細川護熙一覧

【細川護熙】に関するニュースを集めたページです。

「五五年体制」の壁にヒビが入り始めた1993年(新生党結成の記者会見。写真/共同通信社)
壁を壊した男・1993年の小沢一郎 「どうだ。俺が言った通りだろう」
【1993年の小沢一郎・連載第4回】内閣不信任決議案可決により「五五年体制」の壁にヒビが入り始めた。そしてついに、小沢が壁を貫く最後の一手を打ち出す──。ジャーナリスト・城本勝氏がレポートする。(文中敬称略。第1回から読む) * * *二百四十 第四十回衆議院議員総選挙は、一九九三年七月一八日に投票が行なわれた。宮澤内閣に対する不信任決議案が小沢一郎・羽田孜ら自民党議員の大量造反で可決されたことを受けての総選挙である。 その夜私は、渋谷のNHK放送センターの特設スタジオに置かれた開票速報本部にいた。反応取材の担当だったが、各党の消長が明らかになるにつれて、手元の衆議院手帖に書かれた数字のほうが気になり始めていた。「240 230 220」 一週間前、紀尾井町の小沢の個人事務所で、私とある新聞記者の二人で小沢から聞いた数字だ。「自民党が二百四十議席を超えたら自民党政権が継続。こっちはお休みだ。逆に二百二十を切れば非自民政権で決まり。二百二十から二百三十の時が面白い。ここが一番の勝負どころだ」「どの数字に近づきそうですか」 と尋ねた私たちに小沢は、「こういう時の自民党は強い。社会党が踏ん張ればいいが、今の様子だと厳しいかもしれん。選挙はいつも面白くなるもんだ」 と話していた。 スタジオのモニターを見ると現時点で自民党は二百二十三議席だが、追加公認で二百三十には届きそうだ。「小沢の予言が当たるのか」と私は思った。 新党ブームの強烈な追い風に乗って羽田派が衣替えした新生党は、五十五議席と躍進した。公明、民社、社民連も堅調だ。しかし、社会党は七十議席と、五五年体制以来最低の議席に落ち込む惨敗。その他の非自民系を加えても、ざっと二百十議席余りだった。 一方、新党ブームの中で細川護熙がたった一人で立ち上げた日本新党は三十五人、不信任決議案が可決された後に発足した武村正義の「新党さきがけ」は十三人を当選させていた。 自民党を超えて政権を得るには、この二党を味方に付けることが欠かせない。 二つの党をどう取り込むか、小沢のことだからもう策を練っているだろうと私は考えていた。各党ともあと数日は、選挙の後始末で忙しいから数日後か、いや小沢のことだから、二、三日後には動き出すにちがいない。一日休んで明後日からが勝負だ。六月に入ってからほとんど休みも取れていないし、一日くらいゆっくりしてもバチは当たらないだろうと思っていた。 しかし、またも小沢は待ってくれなかった。潜る 投票日翌日の七月一九日朝、小沢は「知恵袋」の参院議員・平野貞夫に電話を入れた。「比較第一党が自民党になったからといって、弱気の発言をしないように野党幹部と連合の山岸章・会長に伝えておいてほしい。僕は潜る」 私が新生党本部を覗いたのは、さらに一日たった二〇日の午後だった。私は、そこで平野を捕まえ、近くのホテルのコーヒーラウンジで状況を聞くと、こう言った。「社会、公明、民社、社民連、新生は、すでに非自民連立で合意。問題はさきがけ。これは態度がはっきりしない。むしろ自民党と水面下で話をしている節がある。武村さんを筆頭にさきがけは三塚派が多い。三塚は後藤田正晴首班で大連立を狙っている。武村も一枚噛んでいるという情報もあるんですわ」 小沢の知恵袋と言われるだけあって、平野は情報通だ。「日本新党はどうですか」「細川さんは非自民連立でOKでしょう。さきがけとの関係をどうするかですな」 開票直後から、新生党や公明党の一部からは、「細川首班もあり得る」という情報が流されていた。私は気になっていることを尋ねた。「小沢さんは? 細川さんは、日本新党を立ち上げた時も小沢さんに挨拶に来ていたし、以前から親しい関係ですよね。細川さんは表面的には小沢さんの体質がどうだとか言っているけど、元は同じ田中派です。だけど、僕には『羽田さんを必ず総理にする』と言っていたからなあ。今、何やってるんだろう」 そうカマをかけてみたが、平野は、「小沢先生は『潜る』と言ってましたなあ。そうなると私も全く分かりません」 としか言わなかった。 確かに小沢が一度「潜る」と直接取材は難しい。電話にはまず出てこない。居場所を確認するのも困難で、運よく見つけても「付いてくるな」と怒鳴られるのがオチだ。小沢を取材し始めてかれこれ四年になっていたが、その難易度は変わらない。 周辺の口も極端に重くなる。情報漏れをひどく嫌う小沢は、記者にうっかり秘密を漏らすような人間は遠ざけるからだ。この時、平野も、小沢が細川と接触して首相候補を打診するつもりだったことを私に隠していた。極秘会談 七月二二日午前、ホテルニューオータニの一室で小沢と細川が密かに会った。二人は選挙前から何度か連絡を取り合っていたが、実際に顔を合わせるのは選挙後、初めてだった。 その場で小沢は、「我々は非自民の新政権を作れるのなら誰が総理でもいい。羽田さんには固執しない。あなたが適任だと思うがどうか」 といきなり核心をついた。これに対して細川は、「お引き受けしましょう」 と即答。会談は実質数分で終わったという。(『内訟録』細川護熙著) 武村がどの程度関わっていたのかなど、今も不明な点が残されているが、いずれにしても、細川と小沢の二人だけで話し、二人だけで決断したこの瞬間に政権の命運が決したのだ。 しかし、情報管理を徹底したことで様々な波紋も広がった。マスコミには断片的な情報を元にした憶測記事があふれた。二二日の極秘会談は、徐々に漏れ始めていたが、内容を正確に報じた社はなかった。中には、「細川首班の障害になるのなら離党すると小沢が伝えた」と報じた新聞もあった。 NHK政治部も、細川・小沢会談自体は把握していたが、そこで細川が首班候補を受けたのかという核心部分は取れていなかった。小沢は水面下で自由に活動できたが、その分、記者の側にはフラストレーションが溜まっていった。 極秘会談の後、小沢はまず羽田に経緯を説明し、「新生党が首相を取ると非自民のイメージが薄くなる。細川のほうが国民の期待が高まる」と説得した。次いで、社会党、そして公明、民社のごく限られた首脳に説明していく。 小沢が潜っている間に、細川も連立参加の意思を滲ませながらも「首班候補は羽田がいいのではないか」と言い続けた。この秘密主義は事情を知らない議員たちの間に疑心暗鬼を生むことにもなった。 ともあれ、この小沢と細川の水面下の行動が非自民連立政権樹立の決め手になったことは間違いない。その成果は一週間後に形になって現われた。わだかまり 七月二九日午前、衆議院三階の常任委員長室前の廊下は、大勢の記者や政党、省庁のスタッフらで埋め尽くされていた。クールビズなどという言葉さえなかった時代である。みな暑苦しいスーツにネクタイ姿だ。 十一時から非自民八党派の代表者会議が開かれることになっていたが、予定より早く新生党代表幹事の小沢が姿を見せた。小沢番の記者だけでなく、記者や役所の連絡要員と思しき若者が取り囲むように付いてくる。小沢は無言で委員長室につながる控室に入った。 人混みをかき分けるように小沢の後から付いてきた平野を見つけた私は、大理石の壁際に平野を連れて行って囁いた。「これで決まり? 信州と九州のどっちになりますか?」 信州は長野の羽田、九州は熊本の細川だ。「そうですな。九州の人でしょう。これから小沢さんが、市川(雄一)、米沢(隆)、赤松(広隆)に説明するそうですよ」 控室には市川に続いて米沢が入った。どちらも硬い表情だ。三十分も経たないうちに自分の党に戻っていく。私は米沢に付いた。「細川さんでOKなんですか」 米沢はこれまで、私に「細川なんかない。羽田でいいじゃないか」と繰り返していた。前日も「細川には反対だ」と明言していた。しかしこの時は、「俺は羽田だが、党内がまとまれば細川でも仕方ない」と変わっていた。 社会党にも公明党にも異論が燻っていたが、徹底した隠密行動で外堀を埋めた小沢の根回しの結果、すでに他に選択肢はなくなっていた。最後まで自民党との連携の可能性を模索していたように見えた武村も、この時点では非自民連立に付く意向を表明している。 しかし完璧主義ともいえる小沢の手法は、盟友たちにも複雑な影を投げかけていた。少なくとも私にはそう思えた。 投票日直前まで総理の座が手に届きそうだった羽田の心境はどうだっただろうか。確かに小沢の理屈はスジが通っている。羽田でまとめればメディアは「自民党を分裂させて権力を奪取した」と書き立てるだろう。政権交代、政治が変わるというイメージを強調するには細川のほうが新鮮だ。 分かってはいるが、ここまで共に苦しい時間を過ごしてきた間柄である。「小沢に利用されているだけだ」という「忠告」にも耳を貸さず、それが日本の政治のためならいいじゃないかと逆に周りを説得してきた羽田である。 社会党も含めて羽田でいいと言ってくれているのに、連立を確実にするために身を引かざるを得ない。羽田の心境は知る由もないが、私も含めて羽田を取材してきた記者たちには、小沢のやり方にわだかまりが残った。新たな時代 この日の夕方、非自民八党派は永田町のキャピトル東急ホテルで党首会談を開き、細川を首班とする連立政権の樹立を正式に決めた。 これを伝えるNHKニュースは、私たち野党担当の記者が中心となって原稿を書いた。自民党に代わる連立政権を樹立し、日本新党の細川を首相候補とすること、細川が「私としては天命として決意した」と述べたことなど、事実を淡々と記した。 しかし、私は原稿の末尾に「これによって昭和三〇年の社会党の左右統一、保守合同以来三十八年にわたって続いてきたいわゆる五五年体制が終わり、日本の政治は新たな時代に一歩を踏み出すことになりました」と書いた。 NHKニュースとしてはやや情緒的すぎるかなとは思ったが、今年の正月以来、何度も近づいては遠ざかり、手が届いたかと思うと、また跳ね返されてきた五五年体制という厚い壁が、ついに崩れたのだ。公平性や客観性が強く求められるNHKニュースとはいえ取材者の実感を盛り込むことも伝える上では意味があるはずだ。 それでも政治部のデスクに削られるかなと思ったが、デスクは「ちょっと気負いすぎじゃないか……」と苦笑いを浮かべながらも、「しかし、まあいいか」と通してくれた。 立場や担当の違い、社の違いを超えて、ここまで関わってきた多くの政治記者のそれが、共通の思いだった。熱狂と悪夢 細川は、一九九三年八月六日、四十八回目の広島原爆忌に第七十九代内閣総理大臣に指名された。この時、五十五歳。衆議院初当選で首相の座を射止めた。指名を宣言したのは憲政史上初めての女性の衆議院議長・土井たか子である。 組閣の後は、官邸の中庭に出てシャンパンで乾杯して記念撮影。記者会見には歴代首相で初めて立ったまま臨み、記者の質問に原稿なしで歯切れよく答えた。 