ライフ

【書評】大作家の食への思いを知ることで深まる作品の味わい

【書評】『文人御馳走帖』嵐山光三郎著/新潮文庫/630円+税

【評者】池内紀(ドイツ文学者・エッセイスト)

 著者は丸顔、愛嬌のあるヒゲ、小ぶとり、下駄ばき。その体躯からして、よく食べる人だろう。一九四二年の生まれ。食べざかりが戦後の窮乏期ときている。ひもじい思いで我慢した。だから本を読むと、もっぱら食べ物に目がいく。『文人悪食』『文人暴食』『文士の料理店』……嵐山版文人シリーズの特異さと迫力の根源であって、わななく胃袋をさすったのと同じ手で書かれている。

 鴎外と牛鍋、子規とくだもの、鏡花と湯どうふ、荷風と西瓜……「持てあます西瓜ひとつやひとり者」、これは自分の駄句だとことわって荷風は語り出す。食べ物をタイトルにかかげ、食べ物談義で始めたが、みるみるうちにサマ変わりして、あとはなぜ自分がひとり者を通しているのかの話になる。「わたくしは曾て婦女を後堂に蓄えていたころ」―同棲暮らしを、男がこんな風に書いた時代があった。セックスは「女子を近づけ繁殖の行為をなさんとする」。

 高村光太郎が浅草のすき焼屋米久の「もうもうと煮え立つ」湯気と喧騒をうたった詩は、智恵子に阿多々羅山の空を語った詩とは大ちがいだ。だが煮え立つような「汗にまみれた熱気の嵐」こそ『智恵子抄』の発端なのだ。

 子規の名句「柿食へば鐘が鳴るなり法隆寺」は誰でも知っているが、エッセイ「御所柿を食いし事」を知ると、何倍か句の味わいが深まるだろう。芥川龍之介の小文「食物として」によると、龍之介には自分の友人を食い物に見たてる好みがあったらしい。

 菊池寛の鼻に及んで、「あの鼻などを椎茸と一所に煮てくえば、脂ぎっていて、うまいだろう」。室生犀星が目の前にいるときに思ったという。「干物にして食うより仕方がない」。小文発表は昭和二年四月。つまり自殺の三か月前である。神経がかぎりなく死に接近していたことがわかるのだ。

 文人食べ物アンソロジーの意匠のもとに、当の文人がわれ知らずに示した赤裸々な「私」があぶり出されていく。特異な文学御馳走帖である。

※週刊ポスト2014年10月3日号

関連記事

トピックス

橋本環奈と中川大志が結婚へ
《橋本環奈と中川大志が結婚へ》破局説流れるなかでのプロポーズに「涙のYES」 “3億円マンション”で育んだ居心地の良い暮らし
NEWSポストセブン
10年に及ぶ山口組分裂抗争は終結したが…(司忍組長。時事通信フォト)
【全国のヤクザが司忍組長に暑中見舞い】六代目山口組が進める「平和共存外交」の全貌 抗争終結宣言も駅には多数の警官が厳重警戒
NEWSポストセブン
遠野なぎこ(本人のインスタグラムより)
《前所属事務所代表も困惑》遠野なぎこの安否がわからない…「親族にも電話が繋がらない」「警察から連絡はない」遺体が発見された部屋は「近いうちに特殊清掃が入る予定」
NEWSポストセブン
放送作家でコラムニストの山田美保子さんが、さまざまな障壁を乗り越えてきた女性たちについて綴る
《佐々木希が渡部建の騒動への思いをストレートに吐露》安達祐実、梅宮アンナ、加藤綾菜…いろいろあっても流されず、自分で選択してきた女性たちの強さ
女性セブン
看護師不足が叫ばれている(イメージ)
深刻化する“若手医師の外科離れ”で加速する「医療崩壊」の現実 「がん手術が半年待ち」「今までは助かっていた命も助からなくなる」
NEWSポストセブン
(イメージ、GFdays/イメージマート)
《「歌舞伎町弁護士」が見た恐怖事例》「1億5000万円を食い物に」地主の息子がガールズバーで盛られた「睡眠薬入りカクテル」
NEWSポストセブン
キール・スターマー首相に声を荒げたイーロン・マスク氏(時事通信フォト)
《英国で社会問題化》疑似恋愛で身体を支配、推定70人以上の男が虐待…少女への組織的性犯罪“グルーミング・ギャング”が野放しにされてきたワケ「人種間の緊張を避けたいと捜査に及び腰に」
NEWSポストセブン
和久井学被告が抱えていた恐ろしいほどの“復讐心”
【新宿タワマン殺人】和久井被告(52)「バイアグラと催涙スプレーを用意していた…」キャバクラ店経営の被害女性をメッタ刺しにした“悪質な復讐心”【求刑懲役17年】
NEWSポストセブン
女優・遠野なぎこの自宅マンションから身元不明の遺体が見つかってから1週間が経った(右・ブログより)
《上の部屋からロープが垂れ下がり…》遠野なぎこ、マンション住民が証言「近日中に特殊清掃が入る」遺体発見現場のポストは“パンパン”のまま 1週間経つも身元が発表されない理由
NEWSポストセブン
幼少の頃から、愛子さまにとって「世界平和」は身近で壮大な願い(2025年6月、沖縄県・那覇市。撮影/JMPA)
《愛子さまが11月にご訪問》ラオスでの日本人男性による児童買春について現地日本大使館が厳しく警告「日本警察は積極的な事件化に努めている」 
女性セブン
フレルスフ大統領夫妻との歓迎式典に出席するため、スフバートル広場に到着された両陛下。民族衣装を着た子供たちから渡された花束を、笑顔で受け取られた(8日)
《戦後80年慰霊の旅》天皇皇后両陛下、7泊8日でモンゴルへ “こんどこそふたりで”…そんな願いが実を結ぶ 歓迎式典では元横綱が揃い踏み
女性セブン
犯行の理由は「〈あいつウザい〉などのメッセージに腹を立てたから」だという
「凛みたいな女はいない。可愛くて仕方ないんだ…」事件3週間前に“両手ナイフ男”が吐露した被害者・伊藤凛さん(26)への“異常な執着心”《ガールズバー店員2人刺殺》
NEWSポストセブン