松山千春一覧/2ページ

【松山千春】に関するニュースを集めたページです。

業界大物がハマる昭和歌謡歌手「高校時代はジュリーに夢中」
業界大物がハマる昭和歌謡歌手「高校時代はジュリーに夢中」
 合間に入るピコピコハンマーの音とともに、一度聞いたら頭から離れない「もぐらたたきのような人」を歌うシンガーソングライターの町あかり氏は、よく昭和の歌謡曲やアイドルを再現していると言われる。しかし、ももいろクローバーなどへの楽曲提供で知られる前山田健一氏や氣志團の綾小路翔氏が賞賛するのは、ただ懐かしさだけではないオリジナルの魅力があるからだ。昭和レトロと現在が合わさった、その魅力の謎の解明を試みた。 * * *――町さんの曲は、モテる上に気の多い男性への女性の嫉妬を歌った「もぐらたたきのような人」に限らず、親しみやすいメロディと明るい歌声なのに、詞を見直すと怖いような内容が多いですね。町あかり(以下、町): 怖いと思うかもしれないですが、女の子にはありがちなことを歌っていると思います。たとえば「のっぴきならない事情」という曲は、あなたに会うのが面倒くさいから「のっぴきならない」と言っておこうという曲。その事情は何かといえば、着替えるのが面倒とか他人からは些細なことです。 そんな理由で「のっぴきならない事情」と説明するなんて、女の子にはよくあることなんじゃないかなと思います。バイトも学校もない日なのに「忙しい」と返事して誘いを断る女の子って、普通にいますよね。他の曲も、友だちと話していても感じる同世代の気持ちが曲になっていると思います。――20代で町さんのように同世代の気持ちをテーマにした曲をつくっている人は、もっと抽象的な歌詞が多いように思います。でも、具体的で相手の存在がみえる曲が多いですね。 町:自分の気持ちを歌いたくて曲を書いているのではないのが大きな違いかなと思います。それに、同世代の人たちと聞いている曲が違うからだとも思います。私が好きな1970年代や1980年代に流行った曲は、シンガーソングライターではなく、作曲家や作詞家が歌手に向けて作っています。私も「町あかり」という歌手に曲や詞を書いているような感じにしたいと思って曲をつくっているんです。――1991年生まれの町さんが30~40年前の曲に触れる機会はなかなかないと思いますが、なぜ、昭和のアイドルや歌謡曲に注目したのでしょうか?町:音楽を熱心に聞き始めたのは中学生のときでした。それまでは、自分で絵本をつくって友だちに見せるなど創作することは好きでしたが、音楽への興味はそれほどなかったんです。家でも、休みの日には父がギターを弾いて歌を歌っていましたが、好きなのは松山千春さんや「黒の舟歌」が有名な長谷川きよしさんの曲で、ヒット曲というよりはギター好きな人に人気というものでした。 中学生の時、テレビの音楽番組でたまたまみたサザンオールスターズに夢中になりました。その後、古い曲へ注意が向いたのは、人と違うものを見つけたいという単純な動機だったと思います。中学生でしたから(笑)。具体的に曲に触れたのは、懐メロ番組を偶然にテレビで見たのが始まりです。その後はYouTubeですね。インターネットで探すと、本当にたくさんの情報が出てきますから。――古い曲を初めて聞いたときには、かなり驚かれたのではないでしょうか?町:驚いたことがありすぎて、例を挙げるのに困るくらいです。たとえば、沖田浩之さんの「E気持ち」などは歌詞も面白いですし、沖田さんのアクションも面白い。そのなかから一番がどれとは言いづらいですが、高校生のときはジュリー、沢田研二さんに夢中でした。 YouTubeでジュリーの昔の映像を見るたびに驚かされました。「TOKIO」の電飾がついてキラキラキラと光る衣装にも、同じフレーズの繰り返しが多い曲も衝撃的でした。覚えやすくて頭に残りますよね。沢田研二さんは曲が変わるごとに衣裳のイメージも全然、違っていた。