何もかもが新鮮だった。報道各社の調査で内閣支持率は軒並み七十%を超えた。空前の熱狂的支持であった。 戦国時代を生き抜いた肥後細川家の十八代当主であり、五摂家筆頭である近衛家の近衛文麿の血を引く細川のDNAだろうか。したたかさとしなやかさの両面を持つ細川の特異なキャラクターが、大きな変化を求める時代の意識と一致したのである。そして、それを計算していたかのように一人でまとめあげた小沢の手腕も「小沢マジック」として人々に強く印象付けられることになった。 それは自民党にとっては悪夢の始まりでもあった。結党以来、初めて野党に転落することになった自民党議員には悲壮感が漂っていた。とりわけ梶山静六ら小渕派の幹部たちは党分裂の引き金を引いた負い目もあって積極的な発言は控えていた。 そうした中でも、政権奪還に向けて静かに闘志を燃やし始めた政治家たちもいた。「政界の狙撃手」と呼ばれることになる野中広務もその一人だ。野中が次の標的として狙いを定めつつあったのは、連立政権のど真ん中、細川首相その人だった。 政界に新風を吹き込み、国民的人気を得た細川にカネにまつわるスキャンダルがあったとなれば、政権に与えるダメージは計り知れない。明らかになりつつあった佐川急便からの借入金など細川の身辺に問題はないのか、野中は密かに調査を始めていた。セルシオ 八月二八日午後。東京・千代田区のNHK千代田放送会館で、日曜日に放送する討論番組『政治改革の中身を問う』の事前収録が行なわれた。小沢や三塚博・自民党政調会長のインタビューのためだ。 細川政権は、政治改革関連法案を出し直す方針だ。これにどう対処するのかという問いに小沢は、「自民党の案が出てくれば話し合うのは当然だ」 と柔軟姿勢を示す一方で、「考えられないような妨害、阻止があれば国民に信を問うことがあるかもしれない」 と成立が危うくなれば解散もあり得ると発言した。野党ながら衆院で第一党の勢力を持つ自民党へのけん制だが、果たしてそれだけなのか、私は気になった。 収録が終わると小沢は上機嫌で放送会館の玄関に向かった。NHKの幹部や担当者が見送る中、セルシオに乗り込もうとする小沢に「私もいいですか」と聞くと、小沢は小さくうなずいた。 反対側のドアから後部座席に体を滑り込ませる。私が「どうも」と言うと、小沢は「おう」と言った。それを合図にセルシオは走り出した。「246」を西に走り駒沢通りに入って深沢に向かう。 去年までは毎朝のようにこの逆コースを「ハコ乗り」していた。気難しい小沢だが、なぜか車に同乗して取材する「ハコ乗り」は認めていた。朝、永田町に向かう三十分、じっくり話が聞ける貴重な取材機会だ。ただし、乗れるのは二人まで。私たちは先着二人までというルールを決めていた。 小沢に食い込むために、他に有効な手段を思いつかなかった私は、とにかく早起きレースに勝つことを自分に課した。七時前に深沢に着けば、たいていは二着に入れたし、中には小沢と話すのが苦手だと言って順番を譲ってくれる記者もいた。乗れなかった記者にも、後で中身を教えるルールもあったが、自分の耳で聞いていない話は、所詮信用できない。 まだ三十代半ばだった私にとってもつらい毎日だったが、そうやって少しずつ小沢との距離を縮めてきたのだ。 そんなことをぼんやり思い出しているうちに、小沢のほうが話し出した。「どうだ。俺が言った通りだろう。細川さんは見栄えがいいだけの飾りだという奴がいるが、あの度胸と決断力は大したもんだ。あのバラバラの八党派を一発でまとめるには細川さんしかいなかった」 残念ながら、私はそんな話を聞いた憶えはなかった。「『必ず羽田を総理にする』と言った後は、ほとんど潜っていたじゃないですか」と文句を言いそうになったが、それは飲み込んだ。「自民党は解散を嫌がるでしょうが、むしろ社会党や武村さんのほうが抵抗すると思います。そちらのほうが厄介じゃないですか」 私がそう聞くと小沢は自信ありげに言った。「もちろん法案を通すのは簡単ではない。だが、自民党だろうが与党の中だろうが、法案を潰すようなら解散すればいい。自民党は壊滅だ。社会党は消滅するかもしれない。彼らもよく分かっているさ。今度は、解散権をこちらが握っているんだ」 年の初めから、数々の困難を乗り越え、厳しい権力闘争を勝ち抜いて政権奪取まで来た自信と高揚感がそう言わせたことだろうとは思ったが、私は改めて小沢一郎という政治家が持つ「凄み」のようなものを感じた。 同時に、五五年体制の壁は、まだ完全に崩れ去ったわけではない。ひび割れて脆くなった場所を探し、さらに激しくハンマーやドリルで壊し続けなければならない──小沢がそう考えているのだということにも気づいた。 この闘いは一体、いつまで続くんだろう──。 真夏の太陽が傾き始めた方角に向かって、小沢と私を乗せたセルシオは走り続けていた。(第5回につづく)【プロフィール】城本勝(しろもと・まさる)/ジャーナリスト。1957年熊本県生まれ。一橋大学卒業後、1982年にNHK入局。福岡局を経て東京転勤後は、報道局政治部記者として経世会、民主党などを担当した。2004年から政治担当の解説委員となり、『日曜討論』などの番組に出演。2018年退局後は、2021年6月まで日本国際放送代表取締役社長を務めた。※週刊ポスト2022年6月3日号
2022.05.28 07:00
週刊ポスト
「孤独な女帝」の謎に迫る(共同通信社)
小池百合子氏 「孤独な女帝」のしたたかさ、逞しさのルーツ
“異端の政治家”小池百合子氏(67)が東京都知事に再選された。4年前の知事選でブームを起こし、勢いを駆って前回総選挙では小池新党「希望の党」を立ち上げて国政に挑む大博打を打ったものの、大負けしてすってんてん。「小池は終わった」と思われていた。 それが今回はメディアあげての批判の嵐の中、新型コロナ対応で再び風をつかんで圧勝してみせたのだ。 政界では“勝負師”の彼女がこのまま4年間、おとなしく知事任期を全うすると考える者は少数派だ。次はいつ、総理をめざして国政に転じるかと与党も野党も戦々恐々としている。 群れず、頼らず、敵をつくるのを厭わない。だから嫌われ者だが、バッシングさえ逆手にとって何度挫折しても蘇る。この「孤独な女帝」のしたたかさ、逞しさのルーツはどこにあるのだろうか。 小池氏は世襲政治家ではない。だが、そのルーツは“政治好き”だった父の勇二郎氏を抜きには語れない。 勇二郎氏は戦時中、日本の皇室は中東のシュメール文明の末裔だとするスメラ学塾に参加し、「民族独立運動」など超国家思想に傾斜していた。戦後は貿易商を営んでアラブ諸国に人脈を広げた。〈大正十一年に神戸で生まれた父は、戦争中海軍に身を置いた。終戦後は、ペニシリンで一儲けした後、重油を関西電力に卸す商売やガソリンスタンド経営など石油がらみの仕事をベースに、三十代で関西経済同友会の幹事を務めるなど派手に立ち回ったようだ〉 小池氏は文藝春秋2008年6月号の「オヤジ」という表題のエッセイでそう書いている。大風呂敷を広げるのが好きな破天荒な人物だったようだ。交友があった右派の政治団体関係者の話だ。「自称・元海軍将校で戦争中は『アジア解放』の使命を軍部から命じられ、戦後は政治家の密命を帯びて世界中を飛び回っていたと。すべてがそんな調子で、娘がカイロ大学を出たのも、『自分が新たな大東亜共栄圏建設のために世界を歩いた結果のコネクション』なんだという。 ただ、地に足はついていないが、本人なりに真剣に政治のことを考えていた人だった。唐突に電話をかけてきて、『いま私が総理大臣だったらこうする』という話を延々と聞かされた」 石原慎太郎氏が1968年の参院選全国区で出馬すると、勇二郎氏は関西地区の責任者となってトップ当選させ、自分も1969年の総選挙に旧兵庫2区から立候補する。 自民党の公認は得られず、石原氏の政治団体「日本の新しい世代の会」を看板に無所属で戦ったが、結果は約7000票で惨敗した。泡沫候補だった。小池氏が甲南女子高校2年のときだ。 このとき、勇二郎氏の選挙を手伝ったのが、後に自民党から選挙に出て防災担当相となる鴻池祥肇(こうのいけ・よしただ)氏と、石原氏の秘書から副知事を務める浜渦武生氏だった。◆父の人脈を蹴落とした 世襲議員は選挙に出るにあたって親から地盤、看板、カバン(政治資金)を受け継ぎ、世襲でなければ有力政治家の秘書を経験したり、地方議員から国政をめざすなど、いずれも地縁血縁人脈をフルに使って当選を目指すのが常識である。 小池氏は違った。1992年の参院選比例区で日本新党から当選した小池氏は、翌1993年の総選挙で衆院に鞍替えし、父と同じ旧兵庫2区(定数5)から出馬する。そこには鴻池氏が現職代議士として地盤を築いていたが、そこに割って入った小池氏は土井たか子氏に次ぐ2位で当選、鴻池氏は落選する。父の人脈を利用するのではなく、逆に戦って蹴落としたのだ。 もう1人の浜渦氏も、小池氏が都知事に就任すると石原都政時代の築地移転問題で都議会の百条委員会にかけられて厳しい追及を受けた。 国会議員となった小池氏は、日本新党時代は細川護熙氏、新進党と自由党では小沢一郎氏、自民党入党後は小泉純一郎氏と時の有力者の側近となり、頭角を現わしていく。 永田町の“出世の方程式”は、実力政治家の子分となり、下積みを経験しながら政治キャリアを積む。自民党であれば、派閥組織の中で政務官、副大臣、大臣とサラリーマンのように年功序列でポストがあてがわれる。ここでも小池氏のやり方は型破りだった。政治評論家・有馬晴海氏が語る。「閨閥を持たない小池氏は、世襲議員と違って組織の中では出世が遅れてしまう。だから有力者に引き立ててもらったというより、自分から有力者に積極的にアイデアを売り込んだ。サラリーマン政治家ではなく、ベンチャーなんです。だから有力者の力が衰えたり、情勢が変わると踏み台にして別の有力者に乗り換え、自分の力でステップアップしていくしかなかった」 組織の中で出世したわけではないから、決まった後見人もいないし、子分もできない。自らの政治勘だけを頼りにリスクを取って勝負に出る。「孤独な女帝」はこうして生まれた。 自民党が閨閥なき異質の政治家の国政復帰を警戒するのは、父譲りの破天荒な血で政界秩序をかき回されることを恐れているのかもしれない。※週刊ポスト2020年7月24日号
2020.07.10 07:00
週刊ポスト
議論に終止符が打たれるか(時事通信フォト)
小池百合子都知事 コンプレックス抱え、背伸びしてきた半生
