長門裕之一覧/2ページ
【長門裕之】に関するニュースを集めたページです。

津川雅彦 兄・長門裕之を「はっきりいえばブスさ」と論評
兄・長門裕之(享年77)と弟・津川雅彦(71)は、不思議な兄弟仲を見せ続けた。長門さんが亡くなって3か月、めったにインタビューを受けないことで知られる津川氏が、長門さんのラストインタビューを行なった吉田豪氏を聞き手に、兄弟の秘話を語った。 * * *――長門裕之さんと津川さんは兄弟の関係が面白いというか、兄弟仲がいいのか悪いのか全然わからないんですよ。津川:うん、どっちとはいえないね。子供の頃は仲よく、役者になってから長い間仲悪く、晩年また仲よくなったから、まあ後味は良いよ。とても。――津川さんに雑誌から電話が掛かってくると、背後で長門さんがコップを割ったりと、若い頃はライバル心も出てきたみたいですね。津川:僕が『狂った果実』でデビューした16歳のときの話。人気の上で弟に追い越されて、兄として沽券に関わった訳さ。感情が激しやすい質だからね。長門裕之は、桑田佳祐が兄貴に似てるといわれる程、親近感の持てる顔なんだ。だから二枚目がモテるあの時代にはそぐわなかったんだな。はっきりいえば「ブス」さ。これを言うと兄貴はまじで不愉快な顔したけどね(笑)。テレビ時代になって渥美清に代表される、等身大の人気スターを視聴者が求めるようになり、兄貴には良い流れが来た。――津川さんは二枚目ゆえに、テレビの時代になると流れに乗れなくなって。津川:いや、テレビのせいなんて大袈裟なことじゃない。自信過剰での自滅にすぎない。日活から松竹に移ったのが致命傷になったね。この美しい顔さえあればどこでも通用すると思ってたが、ド下手だったからね(笑)。 日活辞めるときは、後援会長の村上元三先生と幸田文先生に大反対された。「スターは客が担いでくれる神輿なんだ。自分で歩いてしまう神輿は興ざめだ。行っちゃいけない」って。これ格言だったなあ。案の定、松竹に行ったら1本目から見事に客が入らなかった。儚いアイドルの運命さ。※週刊ポスト2011年9月9日号
2011.09.01 07:00
週刊ポスト

長門裕之さん 南田洋子の死後は引きこもりPCゲームの日々
5月24日、都内の斎場で行われた故・長門裕之さん(享年77)の告別式。出棺の際、長門さんが寂しがらないようにか、棺の上には亡き妻・南田洋子さん(享年76)が愛用していたという青いガウンがかけられていた。 長門さんは愛する妻に先立たれてからは、寂しい日々を送っていた。あるインタビューではこんなことも語っていた。「寂しいよ。もう一度、洋子に会いたいんだ。仏壇の前で、思いっきり“洋子、洋子、洋子”って骨壺にキスしたり胸に抱いたりなんかして、女々しいよ。76才の男とは思えない」 悲しみを乗り越えようという思いの一方で、ひとりぼっちになった部屋で、南田さんの息遣いや匂いを探し続ける毎日だった。「長門さんは一時、無気力状態になってしまって、南田さんと暮らしていた家に引きこもってはパソコンのゲームをしたりする生活だったそうです。また子供返りというか、気難しくなって、親しい人にもきつく当たったりするようになっていったみたいです。昨年、40年以上苦楽を共にしたマネジャーが突然辞めてしまいました。長門さんの周囲には、気心の知れた人は誰もいなくなり、孤独を一層強めたのでしょう。それで妻の後を追うように逝ってしまったんでしょうか…」(芸能関係者)※女性セブン2011年6月9日号
2011.05.30 07:00
女性セブン

長門裕之さん 「トイレだけは自分で」と介助を嫌がっていた
5月21日、消化管出血のため亡くなった俳優の長門裕之さん(享年77)。 今年の2月に脳出血で倒れ、2か月間入院した。左の脳の血管が切れ、右半身に麻痺が出る状態だった。右手右足が思うように動かせず、ろれつも上手く回らなくなった。言葉が出なくなり、当初はそのイライラから「苦しい」と言葉にならない声でうめくこともあったという。 一度退院して自宅に戻ったが、仕事に復帰するにはやはりリハビリが必要で、5月9日からは都内のリハビリ専門病院に入院した。長門さんの知人はこう話す。「それから1週間は、苦しいだとかつらいだとかは一切いわず、歩行訓練、パズル、積み木といったリハビリを黙々としていました。食事をとる練習をするのですが、麻痺でやっぱり上手くいかない。食器が落ちたり食べ物が落ちるんです。それを周囲の人が見かねて手を出そうとすると“触るな、自分でする”と怒ったそうです。 トイレも一時期、ひとりではできないときがあったそうですが、長門さんは介助だけは嫌がったそうです。“トイレだけは自分でする”と、ひとりで頑張っていたのが、やっぱり長門さんらしかったですね」※女性セブン2011年6月9日号
2011.05.27 07:00
女性セブン

