松井秀喜の最新ニュース/3ページ
【松井秀喜】に関するニュースを集めたページです。

長嶋茂雄氏と王貞治氏 更改時に白紙置かれる特別待遇だった
プロ野球の世界では契約更改の季節がやってきた。1年の評価が金額で示されるとあって禍根を残すこともしばしば。グラウンドの外にはドロ臭い「年俸交渉」の球史がある。(文中敬称略) 1960年代には長嶋茂雄、王貞治という国民的大スターが誕生し、1970年代まで2人が球界最高年俸の座を占めた。 野村克也は、「王と長嶋は契約更改も特別だった」と語っている。「聞いた話だけど、2人の契約更改では、球団から金額提示しないんだって。白紙を彼らの前に置いて“好きな額を書け”って。王に聞くと、“ノムさん、あれはいい手だよ。非常識な金額書けない”って言うんだよ。人間性を試されるって(笑い)。確かにそうだ。人間には“銭ゲバと思われたくない”という理性があって、それが邪魔してね。思いきって書けないって」 この“特別待遇”は、ON以上にチームメートを悩ませたという。「球団の提示に不満を持った選手がいても、“ONがこの額なんだから、お前はこれでももらいすぎだ”と言われたら反論できない。巨人時代の松井秀喜も一発サインで有名で、“松井さんが渋らないと俺たちは文句を言いにくい”とこぼす選手もいたようです」(スポーツ紙編集委員) 1967年にドラフト10位で巨人に入団し、1971年に新人王を獲得した関本四十四(しとし)も「ONは別格だった」と振り返る。「当時の給料は、茶封筒に入れて手渡しで支払われていた。事務のヨボヨボのおじいさんが、西銀座にある球団事務所から高級風呂敷に包んで運び、ロッカールームで配られる。 ONはこの茶封筒が立つほど厚みがあるんですよ。森(祇晶)さんがその半分ぐらいで、ホリさん(堀内恒夫)がさらに半分。僕の封筒はペラペラで情けなかった(苦笑)」 契約更改の待遇も大違いだったという。「二軍の選手は、全員でバスを借りて球団事務所まで向かいました。すると、クビになった選手も一緒にバスに乗って帰らないといけない。来年も残れる選手は契約書の控えが入った茶封筒を持ち、残れない選手は手ぶら。残酷でした。 一軍になれば個々に球団事務所に行って、契約書にハンコをついた。ですが、スーツにネクタイを結ぶ慣れない服装だけで緊張するし、豪華な交渉部屋の雰囲気に飲まれ、何も言えずにハンコをつく選手ばかりでした。年1回の機会なので、待遇や環境のことも要求しようと気負って乗り込むんですが、話したいことの10分の1も言えずに帰りましたね」(関本)※週刊ポスト2019年12月6日号
2019.11.22 21:27

山口俊、巨人初のポスティング容認で菅野智之はどう動く?
巨人史上初となるポスティングシステムでのMLB挑戦を表明した山口俊(32)。今季15勝をあげた勝ち頭の流出は痛手だが、それ以上に「フロントがポスティング移籍を容認した」という事実がチーム内をざわつかせている。巨人番記者が語る。「過去、巨人では松井秀喜、上原浩治、高橋尚成も海外移籍を希望していたが、いずれも海外FA権の取得を待っての実現でした。ポスティングでの移籍は認めないという球団の“鉄の掟”があったからです。 ところが、今村司・球団社長は18日の会見で、2016年オフにFAで山口を獲得した際にポスティング容認を約束していた、と明かした。巨人が他球団との獲得競争で引退後のコーチ就任などのオプションをつけることは知られてきたが、ポスティング容認まで条件に入れていたとは……。今オフのFAで美馬学、鈴木大地の獲得に乗り出して断わられたように、“巨人ブランド”だけでは有力選手の獲得が難しくなってきているということでしょう」 気になるのは、将来のメジャー挑戦を明言しているエース・菅野智之(30)の動向だ。海外FA権取得は最短で2021年オフだが、山口という“前例”ができた以上、菅野もポスティングを利用する可能性が出てくる。前出・巨人番記者が言う。「原辰徳・監督が3度目の指揮を任されたのは、甥である菅野を引き留める意味もあったとされている。今後、菅野との交渉はシビアなものになるでしょう」 野球評論家の江本孟紀氏はこう語る。「山口はOKなのに甥っ子の菅野はダメ、は通用しないでしょう。原監督は会見で山口のポスティング容認が契約に入っていることを“シーズン中に知った”と明かしたうえで、“夢、挑戦という聖域には入れない”と言っていた。ならば菅野が“夢だから挑戦したい”と求めてきても同じことを言えるのか」 甥っ子を“我が家”に引き留められるのか。ベンチ外でも原監督の采配が試されることになりそうだ。※週刊ポスト2019年12月6日号
2019.11.22 20:03

松井秀喜氏ら勝負師はなぜ宮本武蔵の生き様に惹かれるのか
各界の成功者たちは、ある共通体験をしている。子供の頃に読んだ本が、その後の人生に大きな影響を与えたというのだ。スポーツ界のレジェンドの原点にも、本との出会いがあった。 日本サッカー協会顧問でメキシコ五輪の得点王の釜本邦茂氏はこう語る。「子供の頃に読む本は時代小説が多かった。中でも記憶にあるのは、野村愛正の『三国志物語』です。これを読んだことで、子供心に“勝負は勝たないといけない”と強く感じた覚えがあります」 日本サッカー史に残る“点取り屋”になれたのも三国志の影響があるという。「無意識のうちに諸葛孔明の戦略と戦術が参考になったかもしれません。サッカーでも情報と分析は重要です。三つ子の魂百までではないが、性格だけでなく知識も頭のどこかに残っている気がします」(同前) 2017年、前人未到の永世七冠を達成し、棋士として初の国民栄誉賞を受賞した将棋の羽生善治氏が10代の頃に夢中で読んだ本は、ノンフィクション作家・沢木耕太郎の『深夜特急』だ。 15歳、中学3年生でプロ棋士となって以降、対局のための「移動」が日常になった。そんな羽生少年の傍らにいつもあったのが、著者がユーラシア大陸をザック一つで横断してイギリスまで旅するノンフィクションの名作だった。〈『深夜特急』は沢木さんならではの表現力によって、見知らぬ国そのものの面白さ、そこに暮らす人々の息吹まで味わえます。それにも増してひかれたのは、1年の3分の1を旅先で過ごす、棋士人生の原点に似たものを感じたからかもしれません〉(朝日新聞2010年4月25日付) 羽生氏のプロ棋士としての旅は、35年以上過ぎた現在も継続中だ。 2013年に当時世界最高齢でのエベレスト登頂を達成し、87歳の今も現役プロスキーヤーの三浦雄一郎氏。少年時代に出会った吉川英治の『宮本武蔵』で描かれる武蔵の生き様が、自身の「原点」になったという。三浦氏が語る。「中学受験に失敗して、浪人生活を送っているときに本を読み始め、そこで影響を受けたのが吉川英治さんの『宮本武蔵』です。同作では武蔵の生い立ちから青春時代、厳しい修行、命を懸けた果し合い、晩年の『五輪書』に取り組んだ姿が克明に描かれていました。 命を懸けて剣の道を究めようという姿は、『スキーで世界の頂点に挑戦しよう』という気持ちのバックボーンになっています。その精神が、エベレストからの滑降や登頂へと僕を駆り立てるのかもしれません」 メジャーリーグで活躍し、数々の大記録を残した元プロ野球選手の松井秀喜氏も、宮本武蔵に影響された一人。武蔵が剣術の極意を著した『五輪書』は、野球のバッティングを究めようと奮闘し続けた松井氏の愛読書としても知られている。※週刊ポスト2019年11月22日号
2019.11.12 17:56

