今ツアーでは、本編ラストに1998年発売のアルバム収録曲である『永遠』を選択。当時、ジャニーズ事務所独立から4年が経過していた田原はメディア露出も減り、厳しい境遇に置かれていた。実際、セールスは芳しくなく、次作のオリジナルアルバム発売まで15年の月日を要した。
そんな状況で発売された『永遠』を、田原は「みんなと僕の曲」と照れくさそうに、少しうつむきながら話した。不遇の時代も離れなかったファンを、田原はいつからか“ファミリー”と呼ぶようになった。“ファミリー”は周囲の勝手な評価に惑わされることなく、田原の曲を買い続け、コンサートには必ず足を運んだ。
皆がいなかったから、僕は終わりですから──。
田原は、実感のこもった言葉をステージにぶつけた。ツアーラストの滋賀公演では、アンコールで『センチメンタルハイウェイ』を歌いながら、1メートルは優に超えるスピーカーの上にジャンプして飛び乗ったり、ステージ横の花道に出ると目の前にあった客席の手すりに両足で乗っかったりと、まるで10代のようなパワフルかつバランス感覚の良い動きを見せ、会場を狂喜乱舞させた。
体中に湿布を貼りまくるほどの満身創痍。それでも、ステージで精一杯歌って踊り続けることで、田原はみずからを投影する男性ファンや『永遠』を誓ったファミリーに恩返しをしている。