――アドラーはまた、「ほめること」と「叱ること」を否定しています。叱るはともかく、ほめるは、教育に必要な要素にも思えるのですが。
岸見:この問題も、承認欲求の否定と深くかかわっています。実は私がアドラーの勉強を始めたのは、子育てがきっかけでした。最初に「ほめてはいけない」と知ったときには驚きました。でも実践していくと、その意味や重要性を実感するようになりました。
例えば、ほめられて育った子供は、学校の廊下のごみを拾う前に、周りを見渡します。人がいたら拾う、いなければ拾わない。つまり、他者にほめられるかどうかが、その子供の行動基準になってしまっているわけです。人の顔色をうかがったり、依存的であったりするという傾向もみられます。長じては他人の承認を求めるようになるでしょう。叱られて育った子供も――親の対応は両極端であるのに――同じようになりがちです。同様に職場においても、上司が部下をほめたり叱ったりすると、上司の顔色ばかりを窺うようになる。
そもそも「ほめる」「叱る」というのは、対等な人間関係の間には起こりえないことです。どちらも、上の人が下の人に向かって、もっと言えば、能力のある人が能力のない人に向かって下す評価だからです。アドラーは「タテ」の人間関係を否定し、「ヨコ」の人間関係に変えていくべきだと言っています。
――では「ほめる」「叱る」ではない言葉とはなんでしょうか。
岸見:こんな状況を思い浮かべてみてください。私のところにカウンセリングにきたお母さんが、3歳の子供を連れてきました。その子供はぐずることなく、1時間、静かに椅子に座っていました。カウンセリングが終わった後、お母さんは子供に何と声をかけるべきでしょう。
――「良い子にしていてえらかったわね」では、ほめることになってしまいますよね……。対等な人間関係だと、「お疲れさま」でしょうか。
岸見:私だったら「待っていてくれてありがとう」と声をかけます。ほめるのではなくて、「貢献」に注目する言葉を使うのです。人は、感謝の言葉を聞いたとき、自らが他者に貢献できたことを知ります。アドラー心理学では、この「貢献」を非常に重く考えます。
――なぜ「貢献」が大事なのでしょうか。
岸見:「私は誰かの役に立っているという実感」が、自らの価値につながるからです。自分に価値があると思えている人は、人生のさまざまな課題に立ち向かうことができます。他者からの承認ではなく、貢献感こそが、人を強くし、人に勇気を与えるのです。
■プロフィール 岸見一郎(きしみ・いちろう)
哲学者。1956年京都生まれ、京都在住。京都大学大学院文学研究科博士課程満期退学。専門の哲学(西洋古代哲学、特にプラトン哲学)と並行して、1989年からアドラー心理学を研究。精力的にアドラー心理学や哲学の執筆・講演活動、そして精神科医院などで多くの「青年」のカウンセリングを行う。日本アドラー心理学会認定カウンセラー・顧問。訳書にアルフレッド・アドラーの『個人心理学講義』『人はなぜ神経症になるのか』、著書に『アドラー心理学入門』など多数。『嫌われる勇気』では原案を担当。
■撮影/山崎力夫