 前回の東京都知事選で「崖から飛び降りる覚悟で」と演説した彼女は、290万票超の得票で圧勝した。あの熱狂から4年。無風状態といわれた都知事選の風向きに変化が訪れ始めた──。 滑らかな堂々たる口調で、万能感溢れる雰囲気が一変、厳しい表情に変わる。緊張と動揺からか一瞬表情が揺らぐが、すぐ立て直す。久しぶりにマスクをとってのぞんだ小池百合子東京都知事(67才)の都知事選出馬会見。その“素顔”が垣間見えた瞬間だった。 7月5日投開票の都知事選で再選をめざす小池知事にふってわいた学歴詐称疑惑。5月末に発売された話題の書『女帝 小池百合子』(石井妙子著、文藝春秋刊)が発端となった。「カイロ大学の卒業証書の原本を出すことは可能かという記者の質問に、正対して答えないまま会見は終わりました。小池知事が疑惑を否定した形ですが、長年にわたる取材を基に書かれた“真実”は無視するにはディテールがありすぎる。その証書が本物かどうかなど裁判をして紙の古さを確認するなどしない限り、もう誰にもわからない。このまま『女帝』が問題提起した『学歴詐称疑惑』は藪の中でしょうね」(都政担当記者) 小池知事が前回の都知事選に立候補したのは2016年6月。自民党東京都連の意向に背いて、いち早く出馬を表明した小池知事は、孤立無援の状態で選挙に挑んだ。 前回の都知事選で小池知事が一気に勢いを持った一幕がある。石原慎太郎元都知事から「大年増の厚化粧がいるんだな、これが」とこき下ろされたときのことだ。「この発言に対し、小池さんは『顔のアザを隠すためです』と怯まず冷静に切り返しました。以降、『女性のコンプレックスを攻撃する旧態依然の男社会に立ち向かうヒロイン』という印象が小池さんにつきました。女性票を集め、都知事選の圧勝劇が生まれました」(前出・都政担当記者) 圧倒的なカリスマ性で支持を集めた小池知事。日本初の女性総理との呼び声も高く、“ガラスの天井”を初めて破るかと期待された。 だが『女帝』では、学歴に関する疑惑だけでなく、これまでのパブリックイメージを覆す半生が綴られている。 東京在住50代の女性は困惑してこう話す。「初めは男性陣がよってたかって小池知事を攻撃している図式にみえたので、彼女を応援していた。ただ、なぜすぐに証書を見せてくれなかったのか。彼女の半生がもし嘘だらけだとしたら何を信じていいかわからない。怖いです」 別の60代の女性の話。「本、読みましたよ。ちょっと信じられない気持ちです。コロナでもテキパキ、活躍されているでしょう。見た目もオシャレでかっこいいですし。その辺りの男性政治家より決断力も度胸もあって好きでした。ただ、そういう目で見ると、前回の都知事選の待機児童ゼロや満員電車ゼロなどの公約は全然守られていないし、いったい本当はどういう素顔なのだろうと…」◆アザと父に翻弄された知られざる少女時代 小池知事は1988年にテレビ東京『ワールドビジネスサテライト』の初代キャスターに就任、語学力とトーク力を武器としてテレビを中心に活躍。だが、1992年には億単位のキャスター収入を捨て、細川護熙氏(82才)が結党したばかりの日本新党から参院選に出馬し、初当選した。「その後も節目節目で抜群の嗅覚を発揮、細川さんだけでなく小泉純一郎さん(78才)や小沢一郎さん(78才)ら大物政治家の寵愛を受け、環境大臣や防衛大臣という要職を歴任しました。“政界渡り鳥”と揶揄されてきましたが、半面、男社会の永田町を生き抜いて、都知事にまで上り詰めた稀有な女性政治家であることは否定できません」(政治ジャーナリスト) 過去に本誌が「政界渡り鳥」といわれることへの感想を尋ねると、小池知事はこう答えた。「私が権力者のところに渡るのではなく、私のサポートでその人が権力者になるんです(笑い)」 これまで、逆風の中でも崩さなかった強気の姿勢。だが、明かされた彼女の半生は悲哀の道だった。『女帝』には右頬のアザを気にしながら幼少期を過ごしてきたこと、父の嘘や期待に苦しめられたこと、学生時代に親しいと呼べる友人がいなかったことが丹念に描かれている。また、カイロ時代に学生結婚し、1年もたたずに離婚したことを極力他言せず過ごしてきたとも。「小池知事は育ちのよい“芦屋の令嬢”というように振る舞ってきたが実態は違う。豪邸でないことを隠すように過ごし、有名なお嬢様学校では成績もよくなく目立たず、アルバイトをしながら糊口をしのいでいた。そんな少女時代のエピソードを耳にすると、堂々と振る舞えば振る舞うほど、彼女のマスクの下にある本当の姿を垣間見てしまった気持ちになります。彼女は小さい頃の話は本当に口にしないんです」(小池氏を知る永田町関係者) 小池知事は生まれつきの右頬のアザをいつも気にしていた。「石原さんに“厚化粧”と揶揄されたときには当意即妙に切り返しましたが、右頬のアザは実際長い間彼女のコンプレックスだった。容姿や経済状況など彼女はコンプレックスを抱えていたからこそ、その反動で自分を大きく見せようと背伸びして振る舞ってきた人。堂々と陽の当たる場所を歩いてきた人ではないんです」(前出・永田町関係者) 小池知事はそのアザについても、「すべてのエネルギーのもと」と嘯く。《母は私には何も言わなかったけれど人に言っているのを聞いたことがあるの。百合ちゃんは女の子なのに可哀相って……。コンプレックスではなかったけれど、でもそれがあるからこんなに頑張ってこれたと思う》(『AERA』1992年11月10日号) マスクの下に隠された素顔を明かされて、彼女はいま何を思うのか。 冒頭の記者会見から3日後、小池知事はカイロ大学の卒業証書を報道陣に公開した。「政策論争よりも卒業証書の話ばかりが出てくるのは(選挙戦に)ふさわしくない」 と公開の理由を明かし、いつものように余裕の笑みを浮かべた。 この日は、山本太郎・れいわ新選組代表も立候補を表明し、無風だとみられていた都知事選が混沌としてきた。運命の投開票は7月5日だ。※女性セブン2020年7月2日号
2020.06.18 16:00
女性セブン
吉村総理待望論で実現した場合の閣僚名簿を大胆予想する
吉村総理待望論で実現した場合の閣僚名簿を大胆予想する
 危機の時ほど、政治家は真価を問われる。新型コロナ対策の「決断と実行」で存在感を高めたのが全国の知事たちだ。その中でも、吉村洋文・大阪府知事(44)は「大阪モデル」で常に政府に先んじる一手を打ち、「次の総理」への待望論が高まっている。 総理への道は容易ではないが前例がないわけではない。憲政史上、知事から一足飛びで総理に上り詰めたのは細川護熙首相ただ1人だ。細川氏は熊本県知事から日本新党を結成してブームを起こし、自民党分裂の政界激動の中、国政進出わずか1年で総理に就任した。吉村氏は日本維新の会という政治基盤も持ちチャンスはありうる。 国民が「吉村総理」に期待するのは、新型コロナ対応と経済回復、その後の社会情勢の変化に合わせた新しい政治だろう。 キーマンは橋下徹氏だ。現在は無役の民間人だが吉村氏の後見人的存在で、最も信頼するブレーンでもある。 政治ジャーナリスト・角谷浩一氏「順序的には橋下氏が先に総理になったほうがいいと思う」と指摘するが、国民の期待はやはり若い吉村総理を橋下氏が支える布陣ではないか。政治ジャーナリスト・鈴木哲夫氏が語る。「吉村氏が総理になれば、民間大臣として橋下さんを三顧の礼で迎えるでしょう」(鈴木氏) 吉村内閣の閣僚名簿を大胆に予想すると、橋下氏は財務大臣だ。コロナ後の経済回復に最も有効なのは、維新が掲げる消費税減税だ。「しかし、予想される財務官僚の激しい抵抗を撥ね退けられるのは政治力のある橋下氏しかいない」(維新関係者)という声があがる。 その橋下氏らの人脈で、民間から幅広い精鋭が集まることも期待される。「たとえば山中伸弥・京都大学教授。もちろん、iPS細胞研究が最も重要な仕事だが、コロナ危機では特設サイトなどで国民にわかりやすく情報発信してきた。橋下氏とは酒を酌み交わす関係であり、期間限定でも厚労相や、基礎研究重視のために大学の科研費の配分を決める文科相として起用すれば相当なインパクトになる」(同前) コロナ後はオンライン診療やネット授業、テレワークの普及のために規制改革も重要テーマだ。「改革を牽引できるのは在野のベンチャー精神溢れる担当大臣だろう。その点、吉村氏は孫正義氏(ソフトバンクグループ会長兼社長)と医療物資調達で協力関係にあるなど、経営者の独自人脈もある」(大阪府議会関係者) 台湾の唐鳳(タンフォン)・IT担当相のように、民間出身者が感染拡大阻止に大きな成果をあげた例もある。吉村氏のブレーンでは、この4月、大阪府スマートシティ戦略部長に公募で起用された、日本IBM常務執行役員の坪田知巳氏が注目される。新型コロナ感染者を効率的に追跡するシステム開発にあたる坪田氏はIT業界に人脈が広く、「吉村内閣」はIT戦略を支える人材も集められそうだ。 永田町の政治家では、自民党から維新とのパイプが太い菅義偉氏の官房長官、総務相などでの起用があり得る。「大統領型の権限を持つ知事と違い、総理大臣がリーダーシップを発揮するには強い政権基盤、官邸が与党と霞が関に睨みをきかせることが重要になる」(角谷氏) その意味では、外相や防衛相も自民党からの起用になる可能性がある。 ただ、それは国政経験がほとんどなく、外交や防衛、安全保障などの手腕が未知数な40代の政治家に、過剰な期待が集まっているということも意味している。“吉村待望論”は、コロナ危機が浮き彫りにしたこの国の政治危機の裏返しでもある。※週刊ポスト2020年6月5日号
2020.05.27 07:00
週刊ポスト
吉村知事 国民の支持あれば細川護熙氏のように総理への道も
吉村知事 国民の支持あれば細川護熙氏のように総理への道も
