしかったですね」「若大将」シリーズ終了後の1983年に田中さんをインタビューした映画評論家の野村正昭氏が語る。「田中さんは主演作も少なくはないのですが、加山さん以外にも高倉健さんはじめ大物俳優との共演が多く、『相手を引き立てる役が性に合っている』ということを語っていたのが印象に残っています。『若大将』シリーズは田中さん演じる“青大将”という存在があったからこそ“若大将”というキャラクターが確立した。シリーズが長く続いたのは、日本映画屈指の名コンビの関係性の妙があったことが一番大きかったと思います」 加山のスター街道は、「邦さん」が照らしたことで始まったのだろう。※週刊ポスト2021年4月30日号
2021.04.17 16:00
週刊ポスト
「週刊ポスト」本日発売! 小室圭「録音テープ騒動」ほか
「週刊ポスト」本日発売! 小室圭「録音テープ騒動」ほか
 4月16日発売の「週刊ポスト」は、猛威を振るうコロナ第4波にあえぐ日本で、追い討ちをかけるように降りかかる外交、政治、経済、生活のリスクを徹底的に検証するスクープ情報、実用情報の満載号です。コロナが蔓延してから蔓延防止を「お願い」するしかない政府の無策に国民はどう立ち向かえばいいのか。じっくり読めば明日が見える読み応えたっぷりの一冊です。今週の見どころ読みどころ◆<カラーグラビア>自宅で食べたいお取り寄せ極旨餃子「まん延防止等重点措置」が全国に拡大し、列島は「おこもりゴールデンウィーク」を迎えることになった。政治家への怒りはさておき、家にいても極上の休暇を楽しみたいじゃないですか。テリー伊藤ほか「餃子フリーク」が自信をもってオススメするお取り寄せ餃子の逸品を5Pカラーで一挙ご紹介。窓の新緑を眺めながら、昼からビール片手に家族で餃子パーティなんて素敵じゃありませんか?◆<グラビアルポ>「パパ活女子」のイケナイ日常コロナ不況で収入の減った女性たちが、続々と「パパ活」市場に流入している。なかには一か月で数百万円を「稼ぐ」人までいるという現代の「ちょい愛人生活」の実態を経験者たちの座談会を交えてリポートする。◆<グラビアスクープ>新聞・テレビが報じない「聖火リレー」の光景オリンピックは大手の新聞・テレビグループがこぞってスポンサーになっている。だからなのか、国民の顰蹙をよそに「聖火リレーのエエ話」が連日ニュースとワイドショーを飾る。しかし実態はニュース映像とは全く違う。スポンサーの宣伝車両が大行列を組み、「踊りましょう!」などと沿道の市民を煽って行進する。その10分後にようやくランナーが車列の陰からチラッと見える――というのが真相だ。コロナで自宅待機を求められる国民そっちのけで、「スポンサー・ファースト」で続けられる聖火リレーの裏側を暴く。◆「小室圭さんは秋篠宮殿下との会話まで隠し録りしていたかもしれない」原稿用紙なら100枚近い「大作」の反論文を公表した小室圭氏。宮内庁長官は「非常に丁寧に説明されている」と評価したが、その宮内庁では説明された金銭トラブルの経緯ではなく、「録音テープの存在」におののいたという。小室氏は父親代わりだったA氏との会話を隠し録りしていたことを明らかにした。その小室氏は、秋篠宮家に何度も出向いて経緯の説明をしているが、その際にも会話を隠し録りしていたのではないのか――。◆「大阪ぎらい」吉村知事のメッキかくして剥がれたコロナ第4波の震源地となってしまった大阪の吉村洋文・知事に対し、府民や近隣府県からNOが突き付けられている。1年前には「#吉村寝ろ」がトレンドワードになったほどスター扱いだったが、その後はパフォーマンス優先で失策続き。「ワシらは“まん防”じゃなくて“辛抱”や」と嘆息が漏れるコロナの街からリポート。◆中国にNOと言えないニッポン無法な海洋進出や人権侵害を続ける中国に、先進諸国はついに制裁の包囲網を敷き始めた。ところが日本だけが尻込みして制裁の列に加わらない。背景には、これまで度重なる「日本企業いじめ」を受けてきたトラウマがある。作家・井沢元彦氏の緊急寄稿「冬季北京五輪をボイコットせよ」とあわせて日本の弱腰を撃つ!◆「定年スマホ脳」で認知症まっしぐらいまや60代の77%がスマホ利用者だ。しかし、中高年のスマホ依存は若者よりはるかに悪影響があるという。目の不調はもちろん、記憶障害や家族の不和、さらには思考能力の低下を招いて「スマホ廃人」になりかねない。医師や専門家の警告と1分で自己診断できるチェックリストを公開する。◆昭和のライバル秘話「あなたがいたから、私は輝けた」大人気企画、往年のスターたちのライバル列伝第2弾。今号も多士済々のなつかしい偉人たちがよみがえる。青木功vs尾崎将司、萩原健一vs松田優作、竹下登vs安倍晋太郎、湯川秀樹vs朝永振一郎、大山康晴vs升田幸三、江川卓vs西本聖、松田聖子vs中森明菜。◆加山雄三「田中邦衛さんがいたから若大将は輝けた」人気ドラマ「若大将」シリーズでは宿命のライバルだった加山雄三と田中邦衛。対照的なキャラクターを演じた二人は、性格も演技も、役者としての生い立ちも全く違った。亡き田中に加山が贈る追悼と思い出秘話。◆父が死んだ後、母が亡くなった後、これだけはやってはいけない巻頭特集は「ひとり親」とどう付き合っていくか、面倒を見るかを徹底研究した12ページ大特集。連れ合いに先立たれた親が一人暮らしになった時に子は何をすべきか、何をしてはいけないか。介護、相続対策、認知症予防、さらには親類縁者とのトラブル回避まで、必要な手段と注意点がすべてわかる。※全国の書店、コンビニで絶賛発売中!