趣味のコレクションの数々、突然収集をやめた人たちの事情と顛末
コレクションは楽しい趣味だが、あまりにも熱心になりすぎると、かかる費用、探す手間や時間、置くスペースなど、色々と問題も発生する。止めるタイミングを見つけるのはなかなか難しいが、収集癖を捨てた人は、どんなきっかけでコレクションをやめたのだろうか。 北海道在住のAさん(60代・男性)は、小学校の頃から大の巨人ファン。中でもドハマリしたのが松井秀喜だった。年に一度は東京ドームに足を運んで松井グッズを買い漁り、特に熱心に集めたのが「ホームランカード」。これは松井がホームランを打つたびに発行されていたもので、カードを額縁に入れて飾るほどの入れ込みようだった。それが、2004年に大きく状況が変わったという。Iさんがいう。「それまで北海道では、プロ野球=テレビで見るものでしたが、2004年に日本ハムが北海道に移転し、地元球団が誕生しました。私は巨人ファンを貫くつもりでしたが、そもそも野球が好きなので、札幌ドームに足を運んでいるうちに徐々に気持ちが日本ハムに移り、2006年に日本ハムが日本一になった頃には、完全に日本ハムファンになっていました。 松井はその時、すでに大リーグに行っていて、相変わらずグッズは集めていましたが、自宅に巨人のグッズと日本ハムのグッズが並んでいると、“二股”をかけているような気がして……。松井が引退した時に、思い切って松井のグッズはすべて手放してしまいました」(Iさん) 巨人と日本ハムはリーグが違うが、交流戦や日本シリーズなどで戦うこともある。「二股はよくない」という真摯な考えから、自らコレクションと決別したというわけだ。 完全なる不可抗力でコレクションを強制的にやめさせられたのは、東北地方在住のYさん(40代・女性)だ。「結婚して専業主婦になってから始めた趣味が、食器のコレクションでした。もともと母親が食器好きで、高価なティーカップやワイングラス、ブランド食器などを譲り受け、自分もコツコツと国内外のブランド食器を集めていましたが、東日本大震災の時に、激しい揺れで大量の食器が食器棚の中で割れてしまいました。こういうことを体験してしまうと、もう一度集めようという気は起きません。それまでは飾るだけだった食器も普段の食事で使うようになり、また時々割ってしまうことがあるので、着実に食器の数は減っています」(Yさん) 形あるものは壊れるのが宿命だが、突然の別れは辛かったことだろう。 ジワジワと迫る別れに耐えきれなかったのはHさん(40代・男性)だ。「私は映画好きの父親の影響で、子どもの頃から映画が大好き。80年代なかばに父親にねだって買ってもらったのが、レーザーディスクです。ビデオ全盛の時代に登場したレーザーディスクは、音も映像もビデオより遥かに良いという触れ込みでした。私は父と協力して好きな映画のレーザーディスクをせっせと買い込み、気付けばその数は数百枚に達しました。 しかし周知の通りレーザーディスクはあまり普及せず、今やDVDの時代です。機械のせいなのかディスクのせいなのかは分かりませんが、読み込みが出来ないディスクが多くなってしまい、こうなるともはやゴミ。数年前の引っ越しの時、思い切ってすべて売り払ってみましたが、買取価格はタダ同然でした」(Hさん) レコードやカセットテープも似たようなものだが、そこまで普及しなかった分、レーザーディスクはさらに悲惨なようだ。そんなHさんだが、上手くやり抜けたものもある。「父親が釣り好きで、家には色々な時代のリールがあり、釣りを引退した父からそれらをすべて譲り受けました。私も釣り好きなので、自宅のリールコレクションはかなりのものでした。ただ、結婚して子どもが生まれると、釣りをする時間はなく、そのくせリールは相当なスペースを取っていて、妻からはブーブー言われる日々でした。 そこで財布が厳しい時に、リールをネットオークションに出してみたところ、想像以上の値が付きました。きちんと手入れをしていたので、良い値が付いたようです。それ以降、財布がピンチになった時にはリールを2~3個売り、良い小遣いになっています。自宅のスペースも広がって一石二鳥です」(Hさん) コレクションを手放した理由は三者三様だが、3人とも新たなコレクションに手を染めていないそうで、モノを集めるという趣味が多かれ少なかれ生活の負担になっていた側面もあるようだ。集める楽しさはよく分かるが、虚しくなる瞬間が訪れる前に見直しを意識する人も少なくないかもしれない。
2019.10.22 15:02