 新型コロナを巡る安倍政権の迷走が国民を失望させている。自民党内の人材不足も明白になり、本来ならばあり得ないはずの“待望論”まで出始めた。この国の政治不信もまた、危機的なレベルに達している。 危機の時ほど、政治家は真価を問われる。新型コロナ対策の「決断と実行」で存在感を高めたのが全国の知事たちだ。 鈴木直道・北海道知事は国に先駆け2月に外出自粛を要請。小池百合子・東京都知事は「ロックダウン」を示唆し政府の尻を叩いて緊急事態宣言を出させ、吉村洋文・大阪府知事は「大阪モデル」で常に政府に先んじる一手を打った。 その中でも「次の総理」への待望論が高まっているのが44歳の吉村氏だ。全国的に感染が拡大したとされる3月の3連休(20~22日)に大阪・兵庫間の移動制限を要請したのを皮切りに、国の新型コロナ特措法を「誰が最終責任者なのかを曖昧にしている責任逃れ法律」と批判。自粛要請に応じないパチンコ店の名前を公表し全店休業させるなど、知事の権限を最大活用した。そうしたリーダーシップを見せたことから「将来の総理に」といった待望論も出ている。 ただ、いくら国民が望んでも、吉村氏の総理への道は容易ではない。知事から総理になるには、国政選挙に出馬して国会議員となり、国会で多数派を握って首班指名で勝利する手順を踏まなければならない。自民党では知事から国会議員になっても、国政に出た時点で1回生の“陣笠議員”としての下積みから始まり、当選回数を重ねなければ党の幹部にはなれない。政治ジャーナリスト・鈴木哲夫氏が語る。「吉村氏が総理を目指すなら国政に出て日本維新の会の党首になり、さらに総選挙で過半数を取る必要がある。道のりは遠い。永田町の常識だけで言えば、知事からすぐ総理というのは現実的ではない」「しかし」とこう続ける。「国難に直面した今、“ポスト安倍”がいないからと、幹部から消去法で選ぶという自民党の慣わしは通用しない。過去、国会議員が不甲斐ないときは、地方からムーブメントが起きた。『東京から日本を変える』といった石原慎太郎氏や大阪維新を旗揚げした橋下徹氏、減税日本の河村たかし氏など、地方の首長の動きが国政を動かした。国民の支持さえあれば、地方のリーダーから総理の道が拓けることもある」 憲政史上、知事から一足飛びで総理に上り詰めたのは細川護熙首相ただ1人だ。細川氏は熊本県知事から日本新党を結成してブームを起こし、自民党分裂の政界激動の中、国政進出わずか1年で総理に就任した。 折しも、長期政権を誇った安倍内閣はコロナ対応で支持率が低下し、自民党には人材が枯渇、国民は新しいリーダーを望んでいる。細川氏が登場した政治状況と似てきた。政治ジャーナリスト・角谷浩一氏は「吉村氏の資質は十分」とみる。「首長として役所を率いた経験は重要です。安倍首相は総理就任前に官房長官は経験したが、大臣として役所を率いたことはなかった。その点、吉村氏はまだ若いが大阪市長、大阪府知事として大きな役所を動かしてきた。それは総理の仕事に直結する。永田町の政治的な修羅場をくぐった経験はなくても、永田町の論理に捉われない政治ができる可能性を持っている」 吉村氏が総理になるシナリオは、維新の“創立者”である橋下徹氏による下準備も済んでいる。地域政党「大阪維新の会」を結成し国政に進出させ、この10年で国会に足場を築いてきた。しかも、いまや日本維新の会の支持率は吉村人気で野党ではトップだ。次の総選挙で野党第一党に躍り出る可能性は十分ある。「吉村氏には次の総選挙で維新を中心に地域政党を糾合して自民党に挑むか、あるいは選挙で自民党を過半数割れに追い詰めたうえで維新と自民の連立を組んで首相ポストを要求するという選択肢も考えられる」(鈴木氏) ゼロから日本新党を作った細川氏より、日本維新の会という足場がある吉村氏のほうがチャンスは大きいわけだ。※週刊ポスト2020年6月5日号
2020.05.26 16:00
週刊ポスト
「マスク2枚配布」以外にも…国家を危うくした怪物官僚列伝
「マスク2枚配布」以外にも…国家を危うくした怪物官僚列伝
「戦後最大の危機」に臨んで安倍晋三首相の混乱ぶりが際立っている。突然の全国一斉休校要請で並みいる大臣たちを驚かせ、唐突にマスク2枚配布を言い出して国民を唖然とさせた。緊急事態宣言をめぐっては「まだそういう事態には至っていない」と渋りながら、一転、発表即日に公布するという場当たり対応で混乱に拍車をかけた。 そんな安倍首相を陰から動かしているとされるのが今井尚哉・総理首席秘書官兼総理補佐官ら官邸官僚たちだ。 経産官僚から「総理の分身」と呼ばれる首席秘書官に起用されて以来8年間、今井氏は常に首相のそばに仕え、昨年秋からは「政策企画の総括担当」の総理補佐官を兼務して国政全般ににらみを利かせる立場に就いた。「今井ちゃんはなんて頭がいいんだ。頭の中を見てみたい」 首相はその才を高く買い、コロナ対策にあたっても今井氏の献策を採用するといわれる。だが、官僚が分を越えて政治家以上の権勢を振るうのは正常な国のあり方とはいえない。過去、権力が集中した“怪物官僚”が政治を主導して混乱を招いたことは何度もあった。◆次官交代を「拒否」 平成初めの混乱期、政治腐敗で行き詰まった自民党長期政権を倒して細川護熙連立政権が発足(1993年)。 期待を集めた細川政権がわずか8か月で倒れる原因をつくったのが、当時、霞が関で「10年に1人の大物次官」と呼ばれた斎藤次郎・大蔵事務次官だ。連立政権の中心人物、小沢一郎・新生党代表幹事と太いパイプを持ち、細川首相に国民福祉税の創設を強く迫った。 細川首相の総理首席秘書官を務めた成田憲彦・元駿河台大学学長は舞台裏をこう振り返っている。「大蔵省は政権発足時から何回も隠密に細川さんに会い、消費税引き上げの必要性を説明した。(中略)細川さんは妥協として、消費税は廃止して福祉のための税金にするということで国民福祉税になった」(日経新聞2012年1月3日付電子版インタビュー) 1994年2月3日の午前1時、細川首相は異例の深夜緊急会見を開いて税率7%の「国民福祉税」を創設すると発表した。 しかし、これに与党第一党の社会党が激しく反発、8党派の寄り合い所帯だった政権は内部崩壊を起こし、細川氏は2か月後に退陣を表明する。国民の期待を集めた政権交代はこうして潰えた。 かつて「防衛省の天皇」と呼ばれたのが守屋武昌・元防衛事務次官だ。 小泉内閣時代の2003年に次官に就任すると人事で側近を重用し、後継次官候補の官僚を次々に左遷し、「次官1年、長くても2年」の霞が関の慣行を破って異例の4年にわたって次官にとどまって権勢を恣にした。 その陰で、守屋氏は防衛商社と癒着、夫婦同伴の旅行やゴルフ接待を受けて防衛省の防衛装備品の納入で便宜を図っていた(辞任後に汚職事件に発展)。 第一次安倍内閣の小池百合子・防衛大臣が就任直後に守屋次官の交代と新次官人事を内定すると、反発した守屋氏はなんとこれを拒否する。守屋氏は官邸に根回ししてイエスマンを自分の後任の次官に据えようと工作し、防衛省内で“内乱”を起こしたのだ。◆菅直人氏、野田佳彦氏を籠絡した官僚「消費税は上げない」と国民に公約して政権をとった民主党内閣は、消費税増税という国民への裏切りで瓦解した。 その立役者が菅内閣と野田内閣の2代にわたって財務事務次官を務めた勝栄二郎氏だ。この人物の“凄み”は、政治家に増税推進と引き換えに権力を与えたことである。「官僚は大バカ」と言っていた菅直人氏は、鳩山内閣の副総理兼財務相に就任すると増税反対派から増税派に変身。鳩山政権の後を継いで首相になると突然「消費税10%」を掲げ、東日本大震災が発生すると復興の前に「復興増税」を決めた。裏にいたのが勝次官である。 シロアリ演説(*)で知られた野田佳彦氏も同じ手法で籠絡された。財務相になると増税推進派に転じ、菅首相の失脚後、首相に就任すると民自公3党合意で消費税10%へのレールを敷いた。【*2009年の衆院選の演説で、天下り官僚をシロアリにたとえて「シロアリを退治して、天下り法人をなくして、天下りをなくす。そこから始めなければ消費税を引き上げる話はおかしいんです」などと語っていた】 菅氏と野田氏に共通するのは、財務大臣を務めて増税派に転向し、総理の座を射止めたことである。◆「総理が無能だと官僚がのさばる」 今井氏には先達がいる。24年前、通産官僚から橋本龍太郎首相の総理首席秘書官となり、橋本行革に辣腕を振った江田憲司氏(元民進党代表代行)だ。 橋本首相が行革の目玉に掲げたのは、明治以来の中央省庁の大再編であり、1府22省庁あった中央官庁を1府12省庁に半減させるものだ。当然、霞が関や族議員あげた猛反対を呼び、金融行政と財政を分離して財務省に“格下げ”となる大蔵省は徹底抗戦した。 その中央省庁再編を取り仕切った江田氏は、「橋本の森蘭丸」と呼ばれて批判の矢面に立たされた。 森蘭丸とは、織田信長のお気に入りの小姓で秘書役を務め、織田家の有力部将たちから「蘭丸に睨まれると信長様の覚えが悪くなる」と恐れられたと伝えられている。 まさにかつての江田氏は現在の今井氏とそっくりな立場にいた。総理秘書官に振り回される現在の政治状況をどうみているのか―─江田氏本人はこう語った。「私自身も橋本総理秘書官のときは今の今井さんのように官邸を牛耳っていると随分と批判をされたが、私も彼も、あくまで総理の命を受けて総理を補佐している。今回の新型コロナ対策でも安倍総理に意見具申しているのでしょうが、だからといって今井さんが勝手に政策を差配しているわけではなく、あくまで最終判断は安倍総理が行なっている。その政策がまちがっているとすれば、安倍総理を批判すべきでしょう」 そのうえでこう警鐘を鳴らす。「確かに、官僚に操られている政治家は多い。それが一国のトップ、総理だったら大変です。だから政治家がもっと賢くならねばならない。政治家、総理が無能だと、権力官僚がのさばることになる」 かつて日本は「政治は三流、官僚一流」といわれて優秀な官僚が国を支えた。それがいまや総理の側に仕える官僚が国難にあたって「マスク2枚」の知恵しか出せない。いつの間にか「政治も官僚も三流」に成り下がったのか。※週刊ポスト2020年4月24日号
2020.04.15 16:00
週刊ポスト
日韓外相会談の冒頭、握手を交わす韓昇洲韓国外相(左)と河野洋平外相(共同)
【親韓政治家の韓国外交】河野洋平、土井たか子、村山富市氏ら
 混迷する日韓関係だが、韓国外交を担ってきた日本の政治家は何をしてきたのか。ここでは河野洋平氏から吉川春子氏まで、政治家ごとに主な業績をまとめてみた。(敬称略)河野洋平:「慰安婦問題に関する官房長官談話(河野談話)を発表し、韓国から求められた強制連行を会見の回答で認めた」(西岡力・麗澤大学客員教授)土井たか子;「慰安婦問題で、女性と人権の問題であることを強調し、日本の謝罪・賠償を推進した」(潮匡人・評論家)細川護熙:「1993年、国会での所信表明演説で、日本の侵略、植民地支配に言及した」(倉山満・歴史評論家)加藤紘一:「従軍慰安婦問題で当時の宮沢政権は謝罪の意を示し、官房長官だった加藤紘一が謝罪の談話を出す。2人の宏池会人脈で、その後の韓国への謝罪スパイラルを作った」(藤井厳喜・評論家)村山富市:「韓国との関係が改善すればという前向きな姿勢で村山談話を出したが、韓国側からは国が談話を出したのだからまだ終わっていないという理屈にされた」(有馬晴海・政治評論家)菅直人:「日韓併合は実質35年で、その後、日韓国交正常化から45年経っているにもかかわらず韓国併合の100周年として首相談話を出した」(黒田勝弘・産経新聞ソウル駐在論説委員)二階俊博:「昨年、地方議員を含む自民党議員約300人を率いて訪韓。韓国大使の申し出に応え、今年も日本議員団で訪韓することを約束した」(室谷克実・評論家)額賀福志郎:「日韓議連の現在の会長を務め、日韓関係維持や関係修復を求めるスタンス」(潮匡人)吉川春子:「慰安婦問題を複雑にした『戦時性的強制被害者問題解決促進法案』を国会に提出した」(篠原常一郎・元共産党議員秘書ジャーナリスト)※週刊ポスト2019年9月20・27日号
2019.09.13 16:00
週刊ポスト
自社さ連立で村山政権誕生(時事通信フォト)
小沢一郎氏が明かす「禁断の自社連立」「村山内閣」舞台裏
