果たして春画は芸術かわいせつか。それを週刊誌に掲載することは是か非か。この問題について議論すべく、識者に意見を聞いた。
まず、美術史家・山下裕二氏は「春画が描く性愛は、人間の営みの根源だ」という。山下氏の見解を紹介する。
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『週刊文春』の一件は、どうも気持ちの悪いものでした。誰が何を考え、こういう事態に至ったのか。春画は既に世間に堂々と公表されているものですし、世間を見渡せば、春画以上のわいせつ画像が氾濫している。そういうなかで、なぜ春画掲載が問題視されるのか、私には分かりません。
私は永青文庫の春画展の委員も務めています。春画展を実施するにあたっては、事前に警察とも話し合いをしています。結果、大人気となって、今では入場制限をすることもあるほどです。
美術展は「18歳未満お断わり」にしていますが、週刊誌は誰でも見ることができる。それが問題視されたにしても、春画は『芸術新潮』などの美術誌でもすでに何度も掲載されている。それがなぜ、週刊誌に掲載してはならないのか。
私は、「春画が芸術だから良い」などというつもりはありません。そもそも、何が芸術なのかはだれにも決められません。同じく、芸術だから良い、芸術でないから駄目ということも決められません。春画は、芸術なのかどうかということよりも、江戸時代の絵師が心血を注いで描いたものです。春画が描く「性愛」は、人間の営みの根源です。その作品を見るのが、どうしていけないのでしょうか。
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比較文学者の小谷野敦氏は、「春画がポルノだといけないのか」という。以下は小谷野氏の見解だ。
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春画はポルノではなく芸術だということを盛んにいって、芸術作品のように扱われるようになりましたが、春画は果たして芸術なのか。1、2枚を見れば面白いが、何枚も見ると飽きてくる。そういうものが果たして芸術なのか。また、かつて春画は、マスターベーションにも使われたでしょう。それはやはりポルノではないでしょうか。
春画が芸術であるとアピールするのは、学問の世界の「偽善」のような気がします。学問の世界では「性の解放」ということが1980年代頃に唱えられ、その流れで春画がもてはやされた側面があった。
ところがその一方で、現在のAVやストリップについてはどうか。私は、AVもストリップも芸術的だと思っているが、学者は過去のものは価値があると評価し、現在のものは評価しない。吉原を評価する一方で、ソープランドについて全く触れない。このように学者の偽善で春画をもてはやしている状況があります。
とはいえ、私が一番納得いかないのは、ポルノだといけないのか、ということです。春画はポルノではないと持ちあげているが、ポルノだと評価できないものなのか。
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本誌誌上では、他にもフランス文学者の鹿島茂氏、憲法学者の小林節氏、日本文学者のロバート・キャンベル氏らの見解を掲載している。今回のことをきっかけに、わいせつの線引き等についての議論がいっそう深まることを期待したい。
※週刊ポスト2015年10月30日号