樹木希林一覧/3ページ
【樹木希林】に関するニュースを集めたページです。

娘の前で泣かない認知症の母 映画館でこっそり涙
父が急死したことで、認知症を患う母(84才)を支える立場となった女性セブンのN記者(55才・女性)が、介護の日々を綴る。 * * * それまで、母の涙を見たことがなかった。だから、認知症の妄想で取り乱して泣かれた時には私の方が激しく動揺した。「母を泣かせちゃいけない」と、その時は思ったが、涙を流すと心がちょっと軽くなることにも最近、気づき始めた。◆泣いたり泣かれたりが苦手だったゆえに…母娘 母は昔から、家族の前でさえも涙を見せたことがない。物が飛び交う大げんかを父とした時も、祖父母の葬儀の時も、そして父の臨終でも母は泣かなかった。 そのせいか、私も卒業式などでは常に“泣けない組”。ゆがんだ泣き顔を見られるのが何より恥ずかしいが、涙がこみ上げてきても、泣きそうな自分に気づくと急に冷める。そして嫌なモヤモヤが残った。声を上げて素直に泣く友人を見て、羨ましく思ったものだ。 だから母が初めて泣き顔を見せた時は、仰天した。 父が他界してひとりぼっちになり、一気に認知症が顕著になった時のことだ。私が訪ねるたびに母は「財布が見当たらない」「お金をどこにやった」と詰め寄った。 私もこんな母と対峙するのは初めてで、支えるどころかいつも及び腰の臨戦態勢。 認知症のことを少しは理解した今なら、母が初めて経験した不安と焦燥がわかる。救いを求めた娘に牙をむかれ、絶望と怒りで、ある日ついに限界を超えたのだ。 鬼のような形相で「あたしのお金は~!?」と叫びながら、しわしわの頬にサーッと涙の細い筋が伝ったのが見えた。すでに私は恐怖のどん底にいたが、母の涙にさらに動揺し、慌てて背を向け、ケアマネさんに電話をかけた。 見てはいけないものを見てしまった。「なんとか早く収めなきゃ」という心境だった。あの涙は今も忘れられない。◆映画館のこっそり涙は気持ちいいのだ! 今は妄想も落ち着き、母は穏やかさを取り戻したが、相変わらず私に涙を見せない。 一方私は、年を重ね、涙の後の快感に目覚め、肩の力を抜いて泣けるようになってきた。特に映画館の暗闇は泣きやすい。娘が小さい頃に見に行った『ドラえもん』の映画では必ず泣けた。たいてい周りの母親たちのすすり泣きも聞こえるので、気楽なのだ。コメディー映画や落語などで大笑いするのも気分が晴れるが、じんわり泣いた後はまた違ったスッキリ感がある。 母ももっと気軽に泣ければいいのにと思いつつ、2人で樹木希林さん主演の映画『あん』を見に行った時のことだ。『あん』はハンセン病や人の生死など重いテーマを扱った映画だが、希林さんの軽妙な演技が、母も私も昔から大好き。認知症でどこまで楽しめるかわからないが、シーンの美しさやセリフのひと言ひと言に、母なら感動できるはずだと思った。 クライマックスで感動の波が押し寄せると、私の目頭はズーンと熱くなった。すると隣の母から鼻をすする音が。「あれ? 泣いてるのかな」と覗き込むと、母は慌てて「鼻、出ちゃった」とごまかした。また見てはいけないものを見たような気になり、思わず目線を外した。 しかし後日、真相が明らかに。当時、あちこちで上映会が行われていて、数日後に母は再び『あん』を見たのだ。そこは認知症のよいところで何度でも初見の喜びがある。同行したスタッフによると、「Mさん(母)、とても熱心に見ていたわよ。いい映画よね~ 泣いていらしたもの」※女性セブン2019年11月21日号
2019.11.08 16:00
女性セブン

石田ゆり子が次々と優良物件購入、「不動産王」への道
「朝起きて、冷蔵庫を開けたら、靴下が入っていたことがあったんです。自分でもなんでかわからないんですけど」 10月20日放送の『おしゃれイズム』(日本テレビ系)でそんな仰天エピソードを明かした石田ゆり子(50才)。10月3日に50才の誕生日を迎えたが、かわいらしい“天然”ぶりと若々しさは健在だ。 11月1日公開の映画『マチネの終わりに』では二十数年ぶりとなる福山雅治(50才)との共演が話題になるなど、仕事もますます充実しているようだが、『おしゃれイズム』収録時にはこんな気になることも口にしていたという。「“知人の家にペット専用の部屋を作ってもらった”という話がありました。ただ、実際の放送ではカットされました。番組宣伝では、石田さんの“自宅公開”と告知されていましたが、インテリアが少し紹介された程度。どうも自宅についてあまり語りたがっていないように見えました」(番組関係者) 石田は20年ほど前に購入したマンションを売却し、一昨年5月に都内の高級住宅地に地上3階建ての一戸建てを新築していた。土地の広さは130平方メートル以上、建物も含めて価格は3億円を下らないという。「石田さんは現在ゴールデンレトリバーの『雪ちゃん』と、4匹の猫と同居中。前のマンションは大型犬と猫をまとめて飼うには手狭で、もっと広い家に住まわせたいという思いから豪邸に引っ越したそうです」(石田の知人) しかし、10月上旬『マチネの終わりに』の舞台挨拶後、石田が帰っていったのは、この豪邸ではなく都心のマンションだった。そのマンションは、今年2月に石田が購入したものだった。「ファミリー向けの高級マンションで、都内の一等地にもかかわらず100平方メートル以上の部屋も多いです。なかでも石田さんが購入されたのは140平方メートルを超える物件。価格は3億円近くするのでは」(不動産関係者) 豪邸を建てたわずか2年後に、高級マンションを買っていただけでも驚きだが、実は、この物件は3軒目だった。「昨年夏にも都内の閑静な住宅地にあるビンテージマンションの最上階を買っています。こちらも100平方メートルを超える広さで1億円近くはするでしょう。現在は賃貸に出されているようです」(別の不動産関係者) 一昨年以来、年1軒のペースで不動産を連続購入していたことになるが、いったいどういう理由からなのか。「一戸建てに引っ越した後、石田さんは愛犬が階段の上り下りをすることを嘆いていました。犬にとってヘルニアになる危険性がありますからね。だから“階段のないマンションに”と考えたのかもしれません。『おしゃれイズム』で明かした“ペット専用の部屋”とは、彼女の新居のことかもしれません」(テレビ関係者) 特徴的なのは、住み替えではなく、3軒とも所有し続けている点。しかも、すべて値下がりしにくい優良物件ばかりだ。それにはある先輩の影響がありそうだ。「石田さんは樹木希林さん(享年75)をとても尊敬していました。希林さんは若い頃から不動産が趣味で、亡くなる前に少なくともマンション3戸、一戸建てを5軒も所有していたそうです。娘の也哉子さん(43才)・本木雅弘さん(53才)夫妻にも“年金のつもりで家賃収入をいただきなさい”とすすめていたほど。石田さんもこの“教え”に従っているのかもしれません」(芸能関係者) 石田の事務所に問い合わせたが、回答はなかった。 樹木さんを継承するかのように、「不動産王」の道を歩き始めた石田。天然のようでいて、意外にしっかり者なのかも。※女性セブン2019年11月7・14日号
2019.10.25 16:00
女性セブン