キラキラで王子様みたいだったり、着崩していたり。――当時の歌謡曲の演出がライブ時のパフォーマンスに影響されているのでしょうか?町:沢田研二さんだけでなく、当時のアイドルからも大きな影響を受けていると思います。 たとえば小泉今日子さんがアイドルとして歌っていた頃の映像を見ると、ちょっと気だるく振りをしていて、恥ずかしそうに踊っているようにも見えて、それもまたかわいいんです。だから「町あかり」は今のアイドルのように踊りきらない。すごく頑張らない、特徴的な振りになるようにと決めているんです。――自作されている衣装も、昭和のアイドルの影響が強いのでしょうか?町:ライブ活動を始めたころは、古着などを買って組み合わせていました。一年ぐらい経ってから、着たいデザインを自分で縫っています。昔のアイドルの衣裳とまったく同じようには作れないんですが、かわいいと思った色づかいや、大きな襟を頑張って作っています。この間イベントに来てくれた3歳ぐらいの女の子は私と同じ衣装を着ていたんですよ。お母さんが作ったそうなんですが、私よりも上手に作られていました(笑)。――最近のアイドルの衣装と昔のものでは、どんな点が違うのでしょうか?町:昔はドレスやワンピースが多いですよね。ドレスなど長い丈のものを着ていたら激しく踊れないから、今のアイドルではなかなか見られません。――今の町あかりさんとしての曲には多感な世代の女の子の正直な物語を歌うものが多いですが、今後も同じテーマで作り続けるのでしょうか?町:それはしたくない、そうならないようにしたいと思います。成長や変化をしたいです。昔は歌手の成長にあわせて曲も変化させていたものが多いんです。デビューのころは16歳の女の子の気持ちを歌っていて、成長に合わせて曲の内容もお姉さんにしていた。「町あかり」も同じように、成長する歌手にしたいと思っています。 ――今後は「町あかり」以外にも曲を提供する可能性があるのでしょうか?町:お話しがあれば、今のアイドルの人に曲を書いてみたいですね。それから、俳優さんにも曲を提供してみたい。最近の俳優さんは、音楽活動をされるときはミュージシャンとして別の顔になります。でも昔は、西田敏行さんのように俳優さんのまま素朴に歌っていらっしゃることが多かったと思うんです。歌うのが専門でない俳優さんに曲を書いてみたいですね。町あかり(まち あかり):1991年5月28日生まれ。東京都出身。高校在学中に曲づくりを始め2010年8月新横浜Bell’sでライブ活動開始。2013年「MUSICるTV」(テレビ朝日)で前山田健一と綾小路翔に激賞され第1回もし売れ大賞受賞。今年3月に大学卒業&小学校教諭一種免許状取得予定。2月23日にEggman tokyo eastでワンマンライブ「町あかり被害者の会~頭から離れない」開催。好きな絵本は『こんとあき』(林明子、福音館書店)。
2014.02.22 07:00
NEWSポストセブン
松山千春 徹夜麻雀直後に路上で腹筋始めるG馬場を目撃した
松山千春 徹夜麻雀直後に路上で腹筋始めるG馬場を目撃した
 シンガーソングライターの松山千春は、大のプロレスファンであり、生前のジャイアント馬場さんとプライベートで親交があったという。DVD付きマガジン『ジャイアント馬場 甦る16文キック』(小学館)第5巻では、松山が馬場さんの知られざるエピソードを紹介している。 * * * 馬場さんと知り合ったのは、もう30年くらい前になります。馬場さんを紹介してくれた人がいるんですよ。俺のコンサート会場の設営をやってくれていた、東海クリエイトという会社の社長で濱地紀夫さんという人です。 濱地さんは、力道山がいた頃の日本プロレスでプロレス会場の設営をやっていて、もうプロレス関係者なら誰でも知ってる人。馬場さんと非常に仲が良く、というよりも、濱地さんが少し年上だったので、いわば馬場さんの兄貴分のような存在だったと思います。