同年暮れ、中央軍事委員会拡大会議が開かれた際、劉氏は胡錦濤主席(当時)や、軍事委副主席だった習氏ら最高指導部の前で、徐らの腐敗容疑を告発。「あなた方3人の指導者が軍のトップを務めていた数年間で、軍内に腐敗が蔓延しひどくなった。潔く責任をとるべきではないか」と糾弾したのだ。
これに対して、当時の軍トップだった胡主席は沈黙を守り、3人の責任を追及しなかったが、怒り心頭に発し身の危険も感じた徐氏は2013年3月以降、部下に命じて劉源氏の暗殺を命じたのだった。2013年11月には党大会が開かれ、劉氏と親しい習氏が最高指導者に就任することがほぼ決まっており、劉氏の暗殺によって、習氏のトップ就任を阻む狙いもあった。
第1回目は3月下旬。北京近郊の高速道路を走っていた劉氏の車を狙ってトラックの荷台から燃えている石油缶を投げつけたところ、運転手は死亡したが、劉氏はやけどを負ったものの、警備員に救出された。
2回目は7月下旬、避暑地で名高い青島での休暇旅行を狙われ、宿舎が放火されたが、劉氏は3日前に休暇を切り上げており無事だった。3回目は9月初旬で、陝西省で視察中、銃撃されたものの、ことなきを得ている。最後は徐氏の本拠地である済南軍区視察中、深夜の午前零時ごろ、宿舎の部屋の浴室が爆破されたが、劉氏は打ち合わせで、部下と別の場所におり難を逃れたという。