【動画】樹木希林さんの孫・UTA、テラハ出演美女マーサと熱愛
昨年6月にパリコレデビューを果たしたモデルのUTAさんと、「テラスハウス」出身でモデルのマーサこと遠藤政子さんの熱愛が明らかになりました。 UTAさんは樹木希林さんの孫で、希林さんの一人娘の也哉子さんと本木雅弘さんの長男。二人は8月下旬、渋谷で目撃されました。 居合わせた客によると「10人ほどのグループでボウリングをしていました。UTAさんの隣にはマーサさんがいて、すごく仲がよさそうだった」とのこと。二人は昨年一月ごろ共通の知り合いを通じて出会い、交際に発展したそうです。
2019.09.27 16:00
NEWSポストセブン

「老衰」とは何か、そして医師が選ぶイヤな死に方1位は?
《死ぬときぐらい好きにさせてよ》という言葉を残して女優の樹木希林さん(享年75)が旅立って1年が経ったが、彼女の存在は今も多くの人々の心を捉え続けている。 その理由は強烈な個性や型破りな生き方はもちろん、「死に方」にある。 樹木さんがこの世を去ったのは、2018年9月15日。死因は、本人が言うところの「全身がん」だった。はじめに乳がんが見つかり、2005年に手術をするも根治することはなく、次々と転移してゆく。その数は腸、副腎、脊髄など、2013年には13か所にもおよんでいた。 しかし樹木さんはがんを受け入れ、女優を引退することなく精力的に活動を続けた。 そればかりか、《人生がすべて必然のように私のがんも必然だと思っています》《がんってのは準備ができるからありがたい。それは悲壮でもなんでもないです》(過去の発言より、以下同)とがんを肯定する発言すらしている。しょっちゅう離婚危機に陥っていた夫の内田裕也さん(享年79)とも自身のがんをきっかけに関係が修復し、「離婚しなくてよかった」と言い合うようになったとも明かしている。《手術のあとにのまなきゃいけないホルモン剤ものんでないの。あれをのむとなんだか具合が悪くて。薬やサプリメントも、そういったものは一切のんでないんですよ》と抗がん剤やホルモン剤なども使わず、最期は《病院よりは家の方がいいかな。孫の声が聞こえるところで死にたいですね。本木さんはそもそも“おくりびと”だから》という本人の強い希望により、自宅で亡くなった。 家族は樹木さんのために24時間介護できる体制を整え、意識が薄れゆく樹木さんの手をさすり、頭をなでたりしたという。 つまり、強い意志があり、事前にしっかり準備をしていれば、「いい死に方」ができる可能性があるということだ。 その具体的な方法に迫る前に、現代日本においてどのように亡くなる人が多いのかを考えたい。 最新の統計によれば、「老衰」で死ぬ人が増えているという。厚生労働省の発表(2019年7月)によると、もっとも多い死亡理由はがん(37万3547人)であり、心筋梗塞などの心血管疾患(20万8210人)が次点。今年初めて第3位に浮上したのが老衰(10万9606人)だ。昨年まで3位だった脳血管疾患による死亡数を上回ってのランクインとなった。 そもそも老衰とは、どんな状態を指すのだろう。加齢によって体が機能しなくなり、ゆっくり死を迎えるようなイメージを持つ人が多いはずだが、医療のプロたちはどう考えているのか。 在宅医療のエキスパートで多くの看取りを行ってきた長尾クリニック院長で医師の長尾和宏さんはこう言う。「老衰の医学的な定義は、実ははっきりとは決まっていません。ただし、多くの患者さんを看取ってきた私は、その経験から平均寿命を超えた人が栄養の摂取量が減ってやせ、穏やかに枯れるように自然死することを老衰だと解釈しています」 長尾さんが年間で看取った人の約半数は老衰で亡くなっているという。「私は年間100人以上の死亡診断書を書きますが、その半分ほどに記入するのが『老衰』という二文字。一般のかたが持っているイメージとそう変わらず、みなさん寝ている間に亡くなったり、眠るように逝きます。もがき苦しんだりするような人はほとんどいません」(長尾さん) つまり、老衰は理想の死に方の“ピンピンコロリ”に近いといえるだろう。 一方で、「老衰がすべて安らかな死だというわけではない」という意見もある。昭和大学病院緩和医療科の診療科長を務める医師の岡本健一郎さんの話。「基本的には脳をはじめとする全身の機能が低下し、苦痛を感じないで眠るように亡くなることが多いようです。しかし、まったく苦痛がないかというと、そういうわけでもない。たとえ大きな病気にかかっていなかったとしても、体力が落ちた高齢者は便が出ないだけでも苦しい思いをします。つまり、ケースバイケースなのです」◆「救急車の中は、阿鼻叫喚の世界です」 どんな最期になるかは人それぞれだが、病気で壮絶な最期を迎えるよりは、苦痛も軽減されるようだ。 では逆に、どんな死に方が苦しいのだろう。救急救命士としてさまざまな現場を目撃してきた日本救急救命士協会会長の鈴木哲司さんはこんな証言をする。「重病人やけが人などを搬送する救急車の中は、阿鼻叫喚の世界です。私が知る限り、病気の中で特に苦痛が強いものは『くも膜下出血』でしょう。これを“痛みの王様”と呼ぶ医療関係者もいるほどです。 また、『解離性大動脈瘤破裂』を起こすと胸や背中に杭を打たれるような激痛が走るといわれ、あまりの痛みに意識を失ったり、ショック状態に陥る人もいます。心筋梗塞は火箸で刺されたような激痛が走るともいわれ、かなりの痛さだとされます」 山野美容芸術短期大学客員教授で医学博士の中原英臣さんも、「心筋梗塞は“こういう死に方をしたくない”と思う病気のナンバーワンです」と声をそろえる。「もちろん、痛みだけで考えたら骨折や痛風の方が痛いかもしれません。しかし、心筋梗塞の痛みや衝撃は、死の恐怖を伴います。恐怖の苦しみを伴う痛みは、想像を絶するものなのです」(中原さん)※女性セブン2019年10月10日号
2019.09.27 07:00
女性セブン