金田正一さん、400勝は一度も自慢せず298敗365完投誇った
プロ野球の国鉄、巨人で前人未到の400勝を挙げ、本誌・週刊ポストの「誌上総監督」としてご活躍いただいた金田正一さんが、10月6日に逝去されました(享年86)。その死を悼み、カネやん担当30年の記者・鵜飼克郎氏が、感謝の言葉を綴る。 * * *「他人様から言われなくても、わかっとる。大きなお世話だよ。ワッハハハ」 今年の夏、プロ野球史上最高の選手を選ぶ企画で金田さんが堂々の1位になったことを伝えると、こんな答えが返ってきた。そして、少し遅れて照れ笑いを浮かべた。 不世出の400勝投手。だが私は金田さんの現役時代を知らない。漫画『巨人の星』で星飛雄馬に大リーグボールを編み出すよう進言した人、というイメージだった。ただそんな私にも、金田さんが400勝を自慢したことは一度もない。誇るのは決まって、298敗と365完投だった。「巨人に打ちのめされ、マウンドに崩れ落ちるワシの姿を見るために、ファンは球場に足を運ぶんだ。(貧打の)国鉄は相手を0点に抑えないと勝てない。だからワシが投げるしかない。マウンドにグローブを叩きつけ、ベンチで椅子を蹴り上げるなど、悪役に徹しながら最後まで投げたよ」 と、任されたマウンドを最後まで守ることに誇りを持っていた。とにかく全てが豪快だった。スピードガンのない時代に何キロ出ていたか聞くと「180キロは出ていた」と答え、私が戸惑う様子を見るとこう続けた。「国鉄時代、地方球場での阪神戦。ワシが投げるたびに阪神の選手が首を傾げていた。そのうちタイムがかかり、審判がバッテリー間の距離をメジャーで測り始めた。球があんまり速いから距離が短いのではと疑ってきたんだ。それぐらいワシの球は速かった」 金田さんは週刊ポストでは王貞治氏、長嶋茂雄氏との「ONK座談会」を筆頭に、話題の美女をゲストに秘話を聞き出す「美女対談」やグラビア撮影にも挑戦。「週刊ポストのせいで殿堂入りが10年遅れた」とボヤいていたが、明るいキャラクターは「カネやん」の愛称で誰からも愛された。テレビ番組でジャイアント馬場と戦ったり、横綱・輪島と土俵入りをしたり。ロッテ監督時代の“カネやんダンス”、日本テレビでの巨人贔屓の野球解説も、すべては野球人気を高めるためのパフォーマンスだった。 金田さんが一度だけ「大リーグで投げてみたかった」と漏らしたことがある。日本人がメジャーで活躍を始めた頃だ。1955年の日米野球でミッキー・マントルから3打席連続三振を奪ったことがあり、「大リーグでも通用した」と話していた。時代が時代なら、本当に海を渡って大活躍していたかもしれない。 記録にも記憶にも残る野球人・金田正一さんに、心よりご冥福をお祈り申し上げます。●文/鵜飼克郎※週刊ポスト2019年11月1日号
2019.10.18 22:16

金田正一さんの秘蔵写真、G馬場にキックや長嶋氏と寸劇等12点
プロ野球の国鉄、巨人で前人未到の400勝を挙げ、本誌・週刊ポストの「誌上総監督」としてご活躍いただいた金田正一さんが、10月6日に逝去されました(享年86)。その死を悼み、『週刊ポスト』が撮影してきた名場面を、生前金田さんからお預かりしていた秘蔵写真とともに、往年のその姿をお届けします。■写真/山崎力夫、太田真三 写真提供/金田正一※週刊ポスト2019年11月1日号
2019.10.18 20:20

巨人・阿部監督路線進むも「松井秀喜監督」を諦めない理由
クライマックスシリーズ(CS)、その先の日本シリーズを見据える巨人。復帰1年目から「日本一」を狙う原辰徳監督の名声は高まるばかりだが、一方では“不協和音”も聞こえてくる。今季限りで現役引退を表明した阿部慎之助(40)のコーチ就任が有力視されており、原監督は阿部を自分の後任監督として育てるつもりでサポート役を集めていると言われ、“原―阿部シフト”の動きが加速している。 一部では、阿部と長年自主トレをともにした内海哲也(37=西武)や長野久義(34=広島)を将来のコーチ含みで再獲得する、という話まで出ているという。 その一方で、球団側は「松井秀喜監督」の誕生を諦めていないという。巨人に近いスポーツジャーナリストが語る。「松井監督は渡辺恒雄・読売新聞主筆の悲願とも言われ、松井氏の新人時代に監督として打撃指導にあたった長嶋茂雄・終身名誉監督の影響力が強いうちに実現させたいと考えているようです。 松井氏はニューヨークに拠点を置き、ヤンキースGM付特別アドバイザーとして3Aのマイナー選手の打撃指導をしていますが、巨人監督が実現しないのは、肩書きよりも子育てのためと言われている。子供は現在6歳と2歳なので、原監督の任期満了となる2021年シーズン以降は、家族問題での就任へのハードルは今よりも低くなる。もちろんその場合、“阿部監督”は、白紙になってしまいますが……」※週刊ポスト2019年10月18・25日号
2019.10.04 22:35

巨人・阿部慎之助引退で「松井秀喜監督」実現も遠のいたか
9月24日、巨人が5年ぶりのリーグ優勝を決めた3日後に、阿部慎之助(40)の引退が一斉に報じられた。今シーズンはベンチを温めることが多かったものの、打率2割9分9厘、6本塁打。“代打の切り札”としてチームの信頼は厚かった。それでも引退を選んだため、阿部の「コーチ入閣」が確実視されている。その後の「監督就任」もあり得るだろう。 するとますます遠ざかるのが、多くの巨人ファンが熱望してきた「松井秀喜監督」だ。巨人担当記者が言う。「以前から巨人内では、松井秀喜氏(45)に原監督のもとで監督修業をさせたいというプランもあった。しかし松井氏は首を縦に振らなかったようです。まだ幼い子供の教育のためにも、アメリカに拠点を置き続けたい意向があるとも聞きます。 原監督は、“自分の野球哲学を後進に教え込みたい”という気持ちが強いだけに、長く師弟関係がある阿部が次期監督レースで大きくリードしたのは間違いないでしょう。復帰1年目で優勝も果たしたことで原監督の影響力はますます強くなっている。阿部より年上の『松井監督』が実現する可能性は低くなったと見られています」 とはいえ、松井氏が「指導者の道」を捨てたわけではないようだ。「ヤンキースのGM特別アドバイザーとして、傘下の2A、3Aのマイナー選手への打撃指導を続けている。指導力への評価は高く、ヤンキースで正式にコーチとなる可能性もある」(在米スポーツジャーナリスト) 松井氏が再びまとうユニフォームは、ピンストライプが先かもしれない。※週刊ポスト2019年10月11日号
2019.10.01 12:13