2021.04.16 07:00
NEWSポストセブン
DAIGOとジョン・レノンなど 有名人「驚きの親戚関係」あれこれ
DAIGOとジョン・レノンなど 有名人「驚きの親戚関係」あれこれ
 ドラマで夫婦役を演じる女優と俳優。バラエティー番組でひな壇に座るタレント同士が、実は“遠い親戚さん”かもしれない──2月末に放送されたバラエティー番組『はじめまして!一番遠い親戚さん』(日本テレビ系)で衝撃の事実が明らかになった。 この番組はゲストの親戚について調べ上げ、その中から本人も知らない著名な人を見つけ出すというもの。「伯父の妹の夫のいとこ」「祖父の姉の孫のいとこ」など、必ずしも血縁関係があるわけではないが、放送ではゲストの親戚として、著名な芸能人やスポーツ選手が見つかった。『R-1グランプリ2021』での優勝が記憶に新しいお笑い芸人のゆりやんレトリィバァ(30才)も芸能界で活躍する“遠い親戚さん”が発覚した1人。彼女の親戚だったのは、ジャーナリストの田原総一朗(86才・16親等)、芸人のオール阪神(64才・10親等)。番組内で彼女を知っているかと尋ねられた田原は「実は知らなかった」としつつも、「ぜひお目にかかりたいし、彼女のネタも見に行きたいと思ってます」と回答。 ほかにも、芸能界には意外な親戚同士が潜んでいるようだ。あの有名歌手から歴史上の人物まで、驚きの家系図をのぞいてみよう。【DAIGO】 華麗すぎる親戚関係が判明したのはDAIGO(42才)だ。御存知の通り、妻は北川景子(34才)だが、それ以外にも有名人がずらり。・故・筑紫哲也(10親等)・黒木瞳(25親等)・加山雄三(19親等)・三島由紀夫(9親等)・滝廉太郎(12親等)・ジョン・レノン(24親等)・オノ・ヨーコ(24親等) 名だたる著名人と親戚なだけでも驚きだが、黒木瞳の夫方の親戚に松任谷正隆がおり、松任谷由実とも“ファミリー”となる。また、DAIGOの親戚関係をたどると明治維新に尽力した公家の岩倉具視にたどり着く。加山雄三は岩倉の玄孫にあたるため、こちらもDAIGOと親戚。そこからさらに21親等たどると、千葉雄大にも結びつく。【峰竜太⇔上沼恵美子(遠い親戚)】 上沼の義母が峰の実家である下嶋家の出身。自身のニュース番組で上沼が唐突に告白した。【舘ひろし⇔河野太郎(遠い親戚)】 2018年に漫画『ゴルゴ13』のキャラクターを起用した、外務省制作の動画に舘が出演。河野も出演し親戚共演を果たしている。舘がアニメでゴルゴ13を演じた経験があるため、キャスティングされたというが……縁故採用?【加藤登紀子⇔ダイアン津田篤宏(遠い親戚)】 ダイアンのラジオ番組に加藤がゲスト出演した。加藤はお礼として、津田と津田の母をコンサートに招待。津田の母は楽屋に家系図を持参したが、加藤は挨拶で忙しく見てもらえなかったとか。【小沢健二⇔小澤征爾(3親等 叔父と甥)】 ミュージシャン・小沢健二の叔父は、世界的指揮者の小澤征爾で、俳優の小澤征悦はいとこ。幼少期には新年会などで顔を合わせていて、小沢がギターを披露することもあったという。また、小澤征悦は小澤征爾の息子。ということは、交際中のNHK・桑子真帆アナウンサーも世界の小澤ファミリーに?【錦織圭選手⇔渡哲也、渡瀬恒彦(遠い親戚)】 2012年に渡が錦織の試合を観戦。渡は歓声をあげながら応援し、試合後には「練習はきつい?」「いつからテニス選手を目指したの?」などと質問攻めにした。その後、ポケットからパンパンに膨らんだ茶封筒を出し、「これでうまいものでも食べなさい」と渡したという。【梅宮辰夫⇔高橋克典(5親等)】 ドラマ『特命係長 只野仁』シリーズで長年共演した2人。梅宮は高橋が芸能界入りを相談した際に「お前みたいな地味な顔だと芸能界では難しい」と反対した。しかし、いざ撮影が決まると関係各所に「甥をよろしく頼む」と連絡を入れていた。梅宮アンナと高橋はいとこ同士。【京本政樹、京本大我⇔小池徹平(6親等)】 小池の父と、京本政樹の妻・山本博美(58才)がいとこ同士。小池は小学生の頃、京本にサインを求めたことがある。京本大我も小池もミュージカルに多数出演しており、共演する日も近い?※女性セブン2021年4月1日号
2021.03.21 19:00
女性セブン
左から合田さん、田中さん、堀尾さん
紅白「加山雄三・仮面ライダー事件」ジャニー氏の意外な言葉
 前代未聞の無観客開催となる今年の『NHK紅白歌合戦』では、いったいどんなステージが見られるのか。そんな紅白をよりいっそう楽しむために、紅白での司会経験もある元NHKアナウンサーの堀尾正明さん、紅白ウオッチャーで昭和歌謡ライターの田中稲さん、紅白歌合戦研究家で作家・音楽プロデューサーの合田道人さんの3人が集結。紅白の“司会”について語り合った。──紅白の司会は相当なプレッシャーがかかるものですか?堀尾:昔の司会はわりと余裕があって「大体5分くらいでしゃべってください」みたいな感じでしたが、いまは「1分33秒でピシッとやってください」と余裕がない。アドリブを入れると時間がオーバーする可能性が高いんです。 ぼくの総合司会のときは、たくさんしゃべることがあったので「お前が1秒ずつオーバーしたら、1秒×出場歌手54組で、54秒遅れることになり、1コーラス分の歌をカットすることになるんだぞ」みたいな強迫観念は常にありました。実際、しゃべり始めると同時に“巻き”が入るんです、後半になると。それくらいきつきつの中で時間管理するのが紅白の司会です。田中:アナウンサーから見て歴代の司会者でうまいなと思った人は誰ですか?堀尾:女優さんの場合は大体カンペが出て、それに従って話すことが多いんです。ただ、それを感じさせずにアドリブを自然に入れる人もいますが……佐良直美さんや水前寺清子さんが上手でした。中居正広さんもうまいですね。──逆に司会者の失敗による事件はありました?堀尾:紅白で司会者がトチると大ニュースになって語り継がれ、時には人生を変えることもあるんです。たとえば、第35回(1984年)は都はるみさんが「普通のおばさんに戻りたい」と紅白を最後に引退する予定でした。はるみさんの歌が終わると、観客から前代未聞のアンコールがかかり、白組司会の鈴木健二アナが、はるみさんに歌ってもらおうとして、「私に1分間ください」と言ったのですが、その言葉は一躍有名になりました。 そのやりとりを見て「ああ、これで美空ひばりさんに並んだな、都はるみさん」という思いが頭をよぎったのが総合司会のベテランアナ。アンコールが終わり、拍手が鳴り止まぬ中「もっともっとたくさんの拍手をミソラ……」と、つい口走ってしまったんです。