橋爪:実在したとされるイエスはユダヤ人でユダヤ教徒だった。では、預言者か、といえば、曖昧だとしかいえない。政治的なリーダーでもない。
佐藤:補足すると実在したキリストの言説は、ユダヤ教でパリサイ派(※2)に近い。おそらく自分自身が新たな宗教を開いたという意識はなかった。弟子たちも自分たちをユダヤ教徒と思っていた。だからみんな割礼していました。ユダヤでは王様が戴冠するときに油を注ぐ習慣がありました。そもそも「キリスト」とは「油を注がれた者」という意味です。
【※2 パリサイ派/ユダヤ教の一派。律法を厳格に守り、神による正義の実現を追求】
橋爪:またキリスト教では“神の子”であるイエスが人間の罪をあがなう「とりなし」をする役割を担っています。
佐藤:とりなしとは、仲介者として神と人間との間をとりもつこと。分かりやすくいえば、他者のために神に祈りを捧げる行為ですね。
橋爪:キリスト教では、その「とりなし」の権限が分離されて後継されるから、教会や司祭が存在し続けることができます。けれど、ムハンマドは「とりなし」という役割を持っていません。もちろんその仕組みもないから、教会ができずに、司祭のような神官階級が存在しない。そこもキリスト教とイスラム教の大きな違いです。
ムハンマドは「最後で最大の預言者」ですから、彼のあとに預言者がいないという状態が続きます。またムハンマドは王ではないが、政治家で軍事司令官であり、神から預言者として与えられた権威を持っていました。
※SAPIO2015年7月号