しかし、女優としてしのぶが活躍の幅を広げる一方で、さんまは低迷期を迎えていた。伝説のバラエティー番組『オレたちひょうきん族』(フジテレビ系)の放送が1989年に終了すると、翌年には、5年連続で男性部門1位に君臨していたNHKの「好きなタレント調査」で首位から陥落。家庭を優先するため、さんま自身が仕事をセーブしていた側面もあるが、男が家庭に入ることが「みっともない」とされていた当時、さんまにとっては生きづらい環境だったのかもしれない。
「家の中でのプライベートな話を外でしないでほしいというしのぶさんの希望もあり、結婚前までタブーなしだったさんまさんのトークは精彩を欠いた。楽しそうに仕事をするしのぶさんを見て心穏やかではなかったけれど、すねていると思われたくなくて、何も言えなかったそうです。
一方のしのぶさんは、そんなさんまさんの気持ちを察して、撮影の打ち上げで花束をもらっても見つからないように隠して持って帰っていたそうです」(テレビ局関係者)
当時のことを、しのぶは後に、こう振り返っている。
《離婚は子供のことだけとか仕事のことだけという単純なものではなくて、いろんなことが重なっているし、価値観の違いっていうのもあったんだと思います。
そして、「私は“自分は正しい”という価値観を相手に押し付けちゃっているんじゃないか」「この人を苦しめているんじゃないか」、そう思うことで、どんどん気持ちが引いていっちゃって。向こうは向こうで、同じように思っていて、それでお互いに気を使いすぎたようなところがあって……》(『週刊文春』1992年10月1日号)
深い溝を埋めることは難しく、電撃結婚から4年目の1992年9月に離婚。会見は同じ日に同じ場所で時間をずらして行われたが、直前まで2人は同じ控室にいた。
さんまは額に「×」印を1つつけて取材陣の前に登場し、これをきっかけに“離婚1回=バツイチ”という言葉が流行語になる。離婚さえ笑いに変えるのはさすがだが、一転、会見で語ったのは、「すべてぼくに原因がある。相手の仕事の量とかで、お互いの気持ちにズレができた」という、元妻への気遣いの言葉だった。一方のしのぶは「女優と主婦の調整がつかなくなってしまった」と語った。前出の芸能担当記者が話す。
「憎しみ合って別れたわけではありません。それを表すように、離婚会見でさんまさんが着たシャツは、しのぶさんがアイロンをかけて整えているし、会見当日の夜も、目黒の自宅で一緒に夕食を食べたそうです」
家庭と仕事の両立が、いま以上に難しかった時代の円満離婚だ。
※女性セブン2021年4月15日号