信玄や勘助、堺の豪商で茶人の津田宗及らの知られざる横顔を描く前編に続き、後編では里々を追って自ら奴隷船に乗りこみ、マカオに売られた市勘の活躍を軸に、物語は一気に加速する。
「信玄や信長の動きは全て史実に則っているし、史料にない隙間だけを想像力で補強していったので、時代考証的には誰にも後ろ指は指されないはずです。その上で言うと時代小説は改めて自由だと思ったし、デビュー当初の純粋な書く喜びやクリエイティビティを取り戻せた感覚があった。今後は官能小説もトコトン書いてやろうと、精神的な自由まで手に入れられた気がする。って、あ、それは別の作家の話か(笑い)」
周囲にはその挑発的態度や、忍びに現代的な人間性を持たせる設定を危惧されたともいうが、作家の信念がブレることはなかった。
「女を救うために奴隷船に乗りこんだ市勘を人は素破失格だというかもしれない。ただそれも、忍び=心がない、と既存の小説が描いてきたからかもしれないし、彼が金で売られた者たちに自分を重ねて救おうとするのは大義として十分説得力があると思っているんです。
主君やお国のためだけではなく、もっと個人的な何かのためにも人間は動き、一方、売る側の宗及や南蛮人にも悪意の自覚はない。当時はそれが当然の商行為だったから、むしろ主君や国のために善意で奴隷売買ができてしまうんですね。
私はそうした史実に憤るつもりはないし、歴史にはまだまだ知られていない側面もあるんじゃないかという純粋な好奇心と、それを書いてみたいという作家的興味があるだけなんです」
人を人とも思わぬ奴隷売買の実態や博愛を謳いつつ異教徒を排除する宣教師の姿には思わず眉を顰めたくなるが、勘助が市勘を救い、その市勘が里々を救う善意の縁は、無意識だけに侮れない悪意の縁とも表裏一体の関係にある。その両面をあくまで人間の行為として描く作家は、久瀬千路であれ神崎京介であれ、小説家であることに変わりないのだ。
【著者プロフィール】久瀬千路(くぜ・せんみち):1959年生まれ、東京在住。「元々私は純文学志望で、学生時代は応募原稿を『群像』や『文學界』に跳ね返され、編プロ等々で働くうちにたまたま担当したのが勝目梓さん。そこで、こんなに文学的で面白いエンタメもあるのかと思って書いたのが1996年のデビュー作『無垢の狂気を喚び起こせ』って、これ、完全に神崎京介のプロフィールだけど(笑い)」。現在も連載が続く『女薫の旅』やサッカー小説『芝の星』(自身、サッカーの元静岡県選抜)等著書多数。AB型。
(構成/橋本紀子)
※週刊ポスト2015年7月10日号