ベストセラー『がんばらない』著者で諏訪中央病院名誉院長の鎌田實氏は、昨年亡くなった名優・菅原文太さんと深い交友があったという。菅原さんとは“カレーを食べ合う仲”だった鎌田さんが、菅原さんの思い出を語る。
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いま、僕は、1日が終わってベッドに入ると、必ず思い出す人がいる。昨年末にあっという間に亡くなってしまった、俳優の菅原文太さんだ。文太さんにはいろいろ面倒をみてもらったり、こちらも病気の相談に乗ったりしただけに思い出はたくさんある。気持ちの整理は簡単にはつかない。
僕は、昨年の夏前に、秋に出す自分の本の印税を、今回の正月治療に行く難民キャンプの支援に使う、と文太さんに話した。すると「それなら応援するよ」と、文太さんの番組「日本人の底力」(ニッポン放送)にゲストで呼んでくれた。その番組で、自著の内容や世界平和に対する想いをたっぷり語らせてもらった。8月に文太さんから電話があった。
「カマタさん、そろそろカレーが食べたいな」
例のドスのきいた低い声が電話の向こうで響いた。文太さんはカレーライスが大好きで、僕が連れて行って気に入った、長野県蓼科のカレーを所望した。
実は、6月にも一緒に食べに行っていた。その別れ際に僕は、「また暮れぐらいにカレーの会を開きましょう」と告げた。すると「もっと早い方がいいな」と返事がかえってきた。よほど気に入ったから8月にやってきたのだ、と思っていたのだが……。今から思うと、すでに命の限界を感じていたのかもしれない。その時、文太さんがつぶやいた。
「このままだと僕らは、未来の子孫に“地球を汚したいだけ汚して、わがまま勝手に生きてきた悪者”だと思われてしまうね。福島原発事故の汚染だって子孫に禍根を残す結果になってしまった。僕は80歳を超えたし、一度はガンで余命1年半と宣告された身だから、自分の命を張って、国の掃除をしなければいけないと思ってるんだ。
僕らの子孫がおぎゃーとこの世に生まれて“ああ、地球に生まれて良かった”と感じられる環境を守らなきゃいけないよね」
文太さんの想いは、いつだって次の世代へ向けられていた。
※週刊ポスト2015年1月16・23日号