巨人・阿部引退で岡本和真に正念場 現役時の原辰徳氏と酷似
巨人・阿部慎之助が今季限りでの引退を発表した。9月25日の引退会見で4番・岡本和真について聞かれると、「『自分が打たないから負けた』とあの若い年齢で言ってくれた。それは将来の巨人にとっても心強いんじゃないかなと思いました」と語った。野球担当記者が話す。「今年、岡本は不調で6番に落ちたりしながらも、なんとか4番を務めた。その陰には、ベテラン阿部の存在がありました。8月2日から4日までのDeNA戦で3連敗すると、打てない4番は集中砲火を浴びた。しかし、7日の中日戦でベテランの阿部が5番で先発出場すると、チームは5連勝。岡本の打棒も復活した。阿部効果は明らかでした」(以下同) 1990年代の巨人で、落合博満という大ベテランが松井秀喜の1本立ちを支えたように、岡本にとって阿部が後ろに控える安心感は何よりも大きかったはずだ。「シーズン最終打席で敬遠されたように、阿部はまだまだ現役で通用する。ポストシーズンでも重要な役割を担うでしょう。気の早い話ですが、来年の巨人は岡本の後ろを打つバッターが重要になる。端的に言えば、外国人やFAでの補強になるのでしょうけど、阿部という存在の穴を埋められる選手はいない。岡本がここをどう乗り切るかです」 来年、4番として3年目を迎える岡本和真は1980年代に巨人の4番を務めた原辰徳(現監督)と状況が似ているという。「原は1982年に4番に初めて座り、1983年にはMVPと打点王に輝きました。この時までは王貞治、長嶋茂雄を継承する巨人の4番に成長しつつあるとファンも暖かく見守っていました。しかし、1984年は開幕から絶不調に陥り、5月には4番を外された。その後も、完全復調には至らず、優勝を逃したチームの戦犯扱いとされた。原が勝負弱いとレッテルを貼られ始めたのは、この年からです」 なぜ、原は4番に座った3年目の1984年から調子を崩していったのか。「前年の日本シリーズで、東尾修を中心とする西武投手陣が執拗に内角を攻め、原の打ち取り方をセ・リーグに示した。また、1983年に原の後ろに控えていたレジー・スミスが年齢的な衰えもあり、打てなくなった。1984年に来日したクロマティは最終的には35本塁打、93打点を挙げたが、シーズン序盤は苦しみ、7番に座ることもあった。原へのマークが厳しくなった上に、周りがカバーできない状態が続いた」 一番の原因はチームが勝てなかったことだろう。「この年は巨人軍創立50周年で、秋の日米野球では前年のワールドシリーズの王者であるボルティモア・オリオールズを迎えて、日本一のチームが戦うことになっていた。読売新聞主催の行事であり、巨人は絶対日本一になることを求められていた。それなのに、開幕から波に乗れず、チームは下位を彷徨っていた。そのような時、叩かれるのはエースと4番なんです。1984年の巨人で言えば、江川卓と原辰徳でした」 4番2年目のシーズンでMVPと打点王を獲得した原辰徳は日本シリーズで西武に3勝4敗で敗れている。この時、日本一になっていれば、世間の風向きもまた違っていたかもしれない。同じことは今の巨人にも当てはまるだろう。「阿部のいなくなった来年こそ、4番・岡本の真価が問われる。そのためにも、岡本が今年のクライマックスシリーズや日本シリーズでどれだけ打てて、チームが日本一になれるかどうか。ポストシーズンに、岡本の2020年以降が懸かっていると言っても過言ではありません。原は入団1年目に日本一を経験しているが、当時は主に6番を打っており、次の日本一は入団9年目だった。岡本が4番2年目で日本一になれれば、間違いなく自信になる」 岡本が名実ともに巨人の4番に成長できるかどうか。これからの1か月は野球人生の大きなターニングポイントになりそうだ。(文中敬称略)
2019.10.04 08:29

週刊ポスト 2019年10月11日号目次
週刊ポスト 2019年10月11日号目次60歳からの「言ってはいけない」・2035年の高齢者 絶望の未来年表ベッド不足で入院を断わられる介護ヘルパーが来てくれない ほか特集◆飛行機、鉄道、バス…大事故で「生き残る座席」はどこだ?◆なぜ「有名企業の社長」は「ラグビー部出身」が多いのか◆営業マンの「ノルマ」はいつから“悪”になったのか?◆スペシャル対談 ヤクザと「被災地」──溝口敦×鈴木智彦◆プロ野球 2019年「給料ドロボー」選手権◆阿部引退でさらに遠のく「松井秀喜監督」の夢◆ジュピターテレコム井村公彦社長「J:COMブランド」のビジネスチャンス◆“セクシー”進次郎vs“エキサイト”安倍◆【オピニオンワイド「老年の主張」】こんな機能、余計なお世話じゃ!◆腰痛対策&予防スペシャル 「やっていいこと」「ダメなこと」◆ハロウィンジャンボ宝くじ「消費増税」に強い売り場10◆「夫と…」「カレと…」ここが違うの◆大韓民国憲法の「反日・親北」精神を読み解く◆消費税3%で買える店どこにある? どうやって探す?ワイド◆埼玉小4殺害◆河野太郎◆天皇パレード車◆渋野日向子◆貴景勝◆大林素子グラビア◆新シリーズ日帰り東京私鉄沿線さんぽ 第1回京王線◆いまAV業界で起きている9の重大事件◆森咲智美 inロサンゼルス◆二度と撮れない絶景紅葉◆帰ってきた! 美女46人撮影会◆架乃ゆら ひと夏の純情◆2019プロ野球 新人王予想 答え合わせ◆私たちが令和のC.C.ガールズです◆定点空撮 新国立競技場連載・コラム◆呉智英「ネットのバカ 現実のバカ」【小説】◆柳広司「太平洋食堂」【コラム】◆二題噺リレーエッセイ 作家たちのAtoZ◆短期集中東田和美「60歳からの『儲ける競馬』」◆広瀬和生「落語の目利き」◆堀井六郎「昭和歌謡といつまでも」◆秋本鉄次「パツキン命」◆戌井昭人「なにか落ちてる」◆春日太一「役者は言葉でできている」◆大竹聡「酒でも呑むか」◆鎌田實「ジタバタしない」◆綾小路きみまろ「夫婦のゲキジョー」◆大前研一「『ビジネス新大陸』の歩き方」◆高田文夫「笑刊ポスト」【ノンフィクション】◆井沢元彦「逆説の日本史」【コミック】◆やく・みつる「マナ板紳士録」◆とみさわ千夏「ラッキーな瞬間」【情報・娯楽】◆のむみち「週刊名画座かんぺ」◆恋愛カウンセラー・マキの貞操ファイル◆ポスト・ブック・レビュー◆医心伝身◆ポストパズル◆プレゼント◆法律相談◆ビートたけし「21世紀毒談」◆坪内祐三の美術批評「眼は行動する」
2019.09.27 18:50