 小沢一郎。47歳で自民党幹事長に就任、政治改革を掲げて党を飛び出すと、自民党と対決して細川連立政権、民主党政権と2回の政権交代の立役者となった。これまで決して政治史の舞台裏を語ることがなかった小沢が、平成日本を変えた数々の場面で何が行なわれ、どんな葛藤があったのかを「歴史の証言者」として初めて明らかにした。(文中一部敬称略)◆禁断の自社連立(1994年6月)〈細川護熙首相退陣後に羽田孜内閣が誕生するが、社会党や新党さきがけは連立を離脱し、自民党が提出した内閣不信任案の賛成に回る。羽田は解散を決意したが、小沢は「解散したら小選挙区制が白紙に戻る」と止めた──というのが定説とされる。〉小沢:羽田さんは確かに「解散する」と言ってました。不信任案可決のすぐ後に俺は官邸に行って、「どうするんだ?」って言ったら、「解散するしかない」と。僕は(新生党の)党本部に電話を入れた。「解散だ。準備しろ」って。──あなたが解散にストップをかけたのでは?小沢:止めてません。逆に「選挙の準備をしろ」と指示したんだから。ところが翌日の明け方になるにつれて、羽田さんの様子がおかしくなっていった。選挙になれば惨敗すると分かっていた野党の社会党が“いったん総辞職してくれれば、次の首班指名ではみんなで羽田に入れる”と持ちかけてきたわけです。──羽田は、それを鵜呑みにして総辞職したのか。小沢:不信任しておきながら、次は入れるなんて、嘘に決まっています。僕は羽田さんに「そんなことあり得ない、馬鹿じゃないか」って言ったんだけど……。〈羽田内閣の退陣後、自民党は社会党党首の村山富市を首班に担ぐ。小沢ら非自民勢力は、自社連立に反対して自民党を離党した海部俊樹を擁立し、首班指名選挙にもつれ込んだ。2年前の与野党が入り乱れて手を結ぶ、異例の構図だ。小沢は自民党と社会党が組むことを想定していたのか。〉小沢:話は聞いていましたが、あり得ないと思っていました。驚くべきことです。まぁ、昔から裏(国会対策)では「なあなあ」でやってきた関係だったんだけれども、表向きは対立をしてきた。だから、いくら何でも表で組むとは思ってもいませんでした。── 一方、あなたは海部を立てた。小沢:羽田さんをもう一度担ぐ道は総辞職の時点で消えていました。社会党が自民党に取り込まれた以上、自民党を割る以外に政権を取る手段はない。すると、西岡武夫さんが「海部さんはどうだ」と。海部さんは「政治改革しようとしたが実現できずに辞任した」という立場だから、「本人が承知してくれるならよかろう」となった。 ところが、なかなか返事がない。国会会期の終わり間際になってようやく、海部さんから「受ける」という返事が来た。自民党では中曽根康弘さんはじめ「社会党の総理なんてとんでもない」という意見が多かったから、切り崩しの時間がもう少しあれば勝てた。早く海部さんが(離党の)腹を決めてくれてたら……ね。──「自民か、非自民か」が明確だった細川政権誕生と違い、この時の「村山vs海部」の首班指名選挙は、従来の政党の組み合わせが入り乱れる複雑な権力闘争に映った。本質は何と何が戦っていたのか。小沢:政界の改革派と守旧派。新体制を志向する我々と、旧体制を維持しようとする自社さ。アンシャン・レジーム(旧体制)の中に成り立っていた自民党と社会党が「このままでは自分たちが危ない」となって、表立って手を結んだ。しかし村山内閣の後、すぐに社会党は潰れた。政治の筋道を通さないからそういう結果になるんです。●聞き手・レポート/武冨薫(ジャーナリスト)※週刊ポスト2019年5月3・10日号
2019.05.06 07:00
週刊ポスト
総選挙で新生党が大躍進(時事通信フォト)
小沢一郎氏が振り返る「宮沢倒閣」から細川護熙政権まで
 小沢一郎氏は「剛腕」として知られる。様々な平成政治でその剛腕をふるった小沢氏は、宮沢喜一内閣誕生や細川護熙内閣誕生にも影響を与えた。これまで決して政治史の舞台裏を語ることがなかった小沢が、平成日本を変えた数々の場面で何が行なわれ、どんな葛藤があったのかを「歴史の証言者」として初めて明らかにした。(文中一部敬称略)◆宮沢倒閣と8会派連立工作(1993年6月)〈宮沢喜一首相はテレビ番組で「政治改革を実現する」「この国会でやる」と口にしたものの、与党の反対の中で断念する。小沢―羽田グループは自民党を離党して新生党を立ちあげ、宮沢内閣不信任案に賛成。「小沢の乱」は成り、不信任された宮沢首相は解散に踏み切る。 総選挙で自民党は過半数を割り、非自民政党による連立工作が始まる。一方、自民党でも野党転落を防ぐべく、YKK(山崎拓、加藤紘一、小泉純一郎)が中心となって日本新党の細川護煕代表を首相に担ぐ構想を練っていたが、先手を取ったのは小沢だった。〉小沢:(細川の)担ぎ合いなんか全然ありません。僕は、選挙が終わってすぐぐらいに、もう細川さんの了解を取っていたから。 最近、山崎拓さんとしばらくぶりで飲んだんだけど、彼らも細川さんを説得しようと考えたが、すでに時遅しだったと言ってました。──細川をどう口説いた?小沢:何ていうことはない。「あなたは、総理だ」と。「あなたが総理になって、自民党政権を変えなくてはいけない」と。新党さきがけ代表の武村正義は自民党との連立志向だったから、ものすごく抵抗しましたが、「自民党と連立したら政治改革なんてできなくなる」と言いました。細川さんは「一晩、考えさせてくれ」と。翌日かな、「武村とも話して、わかりました」となった。〈総選挙から22日後、非自民・非共産の8会派による細川政権が発足。55年体制が崩壊し、自民党が結党以来初めて下野した瞬間だった。〉◆短命に終わった細川政権(1994年4月)〈細川内閣は翌年の通常国会で政治改革法案を成立させ、小選挙区制導入が決まった。しかし、政治改革を旗印に集った8会派は、同法案成立の目処が立つと、急速に結束が乱れていく。1994年2月に細川護煕首相は税率7%の「国民福祉税」を突然に発表するが、与党内からの猛反発を招き、今度は突然撤回する。国民福祉税の発表は、「小沢と斎藤次郎・大蔵事務次官が筋書きを書いた」と批判された。〉小沢:(筋書きを書いたのは)その通りですよ。やらなきゃいけないと。ところが細川さんは会見で税率7%の根拠を質問されると「腰だめの数字です」って、そういう言い方をした。政策というのは、「こうした根拠があって、この数字です」と説明して、了解を求めなきゃいけません。それなのに「腰だめ」なんて言っちゃったもんだから……。──その後、自民党から佐川急便事件(1992年に発覚した東京佐川急便の前社長らの特別背任事件に絡み、細川が1982年に東京佐川急便から1億円を借り入れていたことが判明)を厳しく追及される中、細川は4月に突然辞める。あなたは辞意を聞いていたのか。小沢:知りませんでした。“(細川は)何をしでかしたんだ?”と思ったくらいだから。佐川からカネを借りていたとかいう噂話は耳にしていたけれど、そんな深刻な話ではないように認識していたから、パッパと辞めてしまって……。細川さんはかっこよく辞めようとしたんでしょう。潔く辞めれば、また人気が出ると思ったんじゃないかな、想像するに。──再登板を考えていた。小沢:そう思う。でも、権力闘争というのはそんな甘いもんじゃありません。──“産みの親”として、細川政権が戦後政治で果たした役割をどう評価するか。小沢:それは大きいと思います。絶対に崩れないと思っていた自民党政権が倒れたんだから。15代も続いた徳川幕府が戊辰戦争で敗れた(のと同じ)。しかしまぁ、細川政権は鳥羽伏見で勝ったのに、すぐ盛り返されてしまった(笑い)。●聞き手・レポート/武冨薫(ジャーナリスト)※週刊ポスト2019年5月3・10日号
2019.05.04 07:00
週刊ポスト
海外もあきれた平成の短命内閣 羽田孜64日、宇野宗佑69日など
海外もあきれた平成の短命内閣 羽田孜64日、宇野宗佑69日など
 1989年1月に始まり、2019年4月に終わる「平成」。政治では羽田孜の64日(1994年4~6月)、宇野宗佑の69日(1989年6~8月)など、1980年代後半~1990年代に短命内閣が次々誕生するも1年以内に解散、もしくは総辞職で退陣した。【平成の短命内閣ランキング】第1位 羽田孜 64日 1994年4~6月第2位 宇野宗佑 69日 1989年6~8月第3位 細川護熙 263日 1993年8月~1994年4月第4位 鳩山由紀夫 266日 2009年9月~2010年6月第5位 麻生太郎 358日 2008年9月~2009年9月 マーケティングコンサルタントの西川りゅうじんさんが振り返る。「党内分裂、スキャンダル、選挙の敗北、病気などで短命内閣が続き、“サミットごとに首相が替わる”と海外からあきれられた。経済力も平成元年には世界有数だったが、年々低下し、今や見る影もない。政治の混迷と無策の責任は重いが選んだのは私たちだ」(西川さん)※女性セブン2019年1月3・10日号
2019.01.03 07:00
女性セブン
冷笑系、DD論者… ネットで「現実主義者」が揶揄される理由
冷笑系、DD論者… ネットで「現実主義者」が揶揄される理由
 ネット上で政治的なテーマを扱う場合、意識しなければならないのが、「保守とリベラルのレッテル貼り」からいかに逃れるか、という問題だ。だが一方でそうした「党派」のレッテルから逃れたとしても、批判対象となり得るという。それはいったい、どういうことなのか。『言ってはいけない』(新潮新書)、『朝日ぎらい』(朝日新書)などの著書がある作家・橘玲氏と、『ウェブはバカと暇人のもの』(光文社新書)などの著書があるネットニュース編集者の中川淳一郎氏が語り合った。(短期集中連載・第5回)中川:昨今のネットでは、「お前はどっち側だ」みたいなことの旗幟を鮮明にしなくてはいけないような雰囲気があります。小泉純一郎氏がその先鞭をつけたのでしょうが、「郵政民営化に賛成か、反対か!」みたいなところから始まり、2014年の東京都知事選でも細川護熙陣営について「原発に反対か、賛成か!」とやった。ここしばらくの沖縄県における選挙の「オール沖縄vsそれ以外」もそうです。小泉氏の時は、反対派に「刺客」を送り、落とそうとし、女性の刺客は「くノ一」なんて呼ばれた。そうした旗幟を鮮明にすることが分かりやすく表れるデモにしても、同じ立場の人々がいっぱいいたら安心するし、ここにいる人たちで社会をどんどん良くするんだという高揚感も出てくる。だからこそ皆で行進しているうちにどんどん過激化し、「朝鮮人をガス室に送り込め!」なんて叫んだりする。橘:在特会(在日特権を許さない市民の会)系のデモですよね。こんなグロテスクは主張が許されないのは当然ですが、郵政民営化や原発問題も含め、その背景にある論理は同じなんじゃないかと思っています。「俺たち」と「奴ら」に集団を分割して、「俺たち」を光と善、「奴ら」に闇と悪のレッテルを貼って、善(正義)が悪を叩くことで世界が救済される。この図式は、右も左も同じですね。