2012年9月29日、二軍最終戦の楽天戦、脇谷は1年ぶりに打席に立った。ユニフォームの背番号は23ではなく育成選手用の023。7年目で5勝と格下の投手を相手に、3ボール2ストライクから真っ直ぐに空振り三振。
「プロの球ってこんなに速いんだと思った」
この年の秋、脇谷は二軍のフェニックス・リーグに参加する。身体を絞り、懸命に復調したことをアピールして、支配下への復帰を果たした。2013年の開幕戦に8番・二塁でスタメンに入ったときは、主力選手以上の大歓声を浴びている。そして、決勝打の2点タイムリーヒットを打って、ヒーローインタビューのお立ち台に上がった。
原沢GMも原監督も脇谷を待ってくれたのだ、このときまでは。
「でも、勢いが続かず、50試合も出られなかった。最後に残ったのは悔しさだけです」
そんな脇谷をあえて獲得した伊原春樹監督は2007~2010年、巨人のヘッドコーチとして脇谷を指導していた。当時、自分が監督だったら脇谷を二塁に固定していただろう、と言う。
「万全の状態なら片岡以上に働けるはずだ。彼に足りないのは気持ち。他人を蹴落としてでものし上がろう、という貪欲さがほしい」
それがあれば、片岡が加入する前に巨人で主力になっていただろう。西武で片岡がつけていた背番号7を背負って、脇谷は言う。
「023の巨人のユニフォームも、まだ自分の部屋の壁にかけています。育成選手だった1年で教わったことを忘れないために」
※週刊ポスト2014年4月25日号