坂上忍、坂口憲二、浅田美代子、花田虎上 台風被災の状況
関東地方を中心に大きな傷跡を残した台風15号。住宅被害は1都7県で1万3655棟(9月22日時点)に及ぶ。なかでも深刻なのは千葉県だ。住宅被害は確認できただけで1万1773棟。長引く停電が住民を苦しめ、発生から2週間が過ぎてもなお復旧していない地域も多い。「その中にぼくの家も入っている」 とMCを務める『バイキング』(フジテレビ系)で怒りの告白をしたのは坂上忍(52才)。千葉県の東京湾沿岸地域は都心への通勤圏で、自宅を構える芸能人も少なくない。 14匹の愛犬・愛猫と暮らすため、広大な土地を求め、2015年に千葉に引っ越した坂上。自宅は、犬用のフェンスが倒れ、坂上お気に入りの庭木が根元からなぎ倒されていた。坂上の近隣住民はこう語る。「このあたりは海が近いこともあって、屋根がめくれ上がるなど大きな被害を受けた住宅も多い。停電も続いたので、坂上さんは犬たちが熱中症にならないようにと自家発電機を購入したそうです。 倒れたフェンスは業者には頼まず、ご自分で直していらっしゃいました。“周辺にはもっと大きな被害を受けている家がたくさんあるから、そういうところが先に援助を受けるべきだ”と。そうやってきちんと地域のことを考えて溶け込んでいるから、坂上さんはみんなから応援されているんです」 バラエティー番組『坂上どうぶつ王国』(フジテレビ系)で計画を進めている、“どうぶつ王国”を造るプロジェクトも、この近辺で建設が進んでいたが、一時的に中断を余儀なくされている状態だ。 坂上の家からそう遠くないところにある花田虎上(48才)の自宅でも停電が続き、周囲は信号機も停止。さらに暴風で鍵穴が壊れて自宅に入ることができなかったことを自身のブログで報告した。 昨年の3月に「特発性大腿骨頭壊死症」を患い、芸能活動休止を宣言した坂口憲二(43才)は千葉県の九十九里に移住している。大好きな珈琲の焙煎所を立ち上げたが、そこも台風被害を受けていた。「珈琲を焙煎する機械の煙突が強風で壊れたのですが、坂口さんはすぐに復旧作業をして、翌日から焙煎所を再開しました。その頑張りに、周囲の住民たちは励まされています」(坂口の近隣住民) 坂口は珈琲に情熱を注いでいるようだ。「珈琲豆の販売だけでなく、今年4月には都内にコーヒースタンドをオープン。坂口さんも店に出ています。住宅街にあるため“ご近所の人に迷惑がかからないように”と住所は非公開です」(坂口の知人) 内房にある浅田美代子(63才)の別荘周辺では、強風でなぎ倒された大木が海岸近くに並べられていた。ここは布袋寅泰(57才)の元別荘で、浅田が樹木希林さん(享年75)のすすめで購入。生前は樹木さんも頻繁に遊びに来ていた、“思い出の家”だという。「浅田さんの別荘は、門が大破し、誰でも入り込める状態になり、セキュリティー会社の人が状況を確認しに来ていました。彼女は月に何日かをここで過ごしていますが、今はそれも叶わない。この地域でも停電が長く続いたので、“電気なしでは生活できない”と、親戚や友人の家に身を寄せた人もいましたね。幸い1週間ほどで復旧しましたが、暑いし、夜は真っ暗だし、冷蔵庫のものは全滅だし、洗濯機も回せない。電気のありがたさを思い知らされました」(浅田の別荘の近隣住民) 一刻も早い全面復旧を願うばかりだ。※女性セブン 2019年10月10日号
2019.09.26 16:00
女性セブン

