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高橋秀実氏が綴る介護の記録「哲学とは親父のことであり、認知症のことでした」

高橋秀実氏が新作について語る

高橋秀実氏が新作について語る

 昨年映画化された『はい、泳げません』や『弱くても勝てます』等々、高橋秀実作品の魅力はその唯一無二な切り口と、先入観の類と無縁でいられる、飄々恬淡とした姿勢にあると思う。

 その作家性は本書『おやじはニーチェ』でも発揮され、大動脈解離で急逝した母の命日、2018年12月8日から、当時87歳で取り残された父の命日、2020年2月16日まで、父の言動に日々目を凝らした著者の物事を一から考える姿勢が印象的だ。

 それこそ「認知症」とは記憶障害や見当識障害等の症状群を意味し、〈病名ではない〉という。だとすれば〈そもそも、どう認知することを「正常な認知」というのだろう〉と、そもそもに拘るのが高橋流で、ひいては認知や愛や人間存在の謎へと、古今東西の哲学者の言葉を携えた著者の思索はとめどなく広がっていく。

「そもそも認知症ってよくわからないなと思ったのは、要介護認定の調査員の方がテストにいらした時です。『今、季節は何ですか?』と訊かれた親父はすぐさま『施設?』と私を振り返り、私は私で『あれ、今、いつだっけ?』と妻の方を見た。これは〈取り繕い反応〉と同様、認知症の確定要素とされる〈頭部振り返り〉という現象で、となると私の認知も相当に怪しい(笑)。

 しかも『じゃあ春夏秋冬だと?』と訊かれると、親父は〈それは別にどうってことないです〉と答えた。確かに通常なら『冬』や『春』と答えるのが正解。でも季節に対するスタンスを問うなら、それも一理あるなと。あと親父は『100引く7は?』という質問でも〈じかに引いちゃうのか?〉と訊いたりして、これはもしや哲学的な問いかけなのかと、その一理を追求してみたくなったのが発端です」(高橋氏、以下同)

 ちなみに全てが母任せで、自立していない父のようなケースは、海外では〈重大な「認知欠損」〉と評価されるらしい。つまり〈母の不在〉が顕在化させた認知症とも言え、アルツハイマー型やレビー小体型の他に〈家父長制型認知症〉もあるのではないかと、高橋氏は書く。

「実は認知症の確定診断は解剖して初めて可能らしく、親父は断然、母親依存型の生活習慣病だろうなと。親父は元々〈ボケているのかとぼけているのか〉よくわからない認知症的な行動様式の人間で、『これは何?』と訊いても『へえ』とか『ほお』とか、まるで埒が明かないんです。でも待てよ、確かアリストテレスが『これは何か』という問題は難しいと言っていたなあと思い出しまして。

 私も脱ぎ捨てた靴下を持った妻から『これは何?』とよく訊かれますけど、『それは靴下です』なんて言ったら即アウト。『どうもすみません』と謝るのが、この場合は正解なんですね(笑)。つまり『これは何か』のこれの名前を答えることが正解とされているだけで、答えは無限にある。

 正常な認知というのも実は単なる約束事にすぎないとすれば、正常な認知とはフィクション。認知症的な状況こそノンフィクションと言えます。この本も認知症のノンフィクションではなく、認知症自体がノンフィクションなんです」

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