高校時代にイチローを抑え松井秀喜に壁を感じさせたエース
今年のドラフトの目玉として注目を浴びる星稜・奥川恭伸と大船渡・佐々木朗希。超高校級の“2大エース”といえば、過去には「田中将大と斎藤佑樹」、「大谷翔平と藤浪晋太郎」らが思い出される。彼らのライバル関係はその後プロでも続き、大きく明暗を分かつこともある。球史を彩ったライバルたちのドラマを追った。 高校生の当たり年といわれた1987年のドラフトは、伊良部秀輝(尽誠学園)と、3年夏に準決勝にまで勝ち進んだ川島堅(東亜学園)が注目の的となった。「伊良部は3回戦で敗れたもののナンバー1豪腕といわれ、準決勝まで勝ち上がった川島は34イニング連続無四球の記録を残すなど高校生の即戦力として期待されていた。川島は広島に入団後3年目の1990年にヒジを故障し、台湾でのプレーを経て引退。一方の伊良部はロッテで2年連続で最多奪三振を獲得するなどの活躍を見せた後、ヤンキースに移籍。MLB6年で34勝35敗16セーブをあげた」(スポーツジャーナリスト) イチロー(名電)がオリックスに4位指名された1991年ドラフトで注目されたのは、センバツ1回戦でイチローを無安打に抑えた上田佳範(松商学園)だった。上田は夏も甲子園に出場し、準々決勝で2年生の松井秀喜(星稜)と対戦。松井は上田について「野球人生で初めて壁を感じた」と振り返っている。「上田は日本ハムに1位指名されたが、一軍登板がないまま外野手に転向。一方、甲子園出場経験はないものの、県予選4試合で52奪三振を記録した石井一久(東京学館浦安)をヤクルトが1位指名し、日米通算182勝をあげた」(同前) 石井を見出した元スカウト・片岡宏雄氏が語る。「体格にも恵まれ、ストレートも早かった。伸びしろを感じました。他球団スカウトの目に触れないよう、“甲子園に行かないでほしい”と思いながら県予選を見ていました」 プロ選手としての奥川と佐々木のドラマはこれから始まる。輝くのはどちらか。※週刊ポスト2019年9月6日号
2019.09.02 16:42

巨人戦視聴率6.7%の日テレの苦悩 裏番組は高視聴率連発
8月29日、日本テレビがゴールデン帯で巨人対広島戦を中継。松井秀喜氏、高橋由伸氏という1990年代後半から2000年代前半にかけて巨人の主軸を担った2人がダブル解説を務めたものの、視聴率6.7%(ビデオリサーチ調べ/関東地区。以下同)に終わった。日テレが普段2ケタを取る時間帯にこの数字を叩き出したことで、他局の視聴率が跳ね上がった。テレビ局関係者が話す。「日テレとしては、巨人の試合を地上波で年に数試合は放送しないわけにもいかないとはいえ、本音を言えば避けたいところかもしれません。8月の木曜日に日本テレビの19~20時台帯は10%前後だったのに、29日は6.7%で同時間帯最下位。この日、裏番組のTBS『モニタリング』の3時間スペシャルは明石家さんまの出演もあって、14.3%を記録。最近、平日のバラエティでなかなか見られない高視聴率です。番組の8月の数字は1日9.8%、8日9.4%、15日9.8%と2ケタに届いていなかった。 テレビ朝日の『くりぃむしちゅーのハナタカ!優越館』も12.5%と伸びた。この番組も8月1日9.4%、8日7.6%、15日7.9%、22日8.4%と1度も2ケタに乗っていない。テレビ東京の『太川蛭子の旅バラ』も、3時間スペシャルで7.9%(1部)を獲得。8月は1日2.7%、8日3.1%、22日4.7%といずれも5%を切っていた。29日は人気コンテンツである『ローカル路線バスの旅』を持ってきた影響もあるとはいえ、野球中継で離れた視聴者を獲得したのでしょう」 高視聴率の裏には、野球中継の日を狙い澄ました他局の作戦勝ちもあるという。「TBSは改編期でもない時期に明石家さんまをブッキング。テレ東は太川陽介と蛭子能収のコンビ復活後、『路線バスの旅』企画を1泊2日に縮めていたものの、この日は2泊3日に伸ばした。しかも、2番組とも3時間スペシャル。野球中継が2時間であることを見越し、終了後に日テレにチャンネルを戻させないという意図もあったと思います」(同前) その作戦が功を奏したのか、日本テレビが21時台に放送した『秘密のケンミンSHOW』も9.6%と1ケタに落ち込んだ。通常、2ケタを計算できる番組まで失速し、この日の日テレはゴールデン、プライム帯の番組が全て1ケタに終わり、視聴率3冠王を目指す局として大きな打撃を受けた。「フジテレビが『2019世界柔道選手権東京大会』を放送して6.8%だったことも、テレ朝やTBS、テレ東の数字を押し上げた一因でしょう。フジは来年の東京五輪を控え、柔道の放映権を獲得する一環としてゴールデン帯でオンエアしたと思います。メダルラッシュが期待される種目で、五輪では高視聴率も獲れるでしょう。長い目で見れば、この編成は成功かもしれない。ただ、今回は間が悪かった」(同前) かつて、毎日のようにゴールデン帯で視聴率20%以上を記録していた巨人戦だが、現在の日テレにとっては悩みの種になっているようだ。
2019.09.01 05:02

松井秀喜5敬遠の大会の優勝投手、夢は「監督で甲子園」
あの甲子園優勝投手は今、何をしているのか? 多方面で活躍するかつてのエースたちの今を追った。(文中敬称略) たった1失点で投げぬいた優勝投手が、平成4年(1992年)の夏の大会で優勝した西日本短大付属の森尾和貴(45)だ。「当時、強豪だったPL学園、近大付属と練習試合をやっても勝っていたので、甲子園に出場さえできれば勝負になるってずっと思ってました。誰かに言ったわけではありませんが、優勝を目指してやっていたのは確かです」 平成4年、西短大付属のエース森尾和貴は、優勝までの全5試合をたった一人で投げ抜いた。5完投4完封1失点防御率0.20は、戦後において昭和23年、小倉の福島一雄の全試合完封に次ぐ記録である。 この夏の甲子園は、星稜の松井秀喜(元巨人)の明徳戦5打席連続敬遠が物議を醸した大会でもあった。「あの試合後は確かに甲子園がざわついてましたね。宿舎でもちょっとだけ話題になり、『俺なら打たれて記念になってもいいから勝負するよ』とナインに話した覚えがあります」 強豪チームがどんどん敗退することで、よりモチベーションは上がった。決勝に出た時点で「もう行くしかない」と頂点へ駆け上がることだけを考えた。 甲子園優勝投手となった森尾はプロからの誘いを蹴り、社会人野球の強豪・新日鐵八幡(現NIPPON STEEL)に入社するが、5年目に肘の手術をし、29歳の時、廃部とともに引退。「プロ志望を公言していたら指名はあったと思いますが、いかんせん高校3年の夏の甲子園しか実績がなく、毎年勝負のプロでやっていく自信が持てなかった。入社時は総務部でしたが、引退後は自動車のボディに使われる薄い鉄板の生産管理をしています。高校野球の指導者になって、もう一度甲子園に行きたい思いはずっとあります」取材・文■松永多佳倫 撮影■山崎力夫※週刊ポスト2019年9月6日号
2019.08.23 20:11