樹木希林さんの孫・UTA、テラハ出演美女マーサと熱愛
日本人離れした190cmの長身と、シャープな顔立ち。昨年6月にパリコレデビューを果たしたモデルのUTA(21才)が、「俳優挑戦」を口にしたと報じられ、話題を呼んでいる。「UTAさんは樹木希林さん(享年75)の孫で、希林さんの一人娘の也哉子さん(43才)と本木雅弘さん(53才)の長男。どんな演技をするのか、注目を集めるのは当然でしょう」(芸能関係者) 東京で生まれ、中学時代はスイスに留学。高校はアメリカに移り、現在はカリフォルニア州の大学に在学中だ。モデル業のかたわら、バスケットボール選手としても活躍しており、日本代表候補に選ばれた経歴もある。 そんなUTAの姿が東京・渋谷で目撃されたのは、8月下旬のこと。「10人ほどの男女グループが楽しそうにボウリングをしていて、そのなかにひときわ大柄なイケメンがいました。よく見たらUTAさんだったのでビックリ。力強い投球でストライクを連発して、目立っていました。隣にはモデルのマーサこと遠藤政子さん(26才)もいて、すごく仲がよさそうでした」(居合わせた客) マーサは、2016年8月から恋愛リアリティー番組『テラスハウス』(フジテレビ系)に出演していたモデル。ただ、1か月あまりで出演男性とカップルとなり、早々に卒業していたが…。「マーサさんはテラハ卒業から約1年後、番組で交際を始めた恋人と破局。その後、昨年の1月頃に共通の知人を介してUTAさんと出会い、交際に発展したようです。UTAさんはマーサさんに夢中で、自分が撮影したマーサさんの寝顔写真を友達に見せては、『寝ている時も本当にかわいい』とノロケていました。ふたりで出歩く時も、堂々としていますよ」(UTAの知人) 夜11時に始まったボウリングは、日付をまたいで午前2時頃に終了。ボウリング場を出る時も、UTAとマーサはぴったり寄り添っていた。 UTAがモデルを志すようになったのは、祖母である樹木さんの《服というのは内面を映す鏡。いろんな服を着ることで、より自分を客観視することができる》という言葉に感銘を受けたから。 最近では「祖母のように魂で表現できる俳優になりたい」とも口にしているという。超自然体で隠し事なき交際は、樹木さんの生き方をなぞっているのかもしれない。※女性セブン2019年10月10日号
2019.09.25 16:00
女性セブン

樹木希林さん「一周忌はやらない」 遺族が決断した理由
昨年9月15日、全身がんとの長い闘病生活の末、惜しまれながら亡くなった樹木希林さん(享年75)。その一周忌が近づいている。 この1年、生前の樹木さんの言葉を集めた多くの本が出版され、テレビ番組でも特集が幾度となく組まれて、彼女の生きざま、死にざまが注目され続けてきた。 一周忌の5日前となる9月10日には『樹木希林さん特別番組 おもしろうて、やがて不思議の、樹木希林』(テレビ朝日系)と題した追悼番組が放送され、生前親交のあった広瀬すず(21才)、黒柳徹子(86才)、阿部寛(55才)らが、インタビューで樹木さんとの思い出を語るという。 昨年9月30日に営まれた樹木さんの葬儀・告別式の参列者は約1500人。一周忌にも多くの人が集まることが予想されるが、あるテレビ局関係者は「一周忌はやらない予定だと聞いています」と話す。「ロンドンに住んでいる娘の内田也哉子さん(43才)・本木雅弘さん(53才)一家はしばらく日本にいましたが、7月末にロンドンに帰り、命日には日本にいないようです」(テレビ局関係者) 一般的には営むのが“当然のこと”とされている一周忌。それをやらないのは、樹木さんの思いを推し量ってのことだという。「樹木さんは生前、さまざまな出版依頼をすべて断っていました。周囲には“『老い』とか『死』とかそういうテーマの取材依頼がたくさんきて、困っちゃうのよ。何も話すことなんてないのに”と漏らしていたほどです。ところが、亡くなった後になって樹木さんの本が何冊も刊行され、ベストセラーになった。このことを也哉子さんは複雑な思いで受け止めているようで、“こんなことになって、母は本当は喜んでいないのではないか”と考えているそうなんです」(別のテレビ局関係者) そんな経緯があり、也哉子さんは一周忌をやらないことを決めた。「也哉子さんは“もし一周忌をやれば今以上に騒がれてしまい、母の本意とますますかけ離れてしまう”“形にこだわらない方が、母らしい”とも話していました」(也哉子さんの知人) 生前、「死に方は勝手にさせてよ」と話していた樹木さんにとって、「何もしない」ことが何よりの供養なのかもしれない。※女性セブン2019年9月19日号
2019.09.06 07:00
女性セブン

内田也哉子 母・樹木希林から受け継ぐ「9月1日」への思い
昨年9月15日、惜しまれながら亡くなった樹木希林さん(享年75)の一周忌が近づいている。 この1年間、樹木さんはこれまで以上に存在感を増したといってもいいだろう。死後、3本の映画が公開され、相次いで刊行された関連書籍はどれもベストセラー。生前に樹木さんから発せられた含蓄ある言葉の数々は死後もわれわれを奮い立たせた。 この8月には『9月1日 母からのバトン』(ポプラ社)が刊行された。娘・内田也哉子さん(43才)との共著だ。 9月1日とは、1年間で子供の自殺が最も多くなる日。政府がまとめた「自殺対策白書」(2015年)によると、過去約40年間を集計した18才以下の日別の自殺者は、8月前半には約30~40人程度で推移し、8月後半になるにつれて増加。8月31日には92人となり、9月1日が131人でピークとなる。 数年前にそのことを知った樹木さんは、ひどく心を痛めた。2014年、樹木さんは専門誌『不登校新聞』の取材を受け、それを機に、登校拒否・不登校を考える全国ネットワークが2015年に開催したトークイベントにも参加。9月1日の現実を知ったのはそのときだ。不登校経験者に向けて「ほかの人と比べない」「夢を叶えられなくても、挫折するのはバカバカしいことじゃない。方向を変えればいい」など、自分の言葉で「学校に行きたくない」気持ちをもつ子供たちやその親と向き合った。 昨年の8月には『朝日新聞』に、生きづらさを抱える人たちのために直筆でメッセージを寄せ、話題を呼んだ。 樹木さんの死後、初めて迎える「9月1日」。今年、そのバトンを受け取ったのが也哉子さんだった。 この本の第一部は、樹木さんが不登校の当事者やその親向けに行ったトークイベントの内容とインタビューをまとめたもの。第二部では樹木さんのこうした講演内容とともに、也哉子さんと不登校の当事者や経験者、識者のかたがたとの対話を収録している。 担当編集者の天野潤平さんによると、最初は也哉子さんに出版に対するためらいが見られたという。「当時は、樹木さん関連本の出版が続いており、内田さんのもとにも毎日のようにお母様に関する執筆依頼がきていたようです。心の整理がまだつかないと、率直な思いを語ってくださいました」 しかし、天野さんと電話で話していく中で、「9月1日問題」に対して也哉子さんの考えに変化が生じたという。「内田さんは、“母の心を最期まで捉えていた9月1日の現実を知りたい。こんな現実があることをそれまで知らずにいた自分にある種の悔しさを覚える。3児の母親としても無関心ではいられない。イチからこの問題を学ぶ旅に出たい”と逆提案してくださったのです」 一筋縄ではいかなかった親子。也哉子さんは樹木さんがいなくなってからより一層、樹木さんの存在を考えるようになった。「これは、内田さんが受け取ったバトンであったと同時に、彼女が母・樹木希林に出会い直す旅だったのではないでしょうか」(天野さん) 本の売れ行きは順調。だが、天野さんは也哉子さんと樹木さんの望みは、「本書が売れること以上に、9月1日に自ら命を絶つ子がいなくなることではないでしょうか」と言う。※女性セブン2019年9月12日号
2019.08.29 16:00
女性セブン

