数多のアイドルが「1980年代」にデビューを飾り、そして静かに消えていった。だが、狂乱の時代から20年以上過ぎたいまでも走り続けているのが中森明菜(48)、そして小泉今日子(47)の2人だ。ノンフィクションライター・安田浩一氏が、過去の小泉と明菜の関係について綴る。
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小泉と明菜の二人は、意外にもウマがあった。明菜のマネージャーを務めた名幸(なこう)房則は言う。
「明菜はけっして人付き合いのいい方ではなく友人が少なかった。そんな明菜にとって数少ない友人の一人が、小泉今日子さんだったと思う」
普段は自分のこと以外興味ないような素振りを見せつけながら、小泉のことはいつも気にかけていた。仕事で忙しい明菜の代わりに、名幸は小泉に誕生プレゼントを届けにいったこともある。
二人の仲を深めるきっかけとなったエピソードがある。
1982年10月15日、日本武道館で第15回新宿音楽祭が開催された。音楽祭のフィナーレ、壇上に出場歌手が勢ぞろいした際、突然、観客席から生卵がステージめがけて飛んできた。
それがなんと、ステージ中央に立っていた小泉の顔面を直撃したのである。顔面から髪の毛にかけて黄身と白身でぐちゃぐちゃになった小泉は、驚きと恐怖のためか、その場に立ち尽くすばかりだった。
壇上の歌手の誰もが硬直していたそのとき、小泉のそばに駆け寄ったのが明菜だった。明菜は小泉の手を取ると、自らの体でガードするように観客席側に立ち、そのまま舞台袖まで小泉を引っ張っていったのだ。
「楽屋に戻った後、明菜はものすごく怒っていました。ひどいよ、なんてことするのよ、今日子ちゃんがかわいそうだと、憤慨しながら私に訴えていましたね」(名幸)
大事な人のためには自らを犠牲にすることすら厭わない覚悟が、明菜にはあった。小泉の関係者によれば、彼女はいまでも明菜を大事に思っているのだという。
「会うことはなくなったと話していますが、芸能人のなかで誰よりも明菜の復活を望んでいるのは、小泉さんかもしれません」(関係者)
(文中敬称略)
※週刊ポスト2014年1月17日号