信玄から水軍編成を一任された江尻城主・穴山信君に仕え、三保の松原を望む荒ら屋に甲斐犬〈ゆき〉と棲む市勘は、ある時、興津沖を漂う不審な船に気づく。それは補陀落渡海(ふだらくとかい)と言って、浄土に生き仏となって渡る渡海上人の船らしく、後日彼は神妙に海に入る白装束の集団の中で唯一泣き叫びながら海に沈められた女を救っていた。かつて勘助に助けられた彼は思ったのだ。〈あれは、自分だ〉〈今度は自分が助ける番だ〉と。
その女こそ、後に最愛の人となる〈里々〉だった。彼女もまた破落戸(ごろつき)に拐(かどわ)かされ、命を惜しむ僧侶に金で売られたという。金目的の誘拐だけに身代金を払えば帰れるが、彼女にはそれを払う親もなく、戦乱の世にはありふれた悲劇だった。
「当時、誘拐や奴隷貿易が横行していたことは、従来の戦国物ではなぜか触れられていない事実でした。例えば天正使節団の手記を読むと、彼らが行く先々であまりにも日本人奴隷が多いと嘆いていたり、最近の研究ではこうした日本人奴隷が5万人いたとも言われる。恐らく勤勉な日本人はどこへ売っても重宝されたはず。
そこには常に複数の大名の間で暗躍した堺や駿河の豪商や南蛮人たちが組織的に介在したはずで、鉄砲や孔雀の羽根といった珍品だけでなく生身の人間までが取引された歴史の裏面を、売られる側の運命で描いてみようと思いました」
しかし〈素破にとっての幸いは、主君の命をまっとうすること〉。市勘は〈わしを待つな〉と言って里々を突き放し、幼馴染の女素破〈紅土筆〉(べにつくし)と共に遠州攻めの要衝・二俣城探索に走るが、さしもの信玄にも老いが迫り、遠江の家康と美濃の信長を前に精彩を欠く中、里々が何者かに連れ去られてしまうのである。