前にも述べたが、私は山県有朋という人間はあまり好きではない。盟友の伊藤博文が最初は嫌っていたものの結局は政党政治が近代国家に必要だということに目覚め、立憲政友会総裁を務めるなどの政党政治の確立に尽力し最終的には大日本帝国憲法の改正まで視野に入れていたのに対し、山県は最後まで政党政治に理解を示さなかった。
あくまで軍隊を政治がコントロールするのを拒否し、逆に軍人勅諭を作って軍人の政治関与をとりあえずは排除し、それで国家の運営には問題無いと考えていた。この点が、あくまで政治つまり政党によって軍事もコントロールされるべきだと考えていた伊藤とはまったく違う。結局、軍人たちは軍人勅諭を逆手にとって政治の軍事に対する関与を排除しただけでは無く、積極的に軍事が政治をコントロールするという形を作った。それが結局、大日本帝国を崩壊に導いたのである。
伊藤が暗殺されずにもっと長生きしていれば、その後の大日本帝国の運命もかなり違ったと思うのだが、そうしたどちらかと言えば軍隊優先の考えを持つ山県ですら、この問題に関してはきわめて良識的な見解を持っていた。それは長い戦乱を生き延びてきた古強者である山県は、宗教のような不合理な原理に縛られないリアリストであったからだろう。リアリストの目から見れば、この対華二十一箇条要求はあまりにも強圧的なものだ。「支那に於て承知すべき筈なし」なのである。
そうするとますます不思議になるのは、内心では山県とまったく同意見でこんな要求は受け入れられるはずもないと思っていた加藤が、どうして山県の力を借りて陸軍の強硬意見を抑えようとしなかったか、である。山県は「陸軍の法王」だ。最年長の長老でもあり天皇の信任も厚い。大将クラスでも山県の前に出れば「鼻たれ小僧」だ。たしかに、日露戦争のときに陸軍の後輩桂太郎首相は山県からの「独立」を果たそうとし、ある程度成功したがその桂太郎もいまは亡い。山県の権威に逆らえる陸軍軍人は一人もいない。
ここで加藤が山県に頭を下げて「とくに第五号の要求はあまりにも常軌を逸したもので、閣下のおっしゃるとおりです。ひとつ閣下のお力で強硬派を抑えてください」と頼めば、山県はもともと自分の考えに一致することでもあるし、ひいては日本国家のためにもなるのだから、加藤の要請を断らなかったはずである。
しかし、実際には加藤は山県の力を一切借りようとしなかった。だからこそ加藤は陸軍強硬派に押し切られ、中国側に反発されて実現は不可能だと自身が予測していた第五号まで要求のなかに盛り込み、中国、アメリカとの関係を徹底的に悪化させるという最悪の結果を招いてしまった。
なぜ加藤は山県に頼らなかったのか? きわめて不思議ではないか。
(第1412回へ続く)
【プロフィール】
井沢元彦(いざわ・もとひこ)/作家。1954年愛知県生まれ。早稲田大学法学部卒。TBS報道局記者時代の1980年に、『猿丸幻視行』で第26回江戸川乱歩賞を受賞、歴史推理小説に独自の世界を拓く。本連載をまとめた『逆説の日本史』シリーズのほか、『天皇になろうとした将軍』『「言霊の国」解体新書』など著書多数。現在は執筆活動以外にも活躍の場を広げ、YouTubeチャンネル「井沢元彦の逆説チャンネル」にて動画コンテンツも無料配信中。
※週刊ポスト2024年3月22日号