さて、ここまで言われて、当の京都人は何と答えるのか。中京区で生まれ、今は西陣地区(上京区今出川)に暮らす「生粋の洛中人」で俳優の芦屋小雁氏に反論を聞いた。
「確かに京都はよう、人から“いけず”と言われます。意地が悪い……とか何とかね。そやけど、この言葉、かなり誤解されてまっせ。“いけず”の良さってあるんですわ。例えば、常識を知らん人に“それは違いまっせ”とストレートに言えば角が立つ。だから“本当はこういうことですよ”と気付いてもらうために、あえて遠回しな物言いをするんです。
これは“はんなり”としたお公家文化を引き継いでいるんやけど、わからん人間には最後までわからない。困ったことですな(笑い)」
周囲の無理解ぶりに苦笑する小雁氏だが、やっぱりどこか“上から目線”のような気も……。でも誰だって京都人を笑えないのかもしれない。井上氏はこう話す。
「私も地図上は隣の亀岡市の人に“隣ですね”と言われて、“なんやて。山ひとつ越えなたどりつけへんぐらい遠いやん! それに嵯峨は行政上は京都市内なんやで。そのへんはわきまえてもらわないと!”と心の中で毒づいていました。これじゃ洛中の京都人を責められませんね。
人間には、自分が優位に立ち、劣る立場の誰かを見下そうとする情熱があります。これを全面的に封じ込めるのは難しいことです」
偏見を持たない人間はいない。“いけずな心”は京都人だけが持っているものではない。
※週刊ポスト2015年11月20日号