長門裕之さんの真の姿は「献身的介護夫」か「暴露本著者」か
5月21日、77歳で亡くなった俳優の長門裕之さん。亡くなった後のワイドショーではしきりと故・南田洋子さんとの関係を「おしどり夫婦」と表現されているが、その一方で浮気を暴露し、果てには「献身的に妻を介護した夫」とも評される。一体真の姿はどこにあったのか。プロインタビューアーの吉田豪氏が生前長門さんを取材した時に思ったことをここに再現する。(週刊ポスト2009年8月7日号より)* * *先日、念願叶って、あの長門裕之(敬称略)を彼のマンションで取材することが出来た。タレント本コレクターのボクが選ぶ生涯ベストというべき名著『洋子へ』(1985年/データハウス)の著者であり、そしていまは認知症の妻・南田洋子を自宅で介護していることで知られる彼は、我々が到着すると「いや~、いま大変だったんだよ!」と、大人用おむつの入ったビニール袋片手に登場。「待望してたうんちが出たんだよねえ。2日も3日も出ないと、やっぱりアンモニアの毒素が溜まっちゃうから。うんちが出たっていうことが、俺はホントに嬉しい」と語る長門裕之と、『洋子へ』の浮気自慢と同業者批判で大バッシングをされた長門裕之は全くイメージが重ならないが、もちろん同一人物である。古くはマスコミに「おしどり夫婦」としてもてはやされ、『洋子へ』出版で「暴露本の著者」としてバッシングされ、いまは「介護に頑張る美談の人」として褒め称えられている彼の、どれが真実の姿なのだろうか?ボクに言わせれば、その全てが間違いだったような気がしてならない。『われらガチョウ夫婦』(1978年/学習研究社)』という、夫婦の共著も出しているように、彼は昔から「ウチはおしどり夫婦なんかじゃない」と言い続け、その本でもさんざん浮気自慢を繰り返し、それでも動じない妻へのメッセージとして、かまってほしくて『洋子へ』を出版。あの本がいわゆる暴露本とは桁違いの面白さなのはそのためであり、誰かを恨んで書いた感じがしないし、酒を飲んで話したのをまとめたこともあって、とにかくホントに楽しげだった。そして、いま彼が必死に介護をやっているのも、そんな伏線があってこそなのだ。文/吉田豪
2011.05.23 16:00
週刊ポスト

長門裕之さん 今村昌平監督の死の直前に得た「心に残る一言」
俳優の長門裕之さん(77)が5月21日、肺炎からの合併症を起こし亡くなった。長門さんは自身が出演した映画『豚と軍艦』の監督・今村昌平氏の死の直前の様子とそこから思った「言葉にならない言葉」について本誌に明かしていた。(週刊ポスト2006年7月28日号より)* * *実は亡くなる少し前に、お見舞いに行ってるんだ。すでに口をきける状態ではなかったけど、奥さんが「あなた、長門さんが来てくれましたよ、わかる?」といってくれてね。で、俺の顔を見つめながら、なにか懸命に話しかけようとしているわけ。そのうち、震える手で僕を指さし、微かに口元を震わせていったのね。【……だぞ】そのとき、何がいいたかったのか、よくわからなかった。その言葉にならない部分が利き取れず、わからなかったんだ。でもきっと僕に演出しているのだろうな、と思ったよ。それが「お前はまだまだ、ダメだぞ」なのか「お前はよくなったぞ」なのかまでは理解できなかったけど。でもね、言葉にならなかった言葉だからこそ、これからの僕の人生で今村さんの【……だぞ】をうまく使わせてもらおうと思っているんだ。心に残る一言というのは、実際に口にした言葉ではなくても、無言の中にも秘められていると思っているから。自分が苦しみヘコんだときは「お前、よくやったぞ」と監督が褒めてくれたじゃないかと励ましたりしてね。難しい役柄に挑戦するときは「お前、ダメだぞ」という監督の言葉を思い出し、気持ちを奮い立たせたり。病室での今村昌平との触れ合い。あの瞬間はつまり、監督が僕に対して最後の演出を行ったんだろうな。その最後の演出を都合よく使い、今の時代を力強く生き抜こうと思っている。構成/佐々木徹
2011.05.22 16:00
週刊ポスト