マジック点灯でも安心できない巨人、94年の大失速の記憶も
25年前の失速を教訓にできるか。8月24日、巨人は石川慎吾の劇的なサヨナラ2ランでDeNAを下し、セ・リーグ優勝へのマジックナンバー20を点灯させた。巨人はオールスター直後、2位・DeNAに10ゲーム差をつけ、独走状態に入っていたが、7月下旬から8月上旬にかけて失速。一時は0.5ゲーム差まで詰め寄られ、首位陥落の危機もあった。野球担当記者が話す。「わずか半月で10ゲーム差を縮められたわけですし、マジック点灯しても安心はできない。8月はスタメン起用された阿部慎之助が活躍し、前半戦不振のゲレーロが絶好調になったため、一時的に打線が上向いて勝ち星を積み重ねましたが、2人がシーズン終盤まで調子を維持できるとは限らない。 今年、シーズンを通して安定しているのは丸佳浩と亀井善行くらい。ただ、亀井は37歳のベテランであり、規定打席に達したのも2度だけ。終盤に失速する可能性もある。坂本勇人は交流戦で打率1割台に終わったように、好不調の波が激しい面もある。岡本も最近は状態が上がってきましたが、いつスランプに陥るかわからない」(以下同) 巨人はマジック点灯後に大失速した過去がある。同率で並んだ中日との最終戦で優勝を決めた1994年、8月18日にマジック25を点灯させ、中日とは6ゲーム差をつけていた。しかし、8月25日から9月3日まで8連敗。4勝10敗と負け越した9月は完封負け4度を含み、14試合中9試合で3得点以下という貧打に喘いだ。「あの年は斉藤雅樹、桑田真澄、槙原寛己の3本柱を軸に強力な投手陣がいましたが、打線が奮わなかった。FA移籍の落合博満は40歳と峠を越え、松井秀喜もまだ2年目。グラッデンやコトーという外国人選手もそれなりに活躍はしたが、助っ人と呼べるほどの成績は残せなかった。 今年は1994年ほど先発が安定しているわけでもなく、リリーフ陣も何とかやり繰りしている状況で、序盤活躍していた中川皓太に疲れが見えてきた。打線は水物だし、何が起こるかわからない。広島はバティスタの離脱があったものの底力を持っているし、強力打線のDeNAは一度乗ると、止められない勢いがある。マジックが点灯したからといって、楽観視できる状態でもない。また一気に縮められる可能性は十分ありますよ」 8月26日現在、2位・DeNAと6ゲーム、3位・広島と6.5ゲーム離しているが、今季DeNAには9勝10敗、広島には7勝12敗1分と負け越している。DeNAとは6試合、広島とは5試合の直接対決を残している。「中日、広島との三つ巴だった1994年はマジック点灯後、中日に1勝3敗、広島に3勝4敗と負け越したことに加え、この年最下位に終わる横浜に1勝6敗と大苦戦。7試合中6試合が2点以下だった。今年のポイントも、下位チームに取りこぼさないことでしょう」 5年ぶりのリーグ制覇へ向けて、まだまだ試練は続く。
2019.08.26 15:10

「松井キラー」遠山奬志氏が見た松井秀喜氏の凄さ
日本のプロ野球OBたちに史上最高の選手は誰かと問い、その投票結果を集約した『プロ野球史上最高の選手は誰だ?』(宝島新書)が話題になっている。投票結果から、ライバル同士が、互いをどう見ていたのかが浮かび上がってくる点も興味深い。 メジャーでも“ゴジラ”の名を轟かせ、日本人で唯一、ワールドシリーズMVPに輝いた実績を誇る松井秀喜氏(現役/1993~2012年、所属/ヤンキースほか)を野手1位に選んだうちの一人に、現役時代に“松井キラー”の異名を取った遠山奬志氏(1986~2002年、阪神ほか)がいた。左のワンポイントリリーフとして、巨人の主砲だった松井氏を抑え込んでいた印象の強い遠山氏だが、なぜ松井氏が1位なのか。「対戦するたびに成長を感じさせる凄いバッターでした。前の打席で空振りしていたのに、同じボールを次の打席ではファウルにする。バットがかすりもしなかったコースに、次の試合ではバットが届くようになっている。練習を重ねて苦手を克服していることがよくわかりました。 投げるたびに雰囲気が変わるというか、“次は打たれる”と投手に感じさせる力を持っていた。“ここに投げておけば大丈夫”という打者が多かったなかで、打たれないコースがだんだん狭まっていく松井は驚異でしたね。 投手の1位は斎藤雅樹さん(1984~2001年、巨人)にしました。サイドスローからのスライダーとカットボールは威力もコントロールも抜群。次々と打者を打ち取っていくから、見ていて“ピッチングって簡単なんじゃないか”と思ってしまうほどでした」※週刊ポスト2019年8月16・23日号
2019.08.13 07:45

巨人 阿部慎之助が先発出場すると岡本和真が復調するワケ
6連敗していた巨人は8月7日、40歳のベテラン・阿部慎之助が約1か月ぶりにスタメン復帰。中押しとなる4号2ランを放ち、連敗から脱出した。翌日、翌々日も阿部は『5番・一塁』で出場。2試合ともヒットはなったが、チームは中日戦では引き分け、ヤクルト戦では7点差をひっくり返す逆転勝ち。これで阿部のスタメン試合は9勝4敗1分、勝率6割9分2厘となった。野球担当記者が話す。「7日の中日戦では岡本和真も2安打を放ち、8日には先制2ラン、9日のヤクルト戦には2打席連続本塁打を放ったように、阿部が先発すると、岡本も快音を響かせる傾向がある。そのため、チームの勝率も上がるのでしょう。岡本は阿部スタメン時に13試合先発し、打率3割4厘、5本塁打、12打点。ノーヒットは1試合だけ。それ以外では2割5分1厘に下がり、先発でのノーヒット試合は29を数えます。岡本の復調には、阿部の存在も大きいのではないでしょうか」(以下同) オールスター休み明け以降、巨人が失速した原因の1つに岡本の不調もあった。しかし、阿部のスタメン復帰3試合で岡本は3割5分7厘、3本、6打点と打ちまくっている。「不調で今季初めて4番を外れ、代わりに阿部が座った6月5日の楽天戦でも、岡本は6番で2安打。翌日は『4番・阿部、5番・岡本』で、岡本はまたしてもマルチ安打。阿部が出ると、相手投手に掛かる重圧も増すので、岡本に対するマークもやや甘くなる。阿部のスタメンはやはり相手にとって嫌なものだと数字が証明しています。かつて20代前半の松井秀喜が3番を打っていた頃、40代の落合博満が4番でカバーしていた。あのコンビを彷彿とさせます。ベテランの助けが若手の成長を促すのでしょう」 昨年、阿部と岡本の同時先発は42試合。その条件下で、岡本は3割5分3厘、11本、31打点と猛打を奮っていた。今年に限ったことではなかった。「問題は、これからさらに暑さの増す夏場に阿部がどこまでスタメンで出続けられるか。そして、成績を残せるかです。阿部に怖さを感じなくなれば、4番・岡本を避けて5番・阿部勝負の場面も出てくるかもしれない。阿部の神通力がいつまで持つかが、優勝争いの1つのポイントになりそうです」 40歳の阿部慎之助と23歳の岡本和真の両輪が巨人を5年ぶりのセ・リーグ優勝へ導くか。
2019.08.09 22:57

