著者の文章からは、〈葬送の仕事師〉たちは淡々と仕事をしているかのように想像できる。だが、実際はギリギリのところで心の平衡を保っているのではないだろうか。そして、そのバランスが崩れることもある。
ある納棺と復元のプロは、東日本大震災のとき被災地に派遣され、棺の蓋を開けた瞬間、遺体の口からいきなり体内に充満していた腐敗ガスと泥が噴射し、反射的に遺体に覆いかぶさった。「これしかできない」自分の無力さを痛感すると同時に、自分の仕事を続ける覚悟ができた、と振り返る。
稀有な体験談を語るエンバーマーもいる。夫を亡くした妻の希望で、夫の遺体にエンバーミングを施し、夫が好きだった服を着せ、車の助手席に座らせ、エンバーマーが運転して夫婦の思い出の場所をドライブして回った、というのだ。
〈葬式を請け負う人たちにとって、「死」は「生」と“地続き”なのだと私は感じ始めていた〉
我々の日常は生と死をはっきりと分けて捉え、死を遠ざけ、死を隠して生きている。だが、本当は「生と死の境界は曖昧だ」という葬送の仕事師たちの感覚、死生観こそ、真実を捉えているのではないだろうか。本書を読んでもっとも強く感じるのはそのことだ。彼らの多くが遺体と死に対して謙虚であることも印象的だ。それは生に対する謙虚さにもつながるのではないだろうか。
本書のテーマ自体は特に目新しいものではない。だが、著者の取材力は素晴らしく、そのおかげで類書に比べて成果は頭抜けている。
※SAPIO2015年6月号