これをきっかけに昇進ながら大阪転勤となり、翌年退職。紅白がアナウンサー人生を大きく変えた一例といえます。 これとは別に、第37回(1986年)で白組の司会を務めた加山雄三さんが、初出場で白組トップバッターだった少年隊の『仮面舞踏会』の紹介のときに『仮面ライダー!』とノリノリで間違えたのも語り草です。あまりに堂々としたトチリで、その後、出てきたバックダンサーの衣装がショッカー風だったこともあり、「あれ、わざと?」って、演出と間違われたくらい(笑い)。合田:それね、「間違っちゃ困るよね」って事前打ち合わせで話していたんだって。「一曲目だから、間違えられないよな」って。なのに、やっちゃった(笑い)。後日談で少年隊にジャニー喜多川さんが「ユーたちラッキー。これで覚えてもらって」と話したとか。大らかですよね。【プロフィール】堀尾正明(ほりお・まさあき)/1955年生まれ、65才。埼玉県出身。1981年にNHK入局。2008年にNHK退職後はフリーアナウンサーとして『誰だって波瀾爆笑』(日本テレビ系)などで活躍。田中稲(たなか・いね)/1969年生まれ、51才。大阪府出身。大阪を拠点に昭和歌謡や懐かしブームなどのライターで紅白ウオッチャー。CREA WEBにて『田中稲の勝手に再ブーム』連載中。合田道人(ごうだ・みちと)/1961年生まれ、59才。北海道出身。歌手・作家・構成作家で、日本歌手協会理事長。紅白歌合戦研究家で『紅白歌合戦ウラ話』(全音楽譜出版社)など著書多数。取材・文/北武司 撮影/浅野剛※女性セブン2021年1月7・14日号
2020.12.28 07:00
女性セブン
加山雄三に学ぶ「終の棲家」の選び方 大スターもケアハウスに住む時代
加山雄三に学ぶ「終の棲家」の選び方 大スターもケアハウスに住む時代
 連日の熱帯夜が続いていた8月末の夜、加山雄三(83才)が「誤嚥」で救急搬送された。救急車が駆け付けた東京・中央区のマンションは「自立型ケアハウス」と呼ばれる施設だった。介護施設よりも自立した生活ができ、主な家事は生活支援スタッフがサポートしてくれるため安心感があると人気だ。 昨年11月に脳梗塞を発症した加山は、それを機に東京・世田谷の豪邸からケアハウスへ転居。最近になって再び同居し始めた妻と「ここが自分たちの“終の棲家”だね」と話していたという。 ケアハウスとは軽費老人ホームC型とも呼ばれる施設で、低額で高齢者が入居でき、介護サービスを受けながら個室で生活できる。今や大スターであってもこうした施設を選ぶ時代なのだ。 生き方の多様化、高齢者の数の増加から、近年の「終の棲家」に対する価値観はじつにさまざまだ。高齢者住宅アドバイザーで「シニアの暮らし研究所」代表の岡本弘子さんが言う。「『終の棲家』という言葉が広く使われ始めたのは、ひとり暮らしの高齢者の増加が顕著になってきた10年前くらい。ここ数年の『終活ブーム』が起こってからは、誰でも知っている言葉になりました。人生100年時代が当たり前になり、長い老後を自分らしく生きたいと思う人が増えたことで終の棲家も人それぞれのものに変化しています」 昔は、よほどの事情がない限り、住み慣れたわが家で晩年を過ごし息を引き取ることが理想であり、スタンダードだった。しかし最近は、子供が独立したり、定年退職したタイミングなど、ライフスタイルに合わせて住む場所を変えるという考え方が主流になりつつある。「いまでも、自分の家を終の棲家にしたいという意見は多いですが、仮に全面バリアフリー化したとしても、元の家の構造によっては介護がやりにくいことがあります。『施設』と聞くと窮屈で暗いイメージを抱く人もいますが、高齢者住宅はどんどん進化していて、自由度の高い施設も多い。年齢と段階に合わせて終の棲家を移していくという考え方は、これからの時代の常識になるでしょう」(岡本さん) 立地や子供との距離感など、終の棲家選びには検討すべきポイントがいくつかあるが、まず考えてほしいのは「これからをどう生きたいか」だと岡本さんは指摘する。「具体的に毎日何をしたいのか、自分の楽しみはなんなのかを考えてください。そして、考える気力があるうちに準備してほしい。いざというときになって、家族や他人に言われるまま終の棲家を決められると、後悔が残るかもしれません」※女性セブン2020年9月24日・10月1日号
2020.09.14 15:00
マネーポストWEB
カラオケが誤嚥予防に繋がる理由とは
誤嚥予防にはカラオケを 加山雄三『君といつまでも』は◎
 喉に詰まる、むせ込む、といえば食事中の“固形物”というイメージが強いが、最も危ないのは食べ物ではなく飲み物、なかでも「水」だという。とくに冷たい水をペットボトルからラッパ飲みするのは危険で、上を向いて水を一気に飲もうとすると嚥下処理能力を超え、気管に入りやすくなるのだという。 危険な場面を避ける努力だけでなく、日常生活のなかで「誤嚥を防ぐ習慣」を身につけておくことも大切だ。誤嚥に詳しい西山耳鼻咽喉科医院理事長の西山耕一郎医師は「カラオケ」を勧める。「誤嚥予防に最も効果的なのは、喉を鍛えること。歌を歌う際に使う筋肉は、嚥下と同じ咽頭挙上筋群なので、カラオケがピッタリなのです。 その際、選曲も重要で、音域に高低差がある楽曲がいい。喉に手をあてながら声を出すとわかりますが、喉仏は高い声を出すと上がり、低い声を出すと下がる。 この喉仏の上下運動をしっかり行なうためにも、高音と低音をどちらも適度に含む曲が効果的です。加山雄三さんの代表曲『君といつまでも』もいいと思います」 ただし、どんなに気をつけても、誤嚥リスクをゼロにするのは至難。とくに男性は女性に比べて、加齢による嚥下機能が衰えやすいことも分かっている。いざ水を誤嚥してしまった時、重症化しないよう、日頃から「口内環境」を整えることも重要だ。 誤嚥の際に口内の雑菌が肺に入ることで、誤嚥性肺炎などを招く恐れもある。桜美林大老年学総合研究所所長で誤嚥に詳しい鈴木隆雄教授が語る。「老化とともに誰しも口内環境は悪化し、唾液にも細菌が混じりやすくなる。睡眠中など、無意識のうちに唾液が肺に入ってしまう『不顕性誤嚥』も怖い。 そこで重要になってくるのが、日頃の『歯磨き』です。一日3回、毎食後の歯磨きはもちろん、入れ歯も清潔な手入れが必要です。基本のキである歯磨きが、誤嚥時の明暗を分ける重要なファクターなのです」 口内細菌のなかでも歯周病菌はとくに危険性が高く、誤嚥時の重症化リスクを上げる。「かかりつけの歯科医で歯周病菌を除去しておくのもいいでしょう」(同前) 水に“飲まれない”よう、正しい知識を持って残暑を乗り切りたい。※週刊ポスト2020年9月18・25日号