長門裕之「俺を好きだった」故・池内淳子さんとの思い出語る
俳優・長門裕之は1934年京都府生まれ。芸能一家に育ち、6歳で映画デビューする。1961年に女優・南田洋子と結婚。2009年に看取った。長門はプロインタビューアー・吉田豪氏のインタビューで女優の故・池内淳子さんについてこう答えている。******************************――長門さんもいろいろ関係ありましたしね(笑)。長門:いい友達だったんだよ(笑)。なんかのパーティのとき、ふたりで一緒に出て行くのは嫌だから、別々になって回転ドアを俺がバーンと開けて外に出たら、うしろで「痛てっ」て声がして、淳子ちゃんが指挟んでたの。ヤバいなと思って、ものすごく心配になったんだけど、ちょっと歩調を落としたら、ツーッとうしろから追っかけてきて、「もうお嫁さんになってあげないからね」って、これって優しいでしょ?―グッときますよ!長門:洋子の存在をきちんとわきまえながら、俺と仲がよかった。で、俺をそうやってイビるっていうか、男に自信を持たせる。俺が「そうか、この女はやっぱり俺を好きなんだな」って思わせてくれるんだもん。※週刊ポスト2010年11月26日・12月3日号
2010.11.19 17:00
週刊ポスト

南田洋子さん一周忌 長門裕之は南田家に分骨拒否し寺を教えず
10月21日、南田洋子さん(享年76)が亡くなって1年を迎えたが、その夫の長門裕之(76)と南田家の間には深い確執が生じているという。 両者の溝を決定的なものとしたのが、昨年の南田さんの葬儀だった。 南田家の人々はお手伝いがしたいと申し出たが、長門からは何の連絡もなし。そのうえ葬儀では、喪主である長門から何の挨拶もなかったという。しかも、生前から南田さんとの不仲で知られた長門の弟・津川雅彦(70)らが遺骨を抱いて最前列に並ぶなか、南田家の人々は最後列に追いやられたのだった。 また、南田さんは生前から南田家の墓への分骨を希望しており、長門もそのことは承知していたという。しかし、南田さんの甥(実弟の長男)で、音楽プロデューサーの北田陽一郎氏(41)が火葬当日、骨を受け取りに行くと、長門に「なんでお前が受け取りにくるんだ!」と拒否され、いまも分骨は果たされていないという。 「最初は分骨してくれるということだったんで、私たち(南田家)の菩提寺に連絡して埋葬する手はずを整えていたんですよ…。葬儀が終われば当然、お骨は持って帰れるものだと思ってました。なのに…」(北田氏) 長門側からは葬儀の後に「分骨はしない」という電話が1本あっただけで、その後、南田家側は埋葬されたお寺の場所すら教えてもらえなかったという。※女性セブン2010年11月4日号
2010.10.25 10:00
女性セブン

池内淳子さん 長門裕之の「僕と外泊した」を完全否定してた
おかみさん役で人気だった女優・池内淳子さん(享年76)が9月26日、肺腺がんで亡くなった。数々のホームドラマで活躍した池内さんだが、私生活では20代半ばで一度だけ結婚、わずか3か月で離婚した後は、あまり浮いた話の記憶がない。しかし、かつてこんな意外な話があった。当時、『虹の設計』(64年、NHK)など幾度となく夫婦役で共演したのが俳優の長門裕之(76歳)だったが、85年に長門が著書『洋子へ』の中で女房公認の恋人として池内の名を挙げて大騒動となったのだ。“洋子といる時間よりも彼女といるほうが長い時期があったからね。ふたりはたちまちゾッコンになり、よく外泊したものだ”“ロケ先では、ぼくの下着を洗濯までしてくれた”なんて話が飛び出したのだ。これに怒った池内さんは、記者会見まで開いて長門との“不倫関係”を真っ向から否定していたのだ。※週刊ポスト2010年10月15日号
2010.09.30 16:08
週刊ポスト
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