濱地さんの身長は160センチくらいで、有名な凸凹コンビでした。 その濱地さんが、ある日「千春は、馬場は嫌いか?」って聞くので、「何言ってるんですか、大好きですよ」って答えたら、「じゃ、今度一緒に飯でも食いに行こうか」と誘ってくれたんです。 実際小学校の低学年のときから力道山や吉村道明を見ていて、プロレスは大ファンでしたから。馬場さんを嫌いなわけがない(笑)。そして、その後食事をご一緒させていただきました。なので、最初から馬場さんとのつきあいは、完全にプライベートなものでした。 馬場さんは麻雀が好きなことで有名ですが、俺ともよく囲みました。で、結構ズルイことをやるんです。手が大きいでしょ。だから、麻雀のパイを4個一緒につかんで、全部見ちゃうんですよ。 あと、当たりそうなパイを、わざと手から落としてこっちに見せて、「千春はこういうので待つんだよな」とか言って、当たりパイかどうかの反応を見たり。そういうズルを平気でやっちゃう(笑)。そんな茶目っ気があったので、一緒に遊ばせてもらって、すごく楽しかった。 名古屋でこんなことがありました。馬場さんと濱地さんと俺ともうひとりで、いつものように徹夜麻雀となったときのこと。朝の4時くらいになって、馬場さんはその日に試合があったので、そろそろ寝ようかということになり、お開きになったんです。 そして、俺と濱地さんは一緒のタクシーに乗って、ホテルに帰ろうとしている途中、タクシーの運転手が、「あっ、ジャイアント馬場だ!!」って声を出したんです。えっ!? と思って運転手が見ているほうを見たら、たしかに馬場さんがトレーニングウェアに着替えて、街中を走ってたんです。 麻雀が終わったあと、すぐに着替えて、そのままランニングに出たというわけです。しかも、止まったと思ったら、路上で腹筋を始めてね。そのときは笑ってしまいましたけど、さすがだなと心底感心しましたね。※DVD付きマガジン『ジャイアント馬場 甦る16文キック』第5巻より
2012.10.07 16:00
NEWSポストセブン
猪木が「宿命のライバル」馬場に挨拶するところを松山千春目撃
猪木が「宿命のライバル」馬場に挨拶するところを松山千春目撃
 今年は全日本プロレス・新日本プロレスの40周年。それぞれその帝国を築いたジャイアント馬場とアントニオ猪木は「宿命のライバル」だったが、実際のところ2人の関係性はどんなものだったのか。DVD付きマガジン『ジャイアント馬場 甦る16文キック』(小学館)第5巻では、生前の馬場さんと親交の深かったシンガーソングライターの松山千春が、2人の知られざるエピソードを明かしている。 * * * よく試合前の控室に会いに行ってたんですけど、いちばん驚いたのは、全日本プロレスの東京ドーム大会のときに、馬場さんの控室にアントニオ猪木さんが現れたことですかね。ドアが開いたと思ったら、入ってきたのは猪木さん。「あ、猪木だ」って、俺が緊張しました。 当時、世間では、馬場と猪木といったら誰もが知る宿命のライバルで通っていたし、猪木さんも盛んに馬場さんを挑発していたじゃないですか。「オレの挑戦を受けろ!」っていう感じで。実は、濱地紀生さん(注・プロレス会場設営会社社長。松山に馬場さんを紹介した)からも、力道山が亡くなった後の日本プロレス時代の末期、控室で、よく猪木さんが馬場さんを挑発していたっていう話を聞いていたんです。 猪木さんが、控室にもかかわらず、「早く決着をつけようぜ。いまこの場でもいいぞ!」なんて、馬場さんを本気で挑発していたとか。ほかのレスラーは誰も止められず、ふたりの兄貴分だった身長160センチの濱地さんが、「何やってるんだ! こんなとこで。やめろ、やめろ、やめろ」って、怒りながら間に入って、止めていたらしいんですよ。 そんなエピソードを聞いていたので、猪木さんが入ってきたときには、大変なことになるかもしれないぞ、なんて思いました。 すると、猪木さんは馬場さんの前まで来て、「馬場さん、ご無沙汰しています」って礼儀正しく、挨拶をしたんです。馬場さんはというと、「寛ちゃん、元気かい。葉巻はいつ持ってきてくれるんだよ」なんて、ごく普通に答えているんです。その様子に2度びっくりですよ。あれほど、ふたりの関係性がよくわかるシーンはないでしょう。ほんとに馬場さんて、人徳のある人なんだと思いましたよ。※DVD付きマガジン『ジャイアント馬場 甦る16文キック』第5巻より
