今年は「四国遍路」開創から1200年。「この道より 我を生かす道なし この道を歩く」とは、近代日本を代表する作家で小説家の武者小路実篤の言葉。今歩いているこの道が正しいかどうかは誰にもわからない。でも、この道が自分を生かす道と信じて歩かなければならない時がある。36才OLの先達さん(初心者に作法などを教える人)に、お遍路中にあった決意の瞬間を聞きました。
* * *
就職のために上京したが、社内の競争や東京での1人暮らしに耐えきれずにわずか2年で退職。お遍路に行ったのは自分自身を見つめ直すためでした。
その日は10番札所・切幡寺を参拝後に予約していた宿で泊まるはずが、予定の時間より大きく遅れて辺りは真っ暗闇に。吉野川を渡る橋がどうしても見つかりません。四国へ来てまだ3日目。どうして私は何ひとつ、やり遂げることができないんだろうか…。
2月下旬、徳島の夜の気温はおよそ0℃。寂しくて、情けなくて、思わず涙がこみ上げてきました。そんな時です。
「お遍路さん、こっちは違うよ。反対方向だ」
顔を上げると、そこにいたのは地元の老夫婦でした。
「時間があるなら、ちょっと来るといい」
そう言って、近くにある自宅へと招いてくれたんです。
「寒かったでしょ。飲んでください」
そう言って奧さんから渡されたお茶は、普通の緑茶なのに、どこか懐かしいような優しい味が。
「それにしても、どうして道を聞かなかったの?」
「自力で歩かなきゃ意味がないと思って…」
私がそう返すと、「1人でなんか歩けるわけがないじゃないか」と笑われてしまいました。
「初めて歩く知らない道なんだから、どんどん尋ねたらいいんだよ。1人で歩くならお遍路なんてする意味はないからね。人生も同じだよ」
気がつくと私は泣いていました。あれもこれも全部自分でしなきゃいけない。そうやって1人ですべてを抱え込んで、自分を苦しめてきたのは私自身だったのです。思えば会社でも、自分を心配してくれた人、仕事を手伝ってくれようとした人がたくさんいました。でも、頼っていいのかわからず拒んでいたのです。
老夫婦と別れ、教えてもらった通りに歩くと、ようやく橋が見えてきました。するとそこに停まっていた1台の軽トラから先程のご主人が降りてきました。
「よかった。道、間違えなかったね」
心配して先回りしてくれたのです。時間は午後11時近く。いつもなら、とっくに寝ているだろう時間なのに。
「ありがとうございます。でも、こんな時間…」
私がそうお礼を言うと、「道は長いからね、困った時に使ってください」と茶封筒を渡されました。中身を見ると、なんと5000円札が。
「え! 受け取れませんよ」
お遍路さんは原則としてお接待を断ってはいけません。でも、あまりに申し訳なくて思わずそう言ってしまったんです。
「あなたがお遍路さんだからじゃないよ。あなただから受け取ってほしいと思ったんだ。頑張ってね」
四国へ来てわずか3日目のこと。道中、何度もくじけそうになったけど、あの夫婦の優しさが足を進めてくれた。お遍路を終えてすぐに再就職した私は、今たくさんの仲間と15年、仕事を続けています。
※女性セブン2014年10月9日号