1995年、チャリティーゴルフ前夜祭に参加した“ジャンボ”こと尾崎将司さん(左)と長嶋茂雄さん
長嶋茂雄さんが亡くなった年の暮れに、そのミスターを敬愛する“ジャンボ”こと尾崎将司さんが78歳でこの世を去った。野球とゴルフで競技は異なれど、2人のレジェンドの足跡は幾重にも重なっていた──。
アルファベット2文字で称される「ライバル」の存在
ゴルフ界で金字塔を打ち立てた男が旅立った。
181cm、90kgの体格を活かし、圧倒的な飛距離でツアーを勝ち続けたジャンボ。前人未到のプロ通算113勝をあげ、12回の賞金王に輝いた。
50歳でシニアツアーに移行するプロが多いなかレギュラーツアーにこだわり続け、2002年に55歳で最年長優勝記録をマーク。70歳でレギュラーツアーのエイジシュートも記録した。
そのキャリアも常識を覆すものだった。1964年のセンバツ甲子園で海南高(徳島)のエースとして優勝し、プロ野球の西鉄に入団。実働3年で退団し、21歳でゴルフに転身した。
プロテストに1年で合格して70年にデビューすると、翌1971年には国内メジャー・日本プロ選手権で初優勝を成し遂げる。
時代はちょうど、川上哲治監督率いる巨人のV9(1965~1973年)の真っ只中。球界出身のジャンボにとって11歳年上で憧れの存在だったのがミスターだ。自身のゴルフボールやバッグにミスターの背番号である「3」や「33」を大きくあしらった。
昭和のスポーツ史に名を刻んだ2人には、符合する点が少なくない。
そのひとつが、アルファベット2文字で称される「ライバル」の存在だ。ミスターには「ON」として同じチームで主軸を張った王貞治氏が、ジャンボには「AO」の冠のもとに対決した青木功氏がいた。
ミスターは2014年に本誌・週刊ポスト連載『巨人V9の真実』の取材で王氏を「ライバルだと思ったことがなかった」としながらも、「まったく意識していないといえば ウソになる」と表現して、こう語った。
「ネクストサークルで王ちゃんの打席を見ていると、足の上げ方とスイングで打球が飛んでいく方向がわかった。それくらい王ちゃんのことはわかっていたし、王ちゃんもボクのことをわかっていたと思う」
一方のジャンボは、青木氏と何度も優勝争いを演じ、賞金王を競った。
ジャンボが1971~1974年に4年連続で獲得賞金トップになると、青木氏も1976年に賞金王になり、1978~1981年は4年連続賞金王となった。青木軍団のプロの一人はこう振り返る。
「青木さんは“ジャンボ”と呼び、5歳年下のジャンボさんは“アニキ”と呼んだ。絶対に“青木さん”とは呼ばなかったので、相当ライバル視していたのだと感じました」