2020.09.12 16:00
週刊ポスト
加山雄三も苦しんだ誤嚥 ペットボトルのラッパ飲みに注意
加山雄三も苦しんだ誤嚥 ペットボトルのラッパ飲みに注意
“若大将”があわやの事態に見舞われた。8月29日夜、加山雄三(83)は自宅で水分補給のために水を飲んだ直後、激しくむせかえって嘔吐を繰り返し、妻が119番。都内の病院に救急搬送され、そのまま入院した。 加山を襲ったのは、食べ物や飲み物が気管に入り込む「誤嚥」だった。 事務所は9月2日、咳き込んだ際に軽度の小脳出血を起こしていたことを報告。現在、症状は安定し、会話もできる状況だとしており、〈トレーニングしたあとの水がうまくてさ、がぶ飲みしちゃったんだよな。年相応の飲み方をしなきゃね…〉という加山のコメントも合わせて発表された。深酒するとむせる 誤嚥に詳しい西山耳鼻咽喉科医院理事長の西山耕一郎医師が語る。「誤嚥は、年齢とともに喉の嚥下(物を飲み込む)機能が衰えることで起こります。この時、食べ物や飲み物と一緒に口腔内の雑菌が肺に入り、誤嚥性肺炎を引き起こすこともある。 加山さんはむせるだけでなく嘔吐を繰り返したそうですが、誤嚥した時に気管から異物を吐き出そうとして嘔吐することは珍しくなく、この際、吐瀉物が肺に入ることで窒息のリスクも高まります。加山さんのように脳出血に至るケースは稀ですが、脳に強い圧力を受けるほどむせかえったということでしょう」 東京消防庁の統計によれば、2018年の1年間で8436人が誤嚥や誤飲など「のどの詰まり」で救急搬送されている。「現在、高齢者(65歳以上)の死因の第4位は肺炎で、うち7割が誤嚥性肺炎と言われています」 西山医師によれば、誤嚥は食べ物よりも「飲み物」で起こりやすいという。「喉は普段、呼吸をするために気道へと通じていますが、飲食物を飲み込む瞬間だけ気道のフタを閉じ、食道が開く。飲み物は喉を素早く通過するため、一瞬でも気道のフタを閉じるタイミングが遅れると誤嚥してしまう。とくに液体は固形物に比べてスルスルと喉を通るうえ嚥下中に小さな雫となるので、気管に入りやすいのです」 さらに飲み物のなかにも、誤嚥しやすいものがある。「一番誤嚥しやすいのが普通の冷たい水。一気に飲めてしまうからです。逆に白湯やお茶など温かいものは、一口ずつ飲むことが多く、水に比べて誤嚥しにくい。炭酸飲料も刺激が強く一気飲みしないという点で、水より誤嚥のリスクは低くなる。 一方でお酒は筋肉を弛緩させ、神経伝達を遅らせるので、誤嚥を招きやすい。実際、お酒好きの高齢者の中で、深酒するとむせるかたは散見されます。個人的にすすめるのはスムージーやヨーグルト系の、とろみのある飲料です。こうした飲料は誤嚥しにくいことが分かっています」(西山医師)「ラッパ飲み」は厳禁 残暑厳しいこの季節、「水分補給は白湯かスムージーで」というのはさすがに現実的ではないかもしれない。安全に水を飲むためには、どんな点に注意すればいいのか。「一番やってはいけないのが、ペットボトルのラッパ飲みです。上を向いて水を一気に飲もうとすると、嚥下処理能力を超えてしまい、気管に入りやすくなる。コップで飲むほうが上を向くことがないため安全です。少量を口の中に入れて、軽くお辞儀をするように下を向いて、一口ずつ飲み込むように意識しましょう。背筋を伸ばすのもポイントです」(同前) 毎食後に高血圧など持病の薬(錠剤)を服用する際も、水は「少量でゆっくり」を心がけたい。ゼリーなどを混ぜて水にとろみをつけるのも有効だという。「口腔から喉にかけて、水分が小さな雫になりにくくなります」(同前) 高齢者が一日に必要な水分摂取量は1.5リットルとされる。「誤嚥を恐れて水を飲まなくなるのは避けましょう。脱水症にならないよう、正しい飲み方を知り、適切な水分補給を怠らないようにしてください」(同前) 万一、誤嚥した際に、周囲の人がやってはいけない行動もある。「よくやってしまうのが、背中をトントンと叩くことです。これにより気管に入った水が肺に入ってしまう。むせかえっている人に水やお茶を飲ませるのもNG。誤嚥を加速させるだけです。 正しい対処法は、まず座った状態で上半身を前方へ倒し、気管を水平にして咳をさせること。この状態なら背中を叩いても大丈夫。気管に入った水を吐き出しやすくなります」(同前)※週刊ポスト2020年9月18・25日号
2020.09.07 16:00
週刊ポスト
救急搬送された加山雄三 「卒婚」した妻は同居を前提に帰国
救急搬送された加山雄三 「卒婚」した妻は同居を前提に帰国
 8月29日夜、誤嚥を起こして嘔吐するなどして救急搬送された加山雄三(83才)。その後、軽度の小脳出血を起こしていたことがわかった。現在、容体は安定しているというが、引き続き治療を受ける必要があり、当面、芸能活動を休止するという。 関係者らが体調以外にも心配していたことがある。それは、加山のプライベートだ。加山は、長年連れ添った妻と2014年に“卒婚宣言”をしている。妻で元女優の松本めぐみさん(73才)は、1年の半分以上をアメリカ・ニューヨークで暮らし、事実上の別居状態にあった。「加山さんとめぐみさんの結婚生活は波乱続きでした。映画での共演をきっかけに結婚後、加山さんの叔父が経営するホテルが倒産し、連帯保証人だった加山さんは数十億円もの借金を背負いました。それを完済し、都内の高級住宅街に豪邸を建てたのですが、バブル絶頂期の1990年、新潟に総工費100億円ともいわれるスキー場『加山キャプテンコースト』を開設。これが大赤字で再び借金を背負い、自宅を手放さざるを得なくなったんです」(加山の知人) 幸いにも、売却先の好意で自宅にはそのまま賃貸住まいできたというが、そんな波乱万丈の加山の人生をそばで支え続けてきたのがめぐみさんだった。それゆえ、おしどり夫婦の卒婚に「ついにめぐみさんが愛想を尽かしたか」ともいわれたが、夫婦関係が修復していたことが、今回の救急搬送で判明した。「実はいま、加山さんとめぐみさんは再び一緒に暮らしているんです」と語るのは、加山の知人だ。近年の体調の変化は、加山の生活を大きく変えていた。昨年の暮れ、加山は長年住み慣れた豪邸から自立型ケアハウスに引っ越していたのだ。 自立型ケアハウスとは、食事、掃除、洗濯などの生活支援サービスがついた高齢者向け住宅のこと。「ひとりで住むには不安があるが、介護が必要なほどではない」という人にとって、生活の支援を受けながら自立した暮らしが送れるというメリットがある。