中川:そこでちょっと厄介なことが1個あって、今みたいな橘さんの分析は正論だと思うのですが、そういう発言をすると“冷笑系”と言われる傾向があるんです。これが、私もそうですけど、橘さんのように客観的に物事を批評する人を揶揄する言葉になっています。別に笑う要素なんて一切ないから、ただ呆れてるだけなんですけどね。橘:たしかに「冷笑派」と言われることはあります。中川:言われます? あと“DD論”という言葉もあるじゃないですか。橘:DD論って何ですか?中川:どっちもどっち論。対立した意見があるときに「どっちもどっちじゃないか」っていうスタンスでいることを揶揄する際に使われる言葉です。橘:それはまさに私にぴったりですね。こんど使わせてもらいます(笑)。中川:DD論に反発するのは主に反差別活動家の側ですが、「ヘイトスピーチはダメに決まっているじゃないか、どっちもどっちじゃなくて、オレらは正しいんだ。ダメなものを潰すにはこちらも過激になるしかないだろ」ということです。「お前達は我々をレイシストと一緒にするんじゃない、どっちもどっちというお前こそ差別に加担している冷笑主義者である」という流れになる。 DD論を批判する反差別界隈からすれば、中間層による「過激過ぎでは……」「どっちも支持できない」という意見がむかついて仕方ないし、ネトウヨよりも冷笑系がタチが悪いと考えている面もあります。なぜなら自分達は反差別活動という人の道に沿った活動をしているから、それを邪魔する敵であると認識する。そして、「オレ達だって本当はこんなことやりたくない。差別するヤツが存在しなければこんなことやらないで済む」と追記する。いや、差別をしていないオレのことも糾弾してるじゃないか、としか思えないんですけど。すると「お前のその態度がレイシストを利するのだ」なんて言ってくる。まぁ、なんでもかんでも差別やヘイト認定し糾弾するので、全然説得力ないんですけどね。橘:IS(イスラーム国)のいちばん敵は、キリスト教でもユダヤ教でもなく同じイスラームですよね。「ムハンマドやクルアーンはデモクラシーや男女平等を否定していないし、近代的・世俗的な市民社会とイスラームの信仰は共存できる」という寛容で真っ当なイスラームこそが彼らの最大の敵で、「タクフィール(背教者)」のレッテルを貼って「絶滅」しようとする。 キリスト教やユダヤ教はイスラームと同じ神をちがうやり方で信仰しているだけですから、過激なイスラーム原理主義の論理でも、ジズヤ(人頭税)を払えば信仰をつづけることが許されます。それに対してイスラームの「異端」はクルアーンを冒涜しているのだから、どんなことをしても許されることはない。スンニ派とシーア派の対立も同じですが、自分たちとはあまり関係のない異教徒には寛容で、すぐ隣にいる「異端」は皆殺しにして当たり前という理屈になっていきます。「リベラル」の中での対立も同じで、自分が正義の側にいることを証明しようと思ったら、右翼を叩くより曖昧なリベラルを叩いたほうがいい。これがセクト闘争の定番で、それと同じことがネットを舞台として起きているんだと思います。◆「社会の状況にあわせて自分を最適化していく」中川:不思議なのが、ネトウヨの側ではこういう内部分裂が無いということですね。一応一致団結するんですよ、彼らは。橘:たしかに、どっちがより愛国かで喧嘩するというのは聞いたことがないですね。中川:彼らの場合は、愛国もクソもないと思うんですよ。基本的に、韓国と中国が嫌いというだけなんです。そこが原動力なので、「ネット右翼」という言葉自体がそもそも違うと思っていて、ネトウヨというよりも「嫌韓派」とか「韓国フォビア」とか、そういった言葉の方がしっくりくるかなと思っています。彼らは日本の上空のかなり広い部分を支配している米軍が定めた「横田空域」を批判しない。こっちの方がよっぽど日本にとっては主権が脅かされている話だっていうのに……。沖縄の米軍についても、「中国が侵略してくるから必要だ」という理屈から、基地反対派を売国奴扱いする。ちょっとちょっと、お前ら元々「在日特権を許すな!」と主張していたけど、もっとも在日特権持ってるのって米軍でしょうよ。橘:私の理解だと、ネトウヨは右翼ではなく“日本人アイデンティティ主義者”ということになります。彼らは「自分が日本人であるということ以外に誇るもののないひとたち」で、「反日」「売国」を攻撃することでしか自分たちのアイデンティティ(社会的な自己)を確認できない。在日米軍は反日でも売国でもないから、日本の上空を好き勝手に飛行していてもどうでもいいんでしょう。中川:右翼は途中で飽きちゃうんじゃないですか、運動自体に。ネトウヨの場合だと、彼女ができたからやめるみたいな、感じもあるようです。橘:トランプを支持する“白人アイデンティティ主義者”も同じですが、彼らを突き動かすのがロジックではなく心情だからじゃないですか。だからちょっとしたきっかけで、別の世界に移っていったりする。それに対して左の方がもっと原理主義的で、「自分たちだけがロジカルな正義を独占している」と主張する。中川:多分ネトウヨの方が若干後ろめたさを持っているから、早くやめることができると思います。どう考えても「朝鮮人は死ね」みたいな主張が正しいわけがない。だから最近「元ネトウヨでした」とツイッターで表明する人がポツポツと出てきているのかもしれません。左翼の場合はとにかく正義の側としての大義名分があるし、社会を良くしているという認識があるからやめられない、という違いかもしれません。趣味であるかガチであるか、という違いだと思うんですよね。ガチといっても、いつしか趣味=糾弾、みたいになって何にでも難癖付け出す人も出てくるのが困ったところです。橘:「冷笑系」と言われるのは、デモなんかしても社会は変わらないし、正義を振りかざすともっとヒドいことなると考えているからだと思います。私のいちばんの関心は自分が幸福になることで、仮によりよい社会が実現したとしても、その代償として自分が不幸のどん底に突き落とされるならなんの意味もない。こういうことをいうと「エゴイスト」と批判されるわけですが、ナチスは「よりよい社会をつくる代償としてユダヤ人を絶滅すべきだ」と主張しました。 2017年に『専業主婦は2億円損をする』(マガジンハウス)という本を出して、専業主婦の方から「自分たちをバカにしている」と叩かれたんですが、たしかに、子どもを産んだ女性が会社を辞めて専業主婦にならざるを得ない実態が日本社会にあることは間違いありません。こうした性差別をなくし、すべての女性が男性と対等にいきいきと働ける社会に変えていかなくてはならない、というのもそのとおりだと思います。でも、そうやって「よりよい社会」の実現を待っていたら何十年もたってしまう。いま20歳の女性に、「50歳や60歳になれば男女平等の理想社会がやってきます」といっても、まったく説得力がないでしょう。だとしたら、いまの日本が女性が差別される残念な社会であることを前提としたうえで、そのなかで自分と家族がいかにして幸福になるかを考えるほかはない。それが私の基本的な発想です。中川:それって社会の状況に合わせて、自分が変わっていく方が良いということですか?橘:ゲームのルールに合わせて攻略法を最適化していく、という感じですね。ネットで、「橘玲ってようするに“ハッカー”でしょ」という評を見かけて「なるほど」と思ったんですが、私がこれまで書いてきたものは、金融市場とか日本の税法とか、自分たちが生きている世界のいろんなバグを見つけて、「それを上手に利用すればかんぜんに合法的にこんな面白いことができるよ」という情報提供です。ハッカーの論理では、プログラムは完璧なテキストに従ってつくるのではなく、バグを見つけて面白がる連中がいるから試行錯誤で修正されていくわけじゃないですか。それと同じで、社会をよりよいものにしていくのはデモではなく、みんながバグを見つけて「悪用」することなのかもしれない。為政者はそれに対応しなければなりませんから、その結果、これまでよりずっと公正で効率的な社会に変わっていくのです。◆安倍首相が辞めたら攻撃対象がなくなって“安倍ロス”が起こる?中川:私も与件主義というか、与えられたもので最適なものは何かを考えます。デモが通用しないということは、これだけ反政権デモをこの5年間やり続けてきても政権はビクともしないことから明らかになっているのではないでしょうか。在特会系のデモにしても、「日韓断交」を何度も訴えているのに、そんなことになる気配すらない。この手法が共感されないということは何回も証明されているのだから、それだったら他の手法を考えようぜと。安倍政権を倒したいんだったら、自民党の中で石破茂氏とか有力な議員を左翼が担ぎあげるくらいのことをやるとか、そっちとかの方がいいんじゃないかとか思っちゃうんですよね。野党のやり方っていうのは、安倍はこんなに極悪だと言い続けて、それが5年以上続いていると思うんですよね。ところが……。橘:やっぱり、発言すること自体が快感になっているんじゃないですか。中川:たとえば小池晃氏、福島瑞穂氏、菅直人氏、福山哲郎氏あたりって、デモに行けばよくいる面々じゃないですか。それって効果ないのに何であの人たちはやり続けるんだろう、とつくづく不思議でなりません。別のことを考えろと思っちゃうんですよね。これまでにやってきたデモって、「共謀罪許すな」「戦争法案許すな」「民主主義を守れ」なんかがありましたが、それが国民全体の大きな共感を得て全体を覆すようなムーブメントになったかというと、疑問が残ります。今こそ「消費増税許すな」デモを仕掛けるチャンスで、これぞ野党が支持を得られるイシューだと思うんですよね。まぁ、どうせやっていく内に「アベは退陣を!」みたいなデモに変化するのは予想がついてしまいますが。橘:安倍さんが辞めたら、“安倍ロス”が来るんじゃないですか。攻撃の対象が消えてしまうから。同じように朝日新聞がなくなれば、叩く対象がなくなって“朝日ロス”がやってくるでしょう。実際、右翼・保守派は民主党(民進党)がなくなって“民主党ロス”に苦しんでますよね。一部の雑誌に見られるような「朝日」への異様なバッシングも、ほかに叩く相手がいなくなってしまったという「喪失感」が背景にあると思います。中川:あり得ますよね。「反アベ」って団結の良い旗印なんでしょう。デモだってその仲間と出会える場所。これを言うと、「お前はデモにも来てないで、闘ってもないくせに安全な外野から冷笑しやがって、オレ達は闘ってるんだ!」と叩かれる。「闘ってる」っていつまで革命ごっこやってるんだよ、って話ですよ。チェ・ゲバラに憧れ過ぎです。橘:世代論はあまり好きじゃないですが、それをやってるのって団塊の世代の全共闘の人たちですよね。私は全共闘の下の世代で、「お前たちは安保闘争も体験しないで、『なんとなくクリスタル』みたいな薄っぺらい商業主義丸出しの本を読んで喜んでいるだけだ」とさんざん言われたから、正直、あの人たちと一緒にされたくないっていうのはすごくありますね。