2012.09.29 16:00
NEWSポストセブン
鳩山由紀夫氏 地元の市民踊りでハッスルする姿を写真で紹介
鳩山由紀夫氏 地元の市民踊りでハッスルする姿を写真で紹介
「近いうちに」とは、いつなのか? 永田町は解散・総選挙の時期を巡って「9月だ」「年内には」「来年かも」という話題で持ちきりだ。 なかでも「近いうちに」の意味を最も気にしているのはこの人、鳩山由紀夫元首相だろう。 すでに自民党は鳩山氏の地元・北海道9区に、冬季五輪メダリストで道議の堀井学氏の擁立を決めている。さらには歌手の松山千春氏という強力な刺客も、新党大地・真民主から出馬すると噂されている。マスコミの当落予想で落選と騒がれたり、落選させたい議員1位に選ばれたりしている鳩山氏はまさに崖っぷちの状況だ。 このためか、鳩山氏は毎週末、地元に帰って“田の草取り”に励んでいる。7月28日には室蘭の祭り、8月4・5日と11・12日は室蘭市の中嶋神社の例大祭や伊達市の「伊達武者まつり」、苫小牧市の「とまこまい港まつり」(写真)などに参加。そのあと個人宅を約50軒も訪問したのである。 母・安子さんから約42億円もの贈与を受けた大金持ちの元首相とは思えない“ドブ板戦術”に徹する鳩山氏。その『長い夜』(松山千春)もとい、長い夏は、まだまだ続く……。撮影■渡辺利博※週刊ポスト2012年8月31日号
2012.08.22 07:00
週刊ポスト
箭内道彦氏 3浪で時福島に呼び戻され駄菓子店や介護手伝った
箭内道彦氏 3浪で時福島に呼び戻され駄菓子店や介護手伝った
福島県出身の4人組バンド『猪苗代湖ズ』が紅白で叫んだ歌詞は、多くの人の胸を打った。リーダー・箭内道彦は、広告業界を中心に活躍する47才のクリエーティブディレクター。金髪がトレードマークで、数々の流行を仕掛けてきたその経歴に、郷土愛あふれるイメージはない。しかし、3.11は、「福島嫌い」を公言していた彼の心を大きく揺さぶった。そんな彼の生い立ちとは?箭内は1964年、福島県郡山市で生まれた。両親と弟の4人家族で、実家は駄菓子店を営み、牛乳配達なども請け負っていた。実家の近所に住む70代夫妻がいう。「お父さんは大柄な人で、お母さんは優しいタイプ。道彦くんは顔がお母さん似で、とても真面目な子でしたね。小さいころから忙しい夕飯時には店番をしていたし、牛乳の配達も手伝っていました」小学校時代から絵を描くのが得意で、学校の成績もトップクラス。表に出て目立つタイプではなかったが、時折、独特の感性を見せることがあったと中学時代の友人は話す。「あいつはフォークソングが好きで、とくに松山千春(56)に心酔してた。ある日、『松山千春のちょっと可愛い呼び名を考えたんだよね』って紙を見せられたんだけど、そこには『まちゃまちゃはる』って書いてあった。それで『これ、かわいーと思わね?』とかいうわけ。言葉にするとどうってことない呼び名だけど、あいつが書くと文字のバランスとかがセンスある感じになるんですよね」高校は県内有数の進学校である安積高校へ。絵が得意だった箭内は、大学受験では志望校を芸術系の最難関、東京芸術大学一本に絞って挑戦する。しかし、失敗。福島を離れ、芸大・美大系の予備校にはいるために上京した。その理由を、箭内は後に著書『クリエイティブ合気道』(アスキー刊)のなかでこう語っている。