「時期的に、脳梗塞から退院してすぐに引っ越したのでしょう。脳梗塞は幸い軽度だったので自力で病院に行くこともできましたが、もしも倒れてそのまま意識を失っていたら、どうなっていたかわかりません。それを誰よりも心配していたのは、めぐみさんなんです」(加山の知人) 今回、119番通報したのも、めぐみさんだった。「ケアハウスに引っ越すタイミングで、めぐみさんも帰国しています。病気が後押しする形でまた一緒に住むことになり、今回の救急搬送では、それが功を奏した形になりました。加山さんとめぐみさんは、『この自立型ケアハウスが、自分たちの“終の棲家”だね』なんて話しているそうですよ」(前出・加山の知人) 加山の所属事務所もめぐみさんとの同居を認め、「一時的なものではなく、今後もふたりで暮らすことを前提で帰国しています」と、明かした。“卒婚期間”を“卒業”して、再びともに暮らすことを選んだふたり。それも、新たな夫婦の形なのかもしれない。 ※女性セブン2020年9月17日号
2020.09.02 15:55
女性セブン
史上最高の医療ドラマは何か
史上最高の医療ドラマはどれか『白い巨塔』『ドクターX』等TOP20
 今、ドラマ界で最も熱いジャンルが「医療モノ」だ。生死をテーマに重厚な人間ドラマが描かれるだけに、古くから視聴者の心を鷲掴みにする傑作が数多く生まれてきた。本誌・週刊ポストは読者1000人に緊急アンケート。「史上最高の医療ドラマ」をランキングした。◆医療ドラマベスト20(順位、タイトル、主演、平均視聴率)1位:『ドクターX~外科医・大門未知子~』(2012年、テレビ朝日系)米倉涼子、19.1%2位:『白い巨塔』(1978年、フジテレビ系)田宮二郎、12.8%3位:『コード・ブルー -ドクターヘリ緊急救命-』(2008年、フジテレビ系)山下智久、15.7%4位:『Dr.コトー診療所』(2003年、フジテレビ系)吉岡秀隆、19.0%5位:『医龍』(2006年、フジテレビ系)坂口憲二、14.7%6位:『JIN─仁─』(2009年、TBS系)大沢たかお、19.0%7位:『救命病棟24時』(1999年、フジテレビ系)江口洋介、20.3%8位:『ベン・ケーシー』(1962年、TBS系)ヴィンセント・エドワーズ、50.6%※最高視聴率9位:『ブラックジャック』(1981年、テレビ朝日系)加山雄三10位:『振り返れば奴がいる』(1993年、フジテレビ系)織田裕二、石黒賢、16.8%11位:『ナースのお仕事』(1996年、フジテレビ系)観月ありさ、17.2%12位:『ER緊急救命室』(1996年、NHK)アンソニー・エドワーズ、21.2%(※米国内)13位:『チーム・バチスタの栄光』(2008年、フジテレビ系)伊藤淳史、13.2%14位:『赤ひげ』(1972年、NHK)小林桂樹15位:『コウノドリ』(2015年、TBS系)綾野剛、11.5%16位:『グッド・ドクター』(2018年、フジテレビ系)山崎賢人、11.2%17位:『ブラックペアン』(2018年、TBS系)二宮和也、14.3%18位:『DOCTORS~最強の名医~』(2011年、テレビ朝日系)沢村一樹、14.8%19位:『白い影』(1973年、TBS系)田宮二郎、21.7%20位:『ブラックジャックによろしく』(2003年、TBS系)妻夫木聡、14.2%『アライブ がん専門医のカルテ』(フジテレビ系)や『心の傷を癒すということ』(NHK)など、今クールのテレビドラマは「医療モノ」が6本に上る。なぜこれほど乱立しているのか。テレビドラマに詳しいライターの田幸和歌子氏がいう。「ヒューマニズムにあふれるストーリーが多い医療ドラマには固定ファンが多く、視聴率が取りやすい。一度セットを組めばその中で撮れるので、コストを抑えられて撮影が楽という制作サイドの事情もある」 名作ぞろいの中、読者アンケートで堂々の“歴代1位”に輝いたのは『ドクターX』(2012年・テレビ朝日系)だった。「院長をはじめ“悪玉”たちも個性派揃いで楽しめる。しょっちゅう出てくる米倉涼子の入浴シーンも最高」(65歳自営業)「“絶対失敗しない”から安心して見ていられるし、見終わった時にスカッとする」(61歳会社員) 平均視聴率はシーズン2以降20%を超え、昨年10~12月のシーズン6も20%近くをキープした。「『ドクターX』の高視聴率が近年の医療ドラマブームを牽引している。“難病患者を救う”“病院内における人間関係”という2つの軸がしっかりしているから、視聴者は安心して楽しむことができます」(ドラマ評論家の成馬零一氏)◆元ネタは『白い巨塔』 大学病院内の権力闘争を描いた不朽の名作『白い巨塔』(1978年・フジテレビ系)が2位に輝いた。出世のためには手段を選ばない外科医、財前を演じた故・田宮二郎の怪しい魅力が光るこの1978年版は多くの視聴者に強烈な印象を残した。「醜い人間関係や裏工作の描写に引き込まれた。とりわけ『教授になるためだったら人殺しだってするぞ』という財前のセリフにはゾッとした」(66歳会社役員)「最後、胃がんで亡くなった財前の遺体が病理解剖室に送られるのを、白衣の医師や看護師が廊下にズラリと並んで見送るシーンは、今も忘れられない」(62歳会社員) 撮影終了後、田宮が拳銃自殺したことが大きな衝撃を与え、その後に放送された最終回は31.4%の高視聴率を記録した。『白い』シリーズの第一作である『白い影』(1973年・TBS系)も19位に。こちらは田宮演じる外科医・直江をめぐる華やかな女性関係が見どころ。「看護師役の山本陽子は本当に綺麗だったし、同じ看護師役の中野良子も可愛かったなぁ~」(70歳無職) 2001年には中居正広が直江を演じ、竹内結子を相手役にして『白い影』(TBS系)をリメイク。昨年もテレビ朝日が開局60周年を記念して、5夜連続で岡田准一主演の『白い巨塔』を放送するなど、『白い』シリーズの人気は根強い。 織田裕二主演で話題を呼んだ10位の『振り返れば奴がいる』(1993年・フジテレビ系)にも、『白い巨塔』の影響が認められるという。「脚本の三谷幸喜さんが『元ネタは白い巨塔』と公言しています。はじめはコメディとして描く予定が、脚本段階でシリアス路線に変更してヒット作になりました」(田幸氏) 63歳会社員が当時を振り返る。「織田の演じる腕は立つがあくどい医者の司馬と、正義感の強い石川(石黒賢)の掛け合いが毎回楽しみだった。最終回で司馬が刺されるシーンは、衝撃だった」 人情家の医者を描いたドラマの原点ともいえる『赤ひげ』(1972年・NHK)は14位。