林正明さんは、JJSの後、女性二人をまじえた(当時、ジャニーズ事務所には女性の所属タレントがいた)VIPというユニットを経て芸能界を引退。同グループの畠山さんはその後、劇団四季の舞台で活躍していたが、2003年に急逝。年長の板野さんは、田原俊彦のバック「ジャPAニーズ」のメンバーなどを経て、その後やはり事務所を離れている。
ジャニーズでは真家ひろみさんが、フォーリーブスでは青山孝史さん(孝から改名)、北公次さんが若くして亡くなっている。そして畠山さんと林さんも…。同時期に活躍したグループサウンズやアイドル的なバンドの人気メンバーも若くして亡くなられている方が少なくなく、不思議でならない。寿命とは異なる数奇な運命が関係しているのだろうか。
実は林正明さんは、亡くなる10日前、“ファンの集い”に顔を見せ、3次会まで楽しそうに参加されていたと聞く。
昨今、アイドルとファンのゆがんだ関係がニュースで取り上げられることが多いが、青春時代を共に過ごし、年齢を重ねていった多くのアイドルとファンとの絆は、固いまま、ずっと繋がっているケースのほうが多い。
林さんの通夜には、フォーリーブスの江木俊夫、おりも政夫、元祖“ちびっこジュニア”ともいうべき、リトル・ギャング(最初に組んだグループ)の曽我泰久、他事務所の所属だった「レモンパイ」の小林利男さんから花が供えられた。また、元ずうとるびの今村良樹さん、元ANKHのメンバーで、いまは映画監督の東真司さんから弔電が届けられた。
郷ひろみと共に事務所を離れたジャニーズJr.第1期生のメンバーも参列していたし、告別式にはJJSでただ一人となってしまった板野俊雄さんが山口県から駆け付けた。
もちろんファンも全国から集まった。驚くのは、その場を仕切っていたのがJJSの男性マネジャー二人だったということ。さらには、現在、ジャニーズ事務所でアーティストのチーフを担当している男性も焼香に訪れていた。
“バック担”に話を戻すと、彼女たちの中には、応援していたジャニーズJr.がCDデビューをしてしまうと、また別のジャニーズJr.のファンになるという“癖”をもっている人たちがいる。その背景にあるのは、「私たちがなんとかしてあげなくちゃ」という使命感、あるいは母性なのかもしれない。
林さんが亡くなった日、Twitterには「私の“バック担”はここから」という呟きが多く見られた。
先輩アーティストのバックで懸命に踊ったり、サポートしたりしているジャニーズJr.はいま「第二次黄金期」を迎えているとも言われている。ちなみに「第一次黄金期」はタッキー&翼や嵐のメンバーがJr.だった頃だと言われる。
そんなジャニーズJr.の元祖で、当時メンバーの中でもっとも人気者だった彼は、『明星』の表紙を桜田淳子と共に飾ったこともあるほどだった。林さんは間違いなく、ジャニーズの礎を築いたジャニーズJr.だったのである。
林正明さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。