<ずっと人の顔色ばかりうかがって暮らしてきた。実家が商店だったせいと生来の気の弱さ。とにかく周囲から嫌われないように。みんなからいいやつだと思われるように。それは誰にも言えない強烈なコンプレックスだった。もっと自由に天真爛漫に力強く伸び伸びと真っすぐ個性的に生きてみたかった>無理に周囲に合わせていた自分。東京に行けば生まれ変われると信じたのだろう。しかし、そうした思いとは裏腹に、芸大受験はうまくいかなかった。1年目の浪人時代、予備校では、講師から「明日が試験でも大丈夫」と太鼓判を押されていたが、試験結果は不合格。あまりのショックに腰が抜けて歩けなくなり、友人におぶさって上野駅まで運んでもらったという。2浪目も失敗し、3浪目となった6月、箭内は母親・伸子さん(73)に呼び戻される。当時、伸子さんは商売の手伝いと両親の介護で手一杯の状態だったからだ。「みんな苦労しているのに、息子は東京でのんきに浪人生活か」周囲から母親に向けられるプレッシャーが日増しに大きくなっていたのも、理由のひとつだった。そのプレッシャーは当然、箭内にも向けられた。伸子さんがこう振り返る。「呼び戻すと、(道彦は)素直に帰ってきてくれて、何もいわずに、店の手伝いや介護も手伝ってくれました。でも、本人にすれば複雑な思いだったでしょうね」その年の年末から翌年の1月上旬にかけて、相次いで祖父母が亡くなり、ふたりの葬儀を終えると、母親はすぐに箭内を東京に帰した。4度目の芸大受験のためだった。実家にいる間、一枚も絵やデッサンを描くことはなかったが、今度は難関を見事に突破。箭内は東京芸大美術学部デザイン科への入学を決めたのだった。※女性セブン2012年2月2日号
2012.01.23 16:00
女性セブン
震災後 ネットに登場した名言をPC未所有者にも伝える本
震災後 ネットに登場した名言をPC未所有者にも伝える本
東日本大震災後、ツイッターや動画サイトなどには、被災者や日本人を励ます言葉やつぶやきが数多く登場した。そうした言葉をパソコンを持っていない人にも伝えようと、震災から1か月のあいだに語られた数々の言葉・つぶやきを集めた『この言葉を忘れない 3.11語りつぎたい勇気と感動のつぶやき』(徳間書店)が発売された。掲載されている言葉やつぶやきは、アメリカのオバマ大統領、イギリスのキャメロン首相、アウン・サン・スー・チー女史といった世界の要人や、レオナルド・ディカプリオ、マライア・キャリー、ペ・ヨンジュンなど世界的大スター、さらにビートたけし、吉永小百合、渡辺謙など日本のトップスター、そしてツイッター上に登場した“名も無き”一般人たちから発せられたもの。ある人は震災当日、路上で無料でコーヒーを配る人に感動した経験を、ある人はコンビニで有り金全部(500円玉)を寄付し、友人と「財布空っぽだわwまじやべー」とおどける不良高校生の姿を、またある人は、被災地で献身的に活動する自衛隊員の彼からきた「自衛隊なめんなよ。今無理しないでいつ無理するんだ?」というメールを震災後にツイッターでつぶやき、同書にはこうした感動的なつぶやきが約100編が収録されている。なお、同書の本体価格(952円)の5%は、東日本大震災の義援金として、日本赤十字社に寄付される。最後に、珠玉のつぶやきを2編ほど。「知恵がある奴は知恵を出そう。力がある奴は力を出そう。金がある奴は金を出そう。『自分には何にも出せない』っていう奴は元気出せ」(松山千春)「仙台の友の言葉。『暗すぎて今までに見たことないくらい星が綺麗だよ。仙台のみんな、上を向くんだ!』こんなくさいセリフが心に突き刺さった」(@ryoji96 on Twitter)
2011.05.11 16:00
NEWSポストセブン

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