同じく江戸時代が舞台のタイムスリップもの『JIN―仁―』(2009年・TBS系)は6位に入った。離島での医療をテーマにした4位の『Dr コトー診療所』(2003年・フジテレビ系)は、さしずめ“現代版赤ひげ”といったところか。◆根底にロマン 9位にランクインした『ブラックジャック』(1981年・テレビ朝日系)は、その後の医療ドラマの流れを作った重要な作品だと成馬氏は分析する。「手塚治虫が原作漫画で生み出した1話完結のストーリーで、一匹狼の天才医師が毎回、患者の難病を解決するというフォーマットは『ドクターX』にも活かされている。5位の『医龍』(2006年・フジテレビ系)も同様です」 脚本を担当したジェームス三木氏が語る。「元々手塚さんの作品は読んでいて興味があったしドラマ化したいとずっと思っていた。『ブラックジャック』は医者の話だけど、根底のところにロマンがあった。医療のリアリティな部分もあれば、ありえないようなフィクションの部分もある。そこが魅力だった」 一方、“救命救急”系の雛型になったのが、12位に食い込んだ海外ドラマ『ER緊急救命室』(1996年・NHK)だ。「『ER』が日本で放送されたことをきっかけに、日本でも医療現場全体を描く作品が作られるようになりました。3位『コード・ブルー』(2008年・フジテレビ系)、7位『救命病棟24時』(1999年・フジテレビ系)もその流れをくんでいます」(成馬氏)『ER』は15シーズンも続いた人気シリーズだ。「最初に見た時は、日本のドラマにはないリアルさと緊迫感溢れるシーンに圧倒された。救命医たちの情熱と葛藤もしっかり描かれていて、人間ドラマとしても楽しめる」(55歳会社員) 同じ海外ドラマでは、『ベン・ケーシー』(1962年・TBS系)も8位にランクインした。同作は、脳神経外科に勤務する若き医師ベン・ケーシーを主人公にした医療ドラマで、日本では最高視聴率50.6%を記録した。「『ベン・ケーシー』を見て医者に憧れて医学部を受けたが結果は散々だった(笑い)」(65歳自営業) 現在放送中の『トップナイフ―天才脳外科医の条件─』(日本テレビ系)、『病院の治しかた~ドクター有原の挑戦~』(テレビ東京系)など、今クールの作品もこうした流れを受け継いでいるといえそうだ。“歴代最高”に挙げられるような名作が生まれることを期待したい。※週刊ポスト2020年1月31日号
2020.01.23 11:00
週刊ポスト
2008年の紅白初出場歌手たち(共同通信社)
紅白出場で大ブレイクしたあの歌にクレームが出たワケ
 生番組にはハプニングがつきものだ。放送70回の節目を迎えるNHK紅白歌合戦にも、生放送ゆえの様々なアクシデントがあり、それを乗り越えてきた歴史がある。慌ただしい紅白の裏側に隠れた意外な話を、最新刊『紅白歌合戦ウラ話』が話題の合田道人(ごうだみちと)氏に聞いた。■紅白で大ブレイク『千の風になって』で大クレーム? 第57回に初出場したことをきっかけに社会現象ともなった秋川雅史の『千の風になって』。ところが、“お墓に眠ってなんかいない”という歌詞のせいでお彼岸のお参りが激減。“墓石が売れない”“お供えの花が売れない”というクレームが殺到したという。■視聴率対策に「キムタク」が使われていた? 各界のスターを発掘してきた紅白。「秋川雅史さんが初出場した当時はまだ知られざるクラシック界の星だったので、歌唱中はSMAPの木村拓哉が詞を朗読する形で共演。キムタクの顔がアップで映ることで視聴率もキープ、“良い曲だね”と注目されました(第57回)」(合田氏)■あの「政治家」「経営者」も審査員をしていた? 郵政大臣だった田中角栄(第8回)、松下幸之助(第16回)も審査員を務めた。日中国交正常化を遂げた72年(第23回)は中国へ初めて飛んだ民間飛行機の機長が審査員に。■歌手、応援、司会、審査員を「コンプリート」した唯一の人は? 西田敏行。『もしもピアノが弾けたなら』で第32回に初出場。審査員で第40回、司会で第41回、白組応援リーダーとして第29回に登場した。■紅白の二大事件「美空事件」と「仮面ライダー事件」とは? 都はるみが引退を表明して紅白史上初のアンコールが起きた第35回で、司会者が「もっとたくさんの拍手をミソ…」と美空ひばりと言い間違える痛恨のミス。第37回は白組司会の加山雄三が少年隊の『仮面舞踏会』を『仮面ライダー』と紹介。※週刊ポスト2019年12月20・27日号
2019.12.19 07:00
週刊ポスト
ジャニー喜多川氏の「お別れの会」には多くのファンが訪れた(写真:時事通信フォト)
ジャニーさんお別れ会 祭壇には田原俊彦との思い出の数々
 9月4日、ジャニーズ事務所の創業者であるジャニー喜多川氏の「お別れの会」が東京ドームで開かれた。午前の部には現役の所属タレント、OB、芸能関係者など約3500人が集結。午後の部では敷地内が大行列で溢れ返り、約8万8000人のファンが故人を偲んだ。 この日、バックスクリーン手前に作られた祭壇には上段中央に遺影、横にギネスブック、愛用のジャケットや帽子、レーガン米国元大統領夫妻や田原俊彦と収まった写真が置かれていた。 実は、これらの品々は写真のみならず、ジャニーズ事務所から1980年6月に歌手デビューした田原俊彦と深く関係している。 まず写真は、1989年10月22日に横浜アリーナで行なわれた『レーガン前大統領夫妻来日記念特別企画フレンドシップコンサート』の時の1枚である。同イベントは加山雄三と山口美江が司会を務め、10月27日にフジテレビのゴールデン帯でも放送された。 この年、田原俊彦はデビュー10周年を迎え、主演ドラマ『教師びんびん物語II』がフジテレビの“月9”で初めて視聴率30%を超え、主題歌『ごめんよ涙』もオリコン1位を獲得するなど円熟期に入っていた。 レーガン大統領夫妻の前で田原は『抱きしめてTONIGHT』『KID』などをメドレーで披露し、会場から喝采を浴びた。この時の思い出を、自身のブログにも綴っている。〈今でもあの時の緊張感を覚えています。もっと舞い上がっていたのはMr.ジャニーだけどね~。今でも家に、レーガン夫妻とジャニーさんと僕との4ショット写真がありますよ〉(2014年5月18日付) 自分の教え子がアメリカの大統領を務めた人物の前で歌って踊っている──。ロサンゼルスで生まれ育ち、アメリカのショーをお手本にしてきたジャニー氏にとって、この光景は何物にも代え難い喜びだったのではないか。 また、祭壇に飾られた遺影には『最も多くのコンサートをプロデュースした人物』『最も多くのNo.1シングルをプロデュースした人物』の2部門で認定された2012年版のギネスブックに掲載された写真が使われていた。