もちろん日本は自由な社会だから、国会前で青春時代を追体験したいならどうぞお好きに、ということです。でも私はやりません。中川:私は橘さんより10歳以上年下ですが、私が通っていた大学には、当時活動家が6人くらいいたと記憶しています。学生数は学部全体では4000人くらいなんですけど、その6人が学校中のビラのそれなりの割合を作っている。しかも、ゲバ文字の建て看をよく作っていた。中身は覚えていないけど、基本的には反政権・反天皇だったと思います。彼らは国旗を掲揚するのを阻止する運動をしたりとか、旗を掲げる屋上に至る階段のところで座り込みをしたりするんですよ。それに対して、そんなのやらないでいいじゃんというのが、当時の我々、全共闘世代の2周り以上下の感覚です。日章旗と天皇を侵略の象徴とはもう捉えていないんですよ。橘:左翼的な人が嫌われるのは、中途半端に頭が良いから、自分の正しさをロジカルに説明しようとしてどんどん過激化していくからですね。大学時代、社会科学系のサークルに所属していたこともあって、革マル派の(元)学生たちがたまにオルグに来たので、つるし上げのグロテスクさというのは経験的に知っています。右翼は心情でつながっているので、「君とは考え方がちがっていてもウマが合うから友だち」みたいな、わりと緩いところがありますよね。それに対して極左は、相手を徹底的にロジックで追い詰めたうえで、「あなたが100%正しく、私が100%間違っていた。これからはすべてあなたに従います」と土下座しない限り許さないみたいな、そういう原理主義の恐ろしさがあります。中川:私はしばき隊(レイシストをしばき隊)のことを5年間ずっとウォッチし続けてきたんですけど、相当な人数が離脱していってますね。コアメンバーはずっと一緒ですが、批判側に転向する人は案外冷静な分析をしていたりする。コアメンバーが数名いて、絶対に裏切らない人たちがいるほか、彼らに尻尾を振る鉄砲玉みたいな連中もいる。でも、この鉄砲玉連中はまったく相手にしてもらえず、少し可哀想です。先日、彼らの別働隊の元メンバーの男性が亡くなったのですが、彼が亡くなった途端、女にだらしなかったと叩き始める人が出てきて、「セクハラは確かにマズいけど、お前さー、元の仲間にそれはないだろ? 生きている内にちゃんと注意しておけよ。死体蹴りしてるんじゃねぇよ」っていう右翼が今度は出てきてしまいます。離脱があまりに多いし、内ゲバが多いなって思っちゃうんですよね。橘:それは革命の論理で、連合赤軍と一緒ですね。結局、人間なんて何千年、何万年と同じことを繰り返しているだけで、いまも難しそうなロジックを振りかざしてはいるものの、原始時代の部族闘争をやってるんだと思います。自由な社会はそういう人たちも許容しなければならないんですが、自分の半径10メートル以内には近寄ってきてほしくない、という感じですね。(続く)◆橘玲(たちばな・あきら):作家。1959年生まれ。2002年、国際金融小説『マネーロンダリング』でデビュー。『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』『言ってはいけない 残酷すぎる真実』『(日本人)』『80’s』など著書多数。◆中川淳一郎(なかがわ・じゅんいちろう):ネットニュース編集者。1973年生まれ。『ウェブはバカと暇人のもの』『ネットのバカ』『夢、死ね! 若者を殺す「自己実現」という嘘』『縁の切り方 絆と孤独を考える』など著書多数。
2018.10.30 16:00
NEWSポストセブン
久米宏が語る『ニュースステーション』と日本新党
久米宏が語る『ニュースステーション』と日本新党
 テレビが政治を動かし、時代を動かす──そんな番組は、『ニュースステーション』(テレビ朝日系)以降ない。なぜそれほどの影響力を持ち得たのか、今のテレビとは何が違うのか。初の自伝『久米宏です。ニュースステーションはザ・ベストテンだった』を刊行した久米宏氏が、自身の半生を振り返りながら、「テレビ論」を語った。 * * * 僕は、口では反権力だ反自民だって言っていますけど、『ニュースステーション』に出てきた人たちに損はさせない、視聴者から「この人は素敵な人だ!」と思ってもらえるようにしたいというサービス精神がどこかにあるんですよね。だから、葛藤はありました。 たとえば自民党の国会議員が番組のゲストにやってきて、めちゃくちゃな発言をして僕と大ゲンカになったとしても、その人の魅力や人間性が視聴者に伝わってほしいんです。それはもう本能的なものですね。 僕がショックを受けたのは橋本龍太郎さん。控え室に挨拶に行くと、ヘビースモーカーの橋龍さんがパイプに煙草をさして吸っていて、僕の方をジロリと見て「ああ、これが久米宏か」と珍獣を見るような感じで言った。 生で見る宿敵って感じ。ある意味、認められていたからだろうとは思いますけど。政治をお茶の間に、お茶の間という言葉はもう死語ですけど、政治を、視聴者にとって身近なものにしようという意識は明確にありました。 こちらから近づいたわけですから、政治家に利用されるのはある意味で当然でしょう。そのことを一番感じたのは日本新党の時です。 細川護熙さんが『月刊文藝春秋』にお書きになった論文(「『自由社会連合』結党宣言」1992年6月号)がとても面白くて、すぐに番組のゲストに出ていただきました。視聴率も凄く良かった。まだ日本新党という言葉はない時期です。 以後、妙なパイプができて、大げさに言うと『ニュースステーション』が日本新党を作ったみたいになってしまった。 1993年7月の衆議院総選挙では、僕が名前も知らない人が当選したほど日本新党の人気が爆発して、結局55年体制の崩壊につながった。小池百合子さんもその時に衆院初当選したわけですが、あの時はさすがに深入りし過ぎたというか、これはマズいことになったと思いました。 細川さんは外国に行って、マフラーを巻いた写真を撮ったり、記者会見でボールペンで記者を指名したり、明らかにテレビ映りを気にするようになった。自民党では選挙前に田中真紀子さんがよく出てくれました。細川護煕さんと、田中真紀子さん、そして小泉純一郎さんは、テレビに出ることの意味を本当によくわかっている。『ニュースステーション』も深く研究していたはずです。■聞き手/柳澤健(ノンフィクションライター)※週刊ポスト2018年1月12・19日号
2018.01.11 07:00
週刊ポスト
“排除”宣言で幻に 「小池総理&野田聖子都知事」構想
“排除”宣言で幻に 「小池総理&野田聖子都知事」構想
 総選挙の幕は上がったばかりなのに、「小池劇場」のクライマックスはすでに終了した様子。「女性総理誕生」のラストシーンが見たくて切符を買った人たちからは「カネ返せ!」と野次が飛びそうだが、まずは冷静にダメ出ししてみよう。快進撃を続けた小池百合子東京都知事は、どこでしくじったのか。 立候補者が出そろう「公示日」は、選挙戦の火ぶたが切って落とされる初日。ニュースでは、党首や注目候補の街頭演説の第一声がこれでもかというほど流され、列島はこの日を境に選挙モードへと突入していく。さる10月10日、かつてこれほどまでに総選挙の公示日が“失望”に包まれたことがあっただろうか。 振り返ると、この選挙が最も注目を集めたのは、公示の2週間前、小池百合子東京都知事(65才)が「希望の党」の結党を宣言した日だった。「これは政権選択選挙になる」。小池氏のこの一言で、「安倍自民圧勝」の予測が一気に吹っ飛ぶ。“どうせ投票に行っても同じ”という有権者の雰囲気がガラリと変わって、選挙への関心が一気に高まった。「“政権を選ぶ”ということは、“首相を選ぶ”ということですよね。小池さんが選挙に出て、“私か安倍さん、どちらを首相に選ぶんですか?”と有権者に訴えるんでしょ? しかも、もし小池さんが総理大臣になったら、女性初。歴史的な選挙になるかもしれませんよね」(50代主婦) そんな期待は、公示日に裏切られることになる。小池氏が衆院選出馬を見送ったのだ。「結党の日から小池さんはメディアに対して一貫して、“私は出ませんよ”と言い続けてきました。いくら“政権選択”なんて挑戦的な言葉を使っても、世間を煽っただけで、もともと出馬するつもりなんてなかったんじゃないですか」(自民党関係者) 本当に彼女は最初から「女性初の総理大臣」の椅子なんて狙っていなかったのか。小池氏に近い政界関係者が明かす。「小池さんが衆院選に出馬するとなれば、都知事を辞任しなければなりません。そうなると、都知事選もやり直すことになります。実は小池さんは、東京都の選挙管理委員会に、“11月19日日曜日の投開票で都知事選を行うことはできるか”とシミュレーションを指示していました。つまり、小池さんは公示日ギリギリまで、出馬の可能性を探っていたんです」 小池氏はただ都政を放り出そうとしていたわけではない。後任の知事には、自分が打ち出してきた政策を引き継いでもらえる人になってもらいたいと、後任候補の人選も進めてきた。「そこで白羽の矢を立てたのが、“初の女性総理候補”のライバル関係にありながらも、お互いを政治家として認め合う関係だった野田聖子総務相(57才)でした」(前出・政界関係者) 小池氏と野田氏は盟友ともいえる間柄だ。2015年、野田氏が自民党総裁選への出馬を目指した際には、小池氏が野田氏を支援。逆に、昨年7月の都知事選では、野田氏が自民党の禁を破ってまで小池氏を応援するなど、2人は党のしがらみを超えた深い信頼関係で結ばれている。「今年7月頃には、2人で国政政党を立ち上げて共同代表になるという動きもありました。その企みを裏で支援していたのが、かつてテレビキャスターだった小池さんを政治家にスカウトした細川護熙元首相でした。しかし、その情報は事前に自民党サイドに漏れてしまいます。そこで安倍首相は内閣改造で野田さんを入閣させて、計画をご破算にさせたんです」(政治ジャーナリスト) 今回の解散・総選挙を受けての「小池総理、野田都知事」構想はそれほど突飛なものではなく、以前からその伏線はあったということだ。「打診を受けていた野田氏も前向きに検討していました。実際、小池さんサイドは、希望の党からは野田氏の選挙区に対抗馬を立てないことにしました。もし野田氏が都知事選に転じ、選挙区では後任の新人候補が出馬しても、当選を妨げないようにするためです。2人とも、かなり本気でした」(前出・政界関係者) しかし、結局、小池氏は出馬を断念せざるを得なかった。なぜ女性ツートップ計画は幻に終わってしまったのか。◆総選挙後に起死回生の一手もある 希望の党の立ち上げ直後ぐらいまでは、民進党との合流も決まり、小泉純一郎元総理を味方につけるなど、トントン拍子でうまくいっていた小池氏。「安倍自民党を倒そうとするならば、“野党を1つにまとめる”のが正攻法でした。