合宿所が見える頃、「じゃあな」と竹下は手を挙げた。こちらも立ち去ろうとすると、
「何か落ち込んでいるみたいだな。ガンモとちくわぶ、1本ずつ食べていけや」
こう言って、川沿いの屋台でおでんをおごってくれた。
竹下はそれから1年後に巨人を去る。その後消息をつかめないでいたら、1960年5月のスポーツ新聞に、首位打者としてデカデカと名前が載っていた。近鉄に移籍しており、その年にはオールスターにも選ばれている。しかしオールスター出場はこれ1回のみで、その後6年間近鉄で過ごした後、引退した。
今でも時々思うことがある。あの時、帰りかけた我々を呼び止め、おでんを食べさせてくれた竹下の心境は、いかなるものだったのだろうか。巨人の中で自分の立ち位置を見つけられていたのか、それともすでに新天地で違う道を選ぼうとしていたのか―─。当時の巨人には、藤尾、森昌彦といった錚々たるメンバーがいただけに、もう立場を理解していたのかもしれない。
巨人が多摩川で練習していた頃は、土手ファンと呼ばれる熱狂的なファンがフェンスを囲み、中にいるスター選手に声援を送っていた。一方ブルペン脇には、人知れず投手の球を受け続ける選手たちもいた。彼らは優しかった。練習が終わると土手を一目散に走って帰ってしまうスターとは違い、いつもブラブラ歩きながら、川の対岸にある合宿所まで帰る彼らは、我々子供たちにも話しかけてくれる。
フェンスの中の大スター・ONよりも、手を繋いで一緒に帰ってくれた“竹下のお兄ちゃん”のほうが、我々には「大スター」だった。オハグロトンボを見ると、いつも彼を思い出す。
※週刊ポスト2014年6月20日号