例えばルイ・ダヴィッド作『アルプス越えのナポレオン』。前脚を高々と上げた駿馬に跨り、真っ赤なマントを翻したあの皇帝像に関し、氏は「軍服、命」と題してこう書く。〈現実のアルプス越えは、馬ではなく、山道に強いロバに乗っての行軍だった。しかしそれを明かす必要がどこにある?〉と。
「男が華麗さを競った時代は戦争の時代とも言えて、軍服が何しろカッコいいんですね。また、『皇帝カール五世と猟犬』にも描かれたように、傭兵が局部を守るために用いたコドピースが男性性を誇張する装身具として大流行したり、相手を威圧するためのファッションというのは本当に面白い。幸いこの悪趣味極まりない流行は2世紀余りで廃れます。〈驕れるコドピース、久しからず〉です(笑い)」
実はナポレオンの庇護下で爵位も手に入れたダヴィッドは、中野氏が『怖い絵』を書くきっかけともなった『マリー・アントワネット最後の肖像』の作者。かつて断頭台へ運ばれる元王妃の姿を悪意たっぷりに描いたこの元ジャコバン党員を、例えばツヴァイクはアントワネットの評伝の中で〈下衆野郎〉とまで酷評した。
「その下衆野郎に〈顔など似ていなくてもかまわない、偉大さを伝えろ〉とナポレオンが命じ、出来上がったプロパガンダ絵画が画家の人間性と関係なく絵として素晴らしいことも含めて、私はその絵を面白いと思うんですね。もちろんそんな知識はなくたって絵を観ることはできる、でも背景を知った方がいろんなことを感じられるはずなんです」