馬場は9月18日に、ニューヨークの格闘技の殿堂マディソン・スクウェア・ガーデン月例定期戦に初登場し、シングルマッチでビリー・ズビスコ(欠場したラロ・ロドリゲスの代打)にフォール勝ちした。
馬場が長期ツアーを行なった時代のニューヨークには、現在世界最大のプロレス団体WWEはまだ存在せず、現オーナーであるビンス・マクマホンの父、ビンセント・ジェームス・マクマホンは当時、ワシントンDCのローカル・プロモーターだった。
馬場は昭和36年9月から、昭和37年12月までの1年4か月間におよぶ東部エリアでの長期ツアー中、マディソン・スクウェア・ガーデン月例定期戦に、16大会連続で出場。その間、中西部の激戦区シカゴのインターナショナル・アンフィシアターの定期戦にもレギュラー出場。さらに2、3か月に一度のペースでカナダの人気マーケット、モントリオールにも足を伸ばした。
ババ・ザ・ジャイアントの対戦相手は“帝王”アントニオ・ロッカ、若き日の“人間発電所”ブルーノ・サンマルチノ、“魔神”ボボ・ブラジル、“魔術師”エドワード・カーペンティア、“殺人鬼”キラー・コワルスキーと、いずれも超一流どころばかりだった。
■斎藤文彦(さいとう・ふみひこ)/1962年東京都生まれ。早稲田大学大学院スポーツ科学学術院スポーツ科学研究科修了。コラムニスト、プロレス・ライター。専修大学などで非常勤講師を務める。『みんなのプロレス』『ボーイズはボーイズ-とっておきのプロレスリング・コラム』など著作多数。
※週刊ポスト2015年6月26日号