北方領土交渉が、1991年12月の新生ロシア成立後、最大の危機を迎えている。9月2日には、北方領土交渉を担当する責任者(日本側のカウンターパートは杉山晋輔外務審議官)であるモルグロフ外務次官が「私たちは日本側といかなる交渉も行わない。この問題は70年前に解決された」と発言した。今後の北方領土交渉の進展について、作家・元外務省主任分析官の佐藤優氏が解説する。
* * *
モルグロフは、「根室半島と歯舞群島の間に国境線を画定する、すなわち北方四島がロシア領であることを日本が認めるならば平和条約を締結してもよい」という交渉スタンスを示している。この発言は、過去の日露間の合意を完全に無視するものだ。
まず、1956年10月の日ソ共同宣言で、ソ連は平和条約締結後に歯舞群島と色丹島の日本への引き渡しを約束している。日ソ共同宣言は両国議会が批准した法的拘束力を持つ国際約束だ。
次に1993年10月の東京宣言で、日露両国は、択捉島、国後島、色丹島、歯舞群島の帰属の問題を解決して平和条約を締結することに合意している。
さらに、2001年3月のイルクーツク声明で、プーチン大統領が、日ソ共同宣言と東京宣言を明示的に再確認している。東京宣言とイルクーツク声明は、法的拘束力を持っていないが、重要な政治的合意だ。今回のモルグロフ次官の発言は、ロシア外務省がロシア国家とプーチン大統領が過去に日本に対して行った約束を反故にすると宣言した深刻な事態だ。
メドベージェフ首相並びにロシア外務省の北方領土交渉に関する消極的姿勢を突破する力はプーチン大統領にしかない。首相官邸の一部にプーチン大統領の政治決断で北方領土問題が進捗するという希望的観測があるが、客観的に見た場合、プーチン大統領に期待はできない。
2010年、ロシア政府は9月2日を「第二次世界大戦終結の日」に定め、毎年、シベリアや極東の各地で記念式典を開いている。これまでプーチンがこの記念行事に参加したことはなかった。今回、日本のシベリア出兵の舞台となったチタで、軍事パレードの観閲に欠席したとはいえ対日戦争記念行事に参加することで、プーチンは第二次世界大戦をめぐる歴史認識についてスターリン主義に回帰した。