年に一度訪れる〈魚喰い〉と山と海の幸を交換するのが人々の楽しみ。また山の神を敬い、弱者も皆で支える共同体の姿は実に新鮮だ。
「障碍をもって寿命を全うした骨などから、獲物には残酷でも人間同士は交易もし、支え合った姿が見て取れる。一方、長が判断を誤ると社会全体が危機に陥るのは、今と同じです」
そこにもたらされたのが〈コーミー〉の噂だ。種を蒔くだけで多くの実が成り、大層旨いという。が、種の入手に逸る一派を呪術師の〈ユネングム〉は諭した。
〈コーミーは、神の実などではない。諍いの種だ。何もなさずとも、手に入れられるものがある、そんな誤った考えを植えつける種だ〉
やがてある掟破りの罪でピナイを追われたウルクは、一路南をめざす。皆が欲しがるコーミーを手に入れ、以前森で見たクムゥに似た〈陽の色の獣〉を仕留めるために。長い旅が始まった。
さて縄文と弥生の過渡期は、社会や人々の在り方が激変する過渡期でもあった。最大の変化は、人が人に武器を向けるようになったこと。ウルクが赤い獣との激闘の末に目や躰のやけに細い女〈カヒィ〉に助けられ、保護された〈フジミクニ〉では、〈タァ〉と呼ばれる四角い池が整然と並び、〈ワウ〉が管理するコメという草を民がタァに植えた。高い塀と〈戦士(シェンシ)〉に守られた居所でワウは専ら〈祀り事〉をしているといい、〈コメ、育てる、すごく広い土いる。まだ足りない〉とカヒィはなぜか物憂げだ。
「縄文から弥生に、ある日突然切り替わるわけもなく、見る物全てに驚くウルクの知的興奮は、今の読者にも共有してもらえると思う。
一方で人が人を支配する権力構造や奪い、奪われる関係の成立も、僕らは同時に見ることになる。タァが足りなくなれば他から奪う他なく、自分たちの財産もいつ奪われるかわからない不安や恐怖が〈イクサ〉を生んだ。人骨に殺傷痕が多く見つかるのは弥生以降で、僕も狩猟民族は凶暴で農耕民族は温和だと思っていたんですが、むしろ逆でした」