この時のジャケットは、もともと田原俊彦が着用していたという説がある。元光GENJIの諸星和己は、玉袋筋太郎がパーソナリティを務めるTBSラジオ『たまむすび』でこう話している。〈諸星:あのデカいジャケットあるでしょ? あれね、トシちゃんのお古で。ここ開けると、『田原俊彦』って書いてあるの。俺しか知らないの、それ。玉袋:すごい話だな~(笑)。春風亭一之輔:胸に『田原俊彦』って? 刺繍があるんですか?諸星:それで、あの格好でギネスブックの写真だよ。おかしいだろ?っていうね(笑)〉(『たまむすび』2015年6月26日放送) つまり、祭壇上段には田原俊彦にまつわる品々が置かれていたことになる。 1970年代後半に苦境に陥っていた事務所を再興したのは、たのきんトリオだった。この日、代表して挨拶を述べた近藤真彦と同様に、1980年デビューの田原俊彦も事務所を救った中心的な人物だった。ジャニー氏にとって、野村義男を含めた3人は“中興の祖”として忘れられない存在だろう。 田原本人はお別れ会に出席しなかった。人それぞれの考え方や事情があることは重々承知しているが、個人的には残念に感じる。ただ、これまで自伝などで再三再四、ジャニー氏への感謝を述べてきたように、田原俊彦の中で故人への思いは変わらないだろう。 ジャニー喜多川氏は常に新しさを追求し、驚きの絶えないステージを求めていた。田原は今一度、ジャニーイズムに応えられているかを自問自答しながら、これからも続く芸能人生を歩むことがジャニーさんへの供養となるだろう。◆文/岡野誠:ライター・芸能研究家。本人へのインタビューや関係者への取材、膨大な資料で構成する著書『田原俊彦論 芸能界アイドル戦記1979-2018』(青弓社)は3刷に。ジャニー喜多川氏と田原がレコーディング時、歌詞について意見を戦わせた逸話なども綴っている。9月28日、東京・下北沢の本屋B&Bで元CHA-CHAの木野正人とトークイベント開催。
2019.09.06 07:00
NEWSポストセブン
平成の紅白は挑戦の連続だった(2018年の紅白に出場したDA PUMP)
平成の紅白歌合戦 打ち切り説を乗り越えた挑戦の歴史
 元号が平成から令和に変わる直前の4月29日、NHKで『総決算!平成紅白歌合戦』が放送された。平成元年から平成30年までの紅白歌合戦をVTRで振り返りながら、第1部では北島三郎、松田聖子、嵐という歌手たちが、第2部では内村光良、バナナマン、出川哲朗、渡辺直美という芸人たちがそれぞれの想いを語った。はたして平成の紅白歌合戦はどのように総括されるのか。「平成の紅白歌合戦は視聴率との戦いだった」と語るのは視聴率研究家でライターの岡野誠氏だ。同氏が、“平成の紅白歌合戦”を振り返る(文中で肩書きは当時。視聴率はビデオリサーチ調べ/関東地区)。 * * * 平成が始まった年、“紅白打ち切り”は現実味を帯びていた。〈本当は今年で最後にして、なくしたい気持ちだ〉(朝日新聞・平成元年9月29日付) 平成元年4月に就任したNHKの島桂次会長は、9月13日の定例記者会見で紅白歌合戦についてこう言及している。 視聴率70~80%台という驚異的な人気を誇っていた大晦日の風物詩は昭和60年代に入ると、急激に数字を落としていた。都はるみの引退、チェッカーズの初出場などで沸いた昭和59年の78.1%から、60年は66.0%に下落。白組司会の加山雄三が少年隊の『仮面舞踏会』を『仮面ライダー』と間違えて紹介したことが話題になった61年には59.4%、62年は55.2%、63年は53.9%とわずか4年で24.2%も激減していた。 いつの時代も、権威の急速な衰えは大きな話題になる。昭和63年の紅白歌合戦を伝える記事の見出しには、こんな言葉が並んでいた。〈NHK「紅白歌合戦」の視聴率がまたダウン〉(読売新聞・昭和64年1月3日付)〈「紅白」関東では過去最低の視聴率〉(朝日新聞・昭和64年1月3日付) この延長線上に、冒頭の島会長の発言があり、打ち切りが囁かれたのだ。平成元年、“昭和を振り返る”という名目もあり、紅白は開始時間を従来の21時から19時15分に改め、初の2部制を敷いた。しかし、視聴率47.0%(2部。以下同)と初めて50%を割ってしまう。島会長は〈公共放送にふさわしい大みそかの番組を職員とともに開発していきたい〉(朝日新聞夕刊・平成2年1月8日付)と紅白に代わる題材を模索した。 結局、めぼしい代案がなかったため、平成2年も紅白は2部制のまま存続。島会長は現場にこんな要求をしていたという。〈紅白のネーミング、大枠は残すにしてもマンネリ化は困る。歌を取り巻く現在の環境も変わっている。新しい時代を反映したものをどこまで出せるか?〉(日刊スポーツ・平成2年10月13日付) 同年、東西統一を果たしたドイツ・ベルリンからの中継で出演した初出場の長渕剛が予定の10分を大きく上回る17分30秒も歌って物議を醸す。23年ぶりに出場した植木等の『スーダラ伝説』も視聴者を呼び込み、51.5%と回復。それでも、島会長は〈外国からの中継を取り入れたりニューメディア時代じゃなきゃできない内容だったが、基本的には変わってないな〉(日刊スポーツ・平成3年1月10日付)と手厳しかった。 だが、平成3年7月に島会長が辞任したことに伴い、流れが変わる。代わって会長の座についた川口幹夫氏は、就任会見で紅白の継続について聞かれると、〈島前会長は「やめる」とかなり強く言っておられたようだが(笑い)、私もやめてもいいと思っている。時代が変われば番組が変わるのは当然。50%の視聴率を取っているし、新しい紅白の誕生を現場に求めています〉(日刊スポーツ・平成3年8月1日付)と存続とも打ち切りとも取れるコメントをしていた。 その後のインタビューで紅白について問われると、こう発言した。〈判断は現場にまかせます。僕らが作っていたころは、会長からは何も言われなかった。現場のやる気を生かすのが、一番いいんです〉(朝日新聞夕刊・平成3年8月23日付) 平成3年も、視聴率51.5%と前年と同じ数字を記録。紅白打ち切り説は消えていった。 以降、平成4年(1992年)は朝ドラ『ひらり』の主題歌『晴れたらいいね』を歌ったドリームズ・カム・トゥルー、ラストステージのチェッカーズ、コンドームパフォーマンスの本木雅弘などが話題を呼んで55.2%、平成10年(1998年)は安室奈美恵の復帰ステージ、初のミリオンセラー『夜空ノムコウ』を披露したSMAP、途中からマイクを通じてではなく地声で歌った和田アキ子などが視聴者の目を引き付けて57.2%を記録。