開催直前、名前が付いたグループもある。安井謙太郎、真田佑馬、萩谷慧悟、森田美勇人の「Love-tune」だ。楽器を手にするバンドスタイルが売りの一つだが、楽器を置いて歌ったり踊ったりするし、曲の途中でバンドになったりダンスユニットになったりするスタイルが、ひじょうに新しい。
実は、初代というべき「ジャニーズ・ジュニア」は、ジャニーズ事務所の第一号アーティスト、「ジャニーズ」のバックバンドだった。1963年のことである。ジャニー社長が“柱”の一本としてバンドに強いこだわりを持っていらっしゃるのはそのためだと思われる。
現在のように、先輩たちのバックで少年たちが踊るようになったのは、73年に結成された「ジャニーズ・ジュニア第1期生」で、彼らはフォーリーブスや郷ひろみのバックダンサーとして、テレビや舞台に立っていた。
メインのフォーリーブスや郷ひろみではなく、その後ろで踊る少年たちにはすぐにファンが付いた。初期メンバーは9人。郷ひろみのレギュラー番組で研ナオコらと共演もしていたことで人気はうなぎ登りとなるも、3人が「ジュニア・スペシャル」というユニットでフォーリーブスのバックを。残る6人が「ジャニーズ・ジュニア」で郷ひろみのバックを担当してコンサートに帯同した後、分裂。一人のメンバーが入れ替わり、板野俊雄、林正明、畠山昌久の3人で「JOHNNY‘Sジュニア・スペシャル」(以下、JJS)となり、レコードデビューを果たしている。
その中の一人、「林正明」が検索ワードで急上昇したのが5月26〜27日のこと。林さんが57歳という若さで急逝したからだ。
実は私は高校時代、その林正明さん(ニックネーム・マーちゃん)の追っかけをしていた。通学途中にジャニーズ事務所の合宿所があり、放課後、渋谷駅で合宿所やレッスン場、NHKや渋谷公会堂に出向く彼らを待ち伏せしたものである。
本当はフォーリーブスのファン。でも、コンサートでバックに付いていた長身で甘いマスクの林さんに目がいった。つまり私も元祖“バック担”だというワケだ。
『ベルサイユのばら』という曲でレコードデビューを果たしたJJSには、応援グループがいくつかあり、別グループだったが、タレントで女優の大島さと子は、同時期、熱烈に応援していた仲間。
去年、大島さんと『情報ライブ ミヤネ屋』(日本テレビ系)で共演した際、それぞれ真っ先に口にしたのは「マーちゃん」というワード。いっきに青春時代に戻り、当時の思い出話に花を咲かせた。
その後、やはりJJSファンを公言していた歌手の森公美子さんと『一周回って知らない話』(同)で共演したときも、本番前ずっと、その話で盛り上がってしまった。
あるベテラン女性アーティストの「昔の歌のほうが良かった」と言っていたファンに対し、そのアーティストが「それは曲ではなく、そのころの自分自身が好きなだけ」と言い放ったことがある。確かにアイドルにまつわる昔話は、熱狂的に応援していた“自分”も“主役”なのかもしれない。