それから2年半が経ち、ゼレンスキー氏らは苦境に立たされている。ロシアとウクライナの戦局の行く末の鍵は、ウクライナを全面支援するアメリカが握っている側面もある。生来、世界平和を実現する活動を続けてきた日本の皇室、そして雅子さまにとってバイデン氏との邂逅は、平和を希求する姿勢を示されるまたとない機会なのだ。
雅子さまは高校卒業後、米ハーバード大学で学ばれ、卒業後に東京大学へ学士編入。翌年外務省へ入省された。
「入省後は北米局に勤務され、アメリカ通商代表部相手の国際交渉で通訳官を務めるなど、アメリカ相手の外交の最前線でご活躍された経験があります。
それだけ聞くと、縁の深いアメリカに近いお立場なのかと思われますが、雅子さまは幼少期に旧ソ連時代のモスクワでも生活されています。その際、ロシア語で寝言を言うほどまでに語学を身につけられた。物質的に豊かではなかった冷戦下のソ連が抱えていた困難を、その時代の空気を吸って、肌で感じた経験のある、数少ない日本人とも言っていい。
世界を二分する勢力の双方のことをよく理解されている雅子さまは、皇室の国際親善の最前線に立たれる皇后として、これ以上ない存在なのです」(外務省関係者)
バイデン氏がロシアへの見解を求める
憲法上、日本の皇室は、政治から切り離された存在だ。あらゆる国家や地域間の紛争に対し、どちらかを支持するという立場を取ることはなく、一切の中立を貫く。だからこそ、日本の皇室の国際親善は、特別な地位を確立している。
たとえば日本政府は、“西側諸国のリーダー”であるアメリカに追従せざるを得ない立場であることは否定できない。今回のバイデン氏の訪日でも岸田首相は「ロシアへの圧力」で一致するだろう。しかし、皇室はそのどちらにもくみしないことで、究極の平和活動ができるのだ。
1993年7月に開催された、政府主催の晩餐会での出来事が象徴的だ。雅子さまは、来日したアメリカのクリントン大統領(当時)とロシアのエリツィン大統領(当時)の間に挟まれた席につかれた。
「通訳を介することなく、クリントン大統領とは英語で、エリツィン大統領とはロシア語でやりとりをされる雅子さまのお姿には、政府関係者も驚きを禁じ得なかったといいます。雅子さまは、かつての冷戦時代に激しく対立していた両国の“橋渡し役”を務められたのです」(前出・外務省関係者)
それ以外にも、さまざまな場面で雅子さまの外交力は発揮されてきた。前述した英語やロシア語はもちろん、スペイン語、フランス後、ドイツ語を自在に操られるという。1994~1995年、アラブ7か国を訪問された際には、女性だけの晩餐会に出席された。
「男女は同席しないというイスラムの慣習に則ってのことでした。隣に皇太子さま(天皇陛下)がいらっしゃらない状態での晩餐会でしたが、雅子さまは持ち前の語学力とコミュニケーション力で会話を弾ませ、アラブ諸国の女性王族とのパイプを構築されたのです」(前出・皇室記者)