もともと政治や行政への関心が旺盛だったのだろう。福田は早大で政治サークル「鵬志会」に入り、大学4年時の2001年11月には、その延長線上でNPO法人「政策過程研究機構」を設立、代表に就任した。
「鵬志会は彼の原点で、その頃から自民党青年局の学生部に出入りし、早大の先輩議員の選挙を手伝っていました。卒論のテーマが『ニューパブリック・マネージメント』。文字通り、公共事業の民営化がテーマでした。そして大学卒業後、野村総研に就職してからもNPO『政策過程研究機構』の活動を続けていました。早大に通っていた東国原(英夫)さんが2006年に宮崎県知事選に出馬するにあたり、そのマニフェスト作成に関わりました。もともと有名人好きなのでしょうね」(知人の一人)
前知事の談合事件を批判して出馬した東国原は「そのまんまマニフェスト」なる公約で「宮崎県を変える」と民間活力による地域経済の活性化を謳い、当選した。
それで自信を得たのかもしれない。福田はそこから折々の政権中枢に近づき、自らの政策を実現させていく。
日本におけるコンセッションの源流をたどれば、民主党政権時代の国交大臣だった前原が、福田を有識者として政府の委員会に招聘したことに始まる。紹介者が小泉純一郎政権時代に規制緩和で鳴らした竹中平蔵だという。小泉は「官から民へ」、前原は「コンクリートから人へ」というスローガンを掲げたが、つまるところ公共事業を減らすという政策だ。
「国土交通大臣として私は、選挙公約として掲げてきた高速道路の無料化に取り組み、そこで親交のあった竹中平蔵先生にアドバイスを頂戴しました。そしてあるとき朝食会に竹中先生が福田さんを連れて来られ、紹介されました。で、国土交通省の中に成長戦略会議をつくって福田さんにメンバーに入ってもらったのです。その中でインバウンドをどう増やすか、という大きなテーマを掲げた」
2009年9月に誕生した民主党政権で、前原は鳩山由紀夫内閣の1年間、国交大臣を務めた。目下、成長戦略における安倍政権の看板政策である訪日外国人旅行者の拡大政策は、その実、民主党時代の発想でもあった。