平成11年(1999年)までは50%台を保っていく。 視聴率の安定していた紅白に、再び危機が訪れる。平成12年(2000年)48.4%と11年ぶりに40%台に下がると、4年後には39.3%と初の30%台に突入。この年の視聴率年間1位だったが、メディアはこんな見出しをつけた。〈NHK「紅白」39.3% 海老沢会長窮地、「史上最高」のはずが視聴率史上最低〉(スポーツニッポン・平成17年1月3日付)〈NHK「紅白歌合戦」史上最悪視聴率39.3% K-1は20.1%〉(スポーツ報知・平成17年1月3日付) この年以降、ネットテレビやSNS、スマートフォンなど地上波テレビのライバルが激増していく流れを考えれば、さらに視聴率が下がってもおかしくなかった。しかし、“平成後半の紅白歌合戦”は毎年40%前後に踏みとどまっている。『テレビ離れ』が叫ばれる中で、実に驚異的なことである。 総世帯視聴率(HUT、調査対象の中でテレビを付けている世帯の割合)と比べると、凄さがわかりやすい。【年/ゴールデンタイムの年間HUT/紅白視聴率】・平成16年(2004年)/67.9%/39.3%・平成23年(2011年)/63.9%/41.6%・平成30年(2018年)/60.6%/41.5% 平成16年と30年で、ゴールデンタイムの年間HUTは7.3%減少するも、紅白は2.2%増加しているのだ。 なぜ、平成後半も紅白は40%前後の高視聴率を保てたのだろうか。島会長が指摘していた〈マンネリ〉の良い部分を残しながらも、毎年のようにサプライズを仕掛け、従来のNHKの慣習を少しでも打ち破ろうとする演出側の挑戦が見逃せない。 平成16年に初の30%台に落ちると、それまで4年連続で続けてきた局アナだけの司会を辞め、平成17年はみのもんたを抜擢。過去にも古舘伊知郎や上沼恵美子など民放の人気司会者の起用はあったが、彼らはNHKでレギュラー番組を持っていた。しかし、『みのもんたの朝ズバッ!』(TBS系)、昼の『午後は○○おもいッきりテレビ』(日本テレビ系)など民放でレギュラー番組9本を持っていた超売れっ子も、衛星放送を除けばNHKでの司会は初。その効果もあってか、この年は42.9%と数字を戻す。 平成22年(2010年)以降、NHK連続テレビ小説(朝ドラ)出演者がほとんど毎年、司会に名を連ねていることも大きな変化の1つだ。過去にも昭和40年の林美智子、昭和61年の斉藤由貴、平成4年、5年の石田ひかりと朝ドラヒロインを抜擢していたが、今ではもはや定番となっている。司会者だけには留まらず、平成25年の『あまちゃん』のように朝ドラコーナーも組み込まれている。 平成27年(2015年)には、タモリとマツコ・デラックスという大物タレントを審査員ではなく、中継で繋いだ。平成29年の欅坂46、平成30年のDA PUMPの歌唱時には、司会の内村光良が一緒に踊った……。挙げれば切りがないほど、毎年新しい演出を試みている。 昭和の頃ならタブー視されたこともあるだろうし、「NHKらしくない」「自局の宣伝ばかり」という批判も浴びている。公共放送であるNHKが視聴率を狙い過ぎという指摘も見受けられる。 他番組はさておき、紅白に関しては昭和から年間1位を続け、平成になって1位から陥落した年もあったものの、上位に残り続けている歴史を考えれば、今さら視聴率を完全に無視した構成にすることはないだろう。 むしろ、視聴率を気にしたからこそ、“平成の紅白歌合戦”は芸能界やテレビ界、視聴者の変化そのものを現し、日本のテレビ番組における象徴的な存在となったのではないか。 振り返れば、平成初期の島会長の〈マンネリ化は困る〉という精神は、今も紅白演出の根底にあるように感じる。昭和から続く良い慣習を残しながら、時代に合わせたアレンジを加えて生き延びた紅白歌合戦。令和になっても進化を続けるか。●文/岡野誠:ライター・芸能研究家。研究分野は松木安太郎、生島ヒロシ、視聴率、プロ野球選手名鑑など。最近は角川博チェックにも余念がない。本人へのインタビューや関係者への取材、膨大な資料の緻密な読解を通して、田原俊彦という生き方を描いた著書『田原俊彦論 芸能界アイドル戦記1979-2018』(青弓社)が話題に。
2019.05.03 16:00

トピックス

謝罪をする田中聖(公式YouTubeチャンネル)
田中聖容疑者、覚醒剤所持でまた逮捕 芸能人が“やめられない”根本的な問題点
NEWSポストセブン
『ぴったんこ☆カンカン』スタート時の安住アナ(時事通信フォト)
泉ピン子が語る安住紳一郎アナ「とても負けず嫌い。すごい強さを秘めている」
週刊ポスト
結婚を発表し、お相手を「建築会社」とした滝沢。「一般男性」とは言っていない
滝沢カレン結婚!「テラハ」出演“肉食系”ハーフモデルのどこに惹かれたのか
NEWSポストセブン
盗難被害を告白した木下
TKO木下隆行がベトナムで270万円の盗難被害、防犯カメラにおさめられた悪質手口の一部始終
NEWSポストセブン
TBS・安住紳一郎アナウンサーの魅力の源は?(時事通信フォト)
TBS安住紳一郎アナ、恩師や先輩アナが明かす“天才的なしゃべり”“のスキル
週刊ポスト
眞子さまの箱根旅行のお姿。耳には目立つイヤリングも(2018年)
小室圭さんの妻・眞子さん 華やかだった4年前の「箱根・女子旅ファッション」
NEWSポストセブン
メディアの前に久しぶりに姿を現したブラザートム(撮影/黒石あみ)
ブラザートムが不倫騒動・事務所独立からの今を語る「娘にはよくハガキを書いてあげるんです」
NEWSポストセブン
日本は世界が憧れる国だと思っていたが……(イメージ)
在日経験のある外国人たちが「日本の没落」を口にし始めているという厳しい現実
NEWSポストセブン
小室圭さんと眞子さん
小室圭さん妻・眞子さんがNYで行きつけのスーパーから見えてきた“妻の気遣い”「日本でいえば『成城石井』」 
NEWSポストセブン
高橋真麻
高橋真麻「おでんの卵8個食べても太らない」女性が憧れる美スタイルの理由
NEWSポストセブン
SDGs(持続可能な開発目標)についてテレビが取り上げる機会が激増していた(イメージ、時事通信フォト)
テレビ局が一斉に発信していた「SDGs」、最近見かけなくなった理由
NEWSポストセブン
結婚し、日本メディアが情報をキャッチしづらいNYで、デイリーメールが追跡取材(写真/JMPA)
小室圭さん・眞子さん夫婦が「離婚で終わったとしても…」英デイリー・メールが報じた「茨の道」
NEWSポストセブン