夫に相続しなかった樹木希林さん、友人に相続した加藤治子さん
複雑な相続のルール。その上、遺産をめぐって家族が仲違いする「争続」も少なくない。そんな中、家族や周囲の人たちと協力し、揉めない相続を実現した有名人の相続秘話を紹介する。 相続はややこしくて難しい。それゆえ素人には判断が難しいが、「さすが」という相続を見せたのが、昨年9月に亡くなった女優の樹木希林さん(享年75)だ。 樹木さんは若い頃から不動産に興味があり、20代前半で東京・大田区に戸建てを購入したことを機に不動産を買い進め、本誌・女性セブンが把握する限りでも都内に総額10億円はくだらない物件を所有していた。 それほどの資産があれば、死後に相続トラブルが起こりそうなものだが、彼女の準備は万全だった。「希林さんの死後、不動産は長女の内田也哉子さん(43才)と娘婿の本木雅弘さん(53才)、孫の伽羅さん(19才)などに速やかに名義変更されました。しかも伽羅さん名義のマンションは希林さんが亡くなる前に手続きされていました。これらは、希林さんが生前に入念な話し合いを行い、計画的に相続先を決めていたことの表れです」(内田家の知人) なかでも専門家が唸るのは、今年3月に樹木さんの後を追うように亡くなった夫の内田裕也さん(享年79)名義の物件を1つも残さなかったことだ。「もし裕也さんが相続したら、裕也さんの死後、子供らに多額の相続税がかかることを心配したのでしょう。希林さんの先見の明には驚くばかりです」(前出・内田家の知人) そんな樹木さんの親友だったのが、『七人の孫』『寺内貫太郎一家』(ともにTBS系)などのホームドラマで人気を博した女優の加藤治子さん(享年92)だ。 加藤さんは最初の夫と死別後に再婚するも離婚し、生涯子供をもうけなかった。母や姉は加藤さんが50代半ばになるまでに逝去し、天涯孤独の「おひとりさま」として世田谷の自宅で暮らしていた。そんな加藤さんの斬新な相続を『週刊現代』が報じ、注目を集めている。「彼女が相続先に選んだのは、5人の友人でした。加藤さんの個人事務所の代表取締役兼マネジャーのAさんと友人のBさん、遠縁のCさん、それにAさんの親友だったDさんと、2度目の夫の再々婚相手でありながら、友情関係で結ばれたEさんの5人です」 加藤さんを知る関係者はそう語っている。87才で乳がんになって「余命5か月」を宣告された加藤さんは、それ以降、遺産を大切な5人に渡すべく相続の準備を始めたという。「加藤さんは世田谷の一等地にある自宅を処分して、そのお金を5人で分割するよう定めた遺言書を作成しました。2015年11月に彼女が他界した後、遺言書に沿って自宅が売却されて5人にそのお金が振り分けられました」(前出・加藤さんを知る関係者) 単なる知人や友人が遺贈を受ける場合は、相続税が2割加算となる。だがそんな負担よりも、人生の最期に大切な人々への贈り物を準備する加藤さんの心遣いが、5人にはうれしかったはずだ。「おひとりさま」の高齢者が増えるこれからの時代に、加藤さんの見せた幸せな相続はひとつのモデルとなる。※女性セブン2019年8月22・29日号
2019.08.16 07:00
マネーポストWEB

