日本体育大学は2026年正月2日・3日に78年連続78回目の箱根駅伝を走る(写真は2025年正月の復路ゴール。撮影/黒石あみ<小学館>)
2026年1月2日・3日、第102回箱根駅伝が催される。1世紀を超える歴史を誇るこの大会で、今も本戦出場の最多記録を更新中なのが、日本体育大学だ。新制大学の認可を受けた1949(昭和24)年以来、実に78年連続出場となる日体大は、近年こそ優勝争いに絡むことも減っているが、1970年代から80年代にかけては、常に優勝を狙うトップチームだった。
その日体大のエースとして「学生最強ランナー」と称された名選手がいる。大塚正美──箱根駅伝がまだテレビで実況中継されていなかった時代に、「記録より記憶に残る」活躍をしたことで知られる。大塚選手が走った箱根駅伝には「伝説」と呼ぶべき数々の珠玉のエピソードが残されていた。かつてのデッドヒートの舞台裏を知れば知るほど、箱根路はもっと面白くなる──。
話題の新刊『箱根駅伝“最強ランナー”大塚正美伝説』(飯倉章著)より抜粋・再構成。
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【大塚正美成績】1980年・第56回大会 8区「区間賞・区間新」
平塚中継所のスタートラインに立つと、先頭で必死にあがくように走る7区の先輩が見えてきた。みぞれの中で苦しそうである。2位の姿は見えない。
1年生の大塚正美は、濡れてじっとりとした母校のタスキを先輩から受け取って走り始めた。
放送では「これまで繋いできた仲間の汗がしみ込んだタスキの重み」と言うのが定番であるが、それはフィクションであると大塚は思っている。「繋いだタスキの重み」を本当に感じたら、責任感の強い選手には、100gにも満たないタスキが本当に重たくて、心までがんじがらめに縛りつける鎖のようになってしまうだろう。
正直、初めて箱根でタスキをもらった時はどうだったのかと訊いたら、意外な答えが返ってきた。
「いや、内緒だけど……汚いなと思ったよ」
日体大の白タスキは、悪天候で汚れて黄ばんで見えたという。重みについて訊くと、さらに不謹慎な答えが返ってきた。
「問題は、重さじゃないから。臭さだったから」