プロ野球OBが選んだ歴代No.1投手「分かっとる。ワッハハハ」
プロ野球OBによる「史上最高の選手は誰か」という投票結果をまとめた『プロ野球史上最高の選手は誰だ?』(宝島新書)が話題だ。105人のOBが投手と野手の各5人を選出、1位の選手には5点、2位4点、3位3点、4位2点、5位1点を付与し、その合計ポイントによってランキングが作られている。 結果を見ると、投手の1位はやはり金田正一氏(現役/1950~1969年、所属/国鉄ほか)。「トルネード投法」でメジャーに旋風を巻き起こした野茂英雄氏(1990~2008年、ドジャースほか)には比較的若い世代のOBからの票が集まり2位となった。 3位にオールスター9連続奪三振などの伝説を残した江夏豊氏(1967~1984年、阪神ほか)が入り、そこに江川卓氏(1979~1987年、巨人ほか)、稲尾和久氏(1956~1969年、西鉄)が続いた。現役メジャーリーガーではダルビッシュ有(2005年~、現カブス)が6位、田中将大(2007年~、現ヤンキース)が9位で、大谷翔平(2013年~、現エンゼルス)は10位タイという結果となった。 野手では1位が王貞治氏(1959~1980年、巨人)、2位がイチロー氏(1992~2019年、マリナーズほか)で、3位に“ミスター・ジャイアンツ”の長嶋茂雄氏(1958~1974年、巨人)がランクイン。4位に落合博満氏(1979~1998年、中日ほか)、5位に松井秀喜氏(1993~2012年、ヤンキースほか)と続く。ちなみにメジャーでも二刀流を貫き、右肘の手術明けとなった今季は打者としてエンゼルスの主軸を張る大谷は、野手でも12位タイに入り、投打両部門で上位に名前が挙がる唯一の選手だった。 興味深いのは投手1位に金田氏を推したのは、野村克也氏(1954~1980年、南海ほか)、張本勲氏(1959~1981年、巨人ほか)、須藤豊氏(1956~1968年、巨人ほか)ら野手OBが圧倒的に多く、野手1位として王氏に票を投じたのは平松政次氏(1967~1984年、大洋)、齊藤明雄氏(1977~1993年、横浜)、北別府学氏(1976~94年、広島)ら投手OBが多かったことだ。 世代による意見の違いを超えたナンバーワンには、同じプロのなかでも“対戦相手の目線”から票が集まったことになる。投手1位に輝いた金田氏に話を聞くと、豪快に笑いながらこう話す。「他人様から史上最高の選手とか言われなくても、自分でわかっとる。大きなお世話だよ。ワッハハハ」※週刊ポスト2019年8月16・23日号
2019.08.06 18:08

連敗脱出の巨人は1994年を彷彿 松井・落合の役目は誰が?
セ・リーグは、首位を独走していた巨人の大失速でDeNA、広島と三つ巴の様相を呈してきた。思い起こせば、巨人は長嶋茂雄監督復帰2年目の1994年もオールスター前まで独走しながら、夏場に成績を落とした。まさに、今年の状況と酷似している。 1994年、開幕戦で2年目の松井秀喜、40歳の落合博満がアベックアーチを放ち、斎藤雅樹の完封で広島を11対0で破る幸先の良いスタートを切った巨人は、4月を13勝6敗と開幕ダッシュに成功。5月18日の広島戦では槙原寛己が完全試合を達成するなど、桑田真澄を含めた3本柱を中心に安定した戦いを見せ、6月28日には2位・中日に10ゲーム差をつけて独走状態に入っていた。 しかし、7月に9勝12敗と負け越し、徐々にゲーム差が縮まってくる。8月25日から9月3日まで8連敗を喫し、2位と3ゲーム差まで追い詰められる。8連敗中は、全て2得点以下しか取れず、完封負け3度と貧打に喘いだ。連敗を脱した9月6日の横浜戦では、松井と落合のアベックアーチなどで4点を奪い、先発・ジョーンズが7回1失点に抑え、橋本清―石毛博史の『勝利の方程式』で逃げ切った。野球担当記者が話す。「この状況が、今年と似ているんですよ。今年の7月31日の広島戦から8月6日の中日戦までの6連敗の間は2得点以下が5試合と打線が奮わなかった。連敗を脱した7日の中日戦では外国人投手のメルセデスが先発し、試合を作った。打線は若武者の岡本和真が2安打でチャンスメークし、40歳の阿部慎之助が2ランを放ち、勝利に貢献。負けが込んでいる状態では、日本人投手と比べれば外国人投手のほうがプレッシャーを感じないし、やはりベテランの力がモノを言う。25年前と同じような展開でした」(以下同) 1994年の巨人は9月下旬にも4連敗を喫するなど不安定な戦いが続いたが、10月8日の最終戦で同率に並んだ中日との大一番を制し、4年ぶりの優勝に輝いた。「終盤、満身創痍の落合は5番降格を味わうなど不振に苦しみましたが、10.8決戦で先制ホームランと決勝タイムリーを放つなど勝負所で活躍した。今年、この役割を担うのは、当時の落合と同じ40歳の阿部でしょう。7日の試合でも、23試合ぶりのスタメンで一発を放つなど勝負強さは健在。今年、いまひとつ調子に乗り切れない岡本を5番打者としてカバーできるのは、長打も打てる阿部しかいない。阿部が打てば、岡本の負担も軽減され、岡本の打棒復活の期待もできる。2人が1994年の松井と落合の関係を構築できるかどうかに、今後の巨人打線は懸かっています」 史上稀に見る大失速を見事にドラマに変えた1994年の長嶋ジャイアンツのように、2019年の原ジャイアンツも踏ん張れるか。
2019.08.08 00:20