樹木希林さん、吉永小百合との食事で「あなたが払いなさい」
樹木希林さん(享年75)の死後、何冊もの本が出版され、テレビでも何度も特集が組まれた。だが、とあるエッセイを読むと、私たちは本当の樹木さんを知らないのではないか──。そう感じずにはいられなくなる。 6月28日に刊行された雑誌『PARTNERS ♯2』に、樹木さんと40年以上の親交があった椎根典子さん(75才)と、夫で雑誌編集者の椎根和(やまと)さん(77才)が樹木さんとの思い出を綴ったエッセイを寄稿している。 典子さんは郷ひろみ(63才)が主演したTBS系のドラマ『ムー』(1977年)、『ムー一族』(1978年)に、樹木さんと一緒に愚痴を言い合う3人組の家政婦の1人「ブスの竹ちゃん」として出演。実生活でも樹木さんに最期まで「ブスの竹ちゃん」と呼ばれてきた間柄だ。 和さんは雑誌『Olive』など数々の創刊に携わり、樹木さんの夫・内田裕也さん(享年79)とは『平凡パンチ』編集者だった45年前からのつきあいだという。 晩年の樹木さんは典子さんに相談を持ちかける機会が増えていたという。ときには《もう仕事やめようと思う》と語りかけられたこともあった。《ある時は有名な女優さんが原爆の語り部になっていることを話題にして、自分も何かするべきかという疑問をぶつけてきた》(『PARTNERS ♯2』より) この女優とは、吉永小百合(74才)のこと。和さんが、樹木さんと吉永の知られざる交流を明かしてくれた。「吉永さんと希林さんは年に数回は食事に行く仲だったんです。吉永さんは紫綬褒章を受章して、文化功労者にもなっている。それで食事の支払いの時になると、希林さんが必ず“あなたは文化功労者になって国から年に数百万円もらってる。私は払うばっかりだから、あなたが払いなさい”って、あの低い声で言うんだって(笑い)」 吉永とはドラマ『夢千代日記』(1981年、NHK)で共演して以来の長いつきあいだった樹木さん。吉永の活動に刺激を受け、樹木さんは「私はこのままでいいのか」と迷ったのだろうか。だが、選んだのは役者を貫き通す道だった。 2011年、裕也さんが元交際相手のCAを脅迫し、復縁を迫ったとして逮捕された時も、樹木さんは椎根夫妻に相談していた。「その頃、希林さんの体はすでに全身がんに侵されていましたが、希林さんにとっていちばんの心配事は娘の也哉子さん家族のこと、そして裕也さんの行く末でした」(典子さん) 樹木さんが「重石」と言っていたという裕也さんとの関係を、和さんはこう話す。「希林さんは最初に裕也を“芸術家だ”と思っちゃったんだろうね。亡くなるまで月々250万円のお手当てをあげていて、それが45年間続いたのだから、信じられないよ」 さらに2012年に也哉子・本木雅弘(53才)夫妻が英ロンドンに移住すると、樹木さんは典子さんにより頻繁に電話してくるようになったという。《寂しいでしょう? と問うと寂しくないと答える。強がりめ! すごく重たい紹興酒の壺を抱えたり、ワインやおつまみまで持参して1時間以上の道のりを電車に乗ってわが家に遊びにきてくれた》 本やテレビで語られることのなかった樹木さんの晩年の本当の姿。樹木さんが毎朝、お経を唱えていたことの真意についても、典子さんはこう推し量っている。《たぶん、あなたは何かを願ってお経を唱えていたのではない(中略)頭も心も生まれる前のような白紙に戻すために、経を唱えるという作法を使って、瞑想していたのだと思えてなりません》 裕也さんが樹木さんの後を追うように亡くなった時、典子さんは、樹木さんに言われたのと同じ言葉を也哉子さんにかけたという。「也哉子さんに“おめでとう”って言ったら、“あぁ、母と同じですね。うれしいです、その言葉”と言ってくれました」(典子さん) 親友の言葉を聞きながら、樹木さんは「あら、ブスの竹ちゃん、よく言ってくれたわね」と雲の上で微笑んでいたに違いない。※女性セブン2019年7月25日号
2019.07.14 07:00
女性セブン

樹木希林さん 母を亡くした友人に「おめでとう」の理由
《ある時「もう仕事やめようと思う、普通の人は何しているのかしら」と弱々しい声で聞いてきた。(中略)ただただ黙って聞いてあげるしかなかった。その2~3日後「私やっぱり人間の観察が好きだとわかった。それって女優として一番大切なことよね」と結論を出してきた。あなたはつぶやきながら自分を見つめて道を開く》 6月28日に刊行された雑誌『PARTNERS ♯2』に、樹木希林さん(享年75)と40年以上の親交があった椎根典子さん(75才)と、夫で雑誌編集者の椎根和(やまと)さん(77才)が樹木さんとの思い出を綴ったエッセイを寄稿している。 彼女が“女優業からの引退”を考えていたことなど、意外な一面も書かれている。 典子さんは郷ひろみ(63才)が主演したTBS系のドラマ『ムー』(1977年)、『ムー一族』(1978年)に、樹木さんと一緒に愚痴を言い合う3人組の家政婦の1人「ブスの竹ちゃん」として出演。実生活でも樹木さんに最期まで「ブスの竹ちゃん」と呼ばれてきた間柄だ。 和さんは雑誌『Olive』など数々の創刊に携わり、樹木さんの夫・内田裕也さん(享年79)とは『平凡パンチ』編集者だった45年前からのつきあいだという。◆本当にうれしかった希林さんの言葉 都心から電車で1時間ほど離れた緑深い山間に建つ椎根さん夫妻の家を訪れると、庭には樹木さんの大のお気に入りだったという、さくらんぼ「佐藤錦」の木が見事な枝ぶりで出迎えてくれた。しかし典子さんは、少し困った表情を浮かべ、こう言う。「あのエッセイは(樹木さんの長女の)也哉子さん(43才)に頼まれて書いたもので、希林さんへの最後のラブレター。だから、それ以上のことは話す気はないの…」 それでも和さんと一緒に思い出をぽつりぽつりとこぼすうちに、典子さんはこらえきれないといった様子で、樹木さんのことを語り始めた。「『ムー』で出会った時は、ともに30代。私は“素人”でしたけど、たまたまデザイナーの横尾忠則さんと知り合いだったという縁で、久世光彦さんのドラマに出るようになったんです。それが始まりね」(典子さん) 樹木さんの第一印象は《周りを緊張させる怖い人》。その怖さの源は、相手のすべてを見透かすような《眼力》だったという。「希林さんは邪心がまったくない、純粋で、すごく面白くて、楽しい人でした。特に思い出深いのは、エジプトロケ。私、郷ひろみちゃんのファンで、希林さんはそれを知っていました。 ロケ先のホテルでのこと。女部屋に男の俳優さんたちもみんな呼んでおしゃべりしているうちに“ひろみちゃんも呼ぼう!”ということになったの。ひろみちゃんはしっかりした子だから“明日の撮影があるので、帰ります”と言って早々に引き揚げたんだけど、部屋に鍵がかかって入れなくて。 そしたら希林さんが気を利かせて部屋割を変えてくれて、ツインルームの1つのベッドにひろみちゃんが寝て、もう1つのベッドに希林さんと私が一緒に寝たんです。ドキドキしていると“あなたダメよ、襲っちゃ”なんて言われてね(笑い)」 ドラマが終わった後も親交は続いたが、関係が深まったのは60才を過ぎてからだという。典子さんが母親を90才で亡くした時、樹木さんは「おめでとう」と声をかけてくれ、涙が出るほどうれしかったという。「母を経済的に面倒を見ていたので、経営している小さい会社を辞めたくても、ずっと辞められなかった。毎週実家に通って1週間分の食事を作って届けたり、入院中は午前中仕事を休んで行ったりして、なんとか続けていたけれど、苦しくて苦しくて。それを希林さんは知ってくれていたので、“ホッとしました”と言うと、“おめでとう”って返してくれたんですね。そんな言葉は初めてだったから、本当にうれしかった」(典子さん)※女性セブン2019年7月25日号
2019.07.12 16:00
女性セブン

