4月を東京で、まさにページをめくるような心持ちで迎える人は今も昔も多い。「上京」という言葉には、期待と不安、志や覚悟、惜別・郷愁といった様々な感情が濃密に内包されている。物語は人の数だけある。落語家・三遊亭円丈氏(67)の場合。
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かれこれ50年前になりますねえ……明治大学に入学するために名古屋から出てきました。とにかくお金がなくて、ひと月分の仕送りは5日で無くなりました。餓死したくはありませんから米だけ買って、味噌さえあれば生きていけるという計算でした。ところが、計画が狂って煮干し5匹で1週間過ごすはめになったりしました(笑い)。
ひどい時など、お金がなくなり、食べるものも底を突き、蛙を探しに行ったんですが、見つからないからナメクジを捕まえて食べたこともあります。シャレじゃありませんから、まずは表面のヌルヌルを取って、シコシコした食感にしたかったので塩茹でにしてみました。さらに塩で揉み洗いして、もう一度煮て……でも、全然ダメでした。
小さく縮んだナメクジを飲み込んだ時の、喉を通る時の何ともいえない「ズル~」とした感触がいまだに忘れられません。喉に割り箸を突っ込んで取りたかったくらいで、ひと口でやめました(笑い)。
お金がないから、無茶な賭けもしました。尾籠な話ですからお客さんも引いちゃうので、寄席で喋ったのは一度くらいしかありませんが、3000円賭けて「汲み取り式の便所に浸けた白糖を僕が食えるか?」という賭けです(笑い)。
食えなければ僕がお金を払うのですから必死です。一応白糖はビニールで密封されているのですが、ミシン目のようなところから染み込んでくる。ちょうど真ん中のところだけが白く残っていたので、思い切ってそれを飲み込んで……3000円貰いました(笑い)。
それから、当時は毎日のように下宿の仲間と飲みに行っていたんだけど、一度もお金を払ったことがない。不思議なんですけど、なんとかなっちゃったんですよね(笑い)。
そもそも僕が明治大学に進学したのは、家業の写真館を継ぎたくなかったからです。親は勝手に僕が継ぐものと決めつけていましたが、小学生のころから嫌で嫌で仕方ありませんでした。高校2年の時に噺家になると決めてからは、親父とはずっと平行線で、「じゃあ、とりあえず大学へ行け」ということになった。東京の大学に行けばこっちのものだと思って明治大学に入ったというわけです。
今でも覚えているのは、大学に納入金を払うために親父と一緒に上京した時のことです。そのとき泊まったのが、新宿、大久保あたりのいわゆる連れ込み宿みたいなところだった。素泊まりで安かったからだろうと思いますが、宿の女中さんに「親子みたいな男同士でそんなことするのか」っていう目で見られて恥ずかしかった(笑い)。
大学時代は本当にお金がありませんでしたが、貧乏も時間が経てば自慢にも自信にもなります。学生として上京するなら、私がしたくらいのバカをやってもいいんじゃありませんかね。
※週刊ポスト2012年4月20日号