井沢:ヤマト王朝は、出雲王朝の王であるオオクニヌシを滅ぼした。滅ぼされたものは祟るからそれを鎮魂しなければいけないという“梅原の定理”に従えば、出雲大社はオオクニヌシ鎮魂のための神社、いいかえればオオクニヌシを封じ込めている場所、と言えますね。
梅原:そうです。前代の王朝を鎮魂することは代々の中国の王朝でもやってきたことですしね。
井沢:そうだとすれば、合点がいくことがあります。出雲大社の大きなしめ縄は、撚り方が普通の神社のしめ縄と逆になっているんですね。普通の神社のしめ縄は「外から神殿の中へ入るな」という意味ですが、それが逆に撚ってあるということは、「神殿の中から外へ出るな」ということなのではないかと。
梅原:そうかもしれませんね。
井沢:出雲大社の社殿は十世紀の史料に日本最大の建築であると記されています。推定では高さが約四十八メートルもあって、これは現在の社殿の二倍の大きさです。
これも、かつては多くの歴史学者が否定していました。私は、前王朝の王であるオオクニヌシの怨霊を封じるためには日本最大の社殿を建てる必要があったのだろうから、その説は正しいはずだと書きました(『逆説の日本史 1 古代黎明編』参照)。
すると、平成十二年に出雲大社の境内から鎌倉時代の神殿の巨大な柱が出土したのです。これで、巨大神殿説が正しいことが証明されました。この新発見は神さまが私の正しさを認めてくれたのではないかと思っています(笑い)。
※週刊ポスト2014年9月19・26日号