しかし、彼女はより難しい戦略を選びました。それは“自民党の中から味方を引っこ抜いて、自民党を内部から崩壊させる”というものでした。まさに『策士、策に溺れる』です。打つ手がことごとくうまくいくので、調子に乗ったところがあるのでしょう。そこで飛び出したのが、政治的主張が合わない野党議員を仲間から締め出す“排除いたします”宣言でした」(前出・政治ジャーナリスト) その発言は、小池氏にとって大きな逆風になる。一部の革新系議員を切り捨てることによって、自分を保守系だとアピールする。そうすれば、安倍首相に不満を持つ自民党内の保守系議員が味方になってくれるのではないか──そんな作戦だったのだが、目論見は外れた。 小池氏の後ろ盾ともいえる前出の細川元首相は、小池氏を「女帝っぽくなってきて」と、こう眉をひそめた。「排除の論理を振り回すようでは、私はこの試みの先に懐疑的にならざるを得ません」「排除宣言」は、世間の小池氏のイメージを「冷酷な人」というものに変えてしまっただけではない。「永田町は日本で“最強最古の男社会”です。水面下で交渉をして、相手のメンツを立てて、もし決裂したとしても、お互いが納得した上で物事を進めていく。ある意味で“馴れ合い”が必要なわけです。小池さんが毛嫌いする“ブラックボックス”ですが、それが、いろいろな立場の人の利害関係を調整してきました。しかし、小池さんは水面下のネゴを拒否してスパッと主張の合わない人たちを切り捨ててしまいました。彼らが怒り心頭なのはもちろんですが、“そのやり方はいくらなんでも…”と仲間からも反感を買ってしまった。排除宣言によって、旧来の『男型政治』からアレルギー拒否反応を受けてしまったんです」(前出・自民党関係者) いつの間にか四面楚歌になっていた小池氏は、かくして出馬を見送らざるを得なくなった。だが、もちろんこのまま黙っているわけではないだろう。「選挙の結果を見て、“次の次”を虎視眈々と狙うはずです。場合によっては、希望の党の誰かを議員辞職させ、小池氏が補選に打って出て国政へ、なんていう仰天のシナリオも絶対にないとはいえません」(前出・政界関係者)「ガラスの天井」は高く、厚かった、と言うのは簡単。まだチャンスはある。※女性セブン2017年10月26日号
2017.10.12 16:00
女性セブン
小池百合子氏、「政界渡り鳥」否定 関与した人が権力者になる
小池百合子氏、「政界渡り鳥」否定 関与した人が権力者になる
「希望の党」の代表として、今回の衆議院選における“主役”に躍り出ることとなった東京都の小池百合子知事(65才)。小池氏は1976年にエジプト・カイロ大を卒業後、テレビを中心に活躍し、1988年にテレビ東京『ワールドビジネスサテライト』初代キャスターに就任。看板の美人キャスターとして人気を博した。 1992年には運命の出会いがあった。熊本県知事を務めた細川護熙氏(79才)に誘われ、結党まもない日本新党から参院選に出馬して初当選。続く1993年7月の衆院選では衆議院に転じて当選した。 この選挙では、惨敗した自民党に代わって38年ぶりに政権交代が実現し、細川連立内閣が誕生した。細川氏の隣りにピタリと寄り添っていた小池氏は、その政権交代の様子をつぶさに目をこらして見ていた。「日本新党を立ち上げる時、細川氏は新しい政策を提示して参加者を募りました。1993年の総選挙でも『政治改革推進構想』を発表して、“この条件をのめるならば一緒にやろうじゃないか”と他党に迫りました。そうした“この指とまれ方式”でなければ、小さな政党が主導権を握って、大きな政党を吸収することはできませんでした。実は、今回の希望の党もまったく同じ方法を使って、民進党を吸収しました。小池氏はあの時の細川さんのやり方を近くで見ていたからこそ、それができたんです」(政治ジャーナリスト) 細川氏は、今回の小池氏の動きを見て、「勝負勘も度胸もいい」と、あるインタビューで目を細めて話している。 小池氏のこの2週間の動きで際立っていたのは、小泉純一郎元首相(75才)の“支援”を取りつけたことだ。 2005年、小泉氏が仕掛けた「郵政解散」のとき、いち早く小泉氏が送る「刺客」として選挙を戦ったのが小池氏だった。あのときの“小泉劇場”はマドンナ刺客の小池氏なくしては、ありえなかったといっていい。「2人とも妙齢の独身。あまりに仲のいい2人に、“恋仲説”は絶えませんでした。よく小池さんは、“私にも選ぶ権利があるわよ”と笑い飛ばしてましたけどね」(自民党関係者)◆「小泉流」メディアコントロールにも長ける そんな小池氏と小泉氏は、希望の党を立ち上げた当日である9月25日、電撃会談を行った。その場に同席していた城南信用金庫顧問の吉原毅さんが言う。「会談では『原発をゼロにしないといけない』と熱く語る小泉さんに、小池さんが『教えていただいた原発ゼロを訴えていきます』と返しました。15分ほどの会談でしたが、和気あいあいとしてとても親密な感じでした」 小池氏はいままで「脱原発」を主張したことはなかったが、ここにきて変わった。筋金入りの原発ゼロ論者で知られる小泉氏の気持ちをくすぐって味方につける。そんなしたたかさもあったのだろう。会談後、小池氏は「小泉氏から“頑張れ”と励まされた」と得意げに明かした。「希望の党の主張はあいまいで具体性に欠ける上に、仲間を増やすために唐突に打ち出したものも多い。このままでは“失望の党”になるだろう」と前出・自民党関係者は手厳しい。 小泉氏は巧みなメディアコントロールでも知られるが、この点でも小池氏は「小泉流」をしっかり踏襲していた。「都庁で上野動物園のパンダの名前“シャンシャン”を公表する会見の30分後に急きょ、小池氏は新党立ち上げの臨時会見を行いました。当然、集まった大勢のメディアはそのままその場に残ることになるし、テレビを見ている人もパンダのニュースに関心を引かれ、そのまま希望の党のニュースを眺めることになる。すべて小池氏の計算ずくです。同じ日に行われた安倍首相肝いりの解散会見は、見事に希望とパンダのニュースに打ち消されてしまいました」(全国紙政治部記者)『挑戦 小池百合子伝』(河出書房新社)の著書がある作家の大下英治さんが明かす。「小泉さんはよく“女は愛嬌、男は度胸と言うけれど、その両方を持っているのは彼女だけだ”と小池さんのことを話しています」 小池氏は1994年、小沢一郎氏(現・自由党共同代表)らが立ち上げた新進党、その後の旧自由党に参加。“豪腕”小沢氏の近くで党の広告塔として活躍した。「小池氏と民進党の前原氏の間を取り持ったのが、小池氏のことを、かつて“お嬢ちゃん”と呼んでかわいがってきた小沢氏でした」(前出・政治ジャーナリスト) 9月24日、小沢氏は大量の離党者を出してほとほと困っていた前原氏にこう告げたとされる。「すぐに小池さんに会いなさい。きみさえ頭を下げれば、大丈夫なんだ」 かくしてこれ以降、雪崩を打って希望の党と民進党の合流話が進んだ。前出・大下さんが言う。「小池さんは、国会議員の議席を捨てて都知事選に立候補するとき“風が吹かないのであれば、自分が崖から飛び降りて風を起こす”と話していました。実は、それは小沢さんがよく使っていた言葉です。細川さん、小沢さん、小泉さんの3人は、小池さんの育ての親であり、政治人生で最も尊敬する3人です。その3人が応援してくれるわけですから、小池さんが自信に満ちあふれているのもわかります。彼ら3人こそ、“あの小池がまさかこんな大仕事をやってのけるとは”と驚いているのではないでしょうか」 以前、本誌・女性セブンは小池氏へのインタビューでこう尋ねたことがある。「小池さんは時の権力者に近づいては離れる“政界渡り鳥”と言われます」 小池氏はこう笑って答えた。「私が権力者のところに“渡る”のではなく、私のサポートがあって、その人が権力者になるんです」※女性セブン2017年10月19日号
2017.10.06 07:00
女性セブン
小池新党 目玉候補本命の「角栄の孫」に断られていた
小池新党 目玉候補本命の「角栄の孫」に断られていた
 総選挙を控えた小池新党に衝撃が走った。9月17日に投開票された大阪府摂津市議会議員選挙で、小池百合子・都知事の最側近で、「日本ファーストの会」代表を務める若狭勝・代議士が全面支援した候補者が全員落選する大敗北を喫したのだ。「若狭氏が陣頭指揮を執って臨んだ選挙戦だったが、4人の候補者のうち3人の得票数は100票にも届かずワースト3に沈む大惨敗。“やっぱり若狭さんが顔では勝てない”“小池旋風は東京だけの現象だ”との声が上がり、衆院選に対する危機感が一気に広がった。慌てて小池さんに国政政党の代表就任を打診したのはそうした事情があった」(都民ファースト関係者) とりわけ新党関係者の頭を悩ますのが“人材不足”の問題だ。今のところ民進党を離党した細野豪志・元環境相や河村たかし・名古屋市長などの名前が挙がるだけで「フレッシュさに欠ける」(同前)のは否めない。そんな中、期待を寄せたのが“角栄ブランド”だったという。「角栄氏の孫にあたる公認会計士の田中雄一郎さんです。母は元外相の田中眞紀子氏、父は元防衛相の田中直紀氏という政界サラブレッド。小泉進次郎氏にも見劣りしない血筋の雄一郎さんなら、間違いなく話題になる」(同前) その雄一郎氏に出馬を促してきたのが民進党離党後、小池新党への合流が噂される木内孝胤・代議士だ。木内氏の父が角栄氏の秘書官を務めた関係から、雄一郎氏とは幼少の頃から交流があるという。 8月13日、長野県軽井沢市で開かれた会食の席に木内氏と細川護熙・元首相らとともに雄一郎氏の姿があった。複数の政界関係者は「雄一郎氏を口説くための会合だった」と話す。木内氏に話を聞いた。「その日、彼は数日前に罹った食中毒のためすぐ帰ったから選挙の話はしませんでした。私が雄一郎さんに出馬の打診をしたのはその約1週間後です。でも“選挙に出ませんか?”と訊ねたら“出ません”と断わられましたよ」 雄一郎氏が代表を務める会社を通じて取材を申し込んだが、「プライベートに関することは一切答えない」との回答だった。かくして小池新党の迷走は続く。※週刊ポスト2017年10月6日号
2017.09.25 07:00
週刊ポスト

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前田敦子と篠田麻里子の女子会姿をキャッチ
前田敦子、篠田麻里子と六本木で4時間半女子会 元夫・勝地涼との関係は良好に
女性セブン
謎めいたバッグを持つ広末涼子
広末涼子、“破壊力強すぎ”コーデは健在「背中に蜘蛛」私服に続き目撃された「謎バッグ」
NEWSポストセブン
結婚し、日本メディアが情報をキャッチしづらいNYで、デイリーメールが追跡取材(写真/JMPA)
小室圭さん・眞子さん夫婦が「離婚で終わったとしても…」英デイリー・メールが報じた「茨の道」
NEWSポストセブン