8月29日、ひとときのご静養を軽井沢と草津で過ごされた天皇・皇后両陛下が還幸啓(ご帰京)。午後からは早くも御所で執務にあたられた。
天皇陛下にとっても、3月11日の東日本大震災からの半年は激動の日々であられただろう。
皇居にあっては「国民と困難を分かち合いたい」と、自主停電を率先され、ろうそくや懐中電灯で明かりを灯し、寒い中を厚着することで過ごされた。
また、3月16日には、被災者と全国民に向けて、自ら準備されたメッセージを力強く読み上げられた。
「国民一人びとりが、被災した各地域の上にこれからも長く心を寄せ、被災者と共にそれぞれの地域の復興の道のりを見守り続けていくことを心より願っています」
このお言葉に、どれほどの被災者が励まされ、どれほどの国民が復興に向かう勇気を奮い立たせたことだろう。
そして自らは、3月30日に東京武道館に避難した被災者にお見舞いされたのを皮切りに、美智子皇后とともに7週間連続で避難所や被災地への行幸啓を続けられたのである。
それだけではない。「執務」と呼ばれる上奏書類の決裁や宮中祭祀、式典出席や国際親善など日々のご公務に加え、原発の安全対策や救援活動、放射線被曝に関するご説明を皇居で受けられてきた天皇陛下。77歳というご高齢であり、ご病身でもあるだけに、激務に対して国民の間からは健康を案じる声も上がっている。
文芸評論家の富岡幸一郎氏は天皇陛下の御心をこう分析する。
「健康のために公務を減らすという発想は陛下にはないのではないか。むしろ激務であろうが、その職責を果たすために、自らのご健康に非常に留意され、摂生に努めていらっしゃるのだと思います。
陛下は“何のための健康であるか”を自覚なさっています。自らの命は、国民の幸福を祈りつつ、日本国および日本国民統合の象徴としての務めを果たすためにあるとお考えなのでしょう。
自分の体でありながら、自分だけの体ではない――さらにいえば、天皇の体、健康は歴史の継承、歴史の神髄を、前の天皇から預かって、次の天皇に受け渡していく――その容器であるとお考えなのではないでしょうか」
それはあらゆるものをコントロールできると考え、より快適な暮らし、より健康な身体、より大きな幸せを手に入れたいという近代的な価値観とは正反対の、「自分は生かされている」という考え方だ。
※週刊ポスト2011年9月16・23日号