高田文夫が言及 浅田美代子、友近ら「変わる女たち」
放送作家、タレント、演芸評論家で立川流の「立川藤志楼」として高座にもあがる高田文夫が『週刊ポスト』で連載するエッセイ「笑刊ポスト」。今回は、「変わり続ける」女たちについてお届けする。 * * * 女は変わる。女性は変貌しつづける。大手出版社の編集者として私とは仕事で初めて会い、気がつけば人気浪曲師・玉川奈々福となり、弟分の太福と共にここへ来ての“浪曲ブーム”を牽引する。そしてこの度は「“刀剣歌謡浪曲”でCDデビューしました」とロングドレスなどまとい、やって来たのにはおどろいた。 たしかに浪曲から歌謡曲という流れには三波春夫、村田英雄、二葉百合子の大成功した例もあるが……聞いてみるとこれがまた、なかなか“今”があって結構。『舞いよ舞え』という曲、機会があったら聞いてやって下さい。そうそう「浪曲にあらたな息を吹き込むプロデュース力」が評価されたとかで、この度「伊丹十三賞」も受賞。 変化していく女……といえば樹木希林が初のプロデュースをしたと話題の映画『エリカ38』を見た。『時間ですよ』の頃からずっと希林が可愛がってきた浅田美代子。一緒にワイドショーなど見ていると「美代子もこういう女を演ればいいのに」と言っていたとか。 年齢の割にはチャーミングさがあって、人から人へ数億の金を集めていった女詐欺師役。あの事件をすぐに想起させるが、愛らしく優しい人が犯罪者へと変わってゆく。だって「となりのミヨちゃん」だった子だよ。名曲『赤い風船』だよ。“あの娘(こ)はどこ~の娘~”だよ。樹木希林としては「代表作を作ってあげたい」と思ったのだろう。 ベストセラーとなった希林の言葉を集めた『一切なりゆき』の中にこうある。「私に縁のあった人達には皆キラキラしてほしい」こんな想いがあったから、旦那にも家族にも仕事の仲間にも浅田にもこう願っていたのだろう。『エリカ38』の中の台詞「お金は人間よりはるかに頼りになります。頼りにならないのは人間の心」おお恐(こわ)! いまの芸界の中で最も変幻自在な女性といえば友近だろう。「三枚組のDVD。ボックスで吉本は出しましたんですわ」「これも闇で?」「ちゃんとルート通してます」と来た。タイトルが『友近コント作品集・演って候』。まさに芸達者とはこの人のこと。渡辺直美、ゆりやんレトリィバァと海外へと目が向かっていく中、友近だけはより日本へ、内側へと向かっていく。「私、小さい頃からずっと旅館の仲居さんになりたかったんです」と遠い目をして言う。ある意味変わった女である。 そして三宅裕司ひきいる熱海五郎一座、今年の客演・高島礼子の台詞「美人女優がお笑いプロダクション(太田プロ)にいる苦労があなたに分かるの!?」■イラスト/佐野文二郎※週刊ポスト2019年7月12日号
2019.07.01 07:00
週刊ポスト

浅田美代子、樹木希林さんにお返しできるのはお芝居を通して
映画史・時代劇研究家の春日太一氏がつづった週刊ポスト連載『役者は言葉でできている』。今回は、タレント・女優の浅田美代子が、45年ぶりの主演作となった映画『エリカ38』について、プロデューサーをつとめた故・樹木希林さんと本作で共演した思い出について語った言葉をお届けする。 * * * 浅田美代子は公開中の新作映画『エリカ38』に主演。自らを三十八歳と偽り、口八丁で人々を騙していく実在の詐欺師役を演じた。プロデューサーを務めたのは、浅田のデビュー時からの間柄である樹木希林だ。「これは希林さんが企画してくれたんです。凄く仲がよくて、いつも一緒にワイドショーを観たり、電話で事件の話とかをしていたんですよね。それで、ご老人を連炭で──という事件とかがあると、『こういうの、美代ちゃんいいんだよね』って言われていたのね。その度に『いや、でも私にはこういう役は来ないでしょう』って答えていました。 今回も元になった事件を見た時に『美代ちゃん、これあんた、やれるわよ』と言われたんですが、『来ないんじゃない』って、いつもの感じで終わっていたんです。そうしたら少しして、『話を進めたから』って連絡が来たんです。それでビックリして。 仲が良かったんで、私の中にある毒を知っていてくれたんですよね。それで、こういう役をやらせたかったんだと思います。 役者がいろんな役をやってみたいと思うのは普通のことです。でも、私はどちらかというと『釣りバカ日誌』の『みち子さん』とか、そういうホワンとした役が多かったんで、私には来ないと思っていたんですよ。それを希林さんが自らやってくれて。撮影をやっている間も『いいわよ。美代ちゃん、できるわよ』と励ましてくれました」 劇中で人を騙す際の浅田の弁舌は堂に入っており、これまでのイメージを脱却した詐欺師ぶりをリアルに演じていた。「単なる詐欺師が金儲けをして捕まった──とはしないよう心がけました。それで男性不信なところとか、過去のトラウマとか、最初はなかったんですが、そういうのも入れていったんですよね。希林さんも『女の人の哀しみとか、そういうのもちゃんと出さないとね』って。 あと、なるべく詐欺師っぽくしないよう意識しました。私は動物愛護をしているのですが、それを希林さんに話す時、結構熱弁するんです。『あんな感じで詐欺の場面をやるといい。ああいう話し方をすると、詐欺に遭う人たちも信用するから』って。 最後も、『こいつ、またやるぞ』っていう形で終わらせたかったんです。本人はそんなに悪いと思っていない──っていう」 樹木希林は浅田の母親役で出演、浅田と二人で「夕焼け小焼け」と口ずさんでいる。そして、これが樹木希林にとって遺作となった。「あの場面、当初は希林さんの歌だけだったんです。けど、聞いているうちに私も口ずさみたくなって歌っちゃったんです。あれは、ちょっと物悲しかったですよね。希林さん、もうそこにいるだけで凄いと思いました。現場でも絶対に近寄らないですし。 希林さんにお返ししなきゃと思っています。それができるのは、お芝居を通してでしかないんですよね。それでいうと、私はまだまだです。今回ここでお返しできなかったとしても、次、次ってやっていかなきゃなって、思っています」●かすが・たいち/1977年、東京都生まれ。主な著書に『天才 勝新太郎』『鬼才 五社英雄の生涯』(ともに文藝春秋)、『なぜ時代劇は滅びるのか』(新潮社)など。本連載をまとめた『すべての道は役者に通ず』(小学館)が発売中■撮影:藤岡雅樹※週刊ポスト2019年6月28日号
2019.06.23 16:00
週刊ポスト