「ビッグ4」で唯一人甲子園へ 星稜の「奥川劇場」開幕へ
8月6日開幕の「令和最初の甲子園」は、新時代に相応しい激動の大会となる。高校四天王と呼ばれたドラフト候補の投手のうち、甲子園出場を果たしたのは星稜高校3年の奥川恭伸(やすのぶ)だけだった。ノンフィクションライターの柳川悠二氏が、ビッグ4と呼ばれる豪腕4投手についてレポートする。 * * * 波瀾の地方大会を象徴するように、高校四天王ともビッグ4とも呼ばれたドラフト候補の敗退が相次いだ。 最初に姿を消したのは横浜の153キロ左腕・及川雅貴。準々決勝で旋風を起こした県立相模原に3番手で登板するもリードを守り切れず、1回で3失点。 U-15侍ジャパンのエースだった中学時代から注目を集めた逸材だが、「高校1年生の頃が一番良かった」というスカウトの声もあり、ドラフトの評価は分かれるところだ。 岩手では令和の怪物こと、最速163キロの190センチ右腕・佐々木朗希(大船渡)が、決勝の花巻東戦で登板することなく、最後の夏を終えた。その起用法は、全国的な話題にもなった。 そして岡山・創志学園の西純矢。昨夏、相手を威圧するようにマウンドで咆哮し、高野連にお灸を据えられた西だが、今年は優等生に変貌。敗れた準決勝・倉敷商戦の9回に打席に入ると、球場から温かい拍手が送られた。「これまで良く思われていなかったこともあると思うんですけど……拍手は嬉しかったです。(昨年の甲子園で受けた)批判があったからこそ、今の自分がある。甲子園は、考え方や努力が一番じゃないと出られない場所。自分に足りないものがあったんだと思います」 晴れやかに潔く。敗戦を冷静に受け止め前を向いた。 四天王最後の砦となったのが石川・星稜の奥川恭伸(やすのぶ)だ。リリーフとしてマウンドに上がった準決勝は、逆転打を許すも、自身の場外に消える本塁打で同点に追いつき、延長10回には勝負を決める2点本塁打を放った。決勝では2失点完投し、投打に層の厚い星稜にあって、林和成監督の言葉を借りるまでもなく、「奥川劇場」を演じてみせた。 優勝候補と目されていた今春のセンバツで奥川は、初戦で履正社(大阪)の強力打線を翻弄する圧巻のピッチング。だが、続く習志野(千葉)戦では、相手のサイン盗み疑惑の動揺もあってか、制球を乱して敗退した。 最後の夏、最速は158キロに達し、先輩の松井秀喜氏も達成できなかった同校初の甲子園制覇を狙う。「友人たちの思いを背負いながら、戦います」 友人たちには、敗れ去った四天王も含まれるはずだ。4人はいずれもU-18侍ジャパンに選出されることが濃厚。8月30日から韓国で開催されるU-18ワールドカップで、日本にとって悲願の世界一に挑む。 星稜のエースから日本のエースへ。その時、奥川は「甲子園優勝投手」の勲章を手にしているかもしれない。※週刊ポスト2019年8月16・23日号
2019.08.02 22:43

中日・高橋周平と巨人・岡本和真 新監督で明暗分かれる
熱心な“竜党”にとっては、「やっと」という感慨もあるのだろう。プロ野球の中日・高橋周平(25)のバットがついに覚醒した。打率.344でリーグトップをひた走り、交流戦に入ってからは主砲・ビシエド(30)を退けて4番に座る(数字は6月11日終了時点、以下同)。「8年目を迎えた今季、与田剛・監督からキャプテンに指名され火が付きました。5月は、日本記録に並ぶ月間8度の猛打賞を記録するなど、25歳での抜擢に応える活躍を見せています。 高橋は長年、未来の“竜の顔”として期待されながらも伸び悩んできた。昨季は初めて規定打席に到達しましたが、チャンスで森繁和・前監督に代打を送られ、ベンチで悔しさを滲ませる場面もあった。昨年コンバートされたセカンドから、今年は本職のサードに復帰したことも大きかった」(スポーツ紙デスク) 対照的に“ブレーキ”がかかっているのが巨人・岡本和真(22)だ。昨季は全試合に出場し、打率・309、33本塁打、100打点をマーク。22歳シーズンでの100打点は、1996年の松井秀喜を抜いて最年少記録だった。 だが飛躍のシーズンから一転、打率は.256と低迷する。「岡本は昨季の春季キャンプでその松井氏から直接指導を受け、打撃のコツを掴んだのか、見違えるように良くなりました。その様子を見ていた高橋由伸・前監督は直接指導はせず、二岡智宏・打撃コーチに任せて、我慢強く4番で使い続けました。 ただ今季は事情が違う。ヘッドコーチを置かず、チーム全体に厳しく目を光らせる原辰徳・監督は、春季キャンプから岡本へのマンツーマン指導を行ない、シーズンに入ってからも、雨天中止となった甲子園の室内練習場で指導するなど“教え魔”のように試合前の微調整を繰り返している。だが、マジメな性格が災いして原監督のアドバイスを過剰に気にしすぎているように見える」(番記者) 明暗分かれる両者に共通するのは、今季「新監督」のもとでプレーしていることだ。もちろん、選手の調子の浮き沈みには、個々人の努力や慢心など、様々な要因がある。しかし、選手にとって、「監督との相性」も重要な要因となることは間違いない。 過去には、前年に成績が振るわなかった小早川毅彦や遠山奨志が、名将・野村克也・監督のもとに移籍してかつての輝きを取り戻したケースがあった。 だが、その野村監督のもとで芽が出なかった今岡誠が、代わって就任した故・星野仙一・監督に抜擢されて主軸を担った例もある。“野村再生工場”で復活を遂げた遠山氏が語る。「監督が代わると、チームカラーも変わる。固定観念がリセットされます。とくに、くすぶっている選手にとっては絶好のアピールチャンスになる。僕の場合は、野村監督が『野球の“や”の字』からやり直そうとしてくださった中で、“何でもしてやる”という気持ちでしたからね。監督が代わって指導がマッチすれば、色々な可能性は出てくると思います」◆原監督に合う選手、合わない選手 前出・スポーツ紙デスクが続ける。「中日・与田監督も“広報担当”と親しまれるほど、メディア対応を丁寧にすることで、選手に対する批判をかわしている。落合博満・監督時代は、メディアに全く対応せず、批判的な報道が選手に向いたこともありましたからね」 一方、野球評論家の江本孟紀氏は、ビヤヌエバ(27)とゲレーロ(32)の両外国人を同時に二軍に落とすことができる原監督を「危うさのある全権監督」としつつも、その采配をこう評価する。「投手陣では、中川皓太(25)や桜井俊貴(25)ら台頭してきた若手をすかさず抜擢し、そういった選手が結果を残している。この判断力は、3度目の政権となる原監督の経験が生かされているように思います」 自主性に任せて伸びる部下がいれば、厳しく指導して伸びる部下もいる。“部下への指導”が難しいのは、プロ野球の世界でも変わらない。※週刊ポスト2019年6月28日号
2019.06.18 08:25
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