これまで50年あまりの間で我々の中国への対応も変わってきた。1960年代までは現実的な行動をとってきた。チベット民族の基本的人権の尊重などを謳った1959年と1961年、1965年の「チベット問題に関する国連総会決議」がそれだ。
私はインドのネルー首相に、インド政府がチベット人のために国連総会決議を提出する支援をしてほしいと繰り返し頼んだ。彼はそれを拒むと同時に、私に「中国政府と話し合った方がよい」とアドバイスしてくれた。
1970年代初め、私は中国政府との対話を真剣に考え、1974年に我々の代表が中国側の指導者と接触した。その際、私自身、遅かれ早かれ中国政府の代表と交渉することになると思い、話し合う内容を考えた。「チベット独立」はあまりにも刺激的で非現実的であり、適当ではないと思った。中国政府と対等な立場で話し合うために、まず我々自身が議会で自由に発言するシステムを構築することにした。
その後、中国は経済的に急速に発展し、アメリカや日本にとっても重要なパートナーとなって非常に繁栄した。チベットは文化的にも精神的にも高度な文明を有しているが、物質的には貧しい。我々は、チベット人が物質的な満足を得るためには、中国に留まって自治を確立したほうが賢明だとの結論に至った。
もちろんチベット人には独立を熱望する者もいる。そのような人に私は「現実的になり、問題を全体で見なければならない。感情的には政治的な独立を勝ち取ることは重要だろうが、感情は時に現実を見えなくする」と説いた。
例えば、アフリカ大陸には独立していても貧しくて小さな国が多い。また欧州では、小さな国々がいくつかの例外を除いて欧州連合を形成し、独立のシンボルである自国通貨さえ捨てて「ユーロ」の下に統合された。欧州の大国であるドイツやフランス、イタリアも例外ではない。そこには域内全体の経済的利益は政治的な独立より重要だという価値判断がある。
欧州の歴史は戦争の繰り返しだった。最近会ったフランスの著名な学者は「1970年代でも多くのフランス人はドイツ人を敵だとみなしていた。ドイツ人もフランス人を敵だと思っていたと思う」と率直に語っていた。ところが、いまや状況は完全に変わった。
同じことがチベットと中国に当てはまるなら、我々は中国に留まったほうが良い。そのために非暴力を貫き、中道路線で、高度な自治を獲得すべきなのだ。独立しなくても、我々がチベット民族の旗幟を鮮明に掲げることは、かつて毛沢東主席が保障してくれた。現在の中国共産党指導部には、我々を中国とチベットの分離を図る分裂主義者だと言う者もいるが、全く見当外れの見方だ。
●取材・構成/相馬勝(ジャーナリスト)
※SAPIO2014年2月号