浅田美代子主演の樹木希林さん企画映画、舞台挨拶の様子
2017年にタイで逮捕された「つなぎ融資の女王」と呼ばれた当時62歳の女をモチーフとした映画『エリカ38』の公開記念舞台挨拶に主演の浅田美代子、平岳大、窪塚俊介、山崎静代、木内みどり、日比遊一監督、奥山和由プロデューサーが登場した。 同作は樹木希林さんが企画したもので、浅田は「38歳」だと偽り男達を騙した自称エリカこと渡部聡子を演じる。樹木さんはエリカの母役として出演。奥山氏によると、樹木さんが「企画 樹木希林」のクレジットを認めてくれたのは「本当に最後の最後だった」という。 浅田の代表作を作りたいという樹木さんの思いから企画されたとのエピソードは、映画のキャンペーンで度々取り上げられている。いわば、樹木さんの存在が宣伝に一役買っているという状況について奥山氏は、樹木さんが「もうこの世にいないんだから甘えるのいい加減にしな」と言っているかもしれない、と述べた。■撮影/高柳茂
2019.06.19 16:00
NEWSポストセブン

『孤独のグルメ』久住昌之氏が「おもろい」と大絶賛した猫漫画
老姉妹猫「トラ」と「ミケ」が切り盛りするどて屋「トラとミケ」を舞台に描かれる美味しいコミック『トラとミケ いとしい日々』(ねこまき作)が、このたび発売になった。女性セブンでの連載時にはモノクロだったものが単行本化にあたってフルカラーになり、その淡く美しい色遣いも相まって、早くも話題沸騰。『孤独のグルメ』原作者の久住昌之さんはこの変わり種グルメ漫画をどう読んだのだろうか? * * * いやー、面白かった。 ほのぼの。と、言うのとも違うな。 のんびり。ともちょっと違う。 のんき、が近いかな。 ひと言では、とても表現できないんだけど、なんとも言えず、おもろい。そう、すごく、おもろい。「おもろい」という言葉の響きには、切なさや悲哀や涙の倍音が、ちょっぴり混ざっている。そこが「おもしろい」とはほんの少し違う。「トラとミケ」は、ほんまに、おもろい。 ボクは、たまたま最近大阪にライヴをしに行って、大阪の街を歩いて、うどん屋に入ったり、飲み屋に寄ったりしてきたので、なんだかこのマンガの空気感、言葉のテンポが、生々しく心地いい。 もう寅さんはいない。寺内貫太郎も、樹木希林も、植木等もいない。みんなおもしろかった。 このマンガには、平成の世が30年かけて叩きつぶしてデジタル化してしまった、庶民の日常と人情が、鮮やかに描かれてる。二人の猫が、ムクムクでコロコロで、おばあちゃんというのに実にかわいいのは、現実の猫と一緒だ。 だがこの作家の力は、実は背景にある。自宅や、店の中の描写がすばらしい。 静かで、正確で、あたたかみがある。 いや、「あたたかみ」なんてテキトーな表現をしてると、後半の蒸気機関車の描写に、横っ面を引っぱたかれる。柔らかい鉛筆で描かれたものなのに、鉄の質感と重量感とみっしり感が、ズシンと伝わってくる。昔のかき氷機も、その魅力が、ありのままに描かれていてタマラナイ。 カメラアングルも、まるで小津安二郎の映画のように、しっかり計算され、落ち着いている。描くのが難しい、狭い店内や列車の中も、作者の目玉は自由自在に動き回って、描写している。 この背景の中に棲んでいるからこそ、トラとミケは活き活きと動き回り、するりと読者の心の隙間に入り込んでくるのだ。 どて屋の食べ物の、どれもこれもおいしそうなこと。この店に、ボクは行きたい。夏の明るいうち、店が開いたばかりのところに入って、どて煮をアテに、ビールを飲みたい。 ここの常連さんたちの会話を、聞くともなく聞いていたい。あと、お銚子を一本飲んで、長居しないで帰る。 ボクは、猫になって、この町に住みたい。 後半まで読んでいって、ボクシンングの話で、もう一段大きく笑ってしまう。そう来るか。 そして、最後には、まさかの展開で、まんまと泣かされてしまった。 この涙の熱くて気持ちいいこと。構成力のある作家さんだ。 本棚の隅の見つけやすいところに入れておいて、いつでも取り出して読めるようにしておきたい。 令和の世に、この人情が少しでも戻ってきたらなぁ、と願わずにはいられない。【Profile】久住昌之(くすみ・まさゆき)●漫画家・ミュージシャン。1958年生まれ。実弟の久住卓也と組んだ漫画ユニット「Q.B.B.」で、1999年『中学生日記』で文藝春秋漫画賞を受賞。谷口ジローと組んで描いた漫画『孤独のグルメ』はテレビドラマ化もされた。『花のズボラ飯』(漫画・水沢悦子)は2011年「このマンガがすごい!」で女性部門1位を獲得。※女性セブン2019年6月20日